最後の王・126


早春の曙光が、澄んだ硝子を優しく照らす。
庭に面した窓の内、長い廊下に群青色の衣が舞った。雄々しい横顔、すらりと伸びた背。腰に佩いた大剣が、歩調に合わせて力強い音を奏でていた。
騎士となってからの歳月は矢の如く過ぎていった。けれど、周囲と揃いの団服に袖を通した日は、今も鮮やかに胸に残る。生まれながらに敷かれた道と決別する一抹の寂しさ、未知なる人生に踏み出す覚悟と喜び。あの日と近しい情感がそうさせたのか、今朝の目覚めは常にもまして早いうちから訪れた。
じっとしていられず部屋を出ると、そこには温かな祝福が待ち受けていた。
当直を終えた者、つとめを引き継ぐ者たちから擦れ違い様に与えられる一言が、頬に仄かな熱を灯す。感謝の辞もそこそこに、彼はひたすら歩を進めた。
目指したのは赤騎士団が拠とする城の西棟。その、奥まった一画で彼を迎えたのは、馴染みの若い赤騎士だ。
何しろ広大な城のこと、所属が異なる者ともなれば、意識して努めぬ限り、行き合う機会も稀である。現に、彼が若者と顔を合わせるのも数ヶ月ぶりのことだった。
それでも、こうして視線を交わせば一瞬のうちに蘇る。暗い陰謀を突き崩すべく、共に歩んだ懐かしき日々が。
若者の楽天的とも言える明るさは、当時、幾度も周囲を励ました。あれから数年、だいぶ面構えに精悍は増したが、飾り気のない言動は──礼節に難があると上官にぼやかれつつも──以前とまったく変わらない。そんな彼も順調に功を積んで、今では自団の筆頭部隊で小隊長を勤めている。
若者は直ちに威儀を正した。
「おはようございます、マイクロトフ団長」
厳かな言上の直後、ゆるゆると表情が崩れていく。
「……式前だけど、もう、そうお呼びしても良いですよね? 青騎士団長ご就任、おめでとうございます」

 

ここまでの道すがら、幾度となく向けられた言葉だった。しかし、苦闘の記憶を共有する人物からのそれは、格別の情感となってマイクロトフに染み渡る。
かつてマチルダでは、皇国宰相が赤騎士団長、第一王位継承者が青騎士団長職の名を与っていた。この、謂わば置物的な任官形態は、新体制樹立によって真っ先に撤廃された慣習の一つだ。
これにより、当時存続の是非を議論されていた白騎士団は置いても、赤・青騎士団では各副長が繰り上がって団長職に就いても何ら不都合のない状況が用意されたことになる。もともと一団の実質的指揮官だった二人だ。寧ろそれこそ、自然の流れだったと言えるだろう。
しかし彼らは、そのまま副長職に留まり続けた。そうして、着々と計画を進行させていたのだ───国家の新たなる両輪を育て上げ、騎士団の頂点に据えるという、無私にして遠大なる計画を。
およそ半月前、マイクロトフは青騎士団の位階者が揃う座に招かれた。そこで渡されたのは、新生マチルダ騎士団、初代青騎士団長の役職名が記された辞令であった。
既に王はなく、組織の長たる白騎士団長も空位のままだ。このため、紙面には異例の措置が取られていた。任命者の署名欄に、青騎士団の全位階者名が連ねられていたのである。

 

「正直、まだ名に見合うだけの力量が備わったとは思えずにいる」
ぽつりとマイクロトフは打ち明けた。
「やはりおれは厄介な存在なのだろうな。閣議の席で、「元・皇王は扱いが面倒だから、さっさと団長に復職しろ」と言われてしまった」
「……誰に言われたか、分かった気がしますよ」
若い赤騎士は苦笑して、だがすぐに首を振った。
「でも、多分それは「力量は充分だから、団長職に就け」という意味だと思います」
「だいぶ違うぞ?」
「面倒なだけで見込みがないなら、「さっさと辞めろ」と言いますよ、あの人は」
王位を退いて以降、自らの直属上官の立場に居た人物を過らせたマイクロトフは、抑える間もなく吹き出した。
「……確かに。ならば、辞めろと勧められなかったのを、素直に喜ぶべきかもしれないな」

 

