「もうひとつの戦いについて、話を詰めるぞ」
ゲオルグ・プライムの一言は、室内の空気を一変させた。それまでの明るい力強さは息を潜め、重苦しい緊張が取って代わる。
位階者たちの顔には、一切の私情を封じて責務に対峙せんとする険しさがあった。けれど第一部隊所属の赤騎士と皇子の従者だけは、年頃の若さも手伝って、未だ希望を探している。
式当日が分かれ目となるのは二人も理解していた。
それを過ぎれば、マイクロトフが城下に姿を見せる数は激減する。機会に恵まれたにせよ、騎士と馬を並べて街を巡った頃のように、民の呼び掛けに足を止めて話し込む気安さは許されない。即ち、その隙に近付いて害するという策が取りづらくなる訳だ。
皇王となった男には──遠からず退位する身であるにしろ──接見ひとつにも厳重が敷かれる。カミューが害意を捨てた証が立たぬうちは、訪ねて来ても会わせられない。マイクロトフ自身がどれほど対面を望んだとしても、敢えて退けるのが側近に課せられたつとめだ。
襲撃を決行するなら即位日がギリギリの境界となる、それはカミューも充分に認識している筈なのに、今日まで何の動きも見せない。これはマイクロトフに対する情が上回り、復讐心を捨てたためではないか───そんなふうに、若者たちは一縷の望みを繋いでいたのである。
二人の表情に気付いてゲオルグは首を振った。
「最悪を想定して備えておくのが一番だ。外れたらそれで良し、また改めて考えれば済む話だからな」
副長たちが小さく頷く。
「……ですな。こちらの戦いはやり直しが利かない。マイクロトフ様の御為にも、打てる限りの手を打っておくのが我らの責務と心得ます」
「今日まで姿を現さなかった、それがカミュー殿の葛藤を意味するなら、もはや限界でしょう。どのようなかたちであれ、決着を望む筈。希望的観測を残したいのは、みな同じ。けれど、今は置いて対処するのが肝要と言えましょう」
こう言われては未練を引き擦る訳にもいかず、若者たちも唇を噛みつつ居住まいを正した。斯くて一同が心を揃えたのを機に、ゲオルグは窓辺に立つ青騎士隊長を一瞥した。
「何度か話すうちに気付いたんだが、この兄さんとは、此度の件に対する考え方が近くてな。それでまあ……、二人でカミューの出方をあれこれと論じ合ってきた」
ああ、と納得顔が広がった。昨日昼、皇子が司祭長マカイを訪ねるという話が出たとき、ゲオルグが騎士隊長を意見役に欲しいと望んだのを思い出したのだ。
ゲオルグが周囲に伏せつつ練っていた策が漸く明かされようとしているのだと、俄然、緊張が増す。だが、もたらされたのは誰もが予期せぬ一言であった。
「結果、カミューが即位式中に襲撃を実行するという推測に至った」
これまでにない驚きが一同を駆け抜ける。暫しの無言と硬直が続いたが、眉間に深い皺を寄せた青騎士団副長が、ようよう我を取り戻して口を開いた。
「それは……式後のパレードではなく、礼拝堂内で、という意味でしょうか」
「おれが刺客なら、十中八九、パレードの方を選ぶがね」
「では、何故そちらではなく礼拝堂を選ぶと……?」
「最良の舞台だからだ。周辺諸国の指導者が参席している。マチルダの主要人物も集まっている。そこへ刺客が現れて、王位を継ごうとしている男を襲ってみろ。えらい騒ぎになる」
目線で交替を求められた青騎士隊長が、一礼してから後を接いだ。
「あの刺客は何者か、どうして殿下を狙ったのか───様々な憶測が飛び交い、騒ぎを沈静化させるため、事情を明かす必要に迫られます。そこで人々は知る。マチルダ騎士がグラスランド侵攻を目論み、その過中で一つの村を蹂躙した。村で唯一の生き残りが、復讐を果たさずにはいられなかった経緯を知るのです。隠蔽された非道を白日の許に晒す……、ある種の報復行為となる訳です」
説得力のある推考だった。納得を浮かべた一同を見回しながら、再びゲオルグが声を張った。
「即ちこれが、予想し得る最悪の脚本だ。衆人環視の中での暗殺決行。こいつを念頭に置いた上で捻り出した備えを今から説明する」
