最後の王・14


ミューズ市国の外交特使フィッチャーは風采の上がらぬ男である。
質素に過ぎる装束は、デュナン随一の格式を誇るマチルダの王城に立つにはまるで不似合い、おまけに過去の訪問を振り返っても、無精髭が処理されていたためしがなく、それがいっそう彼を貧相に映す。
とかく礼節を重んじる家臣の中には、だから彼を好ましからずと見るものもいる。「特使」の肩書きがなかったら、通されるのは精々王城の門を潜ってすぐのところにある接見の間までであっただろう。
ここは対・領民用に設えられたもので、応対するのは当直騎士だ。領民の瑣末な問題は騎士団が吟味し、差配する決まりになっているからである。
外交特使フィッチャーの見てくれは、直訴に駆け込んでくる一領民と大差ない。けれど宰相グランマイヤーは、外見からは想像出来ぬ彼の英明を認めており、たいそう丁重に遇してきた。
感じるものがあるのか、フィッチャーもまた役職を越えた親密を宰相に覚えているようだ。重要な情報や、それに対する忌憚のない意見を披露することによって、両者の関係をより堅固なものにしようと心掛けている向きがあった。
マチルダ訪問時の常であるように、彼はこじんまりとした宰相執務室へと通された。迎えた部屋の主人、若き王位継承者は馴染みの相手だが、一人だけ初見の青年がいるのに気付いて、おや、と瞬く。そうすると彼は更に剽軽さを増し、いよいよ特使とは見えなくなるのだった。
「久しぶりですな、フィッチャー殿」
グランマイヤーが笑みながら椅子を勧める。フィッチャーも握手の手を伸ばしながら、もう片手で不揃いの髪を掻いた。
「いやあ、どうもご丁寧に。殿下もお元気そうで何よりです。今日は侍従さんはいらっしゃらないんですか? 新顔さんが御一緒で……部屋が明るくなりますねえ」
マイクロトフの背後にひっそりと立っていたカミューだが、どれほど控え目に振舞っていても、容姿の艶やかさまでは隠せない。グランマイヤーは笑いながら、新任の従者だと簡単に紹介を済ませた。
応接用の長椅子に宰相と特使が向き合って座る。一方、マイクロトフは宰相の背後、執務机に凭れるようにして、カミューと並んで立っていた。いつもは着席を求められるが、今日はそれより早く位置を決めてしまったためか、グランマイヤーはちらと怪訝そうに一瞥をくれただけで、すぐに特使へと向き直った。
運ばれてきた茶で喉を潤すと、フィッチャーは大きな息を吐いた。
「まったくここは落ち着きますね。思うに、外交は相手を見るところから始まるものじゃありませんか。わたしみたいな人間が豪奢な部屋に通されたら、それこそ萎縮して、実りある話なんか出来ゃしませんよ」
マイクロトフの影に隠れて、カミューは小さく苦笑した。
まったく良く言う。一国の皇子と宰相を前にして、平然と庶民言葉を使う剛胆ぶりを見せながら、萎縮も何もあったものではない。マチルダ側の二者がまるで頓着していないのは、男のそんな言動に慣れ切っているからだろう。
それにフィッチャーは真実を衝いている。外交とは相手を見るもの、正にその通りだ。微妙な匙加減を駆使して自国の利益を保ち、出来れば相手の優位に立つ。それには相手の出方を慎重に読み解くだけの「目」を持たねばならない。
一筋縄ではいかない人物だ───カミューは背を正して観察眼を強めた。
「それから行きますとね、言っちゃあ何ですけど、ここの騎士団……あれはちょっといただけませんね。告げ口するみたいで心苦しいんですけどね」
フィッチャーの言葉は宰相ばかりかマイクロトフをも困惑させた。
「……と言うと?」
「いえね、城に着いて真っ先にこちらに御邪魔しようとしたんですよ。そうしたら、連れていかれたのが中央棟の迎賓館でしてね。殿下より先に騎士団長にお会いするのはどうかと思ったんですけどねえ」
「何だと?」
グランマイヤーは愕然として、あんぐりと口を開いた。
今回の特使来訪は、即位式における最終打ち合わせのためだ。ミューズ側の列席者数、その席次等の資料を持参したフィッチャーは、当人の言う通り、騎士団には用がない。資料を吟味した上で、式典の警備詳細を決めるのは騎士団であるが、これも宰相と皇子連名で「警備を申し付ける」旨の指示を出してから、というのが形式上の順序だからだ。
宰相の顔色が変わったのをフィッチャーは敏感に察した。申し訳なさそうに首を振り、カップに残る茶を干す。
「わたしも騎士に囲まれて「こちらへ」と言われてしまっては……決して殿下を蔑ろにするつもりはなかったんですが」
「分かっている。気にしないでくれ、フィッチャー殿」
マイクロトフが言うと、特使はくしゃりと相好を崩した。
