最後の王・122


列席者のみならず、警備騎士の殆どがゴルドーに意識を向かわせる中、司祭に扮した壇上の若い騎士は、武器を構えた第三白騎士隊長に気付いた。
それはほんの些細な偶然。傍らの青年が異変を克服したのにほっとした後、前方の皇子へと視線を移した一瞬に、座席から飛び出す白騎士が視界を過ったのだ。
妙だった。男の握った新型弓の向きは、皇子から逸れているように感じられる。反射の速さで若者は悟った。狙いが皇子でないとしたら───彼は傍らの青年を一瞥した。
カミューは身のうちの魔性を抑え込むために全力を使い果たした様相だ。俯き加減の瞳に、おそらく白騎士隊長の動きは映っていない。今、矢を射掛けられれば、逃れるすべはない。
すべてが瞬時の判断だった。若者は黒衣を翻してカミューの前に回るなり、両肩を掴んで彼を屈ませようとした。不意を衝かれて足をよろめかせたカミューが自らの体躯の影に納まったと認めるなり、騎士は目を閉じ、歯を食い縛った。
けれど、覚悟した衝撃は訪れなかった。代わりに上部から鈍い音が響く。カミューを抱え込みながら恐る恐る音の方向を見遣った若者は、知らず目を瞠った。
正面壁に広がる聖人の絵図に突き刺さって揺れる矢。咄嗟に振り返れば、皇王家の宝剣を抜いた皇子が、矢の末路を見上げて満足げに息を吐いている。一閃したダンスニーの刃が僅かに矢を掠めて、軌道を変えたのだった。
司祭長マカイが、ひっと叫んで腰を抜かした。
絵に描かれた建国の英雄の片割れ、皇王家の祖と呼ばれるマティス。その胸を無惨に抉った矢は、礼堂の主であるマカイには認め難い残酷であったらしい。
一方、遅れて起きた列席者らの悲鳴に、弓を使った当人のそれが重なった。凄まじい殴打に見舞われたためである。
攻撃を放ったのは青騎士団・第一隊長。壁際に居た彼は、間合いの近くまで歩み寄って来ていたゴルドーに注意を払う一方で、第三白騎士隊長の持つ新型弓にも警戒を捨て切れずにいた。故に、白騎士が椅子から立ち上がるのを認めるや否や、持ち場から飛び出したのだ。
立ち尽くすゴルドーの脇を駆け抜け、標的に迫ったが、あと一歩のところで投射に間に合わなかった。避けてくれと、祈る心地で見上げた壇上の皇子は、抜刀して矢を退けた。安堵の次に青騎士隊長を支配したのは、抑え難い怒りである。それは拳にかたちを変え、真っ直ぐに敵へと向かった。
白騎士隊長は彼の接近に気付くなり、敵意がないことを示そうと慌てて弓を捨てたが、遅かった。容赦ない一撃を受けて、中央部に立つ副長たちの眼前を横切り、緋色の絨毯の上を、国賓席の前まで転げていった。
ここにおける国賓たちの連携には驚くべきものがあった。
座席の前に長々と横たわった騎士を、グスタフとエミリア、そしてアナベルが踏み付ける。コボルト将軍リドリーが座席から跳ね飛んで、護身用の剣を抜いて騎士の喉元に当てた。殴打の痛手で、どのみち抗いかねたろうが、これで白騎士は完全に動きを止めた。
白騎士が取り落とした弓を拾い上げた青騎士隊長は、そのまま歩を進めた。一連の流れに手出しする暇もなかった副長たちに一礼しながら弓を差し出す。
これを受け取った赤騎士団副長が、ゴルドーの動きに気を取られ過ぎていた自らの迂闊を責めるふうに嘆息して、それから今いちど白騎士隊長を見遣った。
「よもやこの上、罪状を増やすとはな……」
白騎士は口元を赤く染め、折れた前歯をぐらつかせながら喘いでいる。けれど副長たちの胸には欠片ほどの同情も浮かばなかった。既に一度の絞首では足りないほどの罪を負いながらの、この暴挙。呆れ果てて、叱責する気にもなれない二人だったのだ。
