青騎士団副長が、部下を数人、祭壇前に呼んだ。指示に応じた騎士たちは、泣き崩れているグリンヒルの元大臣を両脇から支えて立ち上がらせ、フリード・Yが待機する方とは反対側の扉へと向かい始めた。
扉近くに立つ司祭らも、今はすっかり一聴衆と化してしまっているらしい。整列を乱して、振り返るようにしながら大臣を見送るのだった。
啜り泣きが控え室に吸い込まれるなり、副長はエミリアを一瞥した。彼女も他の一同と同じく、去り行く男を目で追っていたが、促しに気付いて列席者に向き直った。
「……次期グリンヒル指導者の名代として参りましたのに、取り乱して見苦しいところをお見せしました。申し訳ありません。前公主の罪業を踏まえ、今後グリンヒルの腐食を一掃するよう、テレーズ様以下、真摯に励んで参ります。最後に今いちど先代皇王陛下とマチルダ皇国民の皆様にお詫びして、わたしからの証言は終わります」
一礼して、踵を返す。
すかさず沸く溜め息と囁きは緊張を緩めるための一種の儀式だ。議員席でも、小声での意見交換が行われていた。「証言途中はともかく、幕間くらいは」という判断であろう。
それもエミリアが席に戻るまでだった。さて、と青騎士団副長が声を張るなり、再び堂内は緊張に包まれた。
「既に方々、疑問に思っておいでですな? 毒物が使われていたのに、何ゆえ陛下が病死と発表されたのか───これについては、陛下在位時に侍医長をつとめていた人物の身内による証言で明かされましょう」
ここでフリード・Yが扉を開け放った。
のっそりと現れたのは、長身痩躯、見るからに学者然とした若い男だ。促されるまま何歩か進んだ直後、視界に飛び込んだ人波に竦んだのか、たちまち表情を強張らせた。
義父と同じく医術を生業とする身ながら、妙に気弱な青年。実のところ、彼の性情は副長たちの計算に入っていなかった。
証言者は全員、控えの間の続き部屋に集められており、それぞれに見張り──侍医長の娘婿には付き添いというかたちの──騎士が付いていた。だが、人相の悪い刺客連中、怯え果てた元大臣と一室で過ごした弊害は大きかったようだ。
しかも、証言を済ませた者は続き部屋には戻らなかった。礼拝堂内の別室に移されたからだ。つまり彼は、他の証言者らを見送り続けた挙げ句、最後にポツンと残された訳である。
ただでさえ上がり性なところへ、こうした状況が加わったのだから、泣き言を言い出すのも無理からぬところだろう。とは言っても、そんな事情を知らぬものだから、娘婿を迎えるように青騎士隊長が動いたとき、副長たちは怪訝に眉を寄せたのだった。
青年医師は騎士隊長に気付くなり、あからさまな安堵を浮かべて歩調を早めた。「宜しく」との挨拶なのか、深く頭を下げられた騎士はひっそりと溜め息を洩らした。
「共に苦境に臨んでくれた味方」として認識されているのは面白くないが、これもつとめだ。そう自らを叱咤して、医師を従えて祭壇前通路に向かい、副長たちに「代弁を請け負いました」と短く告げるのだった。
後方に立つ青年の様子を一瞥した赤騎士団副長は了解したふうに頷いたが、その一方で、騎士の直属上官である青の副長は心配そうな面持ちを残したままだった。
淡々と名乗りを挙げると、青騎士隊長はやや斜め後ろに立った人物を指した。
「前・侍医長の娘婿殿です。何ぶん内気な質だそうで……聴取した旨、わたしの方から御伝えします。要所要所で当人に確認する形式を取りますので、代理証言を御了承いただきたい」
そこで青年が聴衆に向けて頭を下げた。バネ仕掛けの人形めいた動きを見た一同は、これは代弁もやむなかろうといった顔で青騎士隊長へと注意を戻した。
