最後の王・2


「少しばかり道を開けて欲しいのだけれど」
怪しげな覆面で素性を隠した男たちが卑劣な囲み討ちを実行しつつある現場を目の当たりにしながら、青年は超然としたものだ。寛いだ様子で馬の首に凭れ、形良い唇を綻ばせて彼は言う。
仮面の笑みだ、とマイクロトフは思った。
甘やかに囁き掛ける口調、美姫も斯くやといった艶やかな微笑を浮かべながら、けれど青年は獰猛なる獣の気配を放っている。整った顔立ちの中で輝く琥珀の双眸は、獲物の所作を見逃すまいとする刃物じみた緊張を帯びていた。
四肢の隅々にもそれは窺えた。有り触れた旅装束に包まれた体躯は、あくまで優美を損なわぬ細身で、呑気そうに構えていながら、その実、まるで隙がない。
この場にいる人間のどれほどが柔和な貌の裏に潜む牙に気付くだろう、マイクロトフはそんなふうにも考えた。
「このままでは通れない、続ける気なら端に寄って貰えないかな」
刺客たちは、この闖入者をどう扱ったものか、思案に暮れているようだった。突発事態に弱いという脆さを露見したに等しい。どうする、とでも言いたげに互いを窺い合う男たちの出方を睨みながら、マイクロトフとフリード・Yは息を詰めた。
そうするうちに馬上の青年から笑みが消えた。ほぼ無表情と化した彼は、美貌に凄味を増した。
「……邪魔だ、と懇切丁寧に申し上げているんだが」
洩れた独言に刺客らの意は決したらしい。最も馬に近かった一人が小走りに駆け寄りながら剣を振り上げた。主君の無事が再優先だが、王都の往来で旅人──と見えた──を殺傷されるのも堪らない、そんな義憤に駆られたフリード・Yが喉を絞って制止を叫ぶ。
今度こそ、反射だった。
マイクロトフは抜刀せぬまま大剣の鞘を鷲掴み、男と青年の間に割り込もうと地を蹴った。ほんの僅かでも攻撃の軌道を逸らせようと、長く逞しい腕を伸ばす。
が、それは一瞬、間に合わなかった。次に繰り広げられた光景を目で追うのが精一杯だった。
如何にして抜いたのか、持ち主に似た細身の白刃がどのように空を舞ったのか。刺客の攻撃を打ち退け、更に返す刃で利き手を裂いた一部始終をかろうじて追い遂げたのは、おそらく満座の中でマイクロトフただ一人だったろう。
軽く手を払っただけといった仕草で、向けられた攻撃を一蹴し、鮮やかに報復まで果たしてのけた青年は、相変わらず顔色ひとつ変えることなく、凍れる眼差しで往来を転げる男を見下ろしている。それからゆるりと視線を巡らせ、助力のために剣を伸ばし掛けていたマイクロトフをも一瞥した。
意外にも、彼はそこで微かに表情を緩めた。けれど無言のまま、軽く肩を竦めただけで再び前方へと向き直る。
「どうあっても道を譲らぬつもりなら、仕方が無い。全員消えて貰おう」
細く鮮血の滴る剣先を真っ直ぐに一同に突き付けた彼の、右手あたりの大気が薄紅く色を宿した。陽炎のように揺らめく不穏の輝きに、覆面の奥から呻きが洩れる。
「……火魔法」
誰ともなく上がった低い囁きが見る見る仲間たちに伝わっていった。一連の流れに呆気に取られるばかりだったフリード・Yも、恐るべき攻撃魔法の発動気配に狼狽え、逃げ腰になった一味に戸惑い、おろおろと周囲を見回している。
馬に程近い位置でそれを見守っていたマイクロトフは声もなく立ち竦んでいた。
どのような連中であれ、生きたまま焼き殺すのは惨すぎる。そして今、火魔法の攻撃範囲内には大切な乳兄弟が取り残されている。
止めねば、と心底思っているのに、制止は喉に蟠った。何ら価値のない石くれでも前にしているような青年が、あまりに冷淡で、そして陶然とするほど美しかったからだ。
彼は結局、火魔法を放たなかった。居並ぶ刺客たちが命惜しさか、脱兎の如く駆け出したのだ。
殆ど狂乱といった有様で、踏鞴を踏む馬の横に転がる仲間を引き摺り上げつつ、男たちは城下の方へと逃げ去って行く。背後からの逆襲を嫌った青年が手綱を引いて、去り行く男たちに馬の鼻を向けたが、そんな気骨を残したものは皆無だった。
少しすると往来は静まり返った。
魂も抜けたといった面持ちで立ち尽くすフリード・Yを心配そうに見遣った後、マイクロトフは深い息を吐いた。それを合図とするかのように、青年が馬の向きを戻す。
蹄が石畳を削る乾いた音に我を取り戻したフリード・Yが、たいそう憤慨しながらズンズンと大股で馬に近付いた。
「……あなた、旅の方、わたくしも\めて燃やすつもりだったのですか!」
思わずといった調子で怒鳴り、それから慌ててマイクロトフを窺う。
「御怪我はありませんか? すみません、わたくしが不甲斐ないばかりに……」
日頃からマイクロトフ第一の若者だが、今ばかりは意識を払う順序が逆になっている。それだけ「生きたまま火炙り」の恐怖が大きかったのだろう、弱く笑みながらマイクロトフは頷いた。
一見したところではフリード・Yに重大な怪我はないようだ。刺客たちが嗜虐に酔って嬲りに掛かってくれたお陰で、逆に深手を負わなかったのは幸いと言えるかもしれない。