皇子に矢を射掛けた敵に剣を抜かず、殴打でとどめた青騎士隊長の判断は正しい。他にも居るであろう陰謀への関与者を吐かせるまで、この第三白騎士隊長を死なせる訳にはいかないのだから。
礼堂を穢した血に胸は痛むが、それも覚悟の上である。青騎士団副長が笑み掛けると、気付いた騎士隊長は会釈を返し、それから敵を拘束している国賓らに恭しく礼を取った。
「御助力、感謝致します」
明るい顔が次々に言う。
「いやなに、ちょうど足を伸ばしたかったところだったからな」
「女の靴の踵は、ちょっとした武器ですものね」
「……意図的に人を踏んだのは初めてだけれどね」
「ともあれ、マイクロトフ殿下が御無事で何よりであった」
座席の位置から静観に甘んじたシュウやバレリアは、やや残念そうな面持ちだ。目前に白騎士が倒れ込んだなら、間違いなく彼らも拘束に尽力していたことだろう。
青騎士隊長が膝を折って交替の意志を見せると、コボルト将軍は短剣を退いて座席に戻った。すかさず、冷ややかな口調が命じる。
「のんびり休むな、立て」
胸倉を掴む手の荒々しさ、声音の剣呑に竦みつつ、白騎士隊長は身を捩って逃れようとした。
「ま、待て。違う」
歯が折れているため、言葉は至って不明瞭だ。片や青騎士隊長は、往生際の悪い敵に与える情けを持ち合わせていなかった。「面倒だから黙らせるか」とばかりに再び拳を握ったが、それより早く絶叫が迸った。
「違うのだ、殿下を狙ったのではない!」
かろうじて静けさを取り戻しつつあった堂内に、その叫びは妙に甲高く響き渡った。青騎士隊長が眉を寄せる隙に、言及は続いた───血反吐混じりの、相変わらず聞き取り難い声で。
「もはや逃れようとは思っていない。認める、わたしはゴルドー様に命じられるまま罪を犯してきた。そして、遅きに失したが、今は心から悔いている!」
これを聞いたゴルドーは、たちまち目を剥いた。終に腹心にまで背かれた男を僅かばかり憐れみつつ、「どうだか」と吐き捨てる青騎士隊長だ。
判断を仰ぐように副長たちを窺い見ると、即座の首肯が応じた。これは自白だ、続けさせても害にはならない。了解して、彼は白騎士から手を離した。
へたり込んだまま荒い息をついた男に向けて、青騎士団副長が慎重に問う。
「……それで矢を射掛けるとは如何なる了見か」
猶予を与えられたと悟ったらしい白騎士は、必死の形相で、間近で威嚇する青騎士隊長の肩の向こう、壇上に立つ皇子を見上げた。
「わたしは殿下を射たのではない。せめて殿下をお救いし、これまで犯してきた罪を、如何ばかりかでも贖おうとしたのです」
「何だと……?」
怪訝そうに目を細めた赤騎士団副長に頷き掛けて、白騎士は発言しやすいように座り直した。目算は狂ったが、勝負どころは続いている。口元を擦った拍子に、ぐらついていた歯が完全に抜け落ちたが、構っていられない。芝居がかった調子で切り出した。
「お助けしたかったのです、……壇上には殿下を狙う刺客がおりましたゆえ」
祭壇の隅、若者の体躯の影でカミューが戦慄く。白騎士隊長は、そんな彼らに指を突き付けた。
「その男は、殿下を亡き者にせよと送り込まれた刺客です。剣を持ち、司祭に成り替わって潜んでいたのが何よりの証拠……、事が及ばぬうちに刺客を退ける、それが、今のわたしに成せる精一杯の贖罪だったのです」
堂内が微かにざわめく。この展開に戸惑っているような気配だった。
