───見事だ。
青騎士隊長は心の中で、赤の同位階者に喝采を贈った。
ここしかない、という頃合での司祭登場。先程の扉を打つ音は、機を見計らっての外への合図だったのだろう。
内訳はこうだ。
式典警備の全責を担う青騎士団とは違って、赤騎士団員の手は比較的空いている。彼らは副長の指示に従って、早朝から城の西にある皇王家の墓陵に向かい、埋め戻された先代皇王の墓を掘り起こした。
一度目とは違って土も柔らかくなっているから──心理的な問題を除けば──そう難儀な作業ではない。程なく石棺は陽光の下に姿を現した。
一方、礼拝堂では、司祭の一人が若い赤騎士団員と入れ替わっていた。交替要員となったのは下っ端、つまり「見習い」である。彼はゲオルグの指示によって食堂で待機していたが、その後、迎えの騎士に連れられて墓陵に赴いたのだ。
土穴の縁からでも内部が見えるように、今度は完全に柩の蓋が外された。これは、穴の中に下りて亡骸と間近で対峙するのは苦しかろうという、司祭に対する配慮である。
埋没していた恐るべき秘密を目の当たりにした司祭は、再び騎士に付き添われて礼拝堂に戻り、正面扉前で待たされていたという訳だった。
知った事実を抱え込んでいたくない、一刻も早く告げてしまいたい焦りが、司祭を極限まで煽り立てていた。扉が開くと同時に礼拝堂内に駆け込み、息も整わぬ様相で言上する───これほど効果的な登場ぶりが他にあるだろうか。
司祭の後に続いて通路を進む赤騎士団・第一隊長は無骨な武人だ。そんな男が「演出」という点に着目する気になったのには、エミリアの存在が大きかった。
公に知られる彼女の趣味は読書だが、もう一つ、エミリアは芝居見物にも頻繁に足を運ぶ。ここで、台詞回しや演出というものが、観る側の心にどう訴えるかを学んできたと言っても良い。
勿論、すべて計算していては動けません。専門家じゃないから、とても無理。でも、正攻法だけでは弱いときもありますわよね? そんなとき、演出が有効なの。
───例えばどのような?
些細なものなら、誰でも無意識にしているわ。大事なことを言う前に一呼吸置いたり、わざと核心を後回しにして焦らしたり。あれも一種の演出と言えるでしょう? 逆に、核心を最初に持ってきて相手を集中させる、っていう手もありますわね。
───ははあ、成程。
お芝居で言う「見せ場」って、要は、強く訴え掛けるための技術を集めた場面だと思います。観ていると勉強になりますわよ。そう、わたしの一番のお勧めは、こってりした恋愛もののお話で───
どうやらエミリアは配下の赤騎士団員と、そんな会話を交わしていたらしい。律儀な部下が、騎士隊長の耳に遣り取りを届けた。
他の人間の意見なら、然して心に止めなかったかもしれない。序盤を聞いただけで、「回りくどい手法など使わず、正攻法で押してこそ騎士」と退けかねなかった。
けれど相手が一目置くエミリアだったから心を動かされた。そうして彼は、初めて「演出」というものを意識してみたのである。
控えの間からの扉ではなく正面扉を使い、外で待たせていた司祭をここぞという瞬間に入れた。演出が最大の効果を生んだのは、堂内を見渡せば明らかだ。赤騎士隊長は、それが自らの「助言」によるものとは知らぬであろう国賓席の女傑に向けて、口中で密やかな感謝の辞を述べたのだった。
───さて。
司祭長マカイは、目前で繰り広げられる事態についていこうと、これまで懸命の努力を費やしてきた。
事は皇子の危機に留まらず、他国侵略・先代皇王暗殺へと発展し、冷静な見届人であろうとする彼を尽く裏切った。それでも何とか威儀を保ち続けてきたのは、司祭の筆頭であるという矜持ゆえだ。
