最後の王・108


死者の魂は、こんな路を辿って、無の世界へと行き着くのだろうか。
そんな埒もない想像が沸き上がるほど、暗澹とした閑寂は果てしなかった。
地中を掘り拓いた様相は、昔ゲオルグと共に訪れたティントの坑道に似ている。人ひとり通るには充分の広さがあるが、頭上や側面を固める処置は施されていない。坑夫の手によって作られた道である以上、地脈は考慮されている筈だが、それでも落盤が起きぬ保障はなく、少なからず怖気をそそる空間であった。
書棚の扉が閉ざされた今、頼りになるのは古びた燭台の灯火だけだ。持参していた角燈を渡してくれても良さそうなものを、そうしなかったあたりに白騎士隊長の心情が滲んでいた。
騎士は恐れているのだ。どんなかたちであれ、主君の関心を引いたカミューを。ひょっとしたら、自らの立場に成り替わり得る存在として。
皇子暗殺の「同志」だった第二白騎士隊長。ゴルドーに対する背反を企んでいたから始末した───カミューの語った「脚本」を、初めのうちこそ有り得ないと断じていた男。
けれど、受け入れるのも早かった。主君からの恩恵を分かつ人間は少ない方が良いといった計算が、あるいはそうさせたのかもしれない。
成程、あの男はゴルドーの信厚き人物であるらしい。
騎士団の誰も知り得ぬ抜け道の秘密。ゴルドーが直接出向いてくるなら、そのときカミューに伝える手もあった。にも拘らず、ゴルドーは騎士に情報を代弁させたのだ。それはつまり、あの白騎士がゴルドーにとって、先々も何かと有利にはたらきそうな秘密を共有させるほど重要な部下だということだろう。
騎士も、主君が自らに寄せる信を充分に弁えている。横暴ぶりはゴルドーの庇護に根差すもの、だとしたら、同じ情報を与えられ、これから「大仕事」に臨むカミューを警戒するのは当然だ。暗殺の成功は、騎士とカミュー、ゴルドーの中での両者の比重を変える材料にもなりかねないのだから。
白騎士隊長の今後はゴルドーの立場如何にかかっている。だから何としても皇子には──即位する前に──死んで貰う必要がある。けれどカミューの成功も望ましくない。そんな複雑なる胸中が、あの不自然なまでの多弁と、角燈を譲ろうとしなかった吝嗇に現れているのだとカミューは考えた。
この先、どれくらいの距離があるのか。道は緩やかな上り坂で、勾配の負担を感じさせないように屈曲を繰り返す街の主要路よりは、目的地に一直線となっているのが分かる。
それでも首府都をほぼ横断するのだから、相応の時間は掛かりそうだ。貴重な明かりは少しでも長持ちさせねばならない。カミューは、最短の一本を残して蝋燭の火を吹き消した。途端に闇は色を増し、土壁に映る影が脆くなった。
いざとなれば「烈火」があるが、火魔法の発動には相応の精神力を使う。ただでさえ、この数日は満足に睡眠を取っていない。詰まらぬことで疲労して、反射や判断を損なう危険は冒せなかったのである。
ひたすら歩むしかない諦観を紛らわせるべく、いつしか回顧に陥っていた。
初めてロックアックスの街に足を踏み入れた日。決意を抱えて馬を進め、礼拝堂の前まで至ったとき、思いがけず「彼」に出会った。
暴漢に囲まれながら、呑気なほど泰然と構えた姿には何処か不可解な光があった。従者の物言いから、身分ある者と知れたが、彼は騙らず、ひたすら謙虚だった。
最初に抱いたのは好感。それがすべての狂いの始まりだった───

 