いつの日にか、名と実の伴った真の騎士団長になると志した。日々のつとめを懸命にこなし、自身を磨いてきたつもりである。
それでも、こんなにも早く夢が現実のものになるとは予期しておらず、喜びと同じほどに困惑は大きかった。要請を受ける資格が果たして本当にあるのかと、心の片隅で自問を繰り返さずにはいられなかった。
けれど今、胸の奥底に居座って、どうにも消えずにいた蟠りが漸く溶けたような気がする。
副長の発議に位階者一同が賛同した。彼らは、元・皇王という身上を重んじるあまりに大局を見失う愚は犯さない。
団長就任を望まれた、ならば少なくとも合格点には達したと見做されたのだろう。期待の加算があったにしろ、以後のはたらきで応えてゆくしかない。
憂いて立ち止まるより、無心に進んで道を拓く───これまで貫いてきた信条を、この先も守り通してゆけば良い。



「……ここで会えて良かった」
マイクロトフは若者を凝視した。
「御陰で本分に立ち戻れた気がする。礼を言うぞ」
若者はきょとんとして、考え込む素振りを見せた。
「ええと……すみません、何の話ですか?」
長考の末、申し訳なさそうに窺う視線に首を振る。
「何でもない、聞き流してくれ」
不可解そうな瞬きを暫く続けてから、これ以上の答えは望めないと諦めたのか、若者は調子を改めた。
「それにしても、随分とお早いですね。ひょっとして、今朝も訓練なさったんですか?」
いや、と苦笑するマイクロトフだ。
「就任式の朝くらいはおとなしくしていろと釘を刺されてしまったのでな。おまえの方こそ、どうしたのだ? 赤騎士団では、小隊長にも張り番のつとめが回ってくるのか」
何気なく問うたところ、小声の答えが返った。
「今日は特別ですからね、部下に代わって貰いました」
若者が後方に護る扉は一つだ。得意げに胸を張りながら彼は説く。
「今週は、うちの小隊がこの階の張り番担当なんです。運が良かった。ここに居れば、就任式に向かわれる我らが赤騎士団長に、一番にお祝いが言えます」
「…………」
「とは言え、「他の連中に先んじて正装姿を拝める」という特典に気付かれて、散々交代を渋られましたが……。そこは気合い勝ちです」

 

───赤騎士団長カミュー。想い交わした唯一の人も、今日からそう呼ばれることになる。
彼には、以前から熱烈な親愛を捧げる騎士が大勢いた。それが厳密に「親愛」の枠に納まっているのか、マイクロトフには些か量りかねるところであったけれど。

 

「他の騎士に先んじて、……か。すると、おれは招かれざる客だったな」
軽く揶揄すると、若者は「まさか」と破顔して礼を払った。
「マイクロトフ団長になら、謹んで一番手をお譲りしますよ。どうぞ、お通りください」
言いながら廊下の端に寄った若者に感謝を述べて歩き出したが、ふと思い付いて、向き直りつつ問うてみた。
「何も考えず来てしまったが……、やはり今後は従者を通して、前もって訪問を告げた方が良いのだろうか」
すると若者はひょいと首を捻った。少し考えてから慎重に答える。
「御二人の間で、そう形式ばる必要はないと思いますが。カミュー団長も、「その程度のことで逐一従者を煩わせるな」とか言うんじゃないかな」
マイクロトフは微笑んで、軽く片手を挙げた。
「成程、穿った洞察だ。では、ありがたく先陣を担わせて貰うぞ」
明るく言い残して、歩き出す。突き当たりの扉を数度叩いてから、ゆっくりと室内に足を踏み入れた。
そこは少し前まで客間として使われていた一室だ。新調された家具、落ち着いた色味のカーテン。赤騎士団長の居室としての趣きを出すべく、手厚い改装が加えられたのが見て取れる。
整然と片付いた内部を一望したマイクロトフは、最奥に鎮座する寝台に目を止めるなり溜息した。広い敷布の端に、人型の塊が在ったからである。
「昨夜、おれを追い払った台詞を覚えているか?」
窓辺に進んでカーテンを開け、こんもりと盛り上がった上掛けに向けて言い募る。
「明日は早く起きて支度せねばならないから───確か、そう聞いた気がするのだが」
「……起きているよ」
独言めいたぼやきに、期待していなかった応えが返った。もぞもぞと動いた上掛けから頭部が覗く。窓から漏れ入る陽光が、薄茶の柔髪を煌めかせた。
マイクロトフだけが知る、朝まだきの青年。布の中で再び身を縮めていく様を、愛しさ半分、呆れ半分で見守りながら彼は断じた。
「その状態を「起きている」とは言わない。ほら、顔を出せ」
叱咤しつつ歩み寄って上掛けを掴む。
「おまえが大部屋に居た頃、寝過ごしたという話は聞かなかった。よく隠していられるものだと感心していたが、個室に移ったら案の定これか。念入りに箝口を命じた上で、やはり従者に起こして貰った方が良いのではないか?」