主従が互いの傷を確かめている間にカツンと蹄が鳴った。二人を置き去りに、栗毛の馬が歩を進め始めていた。
「あ、あれ? ちょっと、あの」
フリード・Yが慌てて追い縋る。並足で行く馬に並ぶなり、おずおずと切り出した。
「すみません、少々馬を下りていただけないでしょうか?」
礼を言うにしろ、火魔法について文句を垂れるにしろ、この場にはマイクロトフ──現在のマチルダで最も身分の高い人間──がいる。余所から来た旅人では皇太子の顔を知らずとも無理はないが、それでもこの程度の依頼は十分に礼に適ったものとして聞こえる筈だと彼は思ったのだ。
しかし。
「見上げて話すのに慣れていないらしいのは分かる」
くい、と手綱を絞って馬を止めた青年は、フリード・Yを、そして次にはマイクロトフを冷徹な琥珀で射抜いた。
「だが……どうだろう? わたしは結果的に、おまえたちを助けたように思えるのだけれど」
おまえ、という王族に対して発せられるには到底認められぬ無作法な呼び掛け。飛び上がりそうになりながら、従者の若者は口を開き掛けた。委細構わず続いた糾弾に、しかし言葉は堰き止められる。
「なのに感謝の一言もなく、真っ先に下馬を求めるとはね。どんな貴族の御子息だか知らないが、礼を弁えぬ相手に礼を尽くすほど、わたしは気前の良い人間ではないよ」
言葉尻こそ穏やかであったが、マイクロトフは著しく気分を害した青年の冷たい怒りをひしひしと感じた。臨終間近の魚じみた唇の開閉を繰り返すフリード・Yの前に位置を移した彼は、これまた従者の息を止める丁重をもって頭を下げた。
「言われる通りだ、礼を欠いた。危ういところを助けていただき、心から感謝している」
馬上の青年は、それを聞くなり僅かに目を細めた。やや険の取れた、静かな声が呟く。
「……主人の方は躾が行き届いているらしい」
またしても何事か言い返しそうな勢いで一歩踏み出す従者を片手で制しているマイクロトフを暫く見守り、青年は調子を変えた。
「ひとつ忠告しておこう。腰のそれは飾り物かい? 抜く気がないなら、剣など持ち歩くべきではない。無駄に命を縮めるぞ」
強い光を放つ琥珀の瞳が注ぐ自身の大剣を一瞥して、マイクロトフは堪らず苦笑した。
「あなた、何も知らずに偉そうなことを───」
背後でフリード・Yがもぐもぐと唸るのを素早く遮る。
「そうだな、肝に銘じておこう」
青年は微笑んだ。皮肉げな笑みではあったが、これまでとは違った、何がなし親愛めいたものを感じさせる表情であった。
「……それでは、これで。道中の御無事をお祈りするよ」
さらりと言うや否や、名を問う隙すら垣間見せず、彼は馬に鞭を入れた。往来の先にある巨城を目指して栗毛の馬はあっという間に小さくなった。
「な……何て、何て無作法な男でしょう!」
フリード・Yが憤然と言い放つ。さながら頭から湯気が出そうな様相だ。
「ロックアックス城に向かうからには、何処ぞの国の使者か何かでしょうが……近頃の使者は質が落ちたものですね」
「剣捌きを見ただろう、騎士団の入団希望者かもしれない」
マイクロトフが控え目に口を挟むと、従者は目を剥いた。
「とんでもありません、由緒正しきマチルダ騎士団に、往来で火魔法を使おうとするような無法な輩など……!」
「フリード」
マイクロトフは笑み掛けた。
「あれは芝居だったと思うぞ」
「何を言われます、殿下。どう見ても本気でした、本気でわたくし諸共、焼く気だったに違いありません。まったく、酷い奴です」
「……まあ、確かに冗談のようには見えなかったが」
だが、「敵を欺くには味方から」とも言う。尤も、青年にとってマイクロトフやフリード・Yは、味方でも何でもなかったかもしれないが。
「とにかく! あれが使者ならグランマイヤー様に無礼を働かぬよう祈るばかりです。入団希望者───いっそ、その方が望ましいくらいです。必ずやゴルドーの不興を買って、見事失格となってくれるでしょうから」
未だぷりぷりと怒っている従者を、それ以上宥めるのは諦めた。
更に、胸に生まれた小さな高揚と確信を語ることも諦めざるを得なかった。残された城までの道中、ただでさえ良く喋る従者の反論を受け続ける気にはなれなかったからだ。
今度は慎重に辺りを窺いながらも、歩調は心なしか速くなる。そんな主君の後ろ背を、忠実なる従者は慌てて追い掛けた。

 

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本作の赤は、ややスレ気味・イケズ気味。
従者君とはそのうち仲良くなるでしょう。
にしてもヤマモトさん。
アンタ書くの難しいよー……。

ちなみにプリンスは、
その道(笑)の人ではありません。

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