最後の王・107


闇深い道を行く細い影。人目を忍びつつ早足で歩を進める青年の、しっかりと立てた襟の内には、抑えようにも沸き上がる笑みが潜んでいた。
結局、最後まで誤解は正されなかった。
レオナ、そして娼館の娘にとっても、あの男は「何処かの令嬢」のままだった。
訂正するのも躊躇われ、敢えて誤解には触れずに調子を合わせてきたカミューだが、可憐でも奥ゆかしくもない男の機微を称して「女心」ときた瞬間だけは、神妙な顔を保つのに必死だった。

 

仇の子と知りつつ人柄を認め、殺すと決めながらも惹かれた心を、あの男は果たして何処まで理解していただろう。
祖父母が眠るマチルダ最北の村で、苦しげに、だが途中から開き直ったように求愛してきた男は、気付くまいと胸の底に押し込めていた感情を見透かしていたのだろうか。
愛の言葉を与えた覚えはないのに、彼は最後まで互いを繋ぐ情を信じていた。
───けれど、今は?
「きっと待っている」とレオナは言った。だが、差し出した手を振り払われ、裏切りの中に取り残されて、変わらぬものなどあるだろうか。
紛れもなく真実だった。掻き抱く腕の強さだけ、男の情愛は深かった。
それでも、国の頂に立とうとする身で、妃を娶って次代の王を残さねばならない身で、一瞬だけ心に波を立てた同性にいつまでも同じ想いを持ち続けられよう訳がない。否、持っていてはならない筈だ。
共に過ごした束の間も、いずれ思い出と変わって色褪せてゆく。
ならば、あの男の心に少しでも想いが残るうちに、永遠を刻み付ける。生涯捨て去れぬ楔となって、マチルダの未来に生き続けるのだ。

 