 

従者とは、まだ佩刀を許されていない弱年者によって形成される、騎士団最下の序列の呼称である。
つとめは多岐に渡るが、一口に言ってしまえば「雑用」だ。正騎士のつとめに付随する雑務を代行する、それが従者の役割なのである。
とは言え、些細な作業ひとつにも才というものは現れる。ここで彼らは、騎士としての資質を有するか否かの篩に掛けられていると言っても過言ではなかった。
さて、騎士団位階者には専属の従者を持つ者も多い。マイクロトフらも、団長就任が決まると同時に、周囲の勧めで、専任の従者を得ている。
任用に当たって、カミューは従者に一つの条件を出した。朝、自室への立ち入りは──急場を除いて──控えるように、との一節だ。
成程、カミューらしい、正鵠を得た布石だったと言えるだろう。これは見せられない姿である。
上掛けを奪われまいとする足掻きは、さながら愚図る子供のようだ。限られた一部でのみ知られている、この寝起きの悪さが衆知となれば、たいそうな騒ぎとなるだろう───「意外に可愛らしい一面」として。

 

「今でも寝過ごした日はないよ、……ギリギリで」
虚ろな声が言うなり、覗いていた頭部が布のうちに引っ込んだ。マイクロトフは慌てて上掛けを掴み直した。
「だから、寝るな!」
「まだ充分、余裕はある筈だ」
「だが、早過ぎるとも言えない時間だ。いいから、先ずは目を開けろ」
そう言って、力任せに掛け物を引く。攻防の末、取り払われた布から現れた瞳は僅かに充血していた。気付いたマイクロトフが眉を寄せる。
「……どうした? 眠れなかったのか」
カミューは漸く半身を起こしながら、まあね、と自嘲気味に答えた。
「眠れなかったと言うか、眠りが浅かったと言うか……この部屋は広いし、静か過ぎて落ち着かない」
「だから───」
言い掛けて、辛くも続きを飲み込むマイクロトフだ。
寝起きのカミューは、ただでさえ機嫌が悪い。「拒まなければ熟睡させてやったのに」などと口を滑らせようものなら、どんな逆襲が待っているか、考えるだに恐ろしかったのである。
「……だから目が赤いのだな」
眠気の所為で、懸命の御魔化しに気付かなかったカミューは、ついと目許を覆った。
「目立つかい?」
「少し、な。ああ……擦るな」
剣士にしてはやや細い手首を掴んで制し、次いでマイクロトフは穏やかに命じた。
「ともかく顔を洗って来い。湯を運んで貰ったらどうだ? 温めた方が良いかもしれない」
「朝っぱらから従者を扱き使わなくても、放っておけば、そのうち治る」
若い赤騎士が口にした洞察そのままに呟いて、カミューは億劫そうに寝台から抜け出た。寝乱れた夜着の上にローブ一枚を羽織ると、のろのろと浴室に向かって行く。どうにも危なっかしい足取りを見送ったマイクロトフは、そこで奇妙な感慨に見舞われた。
騎士になったばかりの頃、カミューは頻繁にマイクロトフの部屋で夜を過ごした。肌を合わせるときもあったが、その多くは純粋に「眠る」ためだった。
十代半ばから流浪の傭兵として生きてきたカミューには、人当たりの良さとは裏腹に、他者との深い交流を避ける傾向がある。特別待遇を嫌って個室供与を辞したものの、私生活を晒し合う大部屋での暮らしは、彼に予期した以上の疲弊をもたらしたのだ。
同室の騎士たちは、新参の青年が一日も早く新生活に馴染むようにと最大限に配慮した。誰もが気さくで、親愛を隠さない。そうした仲間に囲まれて、だがカミューの苦悩は募った。
