最後の王・11


つとめ等で城を空けている以外、すべての青騎士が揃った図は壮観だった。
朝のシンと冷えた空気の中、鍛錬に臨もうとする男たちの顔は真摯そのものだ。屈強そうな大柄な騎士が多いが、体格だけならマイクロトフも負けていない。一同を前にした彼は、王族の威風に溢れ、いっそう雄大を増して見えた。
一歩退いたところでカミューは騎士を眺め遣り、即座に人員の概算を弾き出した。単純に三倍しても、マチルダの軍事力が知れようというものだ。
平時である今、この数の騎士を養うのは容易ではなかろう。宰相が言っていた鉱物資源がそれを可能にしているのかもしれない、そんなふうにカミューは考えた。
ふと、整列した騎士の間から一人の男が進み出て、マイクロトフに深々と礼を払った。下手をすると親子ほども年長に見える騎士は、それから騎士らに向き直り、訓練開始を宣言した。マイクロトフが小声で囁く。
「……副長だ」
青騎士団の実権を握ると聞いた第二位階者。形式的に押し付けられた皇太子という名の団長を疎んでいるかと思えば、そうではなかった。彼はにこにことマイクロトフに笑み、部外者であるカミューにも丁寧に会釈した。
「フリード殿が寝込んだとか。他人事ではございませんぞ、マイクロトフ様も食べ過ぎには御用心なさいませんと」
温かな調子を意外に思ったカミューだが、それ以上に昨夜の肉の塊を思い出して胸が詰まる。
「案ずるな、胃腸は丈夫だ」
「そう思っている人間ほど、無茶をしてしまうものですぞ。これは訓練にも言えることですが」
副長は目を細めて、背後で始まった組による柔軟運動を指す。
「……何事も程々に。本日は第三部隊長がお相手仕ります」
「分かった」
短く返して、マイクロトフはカミューを見た。
「おまえはどうする?」
「お邪魔でなければ、ここで見学させていただこうと思います」
副長が真っ直ぐにカミューに目を当てる。マイクロトフの説明を待たず、カミューは微笑んだ。
「カミューと申します。グリンヒルの学び舎で、殿下に親しくしていただきました」
「それはそれは」
ちらとカミューの腰許を見遣る。
「……剣を使われるのでしたら、参加なさっては如何ですかな?」
値踏みではなく、ただ厚意として洩れた言葉のようだった。カミューはやんわりと首を振った。
「騎士の鍛錬作法は知りませんし、やはり拝見させていただくだけにします」
副長は強く勧めようとはせず、けれどその気になったら遠慮無く、とだけ言った。温厚そうな男である。皇子に対する眼差しも、当然ながら敬意はあるが、情愛に満ちた父親のそれに近い。
「では、カミュー。行ってくる」
マイクロトフが忙しなく言い置いて、既に汗を光らせ始めた男たちの輪に連なろうと進み出した。
「マイクロトフ様、剣は十分に身体を温めてから……ですぞ!」
皇子の背に副長の注意が飛ぶ。振り向きもせず、片手だけ挙げて応じる男は、何処まで忠告を真面目に聞いているのか微妙だった。副長がふう、と嘆息する。
「大切な御身体だというのに、まるで分かっておられぬふうで……いや、これは失礼、愚痴などお聞かせするつもりはなかったのですが」
カミューの視線に、彼は照れたように苦笑した。
「マイクロトフ様に同世代の友人がいらしたとは存外の喜びです、カミュー殿。然様ですか、御学友……グリンヒル遊学は、マイクロトフ様にとって実り多き日々だったのですな」
しみじみとした述懐に何事か含んだ気配は感じられない。カミューの話し相手というつとめを決め込んだらしい男は、そのまま並んで騎士らの鍛錬模様に目を向けた。
「笑っておいででしたか、マイクロトフ様は?」
「え?」
いえ、と男は瞳に痛みを過らせる。
「我が青騎士団の鍛錬に参加する御歳になられた頃……あの御方は良く笑っておいででした。年少者用の剣を持たれて、それでも果敢に騎士たちに稽古相手を命じられて、それは楽しそうに過ごされておいでだったのです。それが、王族の習わしで遊学なさって、戻られてからは……」
故国へ戻った───父の死によって。
言葉にされなくても続きは分かる。それからというもの、彼は叔父の脅威に曝され、少年らしい微笑みを失ったのだ。
「……確かに」
カミューは小さく返した。
「あの頃は、今よりも眉間に皺を寄せられる回数が少なかったような気がします」
すると副長は破顔した。
「まったくです。ただでさえ厳つい容貌をなさっておいでなのに、あれでは……。戦場ならば、敵が恐れて逃げて行きましょうが」
それから彼は笑みを納め、心からといった口調で続けた。
「不遜に聞こえるかもしれないが、わたしは案じているのです。王位継承者という御立場が、何か、こう……マイクロトフ様の───」
口篭った先を察して言い添える。
「御立場が、殿下の感情とかいったものを奪おうとしているのではないか、と?」
男は驚いたように目を瞠り、畏敬めいたものを浮かべながらカミューを凝視した。今にも手を握りそうな表情で一歩踏み出す。
「然様、カミュー殿にも感じられますかな?」
「しかし、王に昇られる身ともなれば、多少は已む無しではないでしょうか。感情のままに振舞う王が国に良きものとは思えません」
「それは無論、承知しているのです。ただ……」
