INTERVAL /32


群集の目を掠めるように城へ搬送されたゴルドーの亡骸は、翌日午後、数名の騎士団要人が見守る中で荼毘に伏された。
尊大を振るい、一国を意のままにしようと目論んだ男は、小さな壷に納められて、更に翌日、城の西にある森に運ばれた。司祭長マカイの許、先代白騎士団長の葬礼と、先代皇王に対する慰霊の儀式が厳かに執り行われる傍らで、ゴルドーは、罪びと用に充てられた墓地の一画にひっそりと埋葬されたのだった。
重犯罪者として死んだ男に、かつての威光を窺わせる碑は与えられなかった。ただ、彼が最後まで握り締めていた剣が、深々と土に刺し立てられている。一度は騎士として頂点を極めた者が眠る地にはあまりに寂しかろうと、式後に新たなるマチルダ皇王が添えた、それは墓標代わりの品だった。

 

 

陰謀における最大の実行者だった白騎士団・第三隊長に対する尋問は、先ずは取引から始まった。騎士が、自身の知る一切を話す代わりに罪の減一級、即ち絞首ではなく斬首刑を求めてきたのである。
どのみち刑死には変わりないと思われがちだが、騎士を名乗る者に、この違いは大きな意味を持つ。自らの血を流す死は、戦場のそれにも──僅かながらは──通ずるものがある。片や絞首刑は、荒縄一本で事が済む上、死亡に至ったかの確認を込めて半日あまりも放置される。このため、絞首は騎士にとって最も恥辱的な刑とされているのである。
骨身に叩き込まれた価値観は、誇りの置き所を完全に見失ったこの白騎士隊長にさえ、未だ息づいていたらしい。認められぬなら自害も辞さぬといった覚悟を匂わせる男に、新皇王以下は、逆に歓迎を示した。やらねばならない諸々が山積する今、ゴルドーの謀反に加担した者を炙り出す時間を削れるなら、これに勝る話はない。
死罪の減一級、斬首刑に処すと記した皇王の誓詞状を手にした日から、白騎士隊長は淡々と自白を開始した。
依頼した皇王印章を完成させた細工職人を呼び出して、夜陰に紛れて斬ったこと。
幾度も失敗した皇太子暗殺を決行させるため、無頼漢たちを雇い入れたのは間違いなく自らであったこと。
そして、しくじり続けた暗殺に関わった白騎士たちの名も。
やや意外だったのは、関与者の構成だった。既に死亡した第二隊長、そして第三隊長である彼を除いて上位階者はおらず、下位隊長数名と、その配下の白騎士たちが皇子に危害を加えようと直接動いていた面々だったと証言されたのだ。
副長や第一隊長は蚊帳の外だったのかと問うたところ、第三隊長は苦く笑った。

───陰謀の事実を嗅ぎ付ければ、ゴルドー様に取って代われる立場におられた方々でしたから。

つまりゴルドーは、副官たちが密告に走るのを恐れて計画を持ち掛けなかったという訳だ。
一方の下位騎士隊長らは、昇進という餌をちらつかされて、うかうかと話に乗った。たとえ「成就」を迎えても、期待したほどの厚遇は施されなかっただろうとと予想されるが。
実際に暗殺工作のため動いた者は、平騎士も含めて二十余名ほどだった。これらは騎士団から籍を抜かれ、更に工作の程度に見合う禁固刑に処された。
何と言っても、王位継承者の命を狙った不逞の輩たちだ。「死罪相当」との声も多かったが、新皇王は軽く退けた。

───慶事の折には恩赦が行われる。多少前後したが、一同には死罪を適用しないことを自らの即位におけるそれとする。

これが王の言い分だった。
罪人たちは、この寛容に涙した。自身らが牙を向けてしまった男の懐の深さを改めて痛感し、粛々と牢に繋がれたのだった。
第三白騎士隊長の供述は滞りなく進み、七日後には法議会より正式な刑の執行状が下りた。
処刑の朝、「最後に言い遺すことは」と問うた青騎士団副長に、男はうっすら笑みながら、「誰にも、何も伝えないでいただきたい」と請うた。
実の親を亡くして以降、親類宅を転々としてきた。騎士団に籍を置くには身元引請人となる人物が要るため、最後に世話になっていた伯父に名を借りた。だから正騎士に叙位された日、短い挨拶の文を送ったけれど、祝う返事は終に来なかった。
その後、騎士隊長にまで昇進したのを風の噂に聞いたのか、あるとき伯父がひょっこり訪ねてきた。だが騎士は会わなかった。伯父が望んでいるのは、自らの顔を見ることではなく、借財か、あるいは家業に対する援助の口添えか何かだろうと推察されたからだった。
騎士が死亡した場合──刑死のときでも──先ずは身元引請人に連絡が行く。遺品を返還したり、場合によっては葬儀についての相談を行うためだ。
しかし白騎士隊長は、この連絡を拒んだ。ゴルドーと同様に、財と呼べるものについては既に没収の処分が下っている。よって、残りの細々とした私物は、そのまま廃棄して欲しいと希望したのである。
事情のあらましを聞いた青騎士団副長は、この申し出を了承した。幼少時を過ごした先々に、とうとう最後まで安らぎを見出せなかった男。刑場へと向かう後ろ背を、青騎士団副長は、微かな憐憫を込めた眼差しで見送ったのだった。

 

 

