INTERVAL /31


独立の指導者マティスは、今、ゆっくりと波乱の生涯を終えようとしていた。
曾祖父が生きていた頃から、既にこの地はハイランド王国の支配下にあった。膨大な資源を吐き出す山の名を冠して「洛帝州」と呼ばれた一帯。どういった過程から属州と化したのか、そこに暮らす者たちにも、今となってはさだかではない。山林に囲まれた広大な一領が、国家としての意識を芽生えさせる以前に強大な軍事力に呑み込まれてしまった───それが、最も近い事情だったかもしれない。いずれにせよ、土着の民にとってハイランド王国は侵略者であり、資源と労働力を搾取する敵であった。
これに対して王国は、古くから人々の\め役のような立場を担っていた一族に「領主」の名を与えた。土着の民を尊重しているふうを装い、尚且つ、問題が起きれば「領主」を通じて罰を与える。つまりマティスの家は、属州に生きる民の怒りが直接ハイランド本国に向かわぬように設えられた、犠牲の盾だった訳だ。
祖父も父も、そんな役回りに耐えて過ごした。
抗うすべを持たぬ属州の、かたちばかりの領主。本国に対して殆ど発言力もなく、ただ圧政に喘ぐ仲間を宥めるだけの無力な代表。
民を生き長らえさせるために、ひたすら涙を呑んで道化を演じた祖父や父とは異なり、現当主マティスの胸に独立への志が兆したのは、価値観を共有する友が間近に在ったからかもしれない。
彼と、その友を中心として蜂起した民は、それからの歳月を実によく戦った。領内の主要箇所を尽く押さえ、終に王国軍の唯一の侵入口となっている北方の渓谷における決戦に臨んだ。
この険しい渓谷に掛かる橋を落とせば──少なくとも当面は──ハイランドは新たな戦力を送り込む手立てを失う。実質的に支配からの解放となるのだ。
人々は、老いも若きも奮迅の勢いで、橋を渡って攻め入る王国兵と戦った。そして───

 

 

闇に沈んでいた意識が浮かび上がったとき、マティスを迎えたのは、遠くに響く喧騒と、案じる友の眼差しだった。
起き上がろうとして、次いで脇腹を襲った痛みに呻く。優しく敷布に戻されながら、ぼんやりと思い出した。若い味方に迫った刃を退けようとした一瞬を衝かれて、敵兵の矢に射抜かれたことを。どうやら意識を失ったまま、仲間の手で後方の天幕へと運ばれたらしい。
あと一歩なのだ。もう少しで、攻撃魔法札を持った者で形成した小隊を有効射程圏内まで進められる。機会は一度きり、手持ちの札すべてを使って橋を破壊する策だった。これが失敗に終われば、振り出しに戻ってしまう。解放が遠のく。こんな大事なときに戦線を離脱した我が身を苦々しく思いながら、マティスは友を見上げた。
「……付いていてくれたのか」
はい、と答えて友は笑む。
「戦況は?」
「御安心を、一気に攻勢に傾きました。指揮は、上の若様が執っておいでです」
マティスは弱く息を吐いた。
成程、これが「怪我の功名」というものか。「指導者の負傷」が疲れた味方に怒りの火を点けたらしい。この勢いで策が成るなら、引き攣れる痛みも報われる。
マティスの長子は、若いながらに抜群の勘を持っており、少し前から部隊の一つを任されるようになっていた。それも幸いしたようだ。父の離脱を知り、自ら指揮を買って出たのだろう。
否応なく戦いに巻き込んだ息子たちを哀れに思った日もあったけれど、頼もしく成長したものだ───束の間、父親として、そんな感慨に浸らずにはいられなかった。
友が静かに囁いた。
「この乱戦で配置が崩れているため、回復の術者を探すのに手間取っているようです。もう少しだけ御辛抱ください」
だがマティスは緩やかに首を振る。
「貴重な回復魔法だ、もっと他の……助かる見込みのある若い連中のために温存しておけ」
目を瞠った友に向けて苦笑を浮かべる。
「……どうやら毒矢だったらしい。もう手足から感覚が失せ始めている。残念だが、わたしはここまでだ」
「何を仰るのです、まだ───」
「気休めは要らない。駄目だと思ったから、おまえもこうして付いていてくれたのだろう?」
友は無言で俯いた。彼はマティスに対して一度たりとも嘘偽りを口にしたことがない。返答に窮したときには、黙って目を伏せるのが常だった。
「……もう良い。行ってくれ、アルダ。せがれたちを頼む」
すると短い間を置いて友は答えた。
「若様方は息子たちが御護りします。ですからわたくしは、このまま御傍に」
マティスの息子は、アルダの子と固い友愛を育んでいる。父親同士の関係をそのまま写し取ったような温かな交わりを過らせるなり、マティスの四肢から力が抜けた。
戦いに明け暮れた日々の最後に小さな意地を張って何になるだろう。歴史は若者へと託されようとしているのだ。独立の指導者として負ってきた重責が失われる瞬間を、慕わしき友に見届けて貰うくらいは許されても良かろうと、そんなふうに思った。
敷布の脇を探ると、痺れた指先に愛剣の柄が当たった。射られた衝撃にも離さなかったダンスニーは、今は鎮めの鞘に納められている。誰もが恐れる魔性の剣に躊躇なく触れられるのは友だけだ。マティスは低く言った。
「剣は、せがれに渡してやってくれ」
「しかし、これは……」
「上の子は使える、……必ず」
この一戦に勝利しても、まだ各地に駐屯するハイランド兵は残っている。戦いは当分続くだろう。
持ち手の死によって、再びダンスニーの魔性が台頭するかもしれない。けれど、試練を乗り越え、使いこなせたなら、それは絶大な力となる。
長子とは話したことがあるのだ。如何にして魔剣が生み出されたか、如何にしてその呪縛から逃れたかを。
死にゆく敵にも愛する家族がいるだろうに、独立を志した以上は殺傷を続けねばならない。そんな目の前の痛みから逃れたい一心で、マティスは摂理に反した力を求めた。
剣に宿された「怒り」の奔流は抑え難いほど強く、味方すら判別出来ない狂気に取り込まれ、翻弄された。
けれど彼が───アルダが居たから、支配の檻から抜け出せた。命に替えても支えようとしてくれた友。彼の信頼に応えたいと願った結果、自らに眠る真の力が呼び覚まされたのだ、と。
マティスの見解を聞いた長子は、「息子の声すら聞き入れてくれなかったのに」と苦笑した。「付き合いの長さが違う」と答えると、「母上には言わない方が良いですよ、焼き餅をやきそうだから」と破顔して、次いで「ぼくも友人を大切にします」と照れ臭げに付け加えていた。
長子は悟ったようだった。一人では背負い切れぬ魔性の力は、半身にも等しい存在によって分け持たれるのだと。想いの強さが呪縛を解ち破る鍵になるのだ、と。
家に伝わる僅かばかりの財は、王国兵の目を掻い潜って調達した武具の代金として使い果たしてしまった。仮にも「領主」と呼ばれた身で、子に残せるのはたった一本の魔剣のみ。
だが、悔いはない。息子たちは「自由」の価値を正しく理解している。金品に替え難い、尊いものであると。
ダンスニーは、自由を勝ち取るために戦ったマティスの生涯の証だ。形見として、これ以上のものはない。やや物騒な品ではあったけれども。
マティスは、末子と共に遠い村で待つ妻に心中で詫びた。
戻れなかった。
けれど嘆くな、戦場に留まる息子たちに、我が信念は立派に受け継がれたのだから。
どうか元気で───わたしの分まで、いずれ訪れる平和な世を生きて欲しい。