気を張る必要などないのに、それが当たり前になってしまっているから、安らげない。なまじ騎士らに好意を持つだけに、そんな相手に対してさえ無意識の警戒をはたらかせてしまう自身が疎ましくもあったのだ。
就寝時の弊害は特に大きかった。極めて気配に敏感なものだから、周囲の寝息ひとつ、寝返りひとつで眠りを妨げられてしまう。慣れようと努めても、復讐者として生きてきた身に根付いた自衛の鎧は頑強で、思うに任せなかったのである。
やがてカミューは、マイクロトフの部屋を避難場所として使うようになった。寝不足が限界に達すると訪ねて来て、寝台に潜り込む。抱き締めようと広げた腕を素通りされて、最初のうちこそ消沈したマイクロトフだが、やがて気付いた。「人の傍では眠れない」と言いながら、目の前で熟睡する青年。それは、彼が自らにすべてを解き放っている証なのだと。
夜更けに東棟に渡り、同室者たちが起き出す前に西棟の居室に戻る。そんなカミューの慣習も、しかし三月あまりを過ぎた頃から徐々に減っていった。捨てるべき警戒を捨てて、信頼をそれに替える───つまり、順応を果たしたのだ。そうして彼の訪いは、互いの想いを確かめ合うひとときといった、元の在り方へと戻ったのだった。
他者の気配に眠りを妨げられていた青年が、今度は逆の状況に不満を洩らす。変われば変わるものだと思う一方で、マイクロトフには、カミューの胸中が案じられてならなかった。
立場の激変という点では、遥かに自身を上回る。際立った才覚によって周囲から敬意を払われていても、カミューはこの数年を一騎士として過ごしてきたのだ。
正規の位階の段を踏まず、一足飛びに一団の長に昇る。自身にも悩ましかった異例の処遇が、彼にとって負担でない筈がない。眠れなかった本当の理由はそこではないかとマイクロトフには思えたのである。
程なく髪から水滴を落としながら戻ったカミューは、そのまま寝台の縁にちんまりと腰を下ろし、首に掛けた布で雫を拭いながら、隣に座すマイクロトフを一瞥した。
「……で? わたしが寝過ごして、式に遅れるのではないかと案じるあまりに、遥々東棟から起こしに来てくれたのかい?」
途端になめらかになった口調に微苦笑しながら首を振る。続いて、壁の一画に目を向けた。
「そうではない。そろそろ着替えも済んだ頃だろうと思ったのだ」
視線の先には、自らが纏うそれと対になるよう作られた品が吊ってある。上衣の着丈を短くしたり、革ベルトの本数を減らしたりと、やや意匠は異なっているが、華やいだ青年の容姿をいっそう引き立てるであろう、見事な赤騎士団長装束だ。
仮縫いに立ち合いたかったが、つとめに追われて叶わなかった。カミューの正装姿を見たい一心で張り番を買って出た騎士を笑えない。マイクロトフもまた、同じ思いで足を運んできたのだから。
依然として動く気配を見せない青年に軽く呼び掛ける。
「前にフリードが言っていただろう? おれと色違いの服をおまえに、と……」
「覚えているよ。ついでに、思い付きに乗せられたおまえが、仕立屋に仕事を依頼したことも聞いている」
まあな、と頷いてマイクロトフは装束を取りに立ち上がった。
「思った以上に良い出来だ。早く着て見せてくれ」
ところがカミューは、すかさず否を示した。
「やっぱり派手だよ」
「……気に入らないのか? だったら仮縫いのときに意見すれば良かったのに」