宰相がポットから茶を足すのに男が気を取られているのを見計らい、カミューがマイクロトフに身を寄せた。不意に耳朶を掠めた温み、触れ合うほど間近に迫った唇がマイクロトフを動揺させる。頬を打たれでもしたかのように、彼はきゅっと拳を握り締めた。けれど吹き込まれた吐息混じりの低い声は、およそ柔らかな調子ではなかった。
「案内したのはどの騎士団員だったか聞け」
躊躇を許さぬ厳しさ。マイクロトフは小さく頷き、特使へと声を張る。
「フィッチャー殿、迎賓館へ案内したのは三騎士団中、どこの騎士だった?」
男の顔に思案の色が浮かんだ。顎を掴んで首を捻っている。
「ええと、墨色……と言うんですかね、あれは」
「白騎士だな」
これはカミューに聞かせるためだったのだが、特使は手を打った。
「そうです、白騎士。同じ色の騎士が大勢、迎賓館でゴルドー団長の周りを固めていましたね」
現在のマチルダの内情を何処まで察しているのか、表情からは読めない。だが、微妙な力関係を薄々は感じているようで、フィッチャーの言葉は遠回しながら皇子に加担するものとなっている。貴重な情報を要求するより先に洩らした男は、そこでひょいと話題を変えた。
「そういう訳でですね、グランマイヤー殿。こちらに提出する筈だった資料を騎士団に取られちゃったんですよ」
「何と……列席者一覧と席次案を?」
はあ、とフィッチャーは腰を曲げて片頬杖をつく。
「どのみち警護の差配をするのは騎士団だから、と言われまして……そのう、殿下や宰相殿は資料に目を通して命じられるだけなのだから、順番が前後しても支障ないだろう、と……いえね、勿論もっと別の、配慮された言葉でしたが」
そこで不愉快そうに顔を歪める。その顔つき一つで、「別の言葉」だったのは確かだが、「配慮」はなかったと知れた。グランマイヤーはぷるぷると戦慄き、憤慨で蒼白になった。
何かと王家を蔑ろにする振舞いを重ねるゴルドーだが、とうとう対外的にもそれを露見するようになった。あからさまな騎士団の力の誇示は、下手をすれば列国の目にはマチルダの支配者の逆転と映りかねない。
今から騎士団が外交面を押さえておけば、ゴルドーが名実共にマチルダの主となったとき──皇子謀殺という暗部はあっても──諸外国の対応が混乱せずに済む。それを目論んでの仕儀なのだろう。
「でもね、グランマイヤー殿。わたし、少々うっかりしてまして……ゴルドー団長にお渡ししたのは修整前の資料の方なんですよ」
「え?」
「旅の道中は暇なもんで……どのくらい変わったのか見比べようかと、修整前と決定分、両方持って来ていたんです。で、あちらには古い方を渡しちゃいました。でもまあ、指示は殿下のお名前で出される訳ですし、こちらが正しければ大きな問題じゃないですよね?」
そう言って彼は卓上にミューズの刻印入りの書面を滑らせた。宰相と皇子は呆気に取られて目を見開いたが、カミューは堪らず吹き出した。無論、そこまで予期していた訳ではないのだろうが、咄嗟に敬意を払うべき相手を量って行動に移す機転はたいしたものだ。
「……何か大きな違いはあったかね?」
軽く書面を捲りながらグランマイヤーが聞くと、フィッチャーは大仰に頷いた。
「それはもう。修整前はアナベル代表が参席されない予定でしたが──先々代の代表の法要に重なっておりましたのでね──殿下の折角の晴れの日、法要の方はジェス副代表に一任して、こちらに出席させていただく、と」
ミューズ市国は議員制を取っている。その代表が、いわゆる国主だ。現在の代表はアナベルと言い、女性で初めてミューズの頂点に立った人物だった。
「……たいそうな違いだな」
肩を震わせながら宰相が言うと、フィッチャーも飄々と笑った。
「そうですねえ。でも、外交を取り纏められるグランマイヤー殿と皇太子殿下が本当のところをご存知なら、礼を失す恐れもありませんし、わたしとしては十分、役目を果たせたというものです」
「早速、アナベル代表殿に御礼の書状を送ろう。他に何かあるかね?」
ううむ、と特使は思案した。
「アナベル様の警護で市国軍が一中隊ばかり随行する予定です。この件に関して、マチルダの意向を聞いて来いと言われました」
「そうだな……式の前後は一時的にロックアックスの人口が増大するし、あまり多くの兵を受け入れる余裕はない。出来ればもう少し随従の数を減らしてもらう方が望ましいな」
フィッチャーは困惑顔で囁くように言った。
「……ですよね。ジェス副代表はアナベル様の身の安全について、そりゃあもう心配性というか、何というか……厳重な警備で囲んでいたら、かえって身分の高さが知れて、狙われ易いじゃないかと思うんですがねえ」