詮議の場では失踪扱いとした第二白騎士隊長についても話し合いが持たれた。
彼の死がカミューによるものだという点は、これまで通り隠匿する方向で一致した。ただ、二度と戻らぬ人を待ち続ける遺族の心情を思うに、折を見て死亡の事実だけでも伝えるべきでは、とも論じられた。
ここで一つ問題が生じる。真相を伏せる以上、別説を提示せねばならない。ただでさえ偽りを通そうとしているのに、更に偽りの死亡状況をでっちあげて、面と向かって説くことには、一同ともに良心が咎めたのだ。
さてどうしたものかと思案する中、先に動いたのは遺族であった。
ある日、白騎士隊長宅の下男が城を訪れた。この時点で騎士は強制除籍処分になっていたし、城に残された私物の引き取りにでも来たのだろうと副長たちは考えた。そこで面会に応じてみたところ、この男は、一通の書簡を持参していたのである。
文は騎士の舅に当たる人物からで、此度の不始末を丁重に詫びていた。同時に、既に騎士との縁組みは解消されており、当家としては私物を引き取る意思はない、騎士の実父母も既に鬼籍に入っているので、騎士団の方で適当に処分して欲しい───そのように書面は語っていた。
つまりはこういうことだ。詮議の際、謀反人の一派として名を挙げられた第二白騎士隊長は「失踪中の罪人」である。家人までもが世間の非難を浴びては適わぬとばかりに、入り婿だった騎士は早々に縁を切られたのだ。
文には、今後、もし騎士を発見しても報告は希望しないとの一節があった。下男の補足によれば、舅はひどく感情を害していたらしい。

───家名に泥を塗った不肖の婿。娘や孫が、罪びとの妻よ、子よと冷ややかな目を注がれるのも、すべてあの男の至らなさゆえ。断じて許さぬ、縦しんば生きて戻ろうと、二度と当家の門はくぐらせぬ。

副長たちは考えた。
第二白騎士隊長は、絶大な権力を揮う舅の前で、肩身の狭い思いを強いられていたのかもしれない。それがゴルドーによる発令とも知らず、グラスランド攻めの先発部隊に選出されたときには、出世の好機と勇み立ちもしたのだろう。
だが、思惑は外れた。予期せぬ事態に遭い、仲間の多くを失ってマチルダに逃げ戻った。
今となっては知る由もないが、彼はこのとき、命令を発した──と思い込んでいる──皇王に恨みめいた感情を抱いたのではないか。だからその後、皇王の息子を謀殺する企みにも乗ったのではないだろうか。
ともあれ、遺族の方から申し出があった以上、これを受け入れるしかない。結果的に、騎士隊長の死をどう取り繕うかという問題は消えた訳だが、後味は悪かった。
騎士団名簿には退団理由等も記載される。後日、赤騎士団副長が、第二白騎士隊長の欄に以下の通り書き加えた。

───捜索中、洛帝山北の山岳地にて遺体で発見。魔物の襲撃を受けたと推測される。遺体の損傷著しく、同地に埋葬。

舅からの文では、白騎士隊長の妻子が故人をどう思っているかについては窺い知れなかった。ただ、いつか妻子が、騎士の消息を知りたいと望む日が来るかもしれない。そのときこの名簿が、心の整理をつけるための助けになるだろうと彼は考えたのだった。

 

 

不名誉極まりない事情で首座を失った白騎士団の今後については意見が割れた。解体して、赤・青騎士団に統合せよという声がある一方で、三騎士団制を維持すべきだという主張も強く、これについてはかなりの議論が交わされた。
ここで重視されたのは、騎士団の創設者的存在である聖アルダの意向である。組織を二つに割れば、優位を巡って相争わないとも限らない。それが三つになれば、適度に力が分散される上に、もし二者の間に争いが起きたとき、残る一者が仲裁役として機能する───そう考えてアルダは三騎士団制を考案した。
現在の赤・青騎士団の間には確固たる信頼が結ばれているが、遠い先々まで見据えれば、創設者が考案した体制を継続させるのが妥当だろうと、最終的には結論づいた。斯くて白騎士団の存続は決定したが、これには非常に変則的な指揮系統が採られるはこびとなった。
先ず、団長位は空位のままとする。
これは、ゴルドー糾弾の場での言動から、本来は繰り上がって団長に就任すべき副長の才覚が疑問視されたためだ。
どうやらゴルドーは、自らの地位や権威を脅かさぬ者という観点から、あまり有能とは言えない人物を、敢えて副官に据えていたらしい。立て直しが急務の一団において、この指揮官では些か頼りないと判断されたのだ。
白騎士団副長は、現在の位階のままで自団の差配を執り、その上に赤・青騎士団副長が監査役として並び立つ。この指揮系統に、特に継続期限は設けない。白騎士の多くは、長く傲慢や怠惰に浸り切っていたので、完全に是正されるには相応の時を要しそうだと見込んでの決議だった。
慣例上、宰相グランマイヤーが団長とされている赤騎士団や、皇太子の即位によって団長位が空座となった青騎士団では、各副長が実質的な最高位階者だ。よって、これで全マチルダ騎士団は、赤・青、二人の副長の管理下に置かれたとも言える。
こうして両名の主導の許、騎士団内の粛正は急ピッチで進められたのだった。

 

 

この頃、他国でも続々と大きな動きが生じた。
皮切りはティントだった。
ロックアックス滞在時に他国要人らと交わした遣り取りが切っ掛けとなったのか、帰国したグスタフは、先ず自国名を「ティント市国」と改めた。のみならず、その報が他国に届くか否かといううちに王制廃止を宣言して、以後、自らを「市長」と称した。

───世襲の王はもう古い。これからは実力第一、選挙によって選ばれた者が政治を執る。とは言え、体制に慣れるまでは手本が要るだろうから、自分が初代の市長になっておく。