「開口一番、「仕立屋生涯に誇る自信作です」と宣言されてみろ。そんな相手に「変えてくれ」と言い張る図太さは、生憎と持ち合わせていなかったんだ」
成程と心の中で応じつつ、マイクロトフは腕を組んだ。
「だが、変更を求めなかった以上は受け入れるしかないだろう。それに、言うほど派手には見えない。きっと似合うぞ」
寝台に座ったままのカミューに、服掛けごと装束一式を翳してみる。見立ての正しさを確認していると、弱い声が呟いた。
「……どう考えても気が重い」
「そうまで否定的にならずとも……。絶対に似合う、おれを信じろ」
勢い込んで言ったものの、暗い横顔を見て、はっとした。最後の独言は、装束を指したものではないと直感が囁いたのだ。カミューの横に座り直して、躊躇がちに顔を覗き込んでみる。
「何かあるなら、言ってくれ。一人で抱え込むな」
他者に頼るのを良しとしないカミューの性情は、今もあまり変わっていない。愚痴めいた軽口なら幾らでも吐くが、真に思い悩んでいるときには口が重くなるのが常なのだ。
カミューは巧みに心情を隠す。片やマイクロトフは機微に疎い。それでも、肌をも重ねる仲になれば、本能的に感じ取れる何かがある。マイクロトフは低く問うてみた。
「気が重いのは……団長就任について、か?」
カミューは僅かながら目を瞠り、次いで苦笑した。
「おまえに見透かされるようでは、いよいよ深刻だな」
長い息を吐いてから語り出す。
「大喜びで受けられる訳がない。騎士隊長にもなったことのない人間が、いきなり一団の最高位階者だぞ? これは、破格……ではなく、不条理だ」
「それを言うなら、おれだとて───」
挟もうとした意見を一蹴してカミューは続けた。
「おまえは良いさ。子供の頃から騎士団に籍を持っていて、そこそこ訓練にも参加していたから下地がある。しきたり上だろうと、一度は「青騎士団長」と呼ばれていた時期もあった。返り咲いたところで然して違和感はないし、元・皇王をいつまでも下っ端のままにしておくより、ずっと現実的で、受け入れ易い」
でも、と唇を噛む。
「わたしは違う。騎士団に入って、たかだか数年だ。わたしより在籍の長い年上の者にとって、これほど公正を欠いた仕儀はないだろう」
マイクロトフは懸命に考えた。
「おれが言っても説得力に欠けるが、騎士団では歳や経験年数は殆ど意味を持たないぞ?」
「同じ条件下でなければ、実力主義は意味を為さないよ。入団のかたち、その後の待遇、すべてにおいてわたしは他と分けられてきた。過去の事情から施された配慮だろうし、それについては感謝もしている。でも……、此度の人事は厚情の域を超えているよ」
「……粛々と辞令を受けたと聞いたが」
まあね、と肩を竦めてカミューは嘆息する。
「包囲網を突破できる気がしなかった。ああいうのを「年の功」とでも言うのかな……、投降の勧めに従うしかなかったのさ」
示唆された点に思い当たり、堪らず笑みを零すマイクロトフだ。
深慮に長けた赤騎士団副長は、就任要請に躊躇するカミューの胸中を見越していた。と同時に、これが前例のない抜擢であることも充分に認識していた。このため彼は、当人に気取られぬよう細心を払いつつ、全赤騎士団に対してカミューの信任投票を実施したのである。
結果は圧倒的多数の信任。迷った結果と推察される白票すら、探すのが困難であったらしい。
カミュー宛ての辞令書には、信任票を納めた包みが添えられていた。正に、逃げ道を封じる完璧な包囲網が敷かれていた訳である。