「最初に、侍医という職務について簡単に説明しておきましょう。常勤・非常勤を問わず、何らかの契約をもって城に出仕する医師を「侍医」または「御典医」と呼びます。侍医長とは彼らの筆頭。言葉通り、城内で発生する医事の全責を負った役職と考えていただけば良い。ちなみに、騎士団に籍を置く所謂「軍医」は、侍医とは別扱いになっています。が……、有事の際、侍医全員が揃っても手が足りぬような危急の折には、軍籍の括りが取り払われる。例えば、先代陛下が床に臥された夜などはこれに当たりますな。事に際して、軍医も数名呼ばれた旨が記録に残されている」
人々の顔に理解が浮かぶのを確かめ、騎士は続けた。
「問題の夜……、侍医長は他の医師に先んじて診療を開始しました。僅かな寝酒の残りから、デュナンでは未知に等しい毒物を検出した彼は、常に研鑚を怠らぬ、探究心旺盛な人物だった」
義理の父の手腕を評価された青年は、嬉しそうに口元を綻ばせる。話を進めつつ、この男の緊張も解さねばならないのだから、なかなか楽なつとめではない───青騎士隊長は心中でぼやいた。
「酒がワイズメル公からの進物で、その夜はじめて、陛下自ら封を開けた品であると、このとき侍医長は陛下より直接聞いています。これによって毒物はグリンヒル内にて、ワイズメル公も承知の上で入れられたと推察され……つまり侍医長は、解毒の困難のみならず、暗殺の陰謀にも直面してしまった訳です。彼は先ず、先代白騎士団長の判断を仰ごうと考えた。ところが城内に姿が見えなかったため、別の人物に意見を求めた」
騎士は娘婿に目を向けた。
「さて、義父殿は誰を訪ねた?」
若い医師は相変わらず緊張していたが、これなら答えられるとばかりに慌てて口を開いた。
「副長様……、白騎士団の副長様です。何と申しましても、皇王様の義弟君でいらっしゃいますから」
途端に息を呑む音が堂内を埋める。青騎士隊長はゴルドーを窺い見たが、特に狼狽えるでもなく、無表情に宙を睨んだままだった。
騎士は再び娘婿を見た。
「事が事ゆえ、対処を決めるには時が要る。その間、他の医師には陛下が毒物を口にされたと知らせぬよう、侍医長は勧められた───間違いないかね?」
はい、と青年医師は項垂れた。頷きながら言葉を接ぐ騎士隊長だ。
「デュナンに流布する薬品では、残念ながら陛下の本復は望めない。だとすれば慎重に先を考えねばならない───この進言を極めて妥当なものと受け止めた侍医長は、何の疑念も持たずに従いました」
成程とばかりにグランマイヤーが首を捻った。
「あのとき、侍医たちは総出で食材を調べていたな。毒物が出れば、治療の方向が見つかると考えたのだろうと思っていたが……謂わば甲斐なき努力だったのか」
「そうなりますな。出ない毒を懸命に探した医師は気の毒だが、効かぬ薬で最後まで陛下を救おうと試みた侍医長も、まことにもって献身的だったと言えるでしょう」
背後の祭壇に立つ皇子の心中を思って、ひとたび青騎士隊長は言葉を切った。
「侍医団の尽力虚しく、崩御のときを迎えた折、宰相殿らに先駆けて寝所に入ったのは陛下の義弟……白騎士団副長です。医師の中でただひとり付き添っていた侍医長は、ここで国の未来を左右する選択を迫られました。秘匿か、あるいは開戦か」
「開戦……」
呟いたのはグスタフ王だ。すぐに了解した顔で続けた。
「グリンヒルに対する報復戦だな。皇王が毒殺されたとなれば、侵略戦争には当たらない。宣戦布告の充分な理由になる」
「仰る通りです。死因の公表は戦に直結しかねない。しかも、マイクロトフ殿下はニューリーフ学院に留学中、身柄を拘束される恐れがあった」
ここまでの間に多少は肝が座ってきたのか、青年医師が言い添えた。