実にグスタフらしい、豪快な断行だった。
突然の決定に驚いたティントの民も、ともあれ当座はグスタフの執政が続くことに安堵して、これを受け入れた。父親に溺愛されて、なに不自由なく育った少女が鉱山国を統治していけるのか───そんな不安も、正直なところ、ティント国民にはあったのだろう。
続いてグリンヒルが公主制を廃止した。テレーズの許、各種改革の真っ只中にあった同国は、比較的この流れを作り易い立ち場にあったのだ。
ティント同様、国名を「公主国」から「市国」に変えて、テレーズは初代グリンヒル市長に就任した。
これと前後して、ワイズメル元公主の罪状が改めて公表された。一国家として極めて恥辱的な仕儀ではあったが、テレーズは自らの誠を通したのである。
ワイズメルに従って前カラヤ族長と前マチルダ皇王暗殺に関与した元内務大臣には、審議の結果、やはり死罪が課せられた。既に諦めていたのだろう、この裁断に取り乱すこともなく、男は刑に臨んだという。
この後、正式な使者がグラスランドに送られた。カラヤ族長ルシアは書簡にしたためられたテレーズの深謝を受け入れ、ここに両者の一応の和解が成立したのだった。
市庁舎として使われるようになった公主宮殿内では、密かに女傑とも囁かれる政務長官が、有能ぶりを遺憾なく発揮して新市長を支えた。けれど一方で、テレーズに想いを捧げ、一度は共に逃げようとまでした異国の剣士は、後にひっそりと姿を消している。
今や全グリンヒル民の心の拠り所となっているテレーズ・ワイズメル。自らの存在が彼女の日々の妨げにならぬようにと、涙を呑んで身を退いていったのかもしれない。

 

 

マチルダでも、皇王制廃止に向ける動きは始まっていた。
これまで政治に携わってきた政策議員らに文官という別職を用意した上で、今後、国の統治は騎士団が行う───王が皇太子だったときに持ち出した構想は、様々に吟味された後、実現に足るという結論に達した。
ここに大きく関与したのは、新王の信も厚き異邦の傭兵だった。多くの国を渡り歩き、仕事を選り好みする師匠の影響あって、ときには一国の政治の裏側まで覗く機会を有したカミューは、助言者として適任だったのである。
これに当たっては、先ず宰相グランマイヤーが、内々にカミューと話したいと希望した。アレク・ワイズメルがゴルドーと組んでいたと知った日より、彼は、ワイズメルを通じてロックアックスへやって来たカミューの素性について、様々に憶測しては気鬱を起こしていたのである。
自らは、とんでもない過ちをしでかしたのではないか。護衛を装った刺客を、暗殺対象となる皇太子本人に引き合わせてしまったのではないか。
確かにあのとき複数名の護衛候補を招いたけれど、カミューの優しげな容貌や華やいだ振舞いは、他の候補を圧倒していた。歳が近いこともあり、皇子の目に止まるのは明らかだったのだから。
結果は予想を凌駕した。奇しくも面接以前にカミューとの出会いを果たしてしまった皇子は、他の候補には会おうともせず、「彼だけを傍に」と望んだ。
以後の皇子は、目に見えて変化を遂げた。どちらかと言えば「座して即位を待つ」といったふうだった皇子が、自らの道を見据えて立ち上がったようにグランマイヤーには映った。
それがカミューの影響ならば、彼は、皇子にとって最良の友といった存在なのだろうとも考えた。だからこそ、カミューを疑わねばならなくなった状況がつらく、苦しかったのだ。
皇王即位後もごく自然に城に留まり続ける青年を見れば、疑念は薄れる。とは言っても、新体制樹立という国家の重大事に助言を求めるからには、妙な蟠りは払拭しておきたい。そうした思いから、グランマイヤーは決着を求めたのだった。
これを受けて王以下は、さっそく談義を行った。
何かと心配性な宰相のこと、ここはやはり周囲を丸め込んだ説で通した方が、といった流れに傾く中、当のカミューが真実を伝えることを望んだ。先代皇王亡き後、父親のように皇子を慈しんできた人物にまで嘘はつけないという理由からだった。
実現した対談の席で、カミューは自らの身上、その他を包み隠さず宰相に打ち明けた。多少事情は異なったが、恐れた通り、暗殺目的の接近だったと知って動揺する宰相を、同席した王が懸命に宥めた。

───カミューを護衛にすると決めたのはおれ自身だ。それに、彼が居なければゴルドーの悪事は闇に葬られたままだった。始まりはどうあれ、おれを含め、今や誰もがカミューに全幅の信頼を置いている。どうかそれを酌んでくれ。

王の熱弁は、だがやんわりと往なされた。驚きこそしたが、グランマイヤーは寧ろカミューの境遇に同情的だったのだ。
彼は言った。

───ゴルドーの暴挙を阻めなかったのは、国政を与る宰相たる我が身の非でもある。マイクロトフ陛下の御命を狙った事実は許し難いが、そう思い詰めるまでに至った心中は察して余りある。こうして誤解も消えて円満に収束した今、過ぎた行き違いを責めるは無粋というもの。詮議の場で騎士たちが語った通り、君は最初から陛下の味方であったと、この先は思うことにする。

そして彼は、護衛契約の残金をカミューに差し出した。
無論、カミューは丁重に辞退した。元より受け取るつもりのなかった金だ。グリンヒルで得た暗殺の請負金は、公都を出る前、街の孤児院に残してきた。グランマイヤーから与えられた前金も、手付かずのまま城の一室に置いたままだ。これも併せて返還する意思を伝えたカミューに、しかしグランマイヤーは優しく言った。

───君は立派に護衛のつとめを果たしてくれた。例えばダンスニーの一件。君は負傷してまで、陛下を魔剣の呪いから救ったと聞く。あのはたらき一つを取っても、正当な報酬として受け取って貰わねばなるまい。寧ろ少ないくらいだろう、安く上がって、こちらとしてはありがたいほどだ。

それでも渋る青年に、彼は笑みつつ言い添えた。

───どうしても受け取らぬ気なら、衣服から何から、貢ぎ物の山を覚悟しておいた方が良い。フリード・Yから聞いている。君が金銭的に窮していると知ったが最後、陛下を筆頭に、放っておかぬ者が大勢いそうではないか。

これを聞いたカミューは吹き出して、慎んで金を受け取ったのだった。
遣り取りを通して青年の思慮深さ、聡明ぶりに感じ入ったグランマイヤーは、さっそく議員一同にカミューを引き合わせた。以後、マチルダの要人たちは「いま上がっている案に予想される齟齬は云々」といったカミューの意見を興味深く聞いては、対案を捻り出して、新体制移行への道筋を整えていくことになった。

 

 