白騎士隊長は陰険に含み笑った。最初から敵と見定められていた自分とは違って、「彼」は皇子一派にとって裏切者だ。なまじ信頼を寄せていただけに反動は大きかろう。一先ず、ゴルドーや自分に向けられている怒りを分散させるのが最良だ───白騎士隊長はそう考えたのだった。
「さあ、姿を晒すが良い。そして貴様も罪を負え!」
カミューは弱く息を吐いた。
白騎士隊長の思惑は分かる。けれど、ここで出て行かなければ事態が硬直するだけだ。応じるべく足を進め掛けたところで、だが若い騎士が彼を制した。熱を帯びた眼差しでカミューを縫い止めた若者は、決然として座席群へと向き直り、ローブを脱ぎ捨てて声を張った。
「勿論、剣は持っています。司祭に扮して警護に就くのが、おれに与えられたつとめでしたから」
白騎士は唖然として瞬いた。確かに、指した先には司祭が二人いたが、目的にのみ意識を注いでいたため、今ひとりの正体にはまるで頓着していなかったのだ。
とは言え、このまま引き下がる訳にもいかない。騎士は若者を怒鳴り付けた。
「貴様なんぞに用はない! そちらの者を前に出せ!」
阿ねるような訴えが副長らにも向いた。
「皆様方も良く御存知の男ですぞ!」
分かってる、と赤騎士団副長が憤りを殺しながら胸中で応じる。年若い部下は良く反応したが、とても独りで覆い隠せる状況ではない。援護の手段を講じて、彼は神経を尖らせていた。
白騎士は焦った。相手の食いつきが予想より鈍い。勿体つけている場合ではないと判断した後、一息に言い放った。
「あの傭兵……カミューは、ゴルドー様に雇われた刺客なのです!」
居並ぶ警護騎士らが一斉にざわめく。マイクロトフも、期せず洩れ出でた名に息を詰めた。反射的に若者の背後を見遣って目を瞠る。
間に立つ若者の体躯に邪魔され、見えるのは黒衣のみ。それでも、こうして見詰めた今、直感が認めた。
どうして気付かなかったのだろう───こんなにも近くに居たというのに。
だから剣と紋章が騒いだのだ。主人が半身とさだめた存在に危険が迫っていたから。「彼」を失うことで、主人たるマイクロトフが被る痛手を知っていたから、だから摂理の檻を越えてまで呼び掛けてきたのだ。
「カミュー、なのか……?」
確信しながらも零れる、掠れた問い掛け。たった一歩ではあるが、無意識に足が進んだ。
どうしたものかと祭壇下を窺った若い騎士は、自団副長が頷いたのを見とどめて力を抜いた。後は上官が何とかしてくれると察して、皇子とカミューの間から脇にずれる。
「カミュー……」
再度の呼び声。だが、カミューは動けなかった。暗殺者として衆目に身を晒す覚悟を一度はしたのに、今更のように足を竦ませる自らが滑稽でならない。
若い騎士が、隣まで後退ってきて小声で囁いた。
「ほら、呼んでますよ」
「わたしは……」
「大丈夫、悪いようにはなりませんから」
自信たっぷりの宣言にも躊躇は消えない。焦れた若者は、ひょいと手を伸ばして、後ろからカミューのフードを引っ張った。
零れ出たのは、布と同じ闇色の髪。血の気の失せた顔に垂れた黒髪は、それを暴いた若者や仲間の騎士たち、そして対峙するマイクロトフをも困惑させた。
しかしそれも長くは続かない。胸に込み上げる喜びのまま、マイクロトフはゆっくりと口の端を上げた。
「……カミュー」
三度目の呼び掛けには、以前と変わらぬ響きがあった。深く豊かな至誠の想いが。
声音に潜む情愛を聞き止めたカミューが、ゆるゆると顔を上げた刹那、白騎士が勝ち誇ったように言を連ねた。
「そやつは護衛を装い、殿下の御傍でずっと機を窺っていたのです」
ふと、赤騎士団副長が口を開いた。
「成程、彼が我々の敵であると知らしめる……それがおまえの切り札という訳か」