ごくりと誰かが喉を鳴らす音がした。痛むほどの静寂をぬって動いたのは青騎士隊長だ。足元に置いてあった包みを抱えて歩き出し、フリード・Yと並んで長椅子に腰掛ける若い騎士の前でぴたりと足を止めた。
無造作に開いた包みからズルズルと引き出されたのは漆黒の布。全貌が現れる前に、若者はぽかんとした。
「何ですか、これ?」
「司祭の式服だ。立って合わせてみたまえ」
淡々と命じる青騎士から、自部隊長へと救いを求める視線を向けた若者だが、困惑顔が返るのみだ。終いには「黙って従え」といった首肯に促され、何度も首を捻りながら立ち上がった。
青騎士隊長は、包みから一通の封書を摘み取った。それをゲオルグに渡した後、自らの体躯に布を当てた若い騎士にしげしげと眺め入り、にんまりと口角を上げた。
「幅を直す必要はない服だが、丈は別だ。ありがたく思うのだな、どの司祭殿だか分からんが、裾丈を出して、コテで折り皺も伸ばしてくれたのだから」
「いやあの、……ですからこれをどうしろと?」
「着る以外の使用法があるかね? 四の五の言わず、上着を脱いで羽織ってみたまえ」
こうした青騎士隊長の不親切ぶりには慣れ切った位階者たちだが、今回ばかりは泰然と見物に徹してはいられなかった。総勢に上目で窺われ、ゲオルグは苦笑した。
「警備の配置は確認した、式の予行演習にも立ち合った。そこで出した結論だ。皇子襲撃には、司祭に成り済まして同じ壇上に立つ───それが最も妨害され難く、効果的な手法だ」
言いながら、足元まである黒衣を羽織って前合わせを止めている騎士を見遣る。
「目見当での指示だったが、長さは丁度だな。なかなか見事な技だ、専門外の人間が縫い直したとは見えない」
つまり、と赤騎士団副長が首を捻る。
「司祭に扮したカミュー殿を阻むため、こちらも司祭に扮して待ち構えると……?」
「その通り。という訳で……頼んだぞ、若いの」
フードも被るべきなのかと、布を摘まんで思案していた赤騎士は、今度こそ愕然とした。
「ちょ、ちょっと待ってください。何で、あの人が司祭の振りをして現れるのが前提になっているんです? 不可能じゃないですか」
「何故だ?」
「何故、って……礼拝堂は、中に司祭だけを残して出入りを禁じられていたじゃないですか。明日も、各通用口には見張りが置かれるし、列席者は正面入り口で査証を受ける。堂内に侵入して司祭と擦り替わるなんて、あの人には出来ませんよ」
「招待状を偽造するなりして、変装して入る……とか?」
フリード・Yの控え目な意見を、赤騎士団副長がやんわりと退ける。
「何らかの手段で招待状は用意したとしても、中には入れないよ。彼の顔を知る騎士を査証係に任じておいたからね」
怪訝そうな顔を見て、赤騎士隊長が付け加えた。
「以前、わたしがカミュー殿に手合わせを申し込んだことがあったろう。あの場に居た者たちだ」
そうしてちらと配下の若者を見遣る。
「こいつも同様だが、みな、あれですっかり魂を抜かれた。少々の変装くらいでは彼を見誤ったりしない。見掛けたら足止めして我々の誰かを呼ぶよう命じる」
「な、成程……」
「だったら何処から入るんです。力づくで押し込んでくるとでも言うんですか?」
若い部下の言葉を聞いた刹那、赤騎士団副長がはっと瞬いた。記憶を呼び醒ます助力をせよとでも言いたげな面持ちで、隣の同位階者を凝視する。
「ど、どうされましたかな?」
「……東棟の部屋」
「は?」
眉を寄せていた男が、暫しの後、あっと声を上げた。説明よりも先に気付いた副長たちに満足して、ゲオルグは微笑んだ。
「聞いた話じゃ、皇子の部屋にはおまえさんたちの知らない侵入口があったそうだな」
「は、はい。続き部屋の階上から入る抜け穴で、フリード殿に教えられて初めて知った次第で───」
振られた若者が椅子の上で跳ねる。
「わたくしはグランマイヤー様からお話を聞いただけです」
そう、と青騎士隊長が背を伸ばす。