そのカミューが街に下りたいと希望したのは、新皇王の即位から一月近くも経ってからのことだった。
半月あまり世話になった女たちに、未だ何の便りも送っていない。慌ただしさに取り紛れていたけれど、これ以上は先送り出来ないと意を決したのである。
外出を申し出たところ、若き王は顔色を変えた。流石に礼節を弁えた男のこと、却下こそしなかったが、逆にカミューは、とんでもない事態に直面した。あろうことか、王が同行を望んだのだ。
これには側近たちも慌てた。王が外出するなら、それなりの供を付ければ事足りる。しかし、その行き先が東七区では──花街を蔑視する訳ではないが──妙な噂になりかねない上、せっかく伏せたカミューの「事情」が洩れないとも限らない。
一同は言葉を尽くして説得に当たったが、王は譲らなかった。

───大切な人が苦んでいるときに救いの手を差し伸べてくれた方々だ。直接会って礼を述べる。でなければ、おれの信義が通せない。

そう言われてしまうと側近たちは弱い。この若き主君が決めた以上、翻意は促せないと諦めて、苦肉の策を考案した。
訪問に先立って、酒場の女主人と懇意の赤騎士副長が遣いを送り、対面の時間を設けて貰う。そして完全に人払いしたところへ、変装した王を送り込む。
女将たちが王の素性に気付かなければ物怪の幸い。もし気付いても、彼女たちなら口を噤んでくれるだろうとの信頼に基いた計画だった。
側近たちが用意した案に王はたいそう喜んだ。「どの服を着て行けば目立たないだろう」と箪笥を掻き回す、はたまた、染め粉が抜けて元の色を取り戻しつつあるカミューの髪を眺めては、「今度はおれが染めてみるか」などと浮かれるマチルダ皇王。その高揚ぶりは、カミューの胸に複雑を落とした。
王の心には、離別に対する恐れがよほど根強く残ったらしい。閨に組み敷き、幾度となく誓わせた今なお、王は、ふと気まぐれを起こしたカミューが城を出たまま何処かへ消え失せるのではないかと案じている。
そんな過保護に至らせた経緯については申し訳ない気もするけれど、嬉々として準備に勤しむ男を見ていると、苛立ちと羞恥に泣けてきそうだった。
酒場の女たちには──特に女将レオナには──多くを語った。ひとたび別れた後は、二度と会わぬ人だと決め込んで、許されざる恋慕に揺れる胸のうちまで、余さず吐露してしまったのだ。今となっては、その軽率がひたすら恨めしい。
彼女たちは、新王即位式後のパレードを見物しに行くと言っていた。あの日、頑強に拒んだにも拘らず、王の勢いにカミューは負けた。気を利かせた騎士が城から連れて来てくれた愛馬と久々に対面した喜びも手伝って、結局カミューは行進に参加したのである。
溢れ返る民の中にレオナとロウエンを探したが、二人を見付けることは叶わなかった。とは言え、向こうがこちらを見なかったとは限らない。もし見られていたら、あんなかたちで店を去りながら、新王が率いる騎士の一行、長々と続く騎馬列の最前に馬を進めていた事実を───そしてレオナに語った「想い人との仲」についても、どう説明すれば良いというのか。
葛藤をよそに、約束の日は訪れた。
出立の準備を始めた王に赤騎士団・第一隊長が渡したのは、変装用の「闇のマント」である。そこへ青の同位階者が、「奇抜にすれば顔が目立たない」ともっともらしく説きながら、それは派手派手しい羽飾りを施した。
最後に若い赤騎士が、城の庭師から譲り受けてきたという大量の冬バラを差し出した。王は些か怯んだが、「いざというとき、これで顔を隠せるし、女の人を訪ねるのに手ぶらじゃ、カミュー殿に怒られますよ」という意見を聞くなり「成程」と受け取った。
漆黒の装束に羽飾りを生やした挙げ句、真紅のバラを腕に山ほど抱えた男。レオナが指定したのは店を早じまいしてから、つまり疾うに夜半を過ぎた頃だ。幾ら人の行き来が少ない時間帯であっても、こんな妙な格好をした男と、深夜に一緒に出歩きたいとは思えない。
そんなカミューの消沈を、赤騎士団副長は、本来の事情を伏せたまま辻褄を合わせねばならない状況を憂いているのだろうと見て取った。そして、自身も同行して、上手く話を合わせられるよう、助力しようかと持ち掛けた。
このありがたい申し出を、断わらねばならないのは痛かった。「実は暗殺者だった云々」は何とか隠し通せても、寧ろ「敵の子である恋しい人」について追求された場合が問題なのだ。
当の「想い人」が同席するだけでも気が重いのに、そこへ騎士まで居合わせたら。考えるだに恐ろしいカミューであった。
側近たちに見送られて城を出た二人は、澄み渡った高い星空の下に愛馬を並べた。
マイクロトフの馬は、以前同様、カミューが近付くと漆黒の体躯をいからせて警戒を見せた。けれど、それも束の間、優美な牝馬が傍らから諌めるように嘶くなり、しゅんとして、自らカミューの肩口に鼻面を押し当てるという親愛めいた素振りに出た。
「こいつは頭が良いからな。彼女の主人を認めぬ限り、求愛も受け入れて貰えないと悟ったのだろう」───そんなふうに王は愛馬の心情を説き、これを聞いたカミューは、「何時の間に、馬までがそんな話に」と、言葉にせぬまま、困惑に首を傾げたのだった。
人気のない、勾配のある主街路を南下して、やがて迎えた歓楽街の灯。
思い出深い酒場では、共に過ごした日々と何ら変わらぬ明るい笑顔が、揃ってカミューたちを招き入れた。
しかしながら誤算もあった。側近が良かれと思って施した下準備は、あまりにも騎士的であり過ぎたのだ。
人払いを請うて、予め訪問日をさだめる。しかも、店に最極上の酒を差し入れておく。これでは「やんごとなき人物が訪ねて行く」と告げたも同然で、結果、変装も虚しく同行者の素性はあっさり割れてしまったのである。
王にとって幸いだったのは、女たちが必要以上に遜る人間ではなかったことだろう。朧げな予感が現実と化して、初めのうちこそ硬直していたレオナたちだったが、呆れるほど礼儀正しいマチルダ王に程なく慣れた。
カミューは、赤騎士団副長に勧められた通り「騎士の信頼も厚い、皇太子の特別護衛」という表向きの役どころを通すことにした。亡き白騎士団長が、先代皇王のみならず皇太子をも狙っていたという話は、今や国中の人間が知っている。騎士団の枠を越えて動ける護衛が招かれた。敵を油断させるために一旦は姿を眩ましたものの、最終的には即位式典における警護の一翼を担った───そこそこ筋の通った説だろうと赤騎士団副長は保証し、カミューもこれを認めたのだ。
説いた内訳はこうだった。
姿を消そうとしている途中、予期せぬ体調不良に見舞われて、そこをレオナらに救われた。もともと式典当日までは何処かに隠れ潜んでいる算段だったので、二人の厚情に甘えて滞在させて貰った。
人目につかぬよう細心を払ったのは、ゴルドー側に情報が洩れぬようにするため。ただ、例の事件が起きて、白騎士隊長の前に姿を曝してしまったので、やや策を違えた。
この騎士が陰謀に関わっていることは既に内偵済だったので、これを逆手に取った。皇子を見限り、ゴルドー側につく振りを装って場を凌ぎ、そのまま彼らの導きで即位式に潜り込んだ───。
虚構に事実を織り混ぜた説明は、だが然して追求されなかった。新皇王がカミューと並んで店に居る、それに勝る現実はなかったからだろう。
「難儀な役目だったんだねえ」とレオナは言い、ロウエンも「レシピを書いてるどころじゃなかったろうにさ」と笑みを零すばかりだった。
そして王が「カミューが世話になりました」と、持参した花を差し向けながら深々と一礼すると、堪らず二人は破顔した。その短い言によって、王にとってカミューが如何に重い存在であるかを感じ取ったのと同時に、王の真っ正直ぶりが微笑ましくてならなかったのである。
さて、ロウエンは、暫くは──舌を噛みながらの──恭しい言葉使いで王と相対していたが、やがて余所行きの仮面が保てなくなったらしい。相手の言動から滲む親愛を察してもいたのだろう、敬語もかなぐり捨てて、さながら旧友の如く振舞い始めた。
「その顔、睨んでる訳じゃなかったのか」から始まって、「王様って忙しい?」だの、「カミューに教えて貰った料理があるんだけど、酒の肴にどう?」だのと、今にも肩を組みそうな笑顔を振り巻く酒場の手伝い兼、女用心棒。
片や王も、女性との語らいは今ひとつ得手ではなかったけれど、彼女がたいそう気さくなものだから、すっかり打ち解けてしまい、「幼少よりこんな顔です」と返した次には「多忙ながら、皆に助けて貰って何とか」と微笑んだ。「カミュー指南の料理」に至っては目を丸くして、「出来れば大皿で頼みます」と勢い込んで答えていた。
二人が杯を合わせる一方で、カミューはレオナに隅のテーブルへと招かれた。そこで語られたのは、驚くべき事実だ。彼女は、カミューが伏せた身上を、彼が店に居た頃から薄々察していたというのである。
レオナは、王やロウエンにまでは届かぬ小声で言った。