「……でも、毒の件を明かさなければ、皇太子様も無事に帰国することが御出来になります。ワイズメル公主への圧力にもなって、皇太子様の今後の安全が保たれる、とも副長様は仰いました。だから義父は、毒物が使われた痕跡は認められなかったと発表したのです」
言えそうなときに言ってしまえと逸ったらしく、恐ろしく早口の発言だったが、青騎士隊長は満足げに笑んだ。そして、聴衆を一望するようにゆっくりと顔を巡らせた。
「お分かりいただけましたかな、侍医長にとって「公表」という道は最初から閉ざされていたも同然だった訳です。陛下の死は「原因不明の病によるもの」と結論付けられ、その後、彼は職務を辞して、娘夫婦の許で天寿をまっとうした。ただ……、父君を失った殿下に真実を伝えられなかったという点が侍医長の胸には燻っていた。だから、殿下が父君の末期について知りたいと望まれたときのため、仔細を記した殿下宛ての書状を残していたという次第です」
束の間の静寂をぬってグランマイヤーが青年に呼び掛けた。
「書状を見せて貰って良いかね?」
請われるなり、彼は青白かった顔に血を昇らせた。
「そ、それが……見付けたのは妻なのですが、重大な内容だったものですから、その、つまり……」
要領を得ない返答。議員席に当惑が揺れる。よろめきそうな青年を見かねて、騎士隊長が短く口を挟んだ。
「焼却され、現物はありません」
「何と」
すかさず目を光らせたのはゴルドーだ。
「燃やした? 斯くも重要な品が残っておらぬとは……妙な話よな」
まずい、と青騎士団副長が部下の後ろ背を窺い見る。
純朴な騎士揃いの青騎士団にして、この第一隊長は珍しく策士然とした人物だ。彼の持つ独特の価値観に助けられた時も多々あれど、直属上官として頭を抱えたことも一度や二度ではない。
常に冷静な男だが、本質的には攻撃的な性情らしく、それが言葉の端々に現れる。だから、騎士隊長が代理証言に臨むと聞いたときには、毒舌が炸裂せぬようにと祈らずにはいられなかった副長なのだ。
証言が始まって程なく、懸念は晴れた。普段ならば頻繁に挟み込まれる主観──かなりの割合で、辛辣な皮肉に彩られる──を控えて、淡々と情報を披露する青騎士隊長。しかも、亡き侍医長や娘婿に対する気遣いまで織り交ぜているのだから、これは破格の出来である。肩透かしを食った反面、副長は、安堵に胸を撫で下ろしていたのだった。
けれど、敵が反撃してくれば話は別だ。
「倍返し」を信条とする騎士隊長が、いつもの調子に戻れば、厄介なことになる。青騎士団副長は大急ぎで割って入った。
「記された内容の重大に怯み、衝動的に廃棄してしまったのです。娘御の動揺は、推し量れぬものではありませぬ」
「そういうことを言っているのではない。わしが陛下の死因を秘匿するよう侍医長に勧めたと決め付ける根拠が、在りもせぬ書状とは……これ以上、真面に相手をする気にもなれぬわ」
ゴルドーは低く笑い出した。初めは抑え気味だったそれも、すぐに嘲りの気配を隠さなくなった。暫し身体を揺すった後、ゴルドーは青年医師に視線を戻した。
「一応、反論しておくとするか。あの夜、わしは行方知れずの団長を探して、椅子を温める暇もなかった。侍医長は訪ねて来なかったし、まして病人を前に話し込んだ覚えもない。妙な遣り取りを作り上げられてはかなわぬ」
「つ……、作り話ではありません! ぼく、いえ、わたしは、義父が書き遺したままを───」
懸命に訴える青年医師を首の一振りで制した次に、ゴルドーは突如として、妙に同情的な顔つきで青年を見詰めた。
「……その書状、本当にあったのか?」
「えっ?」