永劫にも思われる洞穴。三本あった蝋燭も、最後のひとつとなろうとした頃。
響く足音に微妙な変化が生じたのに気付き、カミューは手を伸ばして、より前方へと燭台を差し向けた。揺れる火に映し出されたのは、これまでの側面とは異なる、漆喰によって塗り固められた行き止まりの壁だ。
傍に寄ってみると、壁の下半分ばかり、色合いが周囲とは違う。指先で埃を拭ってみると、騎士が言った通りの木板らしきものが覗いた。これが本来の抜け道へと繋がる扉なのだとカミューは悟った。
教えられたように下方を押すと、板は鈍く鳴きながら口を開いた。が、押し上げるにはかなりの抵抗がある。開いた隙間に差し入れた手には布の感触が触れた。国旗で隠してあるという情報は正確だったようだ。
ひとたび燭台を地面に置き、何とか隙間を保ちつつ、半ば這うような格好で戸板を潜り抜ける。それから明かりを取り戻してみると、こちら側の面は実に巧みに塗装が施されていて、この出来栄えなら、布で隠さなくても容易には判別が叶わないのではないかといった具合だった。
覆いとなっている布切れを捲り上げた途端、苦行のためばかりではない、感嘆の溜め息が洩れた。小さな火が映し出したのは、辿って来た道とは比較にならない、立派な通路だったのだ。
幅こそ狭いが、一見したところでは城の廊下と大差ない。床も側面も石で固められ、壁には等間隔に蝋燭の備えまである。
足を進めてみると、何体かの騎士像が置かれていた。
薄暗い中に突如として浮かび上がる像は、通路を護る兵卒とも映る。自然、警戒のため前進する速度は落ちるし、像の間に本物の騎士が紛れ込めば不意も打てる。つまりこれは、侵入する「敵」に対する備えなのだ。
アルダの子孫の屋敷へと続く道とは違って、長い歳月をかけて整えられた結果なのだろう。一口に抜け道と呼ぶのが躊躇われる、実に見事な通路だった。
尚も進むと、初めて道が分岐した。白騎士から受け取った地図を開いたところ、直線状に進む一本が印で塞がれている。明かりを掲げた限りでは見えないが、その先は少し行ったところで行き止まるらしい。
通路を折れ、次の分岐を進んでいるとき持参した燭台の火が燃え尽きそうになった。やむなく、壁に設えられた蝋燭をひとつ拝借した。
どれくらい歩いたか、最初は間遠だった分岐路が次第に増えてゆく。暗がりによって位置感覚や方向感覚が狂わされるが、確実に城に近付いている証拠だろう。
地図に記された最後の十字を曲がったとき、前方に仄かな光が舞った。
───白騎士団長ゴルドー、王族の一員に叙せられながら、若き甥を亡き者にせんとする簒奪者。王と並んで国を守護する筈だった男が、道の先に所在なげに佇んでいる。気配に気付いたのか、角燈を翳しながら向き直った男は、カミューを認めるなり、安堵めいた溜め息を洩らしたのだった。

 

 

 

 