「常連客の一人が話していたんだよ。皇太子様が初めて騎士を従えて街の巡回に出たとき、騎馬隊の中に毛色の変わった人物が混じっていた、とね。皇太子様と同世代くらいの若い男で、騎士の服も着ていないのに、皇太子様のすぐ傍に馬を並べてた。何でも、皇太子様に投げられた林檎を剣で串刺しにする、なんて芸当を披露したとかで」

「薄い栗色の髪といい、琥珀みたいな目の色といい、異国風の容貌で、とにかく好い男だったらしくてね。あれは何処かの国から特別に招かれた剣客だ、いや畏れながら皇太子様には美男を愛でる嗜好がおありなんじゃないかと、一時は囁かれたものさ。ああ……、今のは内緒で頼むよ、たかが酔客の与太話だからね」

「暫くはそんな話も忘れていたけど……ほら、あんたの上着を洗濯したとき、濡らしちゃいけないものは入ってないかと隠しを探ったら、書類みたいのが出てきてさ。読むつもりはなかったんだけど、表題の「即位式典警備要項」ってのが目に入っちゃってね。それで噂を思い出した。皇太子様の傍に居た剣士ってのは、ひょっとしてあんたじゃないかと考えたのさ」

「……不思議そうだね。あたしは騎士じゃないし、高熱を出して、足腰も覚束かなくなってる相手を尋問するような趣味はないの。それに……言っただろう? 人柄の良し悪しは目を見りゃ分かる。他人の事情を詮索しない、それがあたしの信条だからね。まあ、秘密の任務なんてのを背負ってるんじゃ、黙ってて当然だったとは思うけど───」

そこでレオナは、何杯目かの酒を互いのグラスに注ぎ合っている王とロウエンをちらと見遣り、いっそう声を潜めた。

「さっき言ってたのは、「表向きの事情」だね? ああ……およし、そんな顔をしたら、二人に気付かれるじゃないか。あんたはあたしに色々と話してくれた。そいつを繋ぎ合わせたり、捻ったりするうちに、あんたが本当は何をしたかったのか、分かったような気がしたよ。即位式の朝になってから思い付いて、どうしたものかと随分と思い悩んだものだけど……もう恨みは捨てるという、あんたの言葉を信じようと思った」

「そうこうするうち午後になって、皇王様のパレードの中で、あんたを見掛けた。自分で気付いてたかい? そりゃもう、穏やかに笑っていたよ。あれを見て、ほっとした。すべて良い方に転がったんだろう、ってね。そして今夜、あんたは皇王様と一緒にここに居る。これが答えなんだね? 本当に良かった。色男には暗い影も似合うけど、一番は笑顔だと───ロウエンなら、そう言うだろうからね」