「情報の出所はさて置き、騎士でさえ与り知らぬ抜け道が城内に存在したのです。ならば、礼拝堂にも同じものがないとは言い切れない」
「待ってください」
息急き切ったフリード・Yと赤騎士が争うように言った。
「確かにカミュー殿は、殿下のお部屋に山のように書物を持ち込んで、あれこれ調べておいででした。でも、そこまで探し当てる時間的余裕があったとはとても思えません」
「第一、こんなことにならなければ、礼拝堂での決行なんて有り得なかった訳ですよね。だったら、あるかどうかも分からない抜け道なんて探さないんじゃ……」
そこで、黙していた青騎士団副長が小さく首を振った。
「いや……、探さなくても、知った可能性が皆無とは言えない。彼はゴルドー側の刺客を演じていたのだ。もしゴルドーがそうした経路を知っていれば、カミュー殿に伝わっていた可能性はある」
「白騎士団長が持つ情報は、おまえさんたちのそれをどれくらい上回るんだ?」
「抜け道に限って言えば、基本的には変わらぬ筈なのですが……マイクロトフ様の居室の例もありますし、白騎士団長のみが知る道筋があったとしても不思議ではないかと」
ふむとゲオルグが腕を組んだ。
「即ちこれも最悪の想定の一環だ。警備の目を掻い潜って建物に侵入が叶った場合、それにこの、着たら誰だか分からない式装束について聞き及んでいたとしたら、司祭に成り替わる以上に有効な戦法はない。手を打っておいて損はないだろう?」
ここまで来ると、もう誰も異論を述べようとはしなかった。
何と言っても、ゲオルグは一同の中で最もカミューと付き合いが長いのだ。思考や行動を読み解くにあたって、彼を上回る者はないとう信頼があったのである。
ゲオルグはマカイからの書状を軽く一読した後、黒衣を羽織って立つ若者へと視線を当てた。
「礼拝堂の封鎖が解かれる前に、建物内部に侵入していると考えた方が良いだろう。この手紙に拠ると、「朝の祈祷後に礼拝堂二階の広間で朝食を取る」とある。この時点までは互いに顔を晒し合っている訳だから、擦り替わるなら食後、自室に戻って着替えて、一階の控え室に集合するまでの間だ」
青騎士隊長が後を引き取り、若い赤騎士に命じた。
「君は食事時に彼らに合流したまえ。話を通してあるから、司祭長殿が適当に計らってくれるだろう」
「話を通す、って……いつの間に……」
フリード・Yの独言にはゲオルグが答えた。
「一昨日、マカイ司祭長に事情を説いた後、皇子が国賓を接待している間に、もう一度この兄さんと二人で礼拝堂を訪ねたんだ。策の大枠を話して協力を取り付けた。式服を借り受ける手筈をつけたのも、そのときだ」
「マカイ殿は、よく了承なさいましたな」
呆れ半分、感心半分といった赤騎士隊長には、青の同位階者が軽く応じた。
「まあ、即位式はやり直される訳ですから。こちらの用事が済むまでは、言う通りに動くしかないといった諦め顔でしたな」
それもそうか、と男たちの間に同情的な納得が浮かぶ。再びゲオルグが言った。
「朝食時までに、マカイには司祭たちに説くよう言ってある。式中に皇子暗殺計画が実行される恐れありとの情報を得た、我々には企みを破る用意がある、このため、司祭に扮した騎士を護衛として祭壇に送り込む。敵を退けた後に、改めて冒頭から式をやり直す───これで、司祭の中に騎士が加わる異例も、「致し方なし」で通る」
ふむふむと聞き入る騎士の中、ひとり所在なげに視線を彷徨わせている黒衣の若者を見止めた青騎士隊長が、低く問うた。
「何を滅入っているのかね」
すると若者は、だって、と小声で呟いた。
「無理です。おれ、あの人と隊長が戦ったのをこの目で見たし……どうやったって勝てません、断言出来ます」
「情けないことを確信するな、たわけ」
間髪入れずに直属上官の叱責が飛ぶ。だが、青騎士隊長の反応はやや異なった。
「何か勘違いしていないかね? 戦って殿下を護れとは言っていない」
「え?」
きょとんとした反応を睨みつつ、噛んで含めるように彼は続けた。
「君の役目はカミュー殿を止めることだ」