落ち着き払った言いように、白騎士隊長は眉を顰める。驚愕する筈だった相手が浮かべる柔らかな笑み。得も言われぬ不安が男の胸に忍び寄った。
「……信じたのかね?」
「えっ?」
「彼がゴルドーに加担していると……、殿下に仇為す刺客だと、本気で信じていたのかね?」
赤騎士団副長も、白騎士隊長のこうした出方までは予期していなかった。だが、ここでの対応がカミューの将来を左右すると悟るや否や、すかさず戦法を探り当てたのである。
嘘偽りを口にするのは信条に反する。けれど、護るための嘘は、時に真実よりも重く尊い価値を持つ。赤騎士団副長は高らかに言い放った。
「彼は一度たりとてゴルドーの側に付いてなどいない。心からの信頼に足る、我らの仲間だ」
青騎士団副長も、同位階者の意図を理解した。足元に蹲る白騎士を見下ろしながら厳しく続ける。
「然様、カミュー殿こそ我らの切り札。護衛という枠を越えて、困難なつとめを果たしてくれた功労者だ」
「そ、それはどういう───」
再び赤の副長が言った。
「分からぬか? 謀反人が非を認めず、どれほど言い逃れようと試みても、カミュー殿に与えられた殿下暗殺の指示だけは消えぬ。彼は、おまえたちが殿下を亡き者にしようとしていた事実の、絶対なる証人となるべく立ち回ってくれていたのだよ」
知らず白騎士は喘いだ。
カミューはゴルドーに協力すべく、アレク・ワイズメルによって遣わされた暗殺の請負人だった筈。なのに、これは一体どういうことなのか。混乱気味に呟く。
「寝返った、……のか? 契約を反故にして、殿下の許に走ったと……?」
ここで青騎士隊長が含み笑った。上官たちの狙いを理解した今、追い討ちを掛けるのが部下のつとめだ。
「もう少し大局的に考えたらどうだ? さっきの刺客連中を呼んで、改めて証言させるか。あの連中が首府都内で殿下を襲った顛末を、まるで知らない筈はないだろう。思い出せ、あのとき誰に阻まれた?」
「……カミュー殿です!」
控えの間へと続く扉前からフリード・Yが勢い込んで叫んだ。
「わたくしは襲撃の場に居合わせました、だから証言できます。あれはカミュー殿が殿下の護衛としてロックアックスにいらした日でした。礼拝堂前で、殿下の御命を狙った刺客を退けてくださったのです!」
にんまりと青騎士隊長が頷く。
「そう……、ロックアックス入りした日から早々と護衛契約の履行に着手していたという訳だ。報酬次第で敵に寝返る傭兵もいるとは聞くが、彼はそういう類の人間ではない。最初から今に至るまで、一貫した信念のもとに動いている。下らぬ邪推で貶めるなら容赦しないぞ、……阿呆が」
つまり、と白騎士は愕然とした。
刺客の顔が偽りで、最初から皇子側の間者だったということか。それがカミューの立ち位置だったのか。ずっと感じていた疑念や嫌悪感は、やはり正しかったのか───
「……そんな」
白騎士は呆然と呻いた。
目論見は完膚なきまでに瓦解した。皇子の慈悲を誘うどころか、自らの罪を認めただけで終わってしまった。
もはや何ひとつ打つ手はない。己の鼓動が、絞首台に昇る足音の如く聞こえる。男は両の耳を塞いで、そのまま床に突っ伏した。
この頃になると、警護の騎士らも完全に平静を取り戻していた。すべて上官たちが講じた策だったのだと理解した一同には、白騎士が述べたカミューの身上に一瞬でも動揺した己を恥じる様子さえ見受けられた。
赤騎士団副長が静かに言った。
「……分かったようだな。おまえが揉み消そうとした東七区の事件を我らの耳に届け、攻めの手札を増やしてくれたのもカミュー殿だ」