事情を把握しながら、一切に口を閉ざす覚悟を覗かせる酒場の女将。カミューは、改めてレオナの優しさに感服して、深謝の礼を取った。
満足に言葉が出ず、唇を震わせて頭を垂れる彼に、レオナはふと、語調を変えて切り出した。

「ところで……信条から外れるけど、一つだけ詮索させて貰っても良いかねえ。あんたを迷わせた娘さんって、やっぱりあたしの想像通りなのかい?」

既に充分驚かされていたところへ、さらりと投げられた問い掛け。息を詰まらせたカミューは、用意してきた「同情を引くための作り話だった」という説を脳裏から飛ばしてしまった。
絶句を肯定と取ったレオナは、やれやれと首を振って、笑い混じりに言い添えた。
「想像してたような可愛らしい娘さんじゃなかったけど、あんたが言った通り、良い人だ。ただ……「敵の子」でなくても、難しい仲には違いない。今はともかく、お妃様を迎えるときが来たら、いったいどうなさるおつもりなのかねえ」
唖然とした後は、引き攣り笑うしかないカミューだった。
不覚にも動揺を晒した今となっては、何をどう言い繕っても遅い。あるいは、道ならぬ恋を頭ごなしに否定されなかったのを感謝すべきか。とにかく彼は、ひどく情けない心地で、「先は先で色々あるから」と追求を濁すしかなかったのだった。
そんなカミューの痛恨も知らず、王はロウエンと二人、酒盛りの様相を呈していた。
騎士が差し入れた酒は早々に空けられて、ロウエンが店の棚から出した瓶まで傾けている。酔いが更なる無礼講を誘ったか、彼らの遣り取りは完全に皇王と一領民の域を越えていた。
「私見ですが、女性がそうも大酒を嗜むのは感心しません」
「若いくせして、なに古めかしい事を言ってるんだい。酒が飲めなきゃ、この区じゃやっていけない。王様なら、そのくらい常識ってもんだろうぜ」
「成程、そうでしたか……差し出口を叩いて、申し訳ない」
「分かりゃ良いって。ささ、もう一杯いこーぜ、皇王様」
御忍びとは言え、相手は自国の王なのだ。これでは流石に非礼が過ぎるだろうと注意し掛けたレオナだったが、途中で躊躇した。ロウエンは、言っても耳に入らないだろうほど酔っていたし、片や王も、彼女の物言いを楽しんでいるとしか見えなかったからだ。
カミューもまた、二人の酒盛りの図に不可思議な感慨を覚えた。
今宵、王は一人の男として夜の街に踏み出した。愛する者の危急を救った恩人たちに、ただ一言の礼を述べたい一心で。
朝が来れば、彼は再び王となる。あまたの責務を抱えて、分刻みの予定をこなさねばならない身に戻るのだ。
どんなにウマが合っても、彼がこの店でロウエンと酒を酌み交わす機会は──少なくとも、王でいるうちは──ないだろう。愉快な酒が、待ち受ける懸案に対峙するための英気を養うのだと考えれば、この羽目の外しっぷりも大目に見てやりたい。
───と、寛容な気持ちでいられたのも、王が酔い潰れるまでのこと。
即位後の執務によほど疲れていたのか、気付けば彼は、ロウエンと共に卓上に突っ伏して、ぐうぐう寝入ってしまっていた。案じた赤騎士団副長が配下の騎士を様子見に寄越してくれなければ、城に戻るにも難儀しただろう。
明け方近く、店の扉を叩いた赤騎士団・第一隊長と若い部下。そろそろ早い者は起き出す頃合とあって、二人は沈没している王に帽子を──これまた羽飾り付きだった──目深に被せ、両側から引き立てるような格好で、吹き出すのを堪えている女将へと頭を下げたのだった。
城に戻った王は、さっそく最愛なる青年から「即位したての王が花街で泥酔するとは不届き」と叱責を浴びた。だが、ひどい二日酔いにも拘らず、王は満悦の様相だった。
「あの方たちで本当に良かった」と、しみじみ呟かれた王の言葉に、カミューも心から同意したのだった。

 

 

「じゃあ、またいつか遊びにおいで」───それが、レオナがカミューに贈った最後の言葉となった。約束が果たされる前に、仔細あって、彼女は故郷ミューズへと店を移したのである。
ロウエンも、そこでレオナと別れてトゥーリバーに戻った。政府高官から金を巻き上げた罪が、マチルダ騎士団からの口利きにより、帳消しになったためだ。その後、彼女は念願の小料理屋を開店させた。珍しい酒肴──元・傭兵作のレシピ再現──が味わえるこの店は、客たちに喜ばれ、そこそこ繁盛しているらしい。
第三白騎士隊長に執着されていた若い娼婦も、新皇王即位後しばらくして、花街を去っている。これも騎士団側の配慮によるものだった。
没収された謀反人の私財を騎士団公庫に納める際、娘には精神的苦痛に対する慰謝料が、そして細工職人の遺族には賠償金が、それぞれ支払われたのである。
娘は、この金で娼館の前借を清算して、晴れて自由を手に入れた。以後の消息は不明だが、おそらく身請金を稼ぐために洛帝山の坑夫を勤めていた父親と共に、新天地へと旅立っていたのだろう。
後にこれを知ったカミューは、彼女に貰った小さな焼菓子の包みと、心を触れ合わせた短い語らいを思い出して瞑目した。
娘には好いた男が居たという。相手は時折巡回に訪れる赤騎士で、店に身を置くようになったばかりの頃、往来で何やら親切な言葉を掛けられたらしい。
ただそれだけで彼女は恋に落ちた。父親の借財から春を鬻がねばならなくなった彼女には、向けられた何気ない騎士の優しさが、絶望の中に灯った小さな光だったのだ。
名も知らぬ、客として店に入ることもない男を、けれど彼女は部屋の小窓から探し求めた。
姿を見掛けたのは、ほんの数度。たとえ顔を付き合わせても、何も言えなかったに違いない。それでも、決して報われ得ぬ想いであっても、騎士は、彼女が花街で生きる支えであったのだ。