「……同じじゃないんですか?」
「違うな」
今度はゲオルグが緩やかに首を振って乗り出した。
「裁判が始まりさえすれば、カミューも聞かずにはいられない内容だ。それまで待たせておけば良い」
そう、と首を捻って付け加える。
「あいつが痺れを切らす前に始めるべきだな……。皇子が剣を受け取る儀式というのを冒頭に持って来られないものだろうか」
これには赤騎士団副長が苦笑気味に賛同した。
「ここまで式を弄り尽くしているのですから、ひとつ変更を加えたところで今更どうということもないでしょう。明朝、日の出と同時に礼拝堂の潔斎は終わり、我らの出入りが可能となります。牢に繋いである狼藉者たちの移送と査証準備のため、早めに城を出るつもりでおりましたし……そのときマカイ司祭殿にお願いしておきましょう」
「頼む。そう……、その変更は式直前に司祭一同に伝わるよう仕向けてくれ。中にカミューが居れば、良い揺さぶりになる」
「心得ました」
遣り取りを聞いた青騎士隊長が「良かったな」と若者に囁いた。
「彼を捕まえておく時間が減ったぞ」
しかし、若者の表情は依然として暗いままだ。
「おれ、式の予行を見ていません。司祭がどうやって振舞うのか知らないし」
「ゲオルグ殿とわたしが覚えている。手取り足取り訓練してやろう」
騎士は途方に暮れた様相で、自らを包む黒衣の両脇を摘まんでドレスのように広げてみせた。
「この服じゃ、まともに歩けるかどうかだって───」
「気合いでこなせ」
一蹴の次には、軽い調子を消し去った凝視が若者を襲った。
「泣き言を聞いている暇はない。彼が暗殺未遂犯として処刑されても良いなら、今すぐここから出て行きたまえ」
え、と目を瞠る部下を、赤騎士団・第一隊長が嘆息混じりに諭す。
「殿下を害そうとする者を排除するのが騎士のつとめ、異変が生じれば対処するのは当然ではないか。我々以外の騎士はカミュー殿の事情を知らぬ訳だし、ひとたび捕縛してしまった後では取り返しがつかぬ」
「……弓を担当する騎士の配置も多めだ。下手をすれば、彼と気付かぬまま射てしまう恐れもある」
深刻な面持ちで付け加えた自団副長に、若者は顔色を失った。青騎士隊長が冷ややかに一瞥する。
「理解したかね? これは甘えも失敗も許されない大任だ。代われるものなら、我ら位階者がつとめたいほどの、だ。一任する以上は、気概をもって臨んで貰わねば困る」
気弱げな表情は掻き消えていた。重い覚悟を宿した眼差しで周りを一望した後、若い赤騎士は決然と頷いた。
「やります、全力を尽くします。ただ……、ひとつだけ教えてください。どうしておれなんですか?」
「我々位階者が堂内に見当たらなかったら、訝しく思われるだろうが。従者殿にしてもそうだ。今日まで実直に殿下に張り付いていたのに、大事な式当日に姿が消えては不自然だ」
「……ゲオルグ殿は?」
「おれは別方向から動く予定でいるのでな、その役は負えないんだ」
「つまり、消去法ですか……」
気負いが脱力に取って代わる。笑いを堪えつつ、ゲオルグが騎士隊長を見遣った。
「あまり苛めると士気が下がるぞ。せっかくやる気になったんだ、本当のところを教えてやれ」
はあ、と渋々の了解が浮かぶ。
「無論、いま言ったことも理由になる。だが今ひとつ、こういった言い方が正しいかどうか分からないが……君が特別だからだ」
「えっ?」
「第二白騎士隊長の事件の際、彼は君を殺さなかった。その程度には親愛を抱いていた訳だ。だから今度も躊躇する。君に危害を加えてまで「実行」に出ることはない、そう判断したから割り当てた」
「特別───」
僅か一節に絡め取られ、瞬く間に欣喜に支配される若い騎士。二人の副長、直属上官、そしてフリード・Yまでもが、いいように転がされている若者を横目に、無言を守った。どれほどギリギリの局面でも、カミューが標的以外の人間を傷つけることはあるまいという意見を、ここで口に出せる者はいなかったのである。
やがて若者は一切の頓着を捨てた顔で威儀を正した。