もたらされた報は、だがそんな彼にも我を失わせるほどの衝撃だった。マカイは両手で頭を抱えて、無意識に何歩か進み出た。
「御遺体が……何ですって?」
殆ど独言のように呟くマカイの足元が揺れる。
「もう御ひとかた? 御遺体がふたつと……そう言ったのですか?」
中央通路の若い司祭は、だが力を使い果たしてしまったようで、這ったまま首を上下に振るのみだ。代わって答えたのは、へたり込む司祭の横で立ち止まった赤騎士隊長であった。前方の列席者が振り返って注視する中、丁寧に礼を取る。
「然様、柩の中には陛下の他にもう一人、遺体が安置されています」
「待ちたまえ」
宰相グランマイヤーが青ざめた顔で立ち上がった。
「まさか、陛下の墓所を……」
これにはマイクロトフが応じた。
「そうだ、父上の墓を掘り返して柩を開けた」
「な……、何という畏れ多い真似を!」
反射的に赤騎士隊長を怒鳴り付けたグランマイヤーを、再びマイクロトフが穏やかに制した。
「責めるならおれを責めろ。騎士たちに非はない。おれが望んで、そうさせた」
グランマイヤーは、言われて一気に怒りを萎ませ、祭壇を見上げて唇を噛む。
歪んだ宰相の顔を見詰めながら、マイクロトフは首を振った。
「死者の安息を乱す……罪深い行為なのは分かっている。だがな、グランマイヤー。そうせねばならなかったのだ。真実を得ることでしか、父上の無念を晴らせないのだから」
「そのためには墓所を掘り返す必要があったと……?」
そうだ、とマイクロトフは目を閉じた。
「後悔はしていない。父上も、おれを不孝な息子とは思わないでくださると信じている」
堂内を満たす動揺が、静かな悲しみへと化してゆく。聴衆の多くが目許を潤ませていた。誰が好んで肉親の墓を荒らせるだろう。敢えてそうすると決めた皇子の胸中を思って、人々は涙に濡れたのである。
やがて、気を取り直したふうにグランマイヤーが通路に視線を戻した。
「……すまない。そうだな、つとめに当たった君たちの心情も考えるべきだった」
いいえ、と短く首を振る赤騎士隊長だ。次いでグランマイヤーは若い司祭に問うた。
「柩に亡骸が二体おさめられていたというのは間違いないのだね」
「は、はい、グランマイヤー様。間違いございません、わたくし、この目で───」
光景を思い出したのか、潰れたような呻きと共に、司祭は慌てて口元を押さえた。嘔吐を堪え抜いたのは──今は見習いながらも──さすがは限られた数の司祭に選出された人物、と言えなくもない。もっとも、相変わらず四つ這いのままなので、情けなさの方が上回ってしまうかもしれないが。
不意に彼は表情を変えた。絶対に伝えねばならないことを思い出したような、いたく硬い顔つきであった。
「陛下でない、いま一方の御遺体は、先代の白騎士団長様です。直に御目に掛かったことはございませんが、遠目には何度か拝見しておりましたから、確かです。腕が……左腕の肘から先がなく、それにこの……」
膝立ちになって、私服の懐から小さな包みを取り出す。折り畳まれた手布を震える手で開いて、前方に突き出す。
「騎士の方が、御遺体に残った髪を……。やや褪せておりますが、この色味、かつては鮮やかな紅だったと見受けられます」
赤騎士隊長と共に正面扉を開けた今ひとりの騎士が足早に通路を歩いてきて、司祭が掲げる手布を譲り受けた。そのまま通路を進んでグランマイヤーにそれを差し出す。
騎士が祭壇前の副長たちに一礼しつつ壁際に向かうのを待ってから、手布に乗った遺髪を食い入るように凝視したグランマイヤーは、座る議員たちにも見えるようにゆっくりと手を下げた。
「……何ということだ」
押し殺した憤怒の呻き。
「何という……」
それ以上は言葉が続かない。議員たちも、宰相の掌の上で揺れ動く遺髪に瞑目する。