青の副長も壇上を見遣って言い添える。
「カミュー殿、君への攻撃は計算に入れていなかった。警戒を怠った我らを許して欲しい。本当に、無事で良かった」
呼び掛けられて、カミューは震えた。
ゴルドーに加担していた訳ではないにせよ、皇子の命を狙ってマチルダに来たのは事実なのに、それを知りながら、彼らは口裏を合わせて庇い通そうとしてくれている。
───何故、そこまで。
巡らせた琥珀の瞳が、熱い視線に絡め取られた。マイクロトフは抜いたままだったダンスニーを鞘に戻してから、朗々と語り始めた。
「おれは彼と出会って、そう在りたかった自分を見つけた。たった一人の人間が、進むべき道を拓いてくれることもあるのだと知った。出会いの日から今日まで、そしてこれからも……、おれはカミューを心から愛し、信頼している」
多くの目が、皇子の背後、壁に掛かった絵図を見上げる。民の先頭に立つ英雄と並び描かれる今ひとりの人物。
その瞬間、人々は理解した。
カミューと呼ばれた青年は、皇子にとっての半身なのだと。マティスの傍らにアルダが居たように、高め合い、満たし合える相手を皇子は見つけた。漆黒の司祭装束を纏う彼こそが、皇子を支える絶対の存在なのだ、と。
マイクロトフはゆっくりとカミューに右手を伸ばした。
「……離れてからの時間が堪らなく長かった。また会えて嬉しい、カミュー」
カミューは目を伏せて唇を噛んだ。
あの夜、石城の一室で、同じように差し伸べられた皇子の手。父王の潔白を訴える男に背を向けて、報復の闇へと溶け入った。繋ぎ止めようとする掌、見詰める瞳の必死の色に、決して応えられぬ身だから逃げたのだ。
仇の血を継ぐ最後の標的と見ていたから。いっときの情に屈することは、故郷の人々への裏切りに他ならなかったから。
真の敵を見誤っていた、だからと言って過去は消えない。差し出された誠意を一度は冷たく振り払いながら、間違いを悟ったというだけで無かったことに出来るとは思えない。
またしても固まってしまった青年に、若い騎士が小声の早口で囁いた。
「……ここは殿下の手を取るところですよ。ああまで言って無視されたら、フラれたみたいで、立場がないでしょう?」
カミューは瞬き、次いで苦笑した。
若者の指摘はもっともだ。事実を覆ってまで護ろうとしてくれた人たちに、今はかたちだけでも応えるべきだろう。
視線を戻せば、相変わらず笑んでいる男が映った。さあ、と促すように掌が揺れる。
カミューは重い足を一歩、また一歩と進めた。黒衣の中でゆるりと動いた腕が前袷を割り、突き付けられた掌へと引き寄せられる。
マイクロトフは目を細めて、辛抱強くその様を見守っていた。
緩慢な動作からカミューの葛藤は窺える。五年もの歳月を苦しみながら過ごしたのだ。唐突に絶ち切れた妄執の鎖は、けれど今なおカミューの四肢に絡み付いている。
それでも彼は動き出した。差し出した手を取るために、過去という檻から足を踏み出してくれたのだ。
そこにどんな思いがあっても構わない。重なる掌に流れる真実を、もう二度と手離すつもりはなかった。
躊躇が勝ったのか、あと僅かというところで止まった手。掴み取るべくマイクロトフが身を乗り出した、まさにそのとき、暗い響きが礼堂を走った。
当初くぐもった息遣いに聞こえたそれは、程なく含み笑いへと一変し、最後に嘲笑となって壇上の二人の動きを止めた。軽くカミューに頷き掛けてから手を引いて、マイクロトフは全身で笑い声へと向き直った。