彼は暫し逡巡した。会ったばかりの相手にそこまで洩らしても良いものかと悩んでいるようでもあった。が、やがて意を決したように顎を引く。
「今のマイクロトフ様は、必死に御自身を殺しておいでのように見えます。感情豊かで、真っ直ぐで……身分に捕われず、誰にでも胸襟を開いて接する御方だったのです。しかし今は、努めて他者と深く関らぬように振舞っておいでだ。我々にさえ、隔てを抱いておられるように見受けられるのです」
カミューは混乱し始めていた。
事故を装って幾度も危害が加えられた。その場に居合わせたのは常に青騎士団員だ。
なのに、もっとも疑って然るべき集団の実質的な指揮官がマイクロトフを案じて四肢を震わせている。それは人を量るに長けたカミューの目にも演技とは見えぬ親愛で、幾通りか積み上げた仮説を崩すに足る姿だった。
そうしているうちにも鍛錬は進み、ごく一部の騎士を残して男たちは鍛錬場の端に寄っていた。残った騎士の中にマイクロトフがいる。彼らは剣を抜き、対になって互いに礼を取り合った。
「ああ……剣合わせが始まります」
カミューの視線を追った副長が説明する。
抜刀した瞬間にマイクロトフの対戦相手が自剣を検分したのは、先の事故に基づく慎重であるらしい。副長の目の届く位置に皇子が置かれているのも、これまで何度も危うい目に遭った彼への気遣いだろう。
数度、剣を打ち合わせた後、騎士らは距離を取って構えに入った。そこから始まった光景には、同じ剣士として息を飲むカミューだ。
実に勇壮な姿である。重い剣戟の音、翻る装束。型でも決まっているかのように、打ち下ろされる白刃を寸分の狂いもなく受け止める防御。皇子に注がれていたカミューの視線に鋭い光が走る。
「……見事な剣だ」
ポツと洩れた独言に副長が応じた。
「マイクロトフ様ですな? ええ、あの御方は天賦の才を持たれた最高の剣士でおられる」
我が子を誇るような響きがそこにはあった。
「それでいて才に溺れることもなく、日々こうして鍛錬を重ねられて……。カミュー殿、マイクロトフ様は皇太子殿下であると同時に、我らの騎士団長でおられるのです」
名ばかりではないというグランマイヤーの言葉の意味を、今はっきりとカミューは知った。
相手の騎士隊長が手を抜いている訳ではない。マイクロトフは、武をもって国家に仕える騎士に遜色ない実力の持ち主だ。
若さゆえか、あるいは性分からか、その剣先は裏が無く、真正面からの攻撃を行う分だけ読まれ易い。だからこそ両者の剣は一応の均衡を保っているが、これでマイクロトフに経験が伴えば、確実に互角以上の戦いを見せるようになるに違いない。
「初めは誰もが思います。しきたりによって団長の座を与えられた王族、安全なる椅子に戴き、皇王位に就かれるまでお預かりする賓客なのだと。けれどマイクロトフ様は違う。あの御方は騎士としてここにおられるのです。正しく、聖マティスを髣髴とさせる御姿だ───」
今、世情は安定している。
けれど、属国奪回を目論むハイランドとの小競り合いが繰り返された時代には、王は騎士団長と並んで戦地に立ってきたのだという。かつての聖人たちのように、剣を取ってマチルダの民を護るのが王と騎士団長に課せられたつとめであったのだ。
「いにしえの王たちには、武力が絶対不可欠でした。時が過ぎ、国に平安が訪れて……武の責務の多くは騎士団に委ねられるようになりました。しかし、マイクロトフ様の御父君は違った。国を護る決意、民を護る力を皇王自らも持たねばならぬ、そうお考えでした。その御心をマイクロトフ様も受け継いでおられる」
「前王は……立派な方だったのですね」
カミューは低く呟いた。その声がひどく乾いて掠れたのに騎士は気付かなかった。
「マイクロトフ様も御父君に負けぬ立派な王になられます」
「副長殿、あなたは───」
カミューは横の男を見上げた。
「殿下を愛しておられるのですか? 皇子としてだけではなく、ただの……一人の人間としても?」
「わたしだけではなく、全青騎士が心からマイクロトフ様を敬愛しておりますとも」
御覧なさい、と彼は鍛錬場に散った男たちを指す。彼らの眼差しは年若き青騎士団長へとひたむきに注がれていた。
「騎士は、権威や名ではなく、輝きに跪くのです。あの御方こそ真の青騎士団長、我らの主君でおられます」
最後に触れ合った剣が、緩やかに離れた。マイクロトフと対峙した騎士は笑みを浮かべ、丁寧に頭を下げる。
周囲の男たちが二人に何事か声を掛けた。褒められでもしたのか、マイクロトフは精悍な顔に微かなはにかみを過らせ、黒髪を掻く。
そんな様子を見守っていたカミューは、男の目が巡らされるよりも早く、ひっそりと目を伏せた。
不安定に揺れる心を見透かされてはならない。今はきっと隠し通せない───
知らず愛剣の鞘を握り締め、カミューは男が歩み寄るまでの束の間を噛み締めた。

 

← BEFORE             NEXT →


騎士団員は名無しで通しますが、
大体いつもの連中と思っていただければ。
あ、でも青騎士団はレギュラーメンバー、
2人しかいないや……(笑)

「特殊技能=説教」な我が家の青副長ですが、
本作では相手が皇子様なので、
プチ説教くらいで止めている模様。

 

TOPへ戻る / 寛容の間に戻る