ゴルドーは、少し見ないうちに恐ろしく老け込んだように映った。何と切り出すか思案するうちに、暗い目を細めて男は言った。
「久しいな、カミュー……城から消えて半月にもなるか」
「無断で姿を眩ませることになってしまい、お詫びのしようもありません」
優美な会釈で陳謝した後、低く言い添える。
「お聞き及びでしょうが、心ならずも第二隊長を手に掛け、その場を赤騎士に見られてしまいまして───」
ひとたび身を隠さねば「契約」に破綻を来しかねなかった、そう続く筈だった弁明は、しかし無表情に遮られた。
「それはもう良い」
仮にも「忠臣」の一人が失われたのだ。騎士を介した説明だけでは満足せず、直接話を聞いてくるだろうとの予想が裏切られ、知らずカミューは呆けた。
そんな表情を一瞥し、ゴルドーはゆるゆると目を伏せた。
「マイクロトフに寝返ろうとしたため殺した、……そう聞いた。詫び言を用意してきたのなら不要だ、裏切者は始末されて当然───いや、おまえには契約外の仕事であったな、礼金が欲しくば、後でくれてやる」
白騎士団・第二隊長は故郷の村を襲った実行犯、憎んで余りある存在だった。けれど、上官だった男のあまりにも淡白な反応は、カミューにとっても快いものではなかった。堪らず反感が口をつく。
「長く仕えてきた側近だったのでは? そんな人間を、お会いしたばかりのわたしが殺したというのに、容易く納得してしまわれて宜しいのですか」
するとゴルドーはカミューを見詰め、陰気に笑った。
「妙なことを言う。何かの間違いだ、奴を返せ───とでも責めて欲しかったか? わしが「忠誠」などという不確かなものを信じていると思っていたのか」
それから顔を逸らすようにして言い募る。
「人は裏切る。部下とて同じだ。おまえのように金で割り切る人間の方が、余程頼みになる」
謀略を巡らせる者には、周囲の裏切りは致命的な痛手になる。ゴルドーにとって不利となる情報を手土産に皇子側に寝返ろうとした第二隊長───捏造した筋書きは、痛点を衝いていたらしい。
考えながら言葉を接いだ。
「……とは仰いますが、第三隊長殿のことは信頼しておいでなのでは?」
「背かぬだけの旨味を与えてやっているからな」
ゴルドーは軽く応じ、やや沈んだ口調で付け加えた。
「あやつにも……第二隊長にも、そうしてきたつもりだったのだが」
これが、マイクロトフとの決定的な違いなのだろう。
部下を情で繋ぎ止められず、利で縛ろうとする男。だから相手にも衷心を求められない。そんな負の循環に、おそらくゴルドーは気付いてさえいない───

 