「わしと侍医長の間に密談が交わされたように言えと命じられたのだな。ああ……、分かるぞ。皇子の望みとあっては拒めまい」
「ち……違います!」
侍医長の娘婿は激しく動揺した。青騎士団副長も顔色を変えて一歩進み出る。
「マイクロトフ様が偽りの証言を強要したと仰るか? 非礼にも程がありましょうぞ!」
「下らぬ小細工で、わしを陥れようとしている貴様らに礼節を語る資格なぞないわ。この男に聞いているのだ、黙っておれ!」
もはや敵意を隠そうともせず、視線も向けずに一蹴するゴルドーだ。青年を睨みつけたまま更に続ける。
「考えてもみよ。そのほうの発言は、義理の父に、死因の秘匿という侍医に有るまじき罪を負わせているのだぞ。死者の名なら辱めても良いのか? 胸は痛まぬのか」
そんな、と青年は絶句した。畳み掛ける詰問にすっかり萎縮してしまい、力なく首を振った次には、両手で顔を覆おうとした。
そのときである。不意に肩に降りた温みにはっとした彼は、並び立つ青騎士隊長の口元に浮かぶ微かな笑みを見た。医師の肩に乗せた手に力を込めた騎士が、ゴルドーを凝視しながら低音で問うた。
「問題とされているのは、書状が実在しないことですか?」
虚を衝かれたゴルドーが瞬く間に、間髪入れず続ける。
「でしたら、我らの誠意を汲んでいただきたいところです。書状が焼失している───これは我々にとって不利な事態だ。先程ワイズメル公宛ての密書が提出されたとき、あなたは「幾らでも捏造できる」と言われましたな。然様、失われた書状なら、捏造することも出来たのです。けれど我らはそうしなかった。すべては「不正を許さず」という殿下の信条に従っているからに他ならない」
それともう一つ、と騎士は隣の青年を見遣った。
「確かに侍医には自らの知り得た病状を正しく明かす義務があります。どんな理由があるにせよ、公表しなかった以上は非難を受けかねないと、彼も細君も認めていた。御言葉を借りるなら、「死者の名を辱める」ような証言をして、夫妻に何の得があると?」
即座にゴルドーは逆襲した。
「損得の如何に関わらず、マイクロトフが命じれば否はなかろう」
すると青騎士隊長は、大袈裟に両肩を竦めてみせた。
「何度も言わせないでいただきたい。殿下が手段を選ばぬ御方なら、事はもっと容易でした。あなたを陥れるなら、例えばわたしがこの場で、「何時いつにおける殿下暗殺未遂は、ゴルドー様に命じられて行った」と言えば事足りる。あなたの手跡を真似た命令書の一枚も作っておけば、更に説得力が増したでしょうな」
「なっ……」
「白騎士団長に相応しからぬ人物を、ただ地位から引き擦り下ろすだけなら幾らでも手はあった。けれど殿下は無類の潔癖ぶりを誇る御方だ。だからわたしも、殿下に倣って、地道に駆け回ってきたのです」
言葉を挟む隙を見付けられず、ゴルドーは呼吸困難に喘ぐ魚の如く、口を開閉するばかりだ。
片や壇上のマイクロトフも複雑な心境だった。
自らが望み、命じたとしても、騎士隊長が卑劣な策を弄す男だとは思えない。とは言え、場に合った意見として言葉にすることが出来ず、これも騎士隊長なりの戦法なのだろうと己を納得させて、平静を保ち続ける努力に勤しむしかなかった。
軽く咳払った青騎士隊長は、やや調子を変えて締め括った。
「……書状は存在しました。侍医長の遺志と、それに添おうとする遺族の誠心によって、あの夜の顛末が明かされた、……以上です」
話が元の鞘に落ち着いたことにほっとしながら、マイクロトフも言い添えた。
「侍医長は戦を避けるため、おれを無事に帰国させるために、悩みながら口を噤んだのだ。詳細を書いた文を努めて届けようとしなかったのも、おれの気持ちを慮ってくれたからだと思う」