ここで、司祭の近くに座した人々が、詰め合って長椅子に一人分の余裕を作った。気付いた赤騎士隊長が、列席者らに礼を述べながら司祭を支え起こした。
「座らせていただくと良い」
「え、しかし……」
「せっかくの厚情だ、甘えたまえ。つらい役目をさせた、心から詫びる」
そんな、と首を振る司祭を椅子に座らせた後、騎士は前方の自団副長に会釈した。頷き返した副長が、威儀を正して堂内を一望する。
「王族ならびに国家要人の葬儀では、白騎士団が葬具の手配を行います。陛下が亡くなるおよそ一月前、陛下の遣いと名乗る騎士が葬具品店を訪ね、通常より深さのある柩を作るよう依頼しました。このとき応対したのは店主ではなく、職人を束ねる立場にあった人物です。多少は訝しんだものの、結局は言いくるめられて仕事を受けた。その後、多額の謝礼金を受け取って店を辞し、現在は白騎士団専属の備品商を営んでおります」
即座に生じるざわめきには弱く首を振る。
「……と言っても、この人物は直接的な加担者という訳ではなく、陛下亡き後、柩を発注した騎士に、自らの正体を口外せぬよう請われたに過ぎませぬ。葬具品を前もって準備すると不吉を呼ぶ、という俗説がありますな。陛下に命じられて発注に赴いたにせよ、自分が謗られてしまう───そう不安を零す騎士に同情して、口を閉ざしてきたのです。もっとも……、騎士は白騎士団との商いにおいて重要な繋ぎ役となっていたので、失脚されては困るという理由も大きかったでしょうが。この元職長、是非にと言われるのでしたら喚問も可能ですが、事実確認にしかなりませぬし、ここは省いて話を進めたいのですが……如何でしょうかな?」
議員席から了承の首肯が返った。
「御察しいただけましょう。手口は細工職人のときと、ほぼ同じ。陛下の遣いと称して職長に柩の製作を依頼し、その後の商いに便宜を図る窓口となっている人物もまた、白騎士団・第三隊長です」
人々が非難の息をつく間もなく、青騎士団副長が続きを引き取った。
「さて、御逝去から葬儀までの間、柩は城の中央棟にて安置され、白騎士団員が付き添いの任に就きます。殺害された先代白騎士団長をおさめた上から、陛下の御遺体を重ねる。後は、隙間を花や遺品で埋め尽くしてしまえば、一見した限り、陛下だけが横たわっておられると映る訳です」
突然、白騎士団・第一隊長が席を立った。
「白騎士団員が、自団長を殺して遺体を隠したと仰せですか。我らの忠義を侮辱なさるのか!」
「白騎士全員、とは言っていない。一部の不心得者の所業ゆえ、身に覚えがないなら堂々としていれば良いのだよ。誰が関わったかは、いずれ明らかにするつもりゆえ」
赤騎士団副長の穏やかな諭しに、第一隊長は眉を寄せながら黙り込み、やがて拝礼した。上位階者でありながら、彼はどうやら潔白であるように副長たちには見えた。
「……先程の話に戻りましょう。侍医長は先代白騎士団長を探したが、彼は命を絶たれて、ひとたび隠された後でした。宰相グランマイヤー様は、他の議員との会食に臨んでおいでだった。先ずは内々に相談したい侍医長にとっては議員一同の存在が気になるところです。故に彼は、陛下の義理の弟の許へ走った───仕組まれた筋書きだったのです」
「この日を決行の日とした最大の理由は、陛下が使われていた印章の破損にグランマイヤー様が気付かれたためと考えられます。グランマイヤー様は新しい印章を発注する旨、陛下に進言なさった。けれど、皇王印章製作職人は既に死亡している。家人の口から、不自然に打ち切られた捜査と、第三白騎士隊長の存在が浮かび上がりかねない。そうなって欲しくない陰謀の首謀者は、保管していた毒入りワインを陛下に渡して、寝酒にと勧める。こうして印章の発注どころではない事態となり、陰謀の発覚は回避されました」
