最後の王・12


「……何だか良く分からなくなってきたよ」
居室へと戻る途中で洩れた小さな呟きに、マイクロトフは困惑して瞬いた。
「何がだ?」
「青騎士団だよ。無論、一人一人あたった訳ではないから断言には躊躇するが……あの中に敵がいる気がしない」
自分でも甘いとは思うが───そう補足しながらも、それは確信に近い感情だ。するとマイクロトフは得たりといった面持ちで頷いた。
「理解して貰えて何よりだ。おれは彼らを信じている。騎士として立派な男たちだ、卑劣な策謀に加担するものはいない」
「そうまで信頼しているなら、少しは態度で見せてやったらどうだい? おまえが感情を表に出さないものだから、気が気でないと副長殿が仰せだったぞ」
視線を落としながらカミューが言うと、マイクロトフはその場で立ち止まった。つられて足を止めて振り返ると、皇子は難しい顔で考え込んでいる。多少の苛立ちを込めてカミューは厳しく質した。
「何だい?」
「いや……どうかと思って、な」
「何を」
もぐもぐと唸った後、マイクロトフは置き去りにされた子供のような顔でカミューを見た。
「そんなにいつも無表情なのか、と……そんなつもりはないのだが」
虚を衝かれてカミューは眉を寄せた。
「……まあね、昨日からわたしが見たところでは、怒ったり笑ったり忙しそうだけれど。それに、無表情より、仏頂面といった方が正しいかな。少なくとも、副長殿は寂しがっていた。おまえにもっと笑って欲しいそうだ」
「笑う───」
マイクロトフは唇を引き攣らせた。
「おれが笑っても見栄えはしないと思うが……」
「観賞面を言っている訳じゃない、見てくれは二の次だ」
「それはあまりな言い方だぞ、カミュー」
「自分で言ったんじゃないか」
廊下の真中で立ち止まったまま、次第に声が上がっていく。先に気付いたのはやはりカミューだった。素早く周囲を窺い、人差し指を形良い唇に当てる。
「中断だ、皇子様。人目についたら、どんなグリンヒル生活を送ったのかと非難されるぞ」
「う、うむ。続きは部屋に戻ってからにしよう」
こっくりと同意の首肯をしたが、何故か気持ちが明るいマイクロトフだ。
誰かと言い合いをするなど、初めてである。内容的には実にくだらない、些細な遣り取りでしかないのに、気を遣わぬ言葉の応酬が楽しくてならない。
「観賞用ではない顔」と断言された訳だが、ここはどう逆襲すべきだろう。「どうせおまえのように絵か彫像のように整った顔ではないからな」と言ったら、褒め言葉になってしまう気がするが───
あれこれと思案していたマイクロトフは、張り番騎士の横を抜けた後、自室の前でさっと密着してきたカミューにどきりとした。
細身の体躯に得も言われぬ緊張が生じている。彼は自ら扉に手を掛け、慎重に押し遣った。留守中に室内へと入り込んだ敵に備えているのだ、とマイクロトフは漸く気付いた。
「やはり、護衛が一人というのは問題だな。フリード・Yがいれば、留守番をさせられるのに」
あたりを眺め回し、ひょいと身を屈めて寝台の下を覗き、更に浴室をも検めて、カミューは従者が聞いたら落涙しそうな感想を口にした。軽口を叩き合う「友」から「護衛」に戻ってしまった青年を、マイクロトフは幾許かの寂寥をもって見守る。
こうなってしまっては、先程の続きという訳にも行くまい。彼は飽く迄も雇われた護衛であり、主人がそう望むから友人として振舞っているだけに過ぎないのだ。その割には発言が辛辣気味ではあるが、彼の友人関係とはそうしたものなのだろう、とマイクロトフは考えた。
「副長と話し込んでいたようだな」
努めて話題を変えると、カミューは長椅子に腰を下ろしながら微笑んだ。
「なかなか正直な御仁だよ、情報収集にはなった。ゴルドーも、すべての騎士を掌握しているとは言えないようだ」
「そうだろうな」
説明を求められたのに気付いて、青年の向かいに腰掛けながら続ける。
「ゴルドーが白騎士団長に就任した直後に大幅な団員の所属変動があったのだ。少数精鋭を表向きの理由にして、貴族や、実家や親族が裕福なものばかりを白騎士団に集めた。序列では白が二騎士団の上に立つ。最高位団に所属するは騎士の栄誉、という訳で……選ばれたものは、喜んで金品を貢いでくれるという訳だ」
カミューは不快そうに顔をしかめ、身を乗り出した。
「赤と青は?」
「赤は主に商家や移民の血筋、青は……いわゆる平民と呼ばれる騎士が置かれた。そんな事情で振り分けられて面白い筈がなかろう? 両騎士団員がゴルドーを好ましく思っていないのは一応グランマイヤーも認めている」
「ああ……だから兵舎まで分かれているのか。あの副長殿も平民の出なのかい?」
「いや、彼と、それに確か……赤騎士団の位階者の殆どは貴族だ。彼らはゴルドーの招聘に応じなかった。あからさまな選民意識に基づく組織編成には反対だ、とな」
もっとも、と笑いながら付け加える。
「……ゴルドーにはもう少し別の言い方をしたようだが」
「いいな。そういう気骨のある話は好きだよ」
カミューもにっこりした。
信念を通す一徹、そしてあの忠義ぶり。副長のそれがすべての青騎士団員に浸透するものなら、皇子はこの上もない力を持っているに等しい。
「何故、彼らをもっと信用しない?」
「信じているぞ」