祭壇前通路に立つゴルドーが、五体を揺すり上げて笑っている。醜く歪んだ顔は狂人にも似て、注視する一同の怖じ気を誘うほどだった。
ゴルドーは、笑いの発作で滲んだ涙で視界を霞ませていた。彼自身、何が可笑しいのか、判然としなかった。
自らの周囲に積み上げてきたものが、残らず虚構だったような感覚。ひとたび眠りについて、目覚めればまったく別の人生を送っている自分に出会えるかのような、そんな愚かな妄想までもが胸を過る。
カミューという青年が本当はどういった立場に在ったのか、騎士たちによって説かれた今なお釈然としない。ワイズメルがゴルドーに味方する刺客を手配していたのは確かなのだ。騎士らが言うようにカミューが皇子側の工作員としてロックアックス入りしたなら、何処かで擦り替わりが謀られたことになる。どう考えても不自然だった。
しかしゴルドーは、途中で推察を放棄した。
追求したところで、今更何になるだろう。暗殺は果たされなかった。
真の契約、あるいは寝返りであったにせよ、カミューはマイクロトフを選んだ。かつて多くの者がそうしたように───ゴルドーを先代皇王に劣る存在と断じたように、カミューもまた、自分ではなくマイクロトフに価値を見出したのだ。
壇上に立つ二人の間に流れる親密に苛まれ、選ばれざる身の失意を自嘲に変えて吐き尽くした後、ゴルドーは床に這いつくばる第三白騎士隊長をも一瞥した。
マイクロトフがグリンヒル内大臣に見せた同情に、自らもあやかろうと試みた男。あれほど手厚く遇してやったというのに、最後は保身を選んで裏切った。
最前列に居並ぶ白騎士団の位階者たち。
中には陰謀に与した者もいるが、いつ名が出るかと怯えながら俯くばかりだ。追い詰められた首謀者に殉ずる覚悟など、蒼白の顔には見当たらない。これがマイクロトフの部下なら───如何に手を尽くしても逃れられぬ窮地にマイクロトフが陥ったならば、共に沈む道を望んだだろうに。
結局、一人だったのだ。
皇王と皇子、自らの前に立ち塞がる頑強なる血筋の壁を、たった一人で打ち続けていたに過ぎなかった。周囲に置いた駒は残らず消えた。唯一、己が身に宿した紋章の力を除いては。
裏切者の第三白騎士隊長も時間稼ぎの役には立った。口中で唱え続けた文言は、あと一節を残すのみだ。ゴルドーの体躯には、詠唱によって呼び寄せられた魔力が渦巻いていた。
「……良かろう、わしの負けだ」
人々が固唾を呑む中、ゴルドーはマイクロトフを見上げて淡々と言った。
「だが、おまえも勝たせぬ。動乱の幕開けを、その目で見届けるが良い」
マイクロトフが無意識にダンスニーの柄を握るのと、ゴルドーが国賓席の一帯に向けて手を掲げたのは殆ど同時。間を置かず、底なしの怨念が叫んだ。
「奈落の震撼に沈み果てよ!」
塞き止められていた力が解放される。「土の紋章」最大の攻撃魔法、「震える大地」の咆哮が座席群へと飛び立った。

 

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I/31のご先祖様回は、
どうしようか迷ったけど
121との繋がりで入れたかったエピでした。

そして122話。あんまり久々すぎて、
自分でもウロ覚えなのですが、
「幻水キャラの連携プレイは欠かせない!」
との一心で書いた回だったような気がします。
あと、青。手直し中、
「ちょっ、なに公衆の面前で告ってるんだよー!!」

と、突っ込まずにはいられなかった……。
でも、そのままアプ(笑)

 

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