丁重に扱われることへの窮屈感には覚えがある。しみじみと同調していたマイクロトフの隙を衝くかの如く、フィッチャーの目が向いた。
「殿下、何か良い策はないでしょうかね?」
にっこりしているが、瞳は笑っていない。ささやかな問い掛けでマチルダ皇太子の器を量ろうとしているのだ。そこまではマイクロトフにも察せられたが、肝心な「策」が出ない。否、漠然と浮かんではいるが、的確な言葉が出ないのである。
「一中隊もの兵の宿舎をロックアックスに用意するのは難しい」
つっかえつっかえ、先ずは捻り出す。特使も皇子の論述不得手は理解しているので、鷹揚に構えて先を待った。
「……が、アナベル殿の身を気遣われるミューズの民心も分かる」
「はい、それで?」とでも言いたげなフィッチャーの顔を直視した途端、頭に血が昇った。マイクロトフは救いを求める眼差しで横のカミューを窺ったが、彼は済まし顔で前を向いた、助力する気配を見せなかった。
「ミューズ兵は、……その、街の外で待てないだろうか」
やっとのことで言うが、フィッチャーは首を傾げた。
「野営自体は問題ないと思います、そう訓練されてますし。ただ……」
街に入ってからの警護を指しているのだ。マイクロトフは急いでその部分を補足しようとしたが、すっかり上がってしまって声が出ない。相手はとても気安く、話し易い人物だというのに、不必要な緊張に取り込まれたマイクロトフには、そこから逃れるすべがなかった。
「……殿下」
初めてカミューがマイクロトフを見た。そしてマイクロトフは背に、特使からは見えぬように当てられた掌を感じた。
カミューの手は、躊躇する背を押すかのような優しい檄を思わせる。唐突に熱していた頭が冷え、硬直のあまり霞んでいた特使の顔までが明瞭に映るようになった。
軽く息をついて、改めて背を正す。
「───ロックアックス街門からの警護は、我がマチルダ騎士団員が責任をもって遂行する。何があろうとアナベル殿を御護りするゆえ、ミューズ兵は街外にて待機していて欲しい」
これまでとは打って変わった自信溢れる物言いに、フィッチャーばかりかグランマイヤーも目を瞠る。知らず振り返って見上げた宰相は、輝くばかりの威厳を纏った皇子の姿に呆然とした。
「騎士が警護を……?」
自問めいて復唱した特使を凝視しつつ、マイクロトフは強く頷いた。
「そうだ。おれが信を置く騎士を、ミューズ兵と同じ数だけアナベル殿にお付けする」
これまた、グランマイヤーには驚くべき発言であった。一応は青騎士団長として名を受けているマイクロトフだが、これまで自らの意思で騎士を動かそうとしたことはない。まったくもって、初めてだった。
「殿下が信を置く騎士、ですか……」
フィッチャーは呟いて、暫し探るように皇子を見詰め、最後に破顔した。
「いや、それならジェス殿にも申し開きが出来るというものです。帰ってそのようにお伝えします。ええ、否はないでしょうとも、殿下のお墨付きとあってはね」
「フィッチャー殿……」
グランマイヤーが不安げに乗り出すが、特使はすっかり満悦といった様相だ。それから彼は、笑みを納めて小声で問うた。
「話は変わりますがね、グランマイヤー殿。この前わたしが御邪魔したのは半年前くらいだったと思うんですが」
「あ、ああ。そうだな、そのように記憶している」
「……ってことは、騎士団の迎賓館を覗いたのも半年前になりますか。随分とまあ装飾品が増えたものですね、絵に壷に彫刻……流石にマチルダは裕福ですなあ」
マチルダ側の男たちの眉が、ぴくりと動く。フィッチャーは素知らぬ顔でマイクロトフに視線を注いだ。
「お気を付けなさいませ、殿下。何処の国でもそうですが、武人が身辺を華美に飾るようになって、良き道へ向かったためしはありません」
煽り立てられた緊迫は、だがすぐに軽い笑い声で往なされた。
「いや、これは失敬。質実なる殿下にこんな忠告は無用でしたね。でも、こちらは期待なさっていてください。アナベル様は即位の御祝儀に、マチルダ産にも負けぬ見事な軍馬を用意なさっておいでですから」
ミューズ外交特使フィッチャーは、そう冗談めかして言い、瞳をくるめかしたのだった。

 

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今回のゲストはフィッチャー氏。
最初に顔グラ見たときは、
ポーズからオカ○さんだとばかり……。
しかも無精ヒゲ。本格派〜と……(笑)
全身図にて、漸く疑いは晴れましたv

さて、次回でやっとポイントの一つが見え……るかな。
一つ、ってのが泣けますが。

 

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