「……時間は大丈夫ですか?」
さらりと話を変えると、ゴルドーは懐から時計を出した。
「問題ない、日の出まで一時以上ある」
角燈の蝋燭はかなり減っていて、だいぶ前から待っていたと見えた。問うてみると、「どのみち城に居ても、することがない」という返答だった。
ゴルドーは、背にしていた壁のマチルダ国旗を捲り上げた。そこにも、人が通り抜けられるくらいの木扉が潜んでいた。歩み寄ったカミューが布を押さえると、彼は扉を押し開け、内部を窺った。
「この先に礼拝堂がある」
教えたところで城へ戻ると思いきや、ゴルドーは豊満な体躯を揺らして扉の内に踏み入った。どうやら最後まで案内を果たすつもりらしい。
王位に就けば、マイクロトフは白騎士団長の解任権を得る。暗殺の成否はゴルドーの進退すべてを決めるのだ。平然と振舞っているようでも、のんびり城で夜明けを待つ心境にはなれないのだろうとカミューは考えた。
最初の洞穴と同様の道を、ゴルドーを追い掛けて歩き出し、その背に軽く呼び掛ける。
「それにしても……こんな抜け道があったとは驚きました。式の警備案でも全く取り上げられていなかったのですが」
「成り立ちは聞いたか?」
「ええ、他に存在を知る者はいないとか……。皇子でさえ知らぬものを、どうして御存知だったのです?」
先を行く歩調が幾許か遅くなる。それはな、と前方に向けた顔を動かさぬまま男は言った。
「父親に聞いたからだ」
「……先代皇王に?」
「そうだ」
そこで束の間の沈黙が生じた。無言がどんな胸中によるものなのか、量ろうとする前に男は切り出した。
「わしは親の再婚によってマイクロトフの母───先代皇王妃の義理の弟となった」
そのあたりはカミューも聞いている。前を行く男に見える筈もないが、反射的に頷いていた。
「連れ子だったわしは、、本来、皇王家の系譜に載るような立場ではなかったが、皇王たっての希望で王族の一員に叙せられた。その頃、既にわしは将来有望な騎士として一目置かれ始めていたからだろう」
声音に混じる自嘲の響き。初めて語られるゴルドーの内情に、カミューは黙して聞き入った。
「初めは誇らしく思ったものだ。早くに父を亡くし、片親で育てられて、剣の腕だけを頼りに騎士団に入った。それがどうだ、一夜明ければマチルダ皇王の親族と呼ばれる身になった。王はわしを義弟として遇した───だから励んだ。期待に添うよう、王族の名に恥じぬようにと、我武者羅につとめた」
だが、とゴルドーは空を仰いだ。
「手柄を立てて昇格する。周囲は言う、「流石は皇王陛下の義弟君」……、ほんの僅かでも失態を犯せば、「皇王陛下の義弟ともあろう者が」───わしの行動は、何もかも王を基準に量られる。いつしか知った。皇王の義弟という立場は誉れではなかった。重い荷であり、枷なのだと」
「…………」
「それでも、騎士として地位を極めさえすれば、そんな頓着から解き放たれる日も来ると期待して、ひたすら真面目につとめ続けた」
それが、かつてのゴルドーの評価に繋がるのだろう。皇王が死ぬ以前、彼は誰からも称えられる騎士であったと聞く。見守るカミューの先、ゴルドーは不意に足を止めた。
「だがある日、気付いてしまった。マイクロトフが気付かせた」
「え……?」
「皇王家に産まれたというだけで、マイクロトフはすべてを手に入れる。わしが血を吐く思いで勝ち取ってきた以上のものを掴む。幾つも年下の若造が……己の立場も弁えず、「騎士になりたい」などとほざく青二才が! マティスの直系であるというだけで、わしがどれほど力を尽くしても得られぬものを、その身に流れる血ひとつで掴むのだ!」
声を荒げた男を前に、カミューは呆然と瞬いた。少し前までの自身を見た気がしたのだ。
皇王家を断絶させてマチルダの支配権を得る。勿論それもゴルドーの目的の一つだろう。だが、マイクロトフを殺そうとする本当の理由は、いま語ったところに起因するのだと知った。
王族の一員に加えられても、聖人の直系血族でないゴルドーに王位は無縁だ。
けれど間近にマイクロトフが居た。唯一の王位継承者として、未来を約束された存在が。
互いの立場を比するうちに殺意が芽生えた。白騎士団長として次代の王を支える、それが順当かつ最良の生き方だったであろうに、分を越え、道理を振り捨てて奪う道を選んだ。
皇王家の血によって歪められた男───ゴルドーの姿は、父親の血を憎んで息子を殺そうとしてきた自らのそれに重なる。理不尽を、そうとは認められず、頑に一念を守り通そうとする様は、醜く、けれど哀れでもあった。
ふと思い立って問うてみる。
「……この抜け道の存在は前皇王から聞いたと言われましたね」
「そうだ。処分するのさえ忘れられたような古地図だの、建て増す以前の城の設計図だのを眺める、変わった趣味があったのだ。たまたま礼拝堂とアルダ邸への通路、それにまつわる覚書を見つけたと……何年も前に茶呑み話に聞いた」
皮肉げな笑みが浮かんだ。
「わしは「良き義弟」だったからな、そうして茶の席に呼ばれては、四方山話を聞かされたものだ。先代の白騎士団長を伴って探索に勤しみ、実在を確かめたとも言っていた。マイクロトフに教えなかったのは、自分も行ってみたいと言い出しかねなかったかららしい。整備されていない抜け道には何が起きるか分からぬ。大事な世継ぎに危険があっては、という親心……だったのだろうな」
成程、とカミューは思った。
正規の経路は無論マイクロトフも知っているだろうが、世情が安定している今、記録から葬り去られた抜け道の存在は不可欠な情報には当たらないと判断された訳だ。まして豪胆にも「探検」に臨んだ男の息子だ、知れば確実に己の目で確かめたいと考えた筈だろうから。
再びゴルドーが口を開いた。
「組織の常道だからな、青騎士団は──渋々だろうが──わしにも警備案書の写しを提出して寄越した。抜け道があると奴らに伝わっているなら、当然考慮が為された筈だ。結局、マイクロトフに教える機会を持たぬまま王は死んだのだ」
「……お話を伺っていると、前皇王はゴルドー様に対して、心からの親愛を抱いていたように思われますが」
「わしの前の白騎士団長は、王が譲位したら自分も団長位を退くと常日頃から言っていた。次の王───マイクロトフの治世を支える中心にわしを据えるため、親密を深めておこうとしていただけよ」
「皇王のことも……憎んでおられたのですか?」
答えは明快かつ殺伐としたものだった。
「殺したいほど、な。わしは比較的早いうちに白騎士団副長の地位を得た。けれどそれを実力と見る者がどれだけ居たか……。マイクロトフが王となったとき、親族であり、白騎士団長であるわしが隣に並ぶ、そのための根回しだと陰口を叩く輩も少なくなかった。白騎士団長となった後、纏めて騎士団から放逐してやったがな」
カミューの顔に浮かんだ色を読み取ったのか、ゴルドーは殊更に朗らかを装った。
「分かるか、カミュー。王だから、王の息子だからというだけで尊重される者が居る。その一方で、わしは何の意味もない、枷でしかない王族の名の許に、誇りを奪われ続けてきたのだ。だから今度はわしが奪う番だ。マティスの血族を滅ぼし、この国を手に入れてやる」