最後にマイクロトフがゴルドーを見据えて低く言う。
「印章を作り直すと決めた場には、先代白騎士団長と……叔父上、あなたが居た」
「……憶測だ、すべて憶測に過ぎぬ」
苦しげな喘ぎを洩らすゴルドーを厳しく凝視しながら、青騎士団副長が懐から一枚の紙片を出した。
「ここに、城を去る際、先代が残したとされる書き付けがあります。陛下の死に殉じて職務を辞す、後任の白騎士団長には副長ゴルドーを任ず───斯様に記されています。しかし、先代は人知れず葬り去られていた。では、誰がこの書き付けを用意したというのです。誰が彼を、斯様な惨い目に遭わせたと? 「知らぬところで誰かがやった」とは言わせませぬぞ、柩の安置および付き添いの差配を執っていたのは、他ならぬあなた御自身なのですから……!」
「ゴルドー団長、あなたは五年、あるいはそれ以前から、グリンヒル公主アレク・ワイズメルと共謀してグラスランド攻略を目論んでいた。職人を騙して作らせた皇王印章を使って命令書を偽造し、グラスランドに尖兵となる騎士を送り込んだ。だが、拠点を作るという策が成っても、大々的な侵攻に出るには陛下の存在が障壁となる。故に、このとき既に毒物入りのワインが用意されていた。陛下の死をグラスランド民族による暗殺とし、報復の名の許に同地を侵略する。その間に先代団長をも排除して、マチルダの全権を手中に納める───そうした目算だった」
「けれど、奇しくもゲオルグ・プライム殿の妨害にあって目論見は破れ、一旦は計画を棚上げせざるを得なかった。その一年後、陛下と先代白騎士団長の暗殺を果たして、自ら騎士団の頂点に昇った。ただ、この時点ではグラスランド内に侵攻のための拠点がなく、報復戦を仕掛けても、こちらの被害が甚大になりかねない。そこで、毒の存在を伏せて、標的をマイクロトフ様に移した。王族が立て続けに不審死を遂げては疑う者が出る可能性がある。故に、暫くは表立った動きをせずに、機を窺うことにした───」
「殿下の御即位が近付くにつれ、あなたは焦り始めた。当然ですな、白騎士団長として実直ではなかった覚えがおありでしょうから。殿下は即位されると同時に白騎士団長の解任権を得られる。行使されれば万事休す、何としても御即位前に陰謀を完結させねばならない。陛下のときと同様に、殿下の死を口実にグラスランドに攻め入る心積もりだったあなたとワイズメル公は、こちらの拠点を作るよりも手近な策……即ち相手方の弱体化を謀った。この犠牲となったのがカラヤ族長です。同じ頃より、あなたは頻繁にマイクロトフ様の御命を狙い始めた」
マイクロトフが大剣の先を祭壇床に打ち付けた。
「だがおれは、運と、騎士たちとに護られて今日まで生き延びた。非道な企みによって命を奪われた父上や先代白騎士団長、細工職人とカラヤ族長───そしてグラスランドの村人たちに報いるため、すべてを明らかにし、罪びとを断罪せよと天がおれを生かしたのだ。叔父上……いいや、白騎士団長ゴルドー! これでもまだ言い逃れるか!」
鞭音の如き皇子の一喝が、反響しながら礼堂の壁に消えてゆく。
時が止まったようだった。誰もが身じろぎ一つ出来ずに固唾を呑む中、ゴルドーもまた微動だにせず、空を仰いでいる。
───何故だろう。
何がマイクロトフを変えたのか。何がこうも、一人の人間を激変させたのか。
少し前までのマイクロトフは、まったく恐れを感じさせぬ無力な若造だった。何を言っても口惜しげに顔を背ける。握った拳を振り上げようともしない。皇王という名の力を得る日を待つだけの惰弱な皇子、そうゴルドーの目には映っていた。
だが今のマイクロトフに、反発を抑え込もうと唇を震わせていた頃の面影はない。体躯から立ち昇っているのは絶大なる威風、眼差しの強さが示すものは確固たる決意。