「……ですな」
グランマイヤーが苦しげに呟く。
「病による死でもつらく悲しいものを、毒が盛られたとあっては……」
「マイクロトフ皇子は、当然、王の末期の様子を伝えられている。それ以上の説明を求めるなら、何らかの疑問を抱いているのではないかと想像もされよう。ならば、知っても動じぬ覚悟が備わっている筈、だから真実を教える───というのが、侍医長の意向だったように聞こえた」
淀みなく説いたサウスウィンドウの通相に、他の国賓や後列の議員も同感を示した。
本当にそうだ、とマイクロトフは思う。
カミューとの出会いが世界を開いた。騎士たちが自分に寄せてくれていた温かな情に気付けたし、同じ目標に向けて戦う悦びも知ることが出来た。
彼らがいなければ、父の死の真相には辿り着けなかっただろう。知ったところで、おそらく受け入れかねた。無力だった己を責め、そこから暗澹とした日々が始まった筈だ。
今、こうして静かに父王を悼む気持ちになれるのも、独りではないからだ。自らを支える仲間の力があるからだ。後はカミュー、最愛なる人が隣に並んでくれれば、満たされた、悔いなき人生を歩んでゆけるに違いない。
マイクロトフは青年医師に微笑み掛けた。
「……義父上には苦しい選択をさせてしまった。彼の想いに必ず応える。国と民、侍医長が護ろうとしたものを、力の限り護っていく覚悟でいる」
感謝の眼差しで壇上の皇子に深々と一礼すると、侍医長の娘婿は、ふと真顔になって青騎士隊長に囁き掛けた。
「あの……、一つだけ良いでしょうか」
「一つと言わず、存分に意見を述べたまえ」
はあ、と考え込みながら彼は語り始めた。
「個人的な考えを言わせていただくなら、戦は起きなかったし、皇太子様も無事に戻られ、こうして成人の日をお迎えになったのですから、毒の件を公表しなかった判断は決して間違いではなかったと思うのです。ただ……」
「ただ?」
「……意見というより、疑問なのですが」
そう前置いて、恐る恐るといった様相でゴルドーを見遣った。
「あのときの副長様が、今の白騎士団長様ですよね。義父と団長様だけで決めてしまわないで、宰相様や、他の議員の皆様の意見も聞いた方が良かったような気はするのですが……」
言葉を探す素振りを見せた後、彼は眦を決した。唇は震えていたけれど、声音は殊のほか明瞭だった。
「国と皇太子様を救おうとした遣り取りを明かすことが、どうして団長様を「陥れる小細工」になるのでしょうか?」
───それは、実に直截的な問い掛けだった。
騎士たちは一瞬ぽかんとしたが、疑問が示すところに思い至るなり、目を開かされたような心地になった。
侍医長の娘婿はずっと控えの間で待っていたから、これまでの経緯を知らない。ゴルドーとその一派を糾弾する場だという、ごく基本的な意識が欠けているのだ。
彼は、妻の父親が毒物の存在を隠すに至った事情を説明する、程度の認識でいた。その一点だけを摘まみ取るなら、ゴルドーの行動は順当だ。騎士団要人として、また皇王の義弟、マイクロトフの叔父として──青年が言うように、やや独断的だったという点を差し引いても──最善の助言を侍医長に与えたと言える。
ゴルドーは、そうと気付かぬまま失態を犯した。向けられる追求を意識し過ぎて、逆にボロを出した。
「下らぬ小細工で陥れようとしている」───激昂しながら青騎士団副長に向けた非難が、自らに返る攻撃と化した。皇王毒殺を秘匿した内情が明らかになる、それが「都合の悪いこと」に当たると宣言したも同然だったのである。