「そうではなく……彼らとて、おまえの置かれた現状は察している筈だ。何度も事故に遭う不運な皇子、と考えるほどおめでたくはなかろう。全団員を信じる訳にはいかなくても、あの中から何人か、護衛に割くことは出来るだろうに」
そこで一旦、会話が途切れた。宰相夫人の侍女が朝食を運んできたからだ。
未だ幼い少女が、不慣れな手で二人の間に置かれた卓に皿を並べていく。何人分だと首を傾げたくなるようなパンの量を見てカミューは吹き出しそうになったが、愛想良く謝辞を述べるにとどめた。
「ご苦労だった」
マイクロトフが低く言った途端、侍女は驚いたように顔を上げた。
「重かっただろう、いつも世話を掛ける」
皇子の顔に浮かぶ表情を見た少女はいっそう目を瞠り、手にした皿が音を立てた。
「いいえ……いいえ、殿下。ゆっくり召し上がってください」
やっと、といった様子でそれだけ絞り出すと、少女は盆を抱えてまろびるように退出していった。
肩越しにそんな侍女を見送ったマイクロトフは漠然と悟る。これまでも、給仕に対して会釈くらいはしてきた。だが、言葉を掛け、笑んでみせたのは初めてだったかもしれない。
思い切ってカミューに打ち明けてみると、やれやれといった苦笑が浮かんだ。
「始終にこにこしていては威厳に障るかもしれないが、女性に愛想良くしておいて損はないよ。何しろ、この世の半分を占める偉大な存在だからね」
「……この顔でも、やはり笑った方が良いか?」
束の間カミューは呆け、それから声を殺して笑い出した。生真面目な生徒のような、背を正しての質疑は、廊下での遣り取りを踏まえての心底からのものらしかったからだ。
「おい」
あまりに長々と、息も苦しげに笑い続ける青年を睨みながら呼び掛けたが、返事は引き攣った呻きばかりだ。
「その顔でも、だよ、皇子様」
やっとのことで呼吸を接いでカミューは言う。
「今の小さなレディ、震えていたけれど……別に怖かった訳ではないと思うね。笑い顔が板についていないのは否めないが、好感は持てる。おまえは十分に人を惹き付ける顔をしているよ、マイクロトフ」
「……人相学の心得があるのか?」
「直感さ」
煌めく琥珀が真っ直ぐに男の黒い瞳を覗き込む。
「滅多に外れない、わたしの武器だ。おまえは人を従えるだけの力を持っている。笑っていようが、怒っていようが、人の心を惹き付ける何かがある。感情を顕にしたところで、それは陰りはしないよ」
「…………」
「狙われているのに、どうして騎士を頼らないのか、当ててみようか? おまえの側に付く、それは現・最高指導者であるゴルドーに反旗を掲げるに等しいからだ。おまえは彼らの身を護るため、敢えて遠ざけようとしている───違うかい?」
ごくりと喉を鳴らしてマイクロトフは息を殺した。
図星だった。
確かに各騎士団には個々の自治が成り立っているが、白騎士団長にはそれを越えた権限がある。意に添わぬという理由から、危険な任を課すくらいは容易いのだ。
それに気付いた頃から、出来得る限りに周囲から距離を取るように心掛けてきた。自らのために他者が害されぬようにと、ただその一念で。
けれどカミューは淡々と続けた。
「でもね、それは本当は彼らのためなんかじゃない。自分のためだ。自分が傷つくのを恐れているだけさ。例えば副長殿、彼が差し出す誠意におまえは何を返している? 同じだけの誠意を返していると言えるかい?」
「おれは───」
「ただ与えられるだけ……団長と騎士とは、そういうものなのか?」
ぐっさりと矢で射抜かれたようだった。マイクロトフは言葉もなく、呆然と目の前の白い顔を見詰める。
青騎士団員に害が及ばぬようにと配慮してきたつもりだった。だが、カミューの指摘はこれまで隠蔽し続けてきた真実を衝いたのだ。
彼らの、あの何とも気遣わしげな眼差しが重かった。物言いたげに開かれる唇を見たくなかった。無力な皇子と内心では哀れまれているのではないか、そう感じる刹那が確かにあった。
もし彼らが至心で接してくれていたなら、それは何と傲慢で無情、理不尽な隔てではないか。立場が逆なら、マイクロトフもそう考えて嘆いただろう。
カミューはほんの僅かしか彼らと接していないのに、たちどころに見抜いたのだ。マイクロトフのうちに潜む、自身でさえ気付かなかった竦みを、そして怯えを。
敵であるものとそうでないものを見分けて欲しいとカミューに期待した。けれど彼は、これほどの短時間で最大の敵を掘り出した。己の中に在る敵、意味のない孤独に逃げ込もうとするマイクロトフの弱さという敵を───

 

「カミュー、おまえはおれより一つ年上なだけなのに……」
いったい何者なのだ、どうしてそんなにも鋭敏に他者の心の襞を覗けるのだ。
動揺は、だが言葉にならない。詰まったマイクロトフを薄い笑みが一瞥した。そうして彼は、マイクロトフが蟠らせた疑問すら、的確に言い当てたのだった。
「生き方の違いだろうね。わたしはおまえより一年ばかり人生経験を多く積んでいる、ただそれだけのことさ」

 

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にっこり青に
赤がときめく日は果たして来るのか。
来ないと非常に困るんですが。

 

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