侮るあまり、気付かなかった。何時の間にか脱皮を遂げていた皇子に。
いや、本当に気付いていなかっただろうか───ゴルドーは考える。
北方の村の視察から戻ったとき、確かに皇子はそれまでとは違って見えた。皇王家に伝わる魔剣に打ち勝ち、支配下におさめたと誇らかに宣言したマイクロトフ。臆す様子もなくゴルドーを見詰め、何を言うにも僅かな躊躇さえ窺わせなかった。周囲に居並ぶ騎士たちの存在も相俟って、それがゴルドーには耐え難い威圧に感じられたものだ。
刺客を退け、魔剣の真の主人となった自信がマイクロトフを変えたのか。それだけではない気がする。ゴルドーは更に記憶を遡った。
あれはカミューを従えたマイクロトフと対峙した最初の日。「容貌の麗しさに誑かされるな」と侮蔑を込めた揶揄を向けたとき、思い出す限り初めてマイクロトフは真っ向からゴルドーを非難した。「大切な友人を侮辱するのは許さない」、唾を飛ばしそうな勢いに、少なからず驚いた覚えがある。後にカミューが、ワイズメルを通じて潜り込んだ刺客と知り、どういう流れか、すっかり彼を信じ込んでいるらしいマイクロトフの滑稽ぶりを嗤ったものだ。
だが、もしかするとあれが転機だったのかもしれない。
懐に脅威を抱え込んだとも知らないまま、だがマイクロトフはカミューとの出会いによって己を変えた。意図せずカミューが、マイクロトフの中に眠っていた何かを揺り起こしてしまったのだ。
それまでのマイクロトフは騎士団の人間と距離を取っていた。暇さえあれば訓練に顔を出していたけれど、深く交わろうとはしなかった。
どの騎士が暗殺計画に加担しているか分からない。実際、訓練中に危険な目に遭っているのだから、警戒するのは当然だ。
騎士団員との間に壁を作り、傍に置くのは幼少時からの従者ひとり。これはゴルドーが作り出した最高の状況と言えた。周囲に人が居ない分、暗殺の手を伸ばし易いからだ。
呆れるほどの強運に阻まれて目的を果たせずにいるうち、カミューが登場した。
表向きは護衛を装う彼が、暗殺に対抗する姿勢を取るようにとマイクロトフを唆したのは分からなくもない。自らに対する信頼感を高めるための策だったのだろう。事実カミューは、密談した折に「敵対する動きを見せるかもしれないが」と断わりを入れていた。
───だが、とゴルドーは目を閉じる。
おそらくそれがマイクロトフを目覚めさせてしまったのだ。自ら作っていた壁を割って、騎士の輪の中に飛び込んだ。騎士たちは忠節をもってマイクロトフを迎え、瞬く間に強固な関係を結び上げた。
いったい何時から調べ始めたというのか。長く秘め続けてきた企みが、こんなにも脆く暴き立てられようとは予想だにしなかった。
着実に昇ってきた筈の野望の階段、その最後の一段を前にして、足元が崩れてゆく。白騎士団長の権威に逆らえる騎士は居ない。庇護を持たぬ若き皇子も、取るに足りぬ存在であると見做してきた。両者の結び付きが、これほどの力を生み出すとは、欠片も思っていなかった。
ゴルドーは目を開け、ちらと祭壇を見遣った。
目線の先には、マカイら三人の司祭と対を為すかたちで控える黒衣の二人連れが居る。壇下に並ぶ司祭を一瞥しながら、彼は自嘲の息をついた。
首尾良くカミューが司祭と入れ替わっていても、もはやどうにもならない。司祭の配置が変わっただけでも訝しむには充分だろうに、式典が裁判に転じてしまっては様子を見るしかない。
カミューが式典中の決行という困難な暗殺を受けたのは、保護を約束したからだ。継続的に仕事を与え続けるという「報酬」を約束したからである。
傭兵は勝敗の行方に敏感だ。負けの匂いを嗅ぎ取れば、契約など容易く投げ捨てる。負けが決まった雇い主のため、危険を押して剣を振るう傭兵はいない。それを求める方が愚かというものだ。