 

「……感謝している、アルダ」
マティスは表情を和らげながら呟いた。
ハイランドは力押しだけでは勝てぬ強敵だった。圧倒的な戦力差を覆したのは友の知謀だ。マティスには人を惹き付け、\め上げる力があったけれど、アルダの才覚なくして今日という日はなかっただろう。
「おまえが居たから、ここまで来られた」
戦慄きながら伸ばした手を、冷えた掌が包み込む。
「お仕え出来て、幸せでした」
「次の世でも会いたいものだ」
「わたくしもそう願っております」
友は即答した。穏やかな声が微かに震えていた。
あらん限りの力で友の手を握り返しながらマティスは思う。
───独立に懸ける想いを誰よりも早く、誰よりも強く支持してくれた友。もしかしたら妻子以上に、近しく魂の傍らに寄り添っていたアルダ。
彼に恥じぬ身であろうと努めた。彼から与えられる信頼こそが自らを支える力だった。
死を前にして、改めて友の存在の価値を痛感する。共に過ごした歳月が脳裏を駆け巡り、彼に看取って貰える安堵感に涙が滲んだ。
涙のためか、あるいは視力を犯し始めた毒によってか、友の顔が良く見えない。せめて頬にでも触れたかったが、友の掌に包まれた手は、もやはぴくりとも動かなかった。
苦しい息の中から切々と告げる。
「……待っている。独立を見届けて、それからゆっくり来い」
友がひっそり笑った気配がした。
マティスの位置からは、友の肩口で折れた矢が見えなかった。殆ど機能を失った瞳には、彼の足元に出来た血溜まりや、青白い顔に浮かんだ死の影が見えなかった。
自らを射抜いた毒矢が、友をも蝕んでいると知らぬまま、マティスは静かに目を閉じた。

 

戦いを知らぬ幼子よ、未だ見ぬ孫、そして我が血に連なる未来の子らよ。
友でも良い、恋人でも良い。たった一人で良いから、真なる理解者を持て。生死を共にしても悔いぬほどの相手を得るが良い。
己にとっての「唯一」を見付けたら、愛し、敬い、誠を捧げよ。同じ想いを相手が返してくれたなら、そこには満ち足りた人生が拓けることだろう。

 

彼方に爆音が轟いた。味方攻撃魔法の一斉発動であった。一瞬の後、狂喜の歓声が天幕内に届いた。
間に合った───この上ない、手向けの華だ。
マティスは満足して最後の息を吐いた。
勝利を知らずに逝った友に少し遅れて、やがて皇王家の祖と称される男は、安らかな光に包まれた。

 

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