 

───このときゴルドーに覚えた情感を、一言で表わすのは難しかった。
カミューの知る騎士たちは、男の言うように「王の威光」に惑わされる人間とは思えない。妬心に逸り、他者の努力を認めぬほど狭量な男たちではなかった。
だが、すべてがそうとは限らない。女子供を平然と虐殺した騎士が居たように、組織とは、必ずしも正道を貫く者のみの集まりではないのだ。
だからゴルドーの心情は、まるで理解出来ない卑屈とは言い切れない。
ただ、一つだけ。
少なくともマイクロトフは、たとえ王位継承者でなかったとしても、今と等しく愛されただろう。
何故なら、彼が周囲の者たちを愛しているからだ。
信じる、護る、己を高める。愚直なまでに信念を貫こうとする人間だからだ。
もしゴルドーと同じ境遇に置かれても、彼は過たない。たとえ不当な悪意が向けられようと、歯を食い縛って乗り越えて行く雄々しい姿が眼裏に浮かぶ。
それがマイクロトフという男だ。カミューが愛した男の、真の強さなのだから。

 

「マチルダは繁栄期にある。しかし、絶頂の先には凋落が待っているだけだ。更なる繁栄のためには、古き軛を壊して進まねばならぬ。わしにはそれが出来る、ここで頓挫する訳にはゆかぬのだ」

 

この男に、もはや翻意の機会は訪れまい。憐憫を覚えないでもないが、ゴルドーの描く未来に共感は抱けなかった。
一度は自らの手で、皇子と一緒に「始末」しようとも考えた相手。だが、それももう叶わない。あとはマイクロトフと騎士たちが果たすだろう。人の好い彼らのことだ、今の話を聞けば、多少なりとも恩情を加えた結末に至るかもしれないけれど───

 

 