───あなたは優しい人よ。

道を外した人間だと自嘲する身に投げられた、あの一言が忘れられない。
いつか、過去も丸ごと受け入れてくれる優しい男が彼女の前に現れるよう、カミューは祈った。
悲しみや痛みを温かく溶かして、共に生きる未来を差し示してくれる相手。自分に「彼」が居たように、いつか彼女にも、さだめの相手の傍らで微笑む日が訪れるようにと、祈らずにはいられなかった。

 

 

そして今ひとり、マチルダを去った者が居る。「皇太子付き従者」から「皇王付き侍従長」と肩書きを変えていた、王の乳兄弟フリード・Yである。
大方の見立て通り、選挙で大勝してサウスウィンドウ新首相に就任したシュウは、ロックアックス滞在中に見知った細やかな気配りから、フリード・Yをいたく気に入ったようで、帰国するなり行動に出たのである。
若者の許嫁が自国領ラダトに暮らしている旨の情報を入手していたシュウは、早速その両親にはたらきかけて文を書かせた。宛先はフリード・Yの両親である。

───我が子らが縁を結ぼうとしていること、まこと喜ばしく思いつつも、いざ婚姻が現実に近付くにつれ、一人娘を異国に嫁がせる寂しさを日々募らせている。いっそ娘と共にマチルダに移り住もうかとも考えたが、温暖なサウスウィンドウにて生まれ育った身ゆえ、北方の貴国にて暮らしてゆけるか案じられて、思い切れずにいる、云々。

この文に併せて、シュウはマチルダ新皇王宛てに一通の書状を送った。侍従フリード・Yを、サウスウィンドウ首相の護衛を兼ねた事務官に譲り受けられまいか、という請願である。王は驚いたが、ともあれ当人とヤマモト夫妻に話を通した。
先んじて息子の許嫁の両親による文を読んだ人の好いヤマモト夫妻は、たいそう胸を痛めていた。
夫妻は過去に、産後まもない娘を亡くすという体験をしている。それだけに、後に授かった息子フリードへの思い入れは殊のほか強かった。
だからこそ察せられる。一度は覚悟して仲を認めたものの、葛藤せずにはいられぬヨシノの父母の胸中が。自身らとて、息子と別れ暮らす未来を想像すれば切ないのだ。手塩に掛けた愛娘を、遠つ国に嫁がせる寂しさは如何ばかりか。
どうにかならぬものかと思いあぐねる夫妻の心を、シュウからの書状の一節、二人宛ての追伸部分が揺さぶった。

───我が国、ラダト領には貴家の縁籍者が多く住まうと伺った。もし、御一家での移住を望まれるなら、最大限の配慮を行うゆえ、御子息の件、なにとぞ前向きに考慮していただきたく───

これを読んで、夫妻は思案に暮れた。
ヨシノの一家がマチルダに移住するとなれば、慣れぬ北国に知己もなく、心細い思いを強いられる。片やヤマモト家は数代前までラダトを拠としており、今も親類縁者が大勢暮らしているため、同地は「まるで未知なる他国」ではない。
ヤマモト氏は、いわゆる文筆系の仕事を生業としており、居を移したところで然して問題なく、これから歳を重ねる身には、寧ろ暖かな地での暮らしが魅力的にも感じられた。
何より息子が、他国の指導者に礼を尽くして望まれているのは喜ばしい。王やマチルダへの愛着は多々あれど、ここは一つ、話に乗って家族で移住するのも悪くないかもしれないと、夫妻は考え始めたのだった。
最後の決定は当人に一任された。フリード・Yは、だが周囲の予想より遥かにすんなりと、この申し出を受諾した。
王と別れるのはつらい。物心ついた頃より唯一の主君として一途に仕えてきたのだから。離別など想像したこともなかったし、いつまでも王の傍に在り続ける自身を信じて疑わなかった。
マチルダ騎士への未練もある。陰謀の証拠を得るために共に動いた日々、彼らの真摯なつとめぶりはフリード・Yの心を魅了して止まなかった。これまで主人の付録扱いで騎士団に在籍していたけれど、王が退位して騎士となった暁には、これに準じて、今度こそ本物のマチルダ騎士として生きてみたいとも考えていた。
ただフリード・Yは、ここへ来て別なる可能性を見出したのだ。
マチルダの指導者と心通わせた自分がサウスウィンドウ首相付きともなれば、両国の関係は更に堅固になるだろう。一騎士の身では望むべくもない機会が、目の前に開けたのである。
かつての主君には、自らが数少ない相談役だった。けれど今は違う。信頼の置ける騎士たちが大勢居て、そして何よりカミューが主君を支えてくれる。
だから、もう良い。離れても王に対する情愛は変わらない。けれど、これからはもっと大きなものを目指したい。そのための一歩を踏み出そう───そう彼は決めたのだった。
旅立ちは、そろそろ短い夏も終わり、渡る風に秋の気配が潜むようになった朝。
城門前に設えられた馬車列の一画では、王の乳母だったヤマモト夫人が、涙する間も与えられずに困惑していた。じき成人の日を迎えようとしている息子が大泣きして、これを宥めるのに忙しかったのだ。
フリード・Yは、前の晩に騎士たちが催してくれた別れの宴でしこたま飲んで、全身から酒臭を立ち昇らせていたが、それでも構わず王にしがみついて号泣した。王もまた、滲む涙を堪えつつ、幼い頃から片時も離れず忠義を尽くしてくれた若者の背を抱いて、「おまえなら、きっとシュウ殿のお役に立てる」と励ました。
放っておけばいつまで待っても終わりそうにない愁嘆の図に、焦れた両親の手で馬車に押し込まれそうになりながら、しかしフリード・Yは二人を擦り抜け、王と共に見送りに立ったカミューの前に進み出た。そして彼の温かな手を両手で握り込んで、幾度も幾度も頭を下げた。
「婚礼を上げるときは教えてくれ、祝いの品を贈るから」とカミューが囁き掛けたところ、またもボロボロと涙を零しながら、「あちらの生活に慣れるまでは、それどころではありません」と返して、更に「わたくしのことなどより、マイクロトフ様をお願い致します」と鼻を啜り上げたのだった。
フリード・Yが窓から身を乗り出して別れを惜しんだのと同様に、王も馬車が視界から消えるまで、消え去った後も暫くの間、高々と手を振り続けた。
やがて僅かに寂しげな表情を浮かべた彼は、「また会えるさ」と呼び掛けた青年の肩をそっと抱き寄せ、並んで城内へと戻って行ったのだった。