 

「全団員に意見を問うたのだから、公正な人事と考えても良いのではないか?」
熟考の末に言ってみると、カミューは淡々と返した。
「副長以下、位階者一同が丁重に扱ってきた人間に反対票を投じるのは勇気が要るだろうさ。それに彼らは、副長の性情を知り尽くしている。公正を期すため、投票を実施する。けれど心のうちでは信任票を望んでいる、……くらいのことは容易く読み取るよ」
「つまり、信任は赤騎士団員の本意ではないと?」
マイクロトフは、とうとう笑い出した。
これもカミューの特質の一つだ。才知に溢れ、あらゆる面で鋭敏な分析をはたらかせるのに、自分に関してだけは妙に疎い。
自らを軽んじる節が滲むときもある。これは、故郷の村を焼失して以来、長く己を責め続けてきたことの名残りなのかも知れず、そこを思うと胸を衝かれるマイクロトフだったが───

 

赤騎士らが本意でないと思い込んでいるのが不思議でならない。騎士に叙されてからというもの、カミューは自らの才覚を遺憾なく発揮してきたというのに。
例えば、領内の鉱山で起きた坑夫と雇い主の諍い。
待遇を巡った話し合いが拗れて、大規模な騒動へと発展した。もはや血を見るしかないと思われた過中に仲裁に入り、事態を収拾したのが、騎士となって間もないカミューだった。
政治的能力においても、カミューは高く評価されている。
騎士団統治制の施行によって、国政の仕組みは大きく変わった。宰相を筆頭とする政策議会も解散を果たし、グランマイヤー、そして厳選された旧議員数名が、文官という新職を得て、現在、政務に協力している。
新体制下で外交を与ったのは赤騎士団だ。この振り分けは、何事にも慎重かつ人当たりの良い現副長の気質が、交渉事に向いていると判断されたためである。
赤騎士団副長は、各国の使者と接見する際、必ずと言って良いほどカミューを同席させた。政治の席に何故こんな青年が、と初め怪訝を浮かべる使者たちも、じきに意識を改める。上官に意見を求められ、控え目に口を開く青年は、単なる「場違いな若造」ではないからだ。
端正な顔立ち、優しげな笑み。けれどその奥に潜むのは、老獪な政治家さながらの計算だ。侮りは痛手となって戻ってくる、そう予見せずにはいられぬ鋭利な牙を、若き美貌の影に使者らは見出すのである。
しかしながら友好的に接する分には、カミューは礼節厚い好青年だ。マチルダのみを利を求めず、双方にとって最良の道を導き出そうと試みているのが使者にも分かる。
結果、噂は広まる。「騎士団には異邦出自の、若くして交渉に長けた、侮り難き人物が在籍している」───と。
今ひとつ、カミューの評価を決定づけた事件がある。半年ほど前に起きた、北の強国ハイランドによるミューズ市国領侵攻である。
かつて両国の国境付近には常時マチルダ騎士が駐屯していた。マチルダには、ミューズの助勢を受けて独立を果たした経緯がある。この恩に報いるべく、次に野望の矛先を向けられたミューズに戦力を付与し続けてきたのだ。
長く守られてきたこの取り決めも、騎士団統治制の開始に併せて、解消へと至った。新体制下で国政をも担うようになった騎士が他国に常駐する。これはマチルダのみならず、ミューズ側にとっても、あまり芳しい状況ではなかったからだ。
代わりに、「侵攻を受けた際の助力要請には速やかに応じ合う」といった条項が、新たに盟約に盛り込まれた。条文の文言こそ変われど、両国の友好と信頼関係に陰りは生じなかったのだ。
さて、マチルダ騎士の引き揚げによって、ミューズ北方の守りは以前よりも薄くなった。当初こそ警戒を強めたミューズだったが、そこから数年、ハイランドは何の動きも見せなかった。
これが敵の策だったとミューズが気付いたのは、実際に侵攻を受けてからのことだ。平穏に慣れ始めていた同市国軍は、急襲を阻み切れず、大打撃を被ってしまったのである。
直ちに市長アナベルがマチルダに使者を送った。援軍要請を受けて出陣したのは、行軍の速さを誇る赤騎士団だ。ここでカミューは初めて、所属する第一部隊の指揮を託されることになった。
剣士としての力量と、指揮官のそれはまるで異なる。しかしカミューは、騎士隊長が舌を巻くほどの統率力を備えていた。
日を追うごとに巧みを増す戦略と指揮。終には出陣した全部隊を動かして、見事ハイランド軍を撤退に追い込んだ青年を、赤騎士たちは「優美なる戦神」と口々に讃えたという。
功を挙げれば際限なく沸いて出る、それがカミューという騎士だ。辞令に添えられた信任票が、彼のはたらきに対する赤騎士団員の応えでなくて何なのか。
所属を越えて伝わってくる功績の数々。その重みを、当のカミューだけが理解していない。不思議であるのと同時に、何やら微笑ましくて、マイクロトフの笑いは止まらなかった。

 

暫く黙していた青年が、詰問口調で問うた。
「何が可笑しい? 笑い事ではないんだよ」
「すまない。ただ……、どうにも抑え難くてな」
ようよう笑みを納めて、薄い肩を抱き寄せるマイクロトフだ。
「カミュー……おまえはもう少し、愛されている自覚を持った方が良い」
「……何だって?」
「上位者の手前、仕方なく意を曲げる───おまえの知る赤騎士とは、そんな者たちばかりなのか? 絶対的多数で信任されたと聞いているぞ。だとしたら赤騎士団は、上官の顔色を窺う騎士の集団ということになってしまうではないか」
「それは……」
空いた手で前髪を掻き分け、現れた両の瞳に切々と説く。
「ただ一度、騎士隊長と剣を交えただけで、彼や配下の騎士は、おまえの剣腕に敬意を抱いた。位階者たちは、おまえの才知に感服して、絶対の信頼を寄せたのだ。そして今、彼らは忠節という騎士にとって最も重い誓いを差し出そうとしている。ならば誠心で応えるのが、おまえのつとめだ」
そこでひとたび言葉を切ると、幾許か調子を和らげる。
「……あまり偉そうなことは言えないがな。おれも同じだ、つい先程まで似たような蟠りを抱いていた。力不足の感がどうにも拭えず、喜びの中に不安がちらついていた。だが、もう迷いは捨てた。足りない力は、これから得る。おれが為すべきは、見込んでくれた者たちに感謝しながら力を尽くすことなのだから」