前進が再開された。長々と語ったのが幻であったかのように、一転してゴルドーは無言に徹した。
どうして彼が、そこまで胸中を吐露する気になったのか、カミューにも分からない。同情を誘うことで、より確実な成功を期待する───そういった姑息な計算は窺えなかった。
唯一、孤独は感じられた。ゴルドーには誰もいないのだ。心を割って話せる相手、失意の縁から救い出してくれる者を、彼は持たずにここまで来た。
騎士の中、最高の栄職に就きながら、己しか信じられぬ男。こうして「金で割り切る人間」にしか本音を洩らせぬ深い孤独が、前を行く、落ちた両肩に滲んでいた。
やがて道が終わりを迎えた。突き当たりの壁には、粗末な梯子が据え付けてある。ゴルドーは、その一段を握って強度を確かめ、軽く上方を見遣り、最後にカミューへと向き直った。
「礼拝堂の見取図は受け取ったな?」
「はい」
「一階の最南……廊下の右の端に、展示する価値を認められなかった聖人たちの私物を納めた部屋がある。そこの飾り棚が、アルダの屋敷と同じような隠し扉になっている」
カミューは男に並んで暗い洞を見上げた。梯子を昇り切れば、扉に行き着くらしい。小さく頷いて、目線で先を促した。
「入れ替わる際の手筈も聞いたな?」
「ええ。司祭らは、朝の祈りの後、二階広間で食事を取る。自室に戻ったところで式服を頂戴する、三階居住の司祭は避ける───でしたね」
なめらかな答えに満足げな首肯が返る。
「この抜け道が通じる遺品室は厨房と近い。気配で、司祭たちの動向は分かるだろう。広間に集まった時を見計らって部屋に潜り込むのだ。行動し始める機を違えてはならぬぞ」
「廊下で鉢合わせたら、司祭も驚くでしょうね」
軽口に、ゴルドーは渋い顔をした。
「笑い事ではない。その頃には礼拝堂の封鎖も解かれているからな。まあ……封鎖明け早々に飛び込んで来る騎士もないだろうが、一応気を付けるのだぞ」
「分かりました」
「更に先も承知済みだな? 壇上で、わしがマイクロトフに近づいた時を狙え。後は任せよ、おまえに似た背格好の人間を用意する。なに、罪人の取調べには拷問が付き物だ。顔さえ潰してしまえば、充分に身代わりとなろう」
不穏な台詞を薄ら笑いで言って退け、すぐに表情を引き締める。
「ただ……、あまり考えたくないが、万一の時にはわしの名を決して洩らすな」
「心得ております。ですが、失敗するつもりはありません」
───考え抜いた最後の脚本だけは。
心中で言い添える。聞くなりゴルドーは、ひょいとカミューの顎を掬い取り、ずいと顔を寄せた。
「頼もしいな……ますます気に入った。わしの専属となってはたらきたいという話だが、おまえならば歓迎しよう」
そのまま接近を続ける唇を、指先で軽く押し止める。
「前にも申し上げました。わたしは、色を売るつもりは……」
言い終える前にゴルドーは、障壁となったカミューの指を握り締めた。熱っぽい眼差しが注ぐ。
「この優しげな手を血に染めるより、楽な生き方だぞ。わしは本気だ、本気でおまえを気に入っている」
何がしか反応するまでは手を離しそうもない男の顔つき。カミューは嘆息し、弱く微笑んだ。
「……では、事が済んだら考えさせていただきます」
ゴルドーが見せたのは、してやったりとでも言いたげな満悦の表情だった。一国の支配者となる身を、拒む人間などないといった確信があるのだろう。漸く解放された手には、不快な熱が残っていた。
不意に小さな呟きが洩れた。
「マイクロトフが───」
「はい?」
「どうせなら、死に際にでも、手を下したのがおまえだと気付くと良いのだが」
ぞわりと総毛立つような一言だった。男の口元には今までにない冷笑が広がっている。
「あれほど入れ込んでいたおまえに裏切られ、無念の中で死んでいく……好意を踏み躙じられた感想とやらを聞いてみたいものだ」
カミューはゆっくりと目を伏せた。
裏切りを知ってなお、彼は変わらなかった。白刃を向けても怯まぬ強靭、それがマイクロトフの情だった。
あのまま剣を突き立てても、それでも彼の瞳は温かな光を失わなかったに違いない。

 

「そろそろ行く。マチルダ皇王家最後の日だ、くれぐれも頼んだぞ」
伝えるべきは伝えたとばかりに、ゴルドーは戻ろうとした。去り行く背に低く問い掛ける。
「一つお聞かせください。わたしの何処がお気に召したのですか?」
ゴルドーは足を止め、振り返らずに答えた。
「おまえは他の人間とは違う。わしの顔色を見ず、地位に跪かず、思ったままを口にする」
「……奇遇ですね、皇子も同じことを言っていました」
肩越しに顔を傾け、「そうか」とだけ呟いて、白騎士団長ゴルドーは闇の中へと消えて行った。

 

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おいコラ、
あんたら何ムード作ってんだよ。

……と、

己をゴンゴンしながら書いた回。
恐るべし、ゴルドー様の呪い(笑)
本当は、今回大悪党役のゴルドー様を
(少しだけ)救済するための回だったんだけどな……。

 

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