「任せてください。何があろうと詮議開始まで、あの人を止め置きます。いざとなったら、羽交締めにしてでも───」
「……抱き付くのは結構だが、最終手段にしておきたまえ。せっかくここまで彼の素性だの目的だのを伏せてきたのに、やり過ぎては元も子もない」
淡々とした忠告に、フリード・Yの同意の首肯が重なる。
「そうですとも、他の皆様には最後まで気付かれないようにしなくては」
「分かってますよ、決意の程を述べただけです。で……、どう動いたら良いのか、もう一度、具体的に教えてください」
俄然奮い立った騎士に苦笑いして、ゲオルグが一つ息を吐いた。
「先ずは、副長たちと一緒に礼拝堂入りしろ。マカイが食堂でおまえを他の司祭たちに引き合わせる。どの司祭と交替するかはマカイの指示を受け、解散となったら一緒に部屋に行き、そこで式服に着替えるんだ」
「……その司祭の方と、カミュー殿が入れ替わろうとする相手が重なる可能性はありませんか?」
フリード・Yの心配そうな問いを受け、ゲオルグは副長たちへと目線を向けた。
「建物の見取図はあるか?」
即座に赤騎士団副長が手持ちの資料を探る。階ごとの図面を選び出し、長椅子に挟まれた卓に並べた。一同が覗き込む先で、ゲオルグは広間から続く廊下を指で辿った。
「目的を持った侵入者が第一に考えるのは、建物内部での移動距離を少しでも減らすことだ。うろつけばうろつくほど、発見される危険が増すからな」
青騎士団副長が強く頷く。
「その心理から量れば、狙われるのは……」
廊下を挟んで向かい合わせに並ぶ部屋を追った指先が、最も階下に近い二部屋で止まる。
「この、どちらかの司祭になりましょうな」
「おそらくな。まあ……、部屋で鉢合わせて、その場で説得出来れば一番なんだが、あいつの頑固さは半端じゃないから、そいつは捨てて考えた方が無難だ。だからマカイには、広間に近い部屋の司祭から交替要員を選ぶよう言ってある」
ひとたび呼吸を置いてゲオルグは続けた。
「交替した司祭には別に一仕事して貰うから、そのまま待たせておいてくれ。刻限が来て、移動が始まったら、さりげなく一同に加わって一階の控え室まで行く。既にカミューが混じっていると考えて行動するんだぞ」
ここで若い騎士はぱくぱくと口を開閉させて喘いだ。
「その頃には、皆フードを被っているんじゃないですか?」
言いながら、自らのそれをひょいと引っ張る。完全に目の下まで垂れた布を指して、おずおずと訴えた。
「……これで、どうやって見分けたら良いんです?」
副長たちも考え込んだ。今は正体を知っている状態だから良いが、この姿で初めて対面したら「誰だね」と問わずにはいられない風情なのである。見解を求める視線を向けられたゲオルグが、さらりと言った。
「確かにそのままでは分かりづらい。だから、ちょっとした罠を張る」
「と仰ると?」
「前もって司祭一同に伝えておくんだ。序盤に行われる詮議の際、祭壇に上がるのは司祭に扮した騎士のみ、残りは事が済むまで下で待つ。故に、本堂に入るときの列の先頭には騎士が立つ、とな。これで、いざ整列を促しても本物の司祭は動かない」
「…………」
「カミューは周りの動きに神経を張り巡らせている。さあ並べと言われて、誰も進み出なければ、……どうだ?」
「自分が列の先頭だと思わざるを得ない……?」
疑問のかたちで呟いた赤騎士団副長の顔に、たちまち確信が広がっていった。
「自らが何番目に立つ司祭に成り替わったかを知っていたとしても、最後の確認の場ともなり得る朝食の席に居合わせぬ彼には、その際に変更が伝えられたと映るでしょうな」
「そうだ。司祭たちには、「詮議中には出る幕がないから、当初の並び順は無きものとし、二番目以降は適当に列を組め」と言っておけば充分だ。良いか、若いの。動いた司祭が居たら、そいつがカミューだ。すかさず後ろにつけ。後は一緒に壇上に進んで、あいつを押し止めるんだ。祭壇に立つ「護衛」が二人になったところで、マカイは式を進めるしかないし、司祭たちも「もう一人増えたのか」くらいに思うだろう」