 

カミューは長く黙した。静けさに耐えかねて、マイクロトフが再び口を開こうとしたとき、染み入るような声が言った。
「自分を信じているんだな」
ああ、と強く頷く。
「そして、仲間を信じている。でなければ今のおれはなかった。おまえも信じろ。自分を、そしておまえを愛する者たちを」
今ひとたびの沈黙の後、カミューはひたとマイクロトフに瞳を当てた。甘やかな蜜色の中に、刺すような光が兆す。最後にそれは、マイクロトフの愛してやまぬ艶やかな輝きとなって広がっていった。
「前々から思っていたが、マイクロトフ……おまえ、わたしに説教するときだけは、やけに良く口が回るんだね」
「いや、これは説教とか、そういうのではなく───」
「……着替えるよ」
弁明を交わして立ち上がったカミューは、閑雅な挙措で肩からローブを滑らせた。次いで夜着の袷に手を掛けたところで、寝台に座すマイクロトフへと一瞥を投げる。
「何を見物している? こういうときは席を外すのが礼儀じゃないか」
マイクロトフは、先程の赤騎士の言を思い出しつつ返した。
「おれたちの間で、形式ばったことは必要なかろう?」
───すべてを晒し合った仲なのに。そう、心のうちで付け加える。
口に出さなかったのは本能的な自衛だ。これだけ付き合いが長くなれば、何がカミューの怒りに火を点けるか、ある程度は学習を積んでいるのである。
マイクロトフは利き手を挙げて、神妙に宣誓した。
「案じなくても、妙な気は起こさない。剣に懸けて誓う」
「……騎士として位階を極める朝、最初の誓いがそれか。どうしてわたしは、こんな男に捕まったんだろうな……」
脱力顔でぼやきながらも、彼は夜着を脱ぎ落した。そして、マイクロトフが差し出す品を次々と身に付けていった。
仕立屋にカミューの装束を依頼したとき、そこに深い意味はなかった。「揃いの衣装を」というフリード・Yの提案が素晴らしいものに思えたし、ならば自身が最も愛着を持つ青騎士団長装束に似た品を、と考えたに過ぎなかったのだ。
仕立屋が意匠の図案を持って来たとき、たまたま居合わせた副長たちが、暫し製作を保留するようにと進言した。受け取られる保証のない品だったし、怪訝に思いながらも勧めに応じたが、今になって思えば、あの時点で彼らは今日という日を念頭に描いていたのかもしれない。
製作再開の指示を受けて仕立屋が完成させたのは、自負に足る、一団の長に相応しい荘厳と瀟洒を併せ持つ逸品だった。極上の糸が織り成す深い赤が、白磁の面に艶やかに映える。肩を覆うマントは、かつて赤騎士から贈られた品だ。重ねるのは至難と思われた同系の色彩を、しかしカミューは難なく着こなす。
騎士の徽章でマントを肩当てに縫い止めた彼は、続いて寝台脇に立て掛けてあった剣を取って剣帯に繋いだ。最後に純白の手袋にしなやかな指を通して、ゆっくりとマイクロトフへと向き直った。形良い唇には、挑戦的な笑みが上っていた。
「感想は?」
「……言葉もない。見入ってしまって、妙な気を起こす暇もなかった」
素直に心情を語ると、カミューははんなりと微笑んだ。
「それは何よりだ。わたしも、共に就任式に臨む片割れの頭を焦がすのは忍びなかったからね」
言い差して、ひょいと身を屈める。
唇に落ちた、予期せぬ熱。この朝初めてのくちづけが、味わう間もなく去っていく。慌てて腕を掴んで引き戻そうとしたマイクロトフを押し止めて、秀美なる赤騎士団長が吐息混じりに囁いた。
「就任おめでとう。これからも宜しく頼むよ、我が最愛なる青騎士団長殿」

 

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十代の苦行が祟って
悶々グセが抜けない赤と、
多少悩んでもすぐに忘れる元プリンス。
そんな二人も、
晴れて今日から団長です。ウッス。

 

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