 

 

カミューが騎士試験に臨んだのは、その秋のことだ。
既にこれまでのはたらきで、周りから騎士扱いを受けていたカミューだが、せめて叙位試験くらいは正規の手続きを踏んでおきたいと希望した結果、これが実施されたのである。
教養や知識、作法といった点では驚くべき成績を挙げたものの、最後の関門、実戦形式での剣の試験に、彼は少しだけ苦労した。
騎士の剣技には一定の基本があり、これに自己流の応用を加えたものが各人の技となる。しかしカミューは、この「基本」を欠いており、しかも既に自身の剣技を完成させていた。このため、「騎士団に入るための試合」では不利にならざるを得なかったのだ。
対戦相手を勤めたのは、たっての希望を通した赤騎士団の第一隊長。彼は実に巧みに立ち回って、ともすれば減点にも取られかねないカミューの動きを覆い隠した。これほど実戦用に昇華された剣技を、騎士団の基本から外れているという理由で低く評価されるのは耐え難い───同じ剣士として、彼はそう考えたのである。
無論、彼の誠心なくしても正騎士叙位は認められただろう。何せ、試験担当官は青・赤騎士団の位階者一同、カミューが騎士団入りを決意する日を指折り数えて待っていた者たちばかりだったのだから。
とは言え、この対戦式の剣技審査は、「実に見事な一戦」と賞賛されて、後々まで騎士志願者たちにとっての良き目標となったのだった。
カミューは赤騎士団・第一部隊預りとして、一般騎士とは少々異なる立場に置かれた。実際、正騎士叙位までの歩みも他とは一線を画していたし、上の者たちの意向に異を唱える立場にはないと、彼は諾としてこれを受け入れた。
こうして赤騎士団副長以下の目論見、即ち「未来の要人育成計画」は──当人がそうと気付かぬままに──幕を開けたのだった。

 

 

翌年の春、マチルダ皇国は建国二百年余の歴史にひとつの終止符を打った。皇王制廃止ならびに騎士団統治制が宣言されたのだ。
一月ほど前に宣告を受けていた民たちは、若き王の誠実で実直な人柄と統治を惜しんだが、特に大きな混乱や動揺はなかった。大方これは、ティントやグリンヒルといった、先んじて君主制を廃した例があったためだろう。北東の強国ハイランドが微妙に不穏な動きを見せている世情を鑑みても、もはや国家は血筋ではなく、力量で治める時代なのだと感じられていたのかもしれない。
国名は「マチルダ騎士団領」と改められた。
既にこの頃、デュナン湖近隣の各国は「市国」と国称を違えていたが、マチルダ最後の王は「騎士団」の一節を国名に入れることにこだわった。
自身が王位よりも重んじたもの、これより先、民たちの心の礎となる一団。その大いなる覚悟を、国名を口にするたびに確かめられる気がしたからである。
皇王制廃止に伴い、王族の身分を失ったマイクロトフには宰相らの勧めで「公貴族待遇」なるものが与えられた。しかしこれは、当人には然して意味ある称号には感じられなかった。
皇太子時代に既に騎士団籍を得ていた彼は、カミュー同様、青騎士団・第一部隊預り騎士となった。さっそく兵舎に私物を持ち込んだところ、「他の騎士たちが気を使うから」と副長に泣きつかれ、渋々顔で個室の供与を受けた。
「特別扱いはして欲しくないのに」───そんな微かな不満も、後に四散した。副長の配慮は大いなる僥倖だったと悟ったのである。
赤騎士団在籍のカミューは、やはり特別待遇を拒んで、大部屋で寝起きしている。このため、与えられた個室が貴重な逢瀬の場となったのだった。
青騎士団員たちは、一時は団長とも仰いだ元マチルダ皇王を、どう扱って良いものか悩めたようだ。彼を好き放題に扱き使っている畏れ知らずの第一隊長を、驚嘆の眼差しで見詰めてもいた。
けれど、かつての身上をちらとも出さず、懸命につとめに臨むマイクロトフを目にするうちに、いつしかそんな隔ても溶けていった。敬語だけは終に抜け切らなかったものの、彼らはマイクロトフを一青騎士、親愛なる仲間として遇するようになっていったのだった。

 

元・皇王と元・傭兵。若き二人は、所属こそ違えども、互いに競い合うように騎士のつとめに力を尽くした。
日々は満ち足りて、夢の如しだった。
そうして瞬く間に時は過ぎ行きて───

 

春を迎えたマチルダ騎士団領に、今ふたたびの転機が訪れようとしていた。

 

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以上、各方面の後始末回でした。
世界観・キャラの「その後」を
出来るだけゲーム本編に近付けてみました。

フリード・Yについてだけ、少々。
ずっと一人っ子イメージで書いてたんだけど、
それだと「プリンスの一つ年下の乳兄弟」設定が
成り立たないことに気付いた(今頃……)という……。
なので、こんな締めに来て捏造家族設定で辻褄を合わせる羽目に。
普通、不幸に見舞われた人をプリンスのばあやにはしなそーですが、
そこは青パパやグランマイヤー様の御計らい、
「亡き娘さんの代わりに、面倒を見てあげてね」みたいな感じで。
……が、いま考えると、
そこまで「一人っ子」にこだわらなくても良かった気が……(笑)

てな訳で、次回が最終話となります。
長かった旅が漸く終わるような、
そんなきもち……。

 

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