ええと、と状況を整理しながら若者は首を傾げる。
「これって飽く迄も仮定ですよね。あの人が紛れ込んでいなかったら?」
「ある程度待っても誰も動かないようなら、おまえが先頭に行けば良い。一人で祭壇に立つことになるが、それも我々への合図になる。別手段での襲撃に警戒を移せるからな」
青騎士隊長が補足とばかりに締めた。
「剣と冠を担当する司祭に擦り替わる可能性は考慮せずとも結構です。騎士を付け、単独では動かぬように計らいますので。それにこの二人は、もう片方の控え室で殿下と対面します。顔がフードで隠れていても、殿下なら本能でカミュー殿を見分けそうだ」
「確かに」
ぷっと吹き出してゲオルグが手を打った。
「……「匂いで分かった」とか言いそうだな」
硬く強張っていた面々が、一斉に笑み崩れた。そんな中、独りフリード・Yだけが静かに笑みを納める。気付いた青騎士団副長が優しく声を掛けた。
「どうしたね、フリード殿。他に気になることでも?」
いえ、と弱く首を振るフリード・Yだ。
「此度の陰謀究明も、最初は雲を掴むようだったものを、仮定から始めてここまで辿り付きました。今のお話も、仮定に基いた策だというのは分かっているのです。ただ……、そうまでして復讐を果たそうとするカミュー殿を想像すると、やはり辛くて」
分かる、と言いたげな顔で騎士たちは頷いた。しんみりとした空気を嫌った若い騎士が、殊更明るい声を張る。
「それより、取り敢えず司祭として格好がつくように稽古してみたいんですが」
少し前までとは別人のように意気揚々とした姿勢を見せる部下に笑んだ直属長官が、部屋の置き時計を眺め遣った。
「既に日も変わっておりますし……こいつもあまり器用ではないので、訓練を始めた方が宜しいかと」
「そうだな、始めるとしよう。まずは歩き方だが───」
部屋の隅へ移れと命じられた赤騎士が、裾を気にしながら足を踏み出し掛けたとき。
コツコツと扉が鳴って張り番騎士が顔を覗かせた。頭から足先まで黒い装束に覆われた若者に迎えられるかたちになった騎士は唖然としたが、そこは訓練の賜物だ。見て見ぬ振りを通しながら位階者たちに一礼した。
「申し訳ございません、大事な会議中だとは存じているのですが」
「どうかしたのか」
「はい、実は……」
騎士の話はこうだった。
街門の外にて野宿する式典見物客を護るために配置されていた青騎士団員が数名、交替時間で城に戻ってきた。ところがこの中に、赤騎士団副長に面会したいと申し出た者がいる。
深夜であり、更に重要閣議中であることも引き合いに出したが、いっかな退こうとせず、何が何でも今夜中に会わねばならぬと言い張る。終に粘りに負け、判断を仰ぎに来たという訳だった。
「わたしに……かね?」
赤騎士団副長は首を傾げた。他団の騎士が名指しで訪ねてくるような案件が思い付かなかったのだ。
とは言え、誰も通すなと厳命した張り番が譲らざるを得なかったほどの必死を捨て置くのも躊躇われる。意見を求めるように他の一同を見回し、了承が返るなり、彼は騎士に笑み掛けた。
「通しなさい。それから……ここで見たことは口外せぬように」
張り番は、茫と立ち尽くす黒い塊を横目で一瞥した後、畏まって礼を取りつつ扉を閉めた。
「うちの騎士が……? いったい何事でしょう」
青騎士団副長が眉を顰める。無論、予測はつかず、当人の訪れを待つしかなかった。
少しして、恐縮し切った面持ちの青騎士が現れた。部屋の端にちんまりと立った黒衣の若者に気付くなり、先程の騎士同様の怯みを見せたが、平静を保つためか、小さく息をついてから背を正した。
「無理を押してしまい、まことに申し訳ございません」
「わたしに用と聞いたが、何だろう?」
すると騎士は改めて深く一礼して、赤騎士団副長の座る椅子の手前まで歩み寄り、低く切り出した。
「恐れながら御伺い致します。ロックアックス東七区にて酒場を営む、レオナ殿という女人を御存知でしょうか?」
← BEFORE
NEXT →