ふとゴルドーは、自ら浮かべた一節に瞬いた。
───負けたのか。
皇王の義弟という名がもたらす重圧と、正当に与えられぬ評価に苦しんだ末、野望に身を委ねた。王に代わってマチルダを支配すれば、己の力は証明され、幾度も舐めた屈辱感を消せる筈だった。
なのに負けたのか。
先王とマイクロトフ、親子二代に敗れてすべてを失うのか。
義姉が王に嫁いだ日から、眼前に立ちはだかってきた血統の壁。皇王家の祖・マティスの血は、時の流れに薄められる一方なのに、それでも子孫は恩恵を受け続ける。どうせ首の皮一枚で断絶を免れている皇王家だ。少しだけ終焉を早めてやって、グラスランド征服という華を添えつつ、新しきマチルダの覇者となる───それがゴルドーの描いた図であり、程なく実現する筈だったのに。
突然の、しかも衆目に見守られての詮議には意表を衝かれたが、当初は楽観していた。物証を残していない自信はあったし、五年あまりも隠してきた動向を、そう簡単に掴める訳がないと高を括っていたからだ。
よもやここまで正確に掘り起こされるとは。まるで悪夢を見ているようだ。
アレク・ワイズメルは良き共犯者だった。
グリンヒル公国は、古くから学術で栄えた反面、それ以外の産業が育たなかった。ゆえに税収は乏しく、温暖かつ肥沃な土地を有しながら、開拓する資金にも事欠いているのが実情だ。
立場上、何度かワイズメルと話す機会を得て、彼の抱える不満を知ったゴルドーは、自分とワイズメル双方に利となる策を持ち掛けた。
マチルダ王を殺し、それをグラスランド蛮民の仕業に仕立てる。報復と銘打ち攻め取ったグラスランドの利権を分ける───富める隣国の王を心中では妬んでいたのか、ワイズメルは迷わず王との友好を捨てて、野望の共有を選んだ。
目標を遂げた後、片棒を担いだ「盟友」をどう扱うかは未確定だったが、ともかくゴルドーにとってグリンヒル公主アレク・ワイズメルという人物は、得難い協力者だったのだ。
それが、こんなかたちで裏切られるとは。
互いの間で交わす密書は必ず焼き捨てるという取り決めを破り、あまつさえ敵側に渡してしまった。毒物の流れには殊に気を配れと念を押したにも拘らず、入手経路を手繰られる迂闊を犯した。
ワイズメルばかりではない。
細工職人も侍医長も、秘密を抱えたまま消えていく筈だった者たちが、知らぬところで真実を伝え残した。先代白騎士団長に至っては、墓から蘇って断罪の刃を付き付けてきたに等しい。
糾弾の鎖が繋がり、完全に囲い込まれた今、一つふたつ反論してみたところで逃れようがない。
終わったのだ。野望は敢え無く水泡に帰した───
いや、とゴルドーは暗い目を光らせながら自らの手を凝視した。
一人では終わらない。落ちるならば諸共、マイクロトフにも奈落の底を見せてやろう。
ゴルドーは目立たぬように止め具を外して、腰の剣帯から愛剣を解放した。刹那、隣に座る第三白騎士隊長が、鞘を握り直すゴルドーの手元に虚ろな目を向けた。
次々と罪状を暴かれ、途中からは反応も出来なくなるほど放心していた白騎士隊長。だが彼は、服従してきた日々の長さから、ゴルドーの些細な動きをも見逃さぬ癖がついていた。剣帯から外された剣が、自失によって忘れ掛けていた言葉を呼び戻したのである。
───それがおまえへの合図だ。
式前にゴルドーに下された指示を鮮やかに蘇らせた白騎士隊長は、陰鬱な眼差しを膝に落とした。無類の殺傷力を誇る新型弓が、弱々しく震えて見えるのは何故なのかと、詮無き自問を繰り返しながら。
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