今までの経過があったから、総勢が聞き流した一節を、だが青年医師だけは流せなかった。彼の中でゴルドーという人物は、義父の同志──あるいは共犯者──だったのに、まるで敵対者の如く責め立てられたのだから、疑問が膨らむのも自然だ。そうして口にした言葉が鋭い糾弾になったことに、彼はまるで気付いていなかった。
静まり返った堂内をきょときょとと見回し、まずいことを言っただろうかと不安そうに隣の騎士隊長を窺う医師。視線に応えて、騎士は無言のまま何度か彼の肩を叩いた。
───やってくれた。
堪えようにも、緩む口元が従わない。騎士隊長は聴衆から顔を隠すようにして含み笑った。
医者のくせに気弱な男と侮っていたが、思いがけない一撃を放ってくれた。
青年の証言は、重要ではあるけれど、真の詰め手に繋げるための下地だ。例えるなら、地の利を有する戦場に敵を追い込む、といったところだろうか。
周囲を万全に包囲した上で最後の攻撃を仕掛ける筈だったのに、突然現れた味方が何気なく矢を放って敵将に深手を負わせてしまった───そんな図を想像してしまった青騎士隊長の苦笑は収まらない。
ゴルドーが陰謀と無縁だと考える者は、もはや皆無だろう。意図せず金星を挙げた医師は、訳が分からぬといったふうに瞬くばかりだった。
「あの……何か変なことを言ったでしょうか?」
おどおどとした問い掛けには赤騎士団副長が首を振る。
「いいや、もっともな疑問だよ。これは御本人に答えていただくべきであろう。ゴルドー団長、如何ですかな?」
ゴルドーも己の迂闊に気付いて、顔を引き攣らせていた。そんな様子を暫し見守った後、副長は微かな笑みを浮かべながら青年医師を一瞥した。
「……お答えいただけぬようだ。それで察せられまいか?」
言われたものの理解しかねて眉を寄せる青年に、騎士隊長が囁いた。
「だから……、例えば酒を飲むよう仕向けた人物などは、毒入りだったとバラしたくないだろうな」
「えっ?」
目を見開いて、座席のゴルドーと騎士を交互に見詰め、彼は戦慄いた。
「それって……まさか、でも───」
「悩むと頭に血が昇るぞ。後でゆっくり整理したまえ」
「……はい、そうします」
素直に頷いて思案を放棄するのも、疲労のなせるわざだろう。ここらで退場させてやるかと、青騎士隊長は聴衆に向き直って威儀を正した。
「さて、他に御質問は? ないようでしたら、これにて終わらせていただきますが」
国賓席、議員席と順に目線を移すが、声を上げる者はない。これを終了の合図と受けたのだろう、途端に青年の膝が折れた。へなへなと座り込む彼の腕を取ろうと、青騎士隊長が身を屈める。
「大丈夫かね?」
「こ、腰が抜けました」
「……またか」
若き医師は泣き笑いを見せた。
「終わるまで頑張るつもりだったんですが……駄目でした。すみません、だらしなくて」
いや、と騎士隊長は珍しく優しげな眼差しになって青年を引き起こした。
「そうでもない。上がり性にしては良くやった」
「本当ですか? 良かった……」
嬉しそうに頬を染めつつ、彼は騎士にしがみつく。やれやれ、と青騎士隊長は苦笑った。
今頃は母親の胸に抱かれているであろう幼子も、いつか今日の出来事を知るだろう。懸命につとめを果たした若かりし父を誇らしく思う日が。
そのとき、「終了と同時に腰を抜かした」という情報が欠け落ちていれば良いのだが───。
自力では歩けそうにない医師を連れ出すため、またしても待機中の騎士が呼ばれた。今度はグリンヒルの元大臣のときとは雰囲気が異なった。健闘を称えるかの如く、騎士たちは青年の背を撫で、笑み掛けてやっている。
一行が控えの間に消えるや否や、青騎士隊長は副長たちに礼を取って元の位置へと戻った。警備の指揮権を返そうとする第二隊長に軽く首を振りながら、遥か遠い正面扉を見遣る。
扉の左右には、初期から配置されていた青騎士に代わって赤騎士が立っていた。うち片方は、第一隊長だ。彼の言う「最高の演出」の瞬間が近付いている。青騎士隊長が期待に目を細めたとき、赤の副長が切り出した。
「さて……、ここでひとつ御考えください。ワインに毒が入っていたと知った侍医長は、最初に先代白騎士団長を頼りました。彼の不在が、次位階となる副長に相談を持ち掛ける結果となった訳ですが……もし先代だったら、如何様に判断なさったと思われますかな?」
グランマイヤー様、と名指しで問われた宰相は即答した。
「……やはり、伏せる方向を選んだだろう」
だが、と慎重に付け加える。
「これは国策にも相当する重大な案件だ。少なくとも、わたしには意見を問うてくれたのではないかと思うが……」
得たりとばかりに赤騎士団副長は頷いた。
「同感です。先代は、軍事ならばいざ知らず、斯様な事態に独断で事を決める御方ではなかった。これは彼を知る者の総意と言っても過言ではない筈です。では、皇王家に忠実に仕えてきた白騎士団長が、陛下の死と前後して出奔した───こちらはどう思われますか?」
グランマイヤーは難しい顔になって腕を組んだ。
「実際、陛下に殉じた騎士も何人か居たと聞き及ぶし……失意がもたらした衝動的な行動と思ってきたが……、改めて問われると、少々違和感を覚えるな」
ええ、と副長は相槌を打つ。
「白騎士団長とは、全騎士団員の頂点たる存在。与えられた使命を長らく実直に果たしてきた人物が、若くして残される次代のマチルダ皇王を御護りするという責務を擲ち、感情に任せた行動に走るのは極めて不自然です」
「……確かにそうだ」
一息入れて、副長は聴衆を眺め遣った。
「陛下を心から敬愛なさっていた御方が、御葬儀にも参列せず、姿を消したまま現在に至る……ここに、忌まわしき結論が潜んでいます」
総勢が息を詰める堂内に、コツンという奇妙な音が響いた。聴衆には何なのか分からなかったそれも、騎士たちには瞭然だった。金属と石の接触が起こす音───剣の柄か、鞘の先端が石の扉を打った音だ。
次の刹那、正面扉脇に陣取っていた赤騎士たちが左右から扉を開いた。完全に開き切るのを待てぬといった形相で飛び込んできたのは、二十歳ばかりと見られる若い男であった。
「だ、だ、大事にございます、マカイ様!」
中央通路を小走りに駆けた男は、中程まで進んだと同時に足を縺れさせて転げた。通路際の列席者が数人、驚いて手を差し伸べる中、かろうじて四つ這いの体勢を取る。
呼ばれた司祭長は、見るに耐えかねて叱責した。
「なっ……何をしているのです? 見習いとは言え、司祭の身で……!」
ここで幾人かの聴衆が怪訝そうに周囲を窺った。
マカイの言葉から、この平服姿の若者が司祭であると知れたが、祭壇上とその下には黒装束を纏う人物が揃っているのだ。若者を加えると、一人多い勘定になってしまう。それに気付いて首を捻っているのだった。
「お、お許しを……ですが、大変なのです!」
若い司祭は、焦って空気を吸い込み過ぎたか、激しく噎せ込んだ。しかし、伝えようとする意思だけは衰えなかったらしい。
「墓所に、御遺体が、別の……」
マカイはたちまち顔をしかめる。
「しっかりなさい! 何です? もう少しはっきりと───」
すると司祭は、言い終えた後は倒れても良いとでも言わんばかりの覚悟の形相で、声を振り絞った。
「皇王陛下の墓所に、もう御一方、別の御遺体が葬られているのです……!」
堂内に、最後の戦慄が駆け抜けた。
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