ものみな死に絶えたが如く、靴音だけが響いていた往来に、不意に大声が鳴り渡った。反射的に物影に身を隠したところ、少し行った道の先に男が居た。
どうやら酔っているらしい。住民、そして旅人にも宿泊中の店を通して「慎み」の触れは行き届いている筈だが、中には例外もある。
前祝いの酒が過ぎでもしたのか、ふらふらと通りに出てきてしまったのだろう。片手に小瓶を掴み、足をよろめかせながら、男は新王即位を祝して喚き立てている。
進む先を塞がれた格好になったカミューは、困惑して考え込んだ。このまま行けば鉢合わせてしまう。酒の勢いで絡まれては厄介だ。かと言って、こんなところで手荒な真似はしたくない。
男が居る場所から少し下った先で道が交差してる。せめてそこまで行ってくれないだろうかと思案しているうちに、別の人影が現れた。二人の騎士であった。
騎士たちは酔漢に数言ばかり声を掛け、両側から支えるようにして男の足を立たせた。それから交差する道の一片を指して、何事か確かめる風情で男を覗き込み、そろそろと歩き出した。
夜陰をぬって「決まりは守らねば」だの、「しっかり歩いて」だのと宥めすかす声が洩れ聞こえる。家まで送り届けようとしているらしかった。
一行が視界から完全に消えるのを待って、カミューはほっと息をついた。
外出制限令が出ている今宵も、通常通り警邏は行われていると聞く。予め警戒はしていたが、勾配のある街を南下するにつれて、騎士が頻繁に目につくようになった。
最南にある街門の外には、宿を取れなかった見物客が野営している。このため、問題事が生じた場合に備えて、見回りを多めに配分しているのだ。
ゴルドーに指定されたのは、最も街門に近い区画である。それだけ騎士と行き合う危険も高い。
カミューは剣帯から鞘ごと愛剣を外した。もしものときは、当て身を駆使して窮地を切り抜けねばならない。距離を保ったまま、鞘を鳩尾に叩き入れれば、顔を見顕されずに済む。ならば最初から手に握っていた方が動き易かろうとの思惑による仕儀だった。
それから幾度かカミューは闊歩する騎士に遭遇したが、闇に溶け込む黒い長衣と並外れた警戒の本能、反射の俊敏によって、恐れた事態を回避し続けた。そうして小半時あまり、遂に目指す一画に辿り着いたのだった。
首府都の入り手すぐという位置関係から、商区を予想していたカミューだが、そこは住宅地であるらしかった。程なく日も変わりゆく刻限、窓の明かりは少ない。
教えられた屋敷はすぐに見つかった。伸び放題の木々に囲まれており、一見しただけで無人の邸宅と見て取れる。石造りであるためか、廃屋の割には荒れ果てた印象も受けない───もっともこの感想は、昼のうちに見たなら、変わったかもしれないが。
高い塀に囲まれた建物を見上げ、カミューは今いちど四方を窺って人の気配がないのを確かめた。それから、錆び付いた門に手を掛ける。門は意外にもすんなり開いた。既に先客を迎え入れたためらしい。
冬間近とあって、屋敷の扉へと続く通路を侵食した雑草も枯れ染めている。纏わりつくようなそれを踏み分けて、玄関口に立ったカミューは、知らず剣を握った手に力を増しながら扉を押した。
ギギ、と不快な軋みを立てて内へと入った扉の奥はホールになっていて、小さな炎が揺らめいていた。
細い月と街灯の薄明かりに馴れた目ではあるが、炎の奥に立つ影を見定めるのは一瞬だった。唇が半月を象り、次いで低い声を放つ。
「お待たせしましたか、申し訳ありません」
影は───最後の道への案内人、第三白騎士隊長が不機嫌丸出しに答えた。
「今さっき着いたところだ。今宵は人目につかぬと気楽に構えていたが、警邏騎士の馬鹿正直な謹直ぶりには難儀した。出歩く者も少ない日だというのに……適度に手を抜くことを知らぬのか、あの連中は」
見解の相違だな、とカミューは内心で侮蔑を吐いた。
「手抜き」に慣れ切った男には、つとめに忠実を貫く騎士が滑稽に映るらしい。どちらが正しいかは言わずもがなだ。自らが手を打たずとも、新王即位の後、この男の権勢は長続きしなかっただろう。
「女将たちに、しっかり別れを告げてきたか?」
この先どう事態が進もうと、相見える機はなくなる。そんな言外の心情があからさまで、カミューは不快を殺して目を細めるしかなかった。
「気にしていただく程の情はありません。金を払ってくれる人間以外は、道の踏み石のようなものです」
「するとわたしも、貴様の踏み石という訳か」
すかさず上げ足を取った騎士を平然と受け流す。
「ゴルドー様へと続く大事な石、……と申し上げれば、満足なさいますか? 止めましょう、今は同じ御方を主人と仰ぐ者同士、互いに目的を遂げるため、協力し合うときなのでは?」
ぐっと詰まる様子を見せた白騎士は、少しして力を抜き、近寄るようにと身振りで促した。
角燈を置いた卓には椅子が二つ用意されている。その一方に腰を落ち着けるなり、男は窺う眼差しでカミューを見上げた。
「式の流れは頭に入っているのか」
はい、と同じく椅子に座しながら答えるカミューだ。
「青騎士団が作った警備案書に添えられていた式次第程度なら」
「礼拝堂の見取図は?」
「式が行われる本堂と、続きの間になっている控え室ふたつ……、これらの図面は見ました。後は建物の全体図ですね、出入口の場所は覚えています」
ふむ、と白騎士は眉を寄せた。
「すると、司祭たちが居住するあたりの間取りを記した図はなかったのだな」
言い差して、騎士服の上に羽織った暗色の外套の隠しから取り出したものを卓上に滑らせる。視線を落とすと、それは手持ちの品よりも遥かに詳細な礼拝堂の見取図だった。
「しかと聞き覚えろ。貴様は明日、司祭の一人に成り替わるのだ。皇子と同じ壇上に立ち、暗殺を決行する」
この初手は、僅かならぬ驚きをカミューに与えた。
「司祭と、……ですか? 司祭の中に、ゴルドー様に与する者が居るのですか」
「そうではない」
騎士は苛立ったように一蹴し、「だったら事はもっと容易かった」と舌打ちした。
「御陰で、先日来より過去の式典の記録と首っぴきだ。良いか、明日の司祭たちの動きはこうだ。日の出前に起床、堂内にて最後の祈りを捧げた後、広間で軽い朝食を取る」
図面からいくと、本堂の奥は三階建ての構造になっている。一階部分は本堂から続く控え室、および厨房や風呂といった生活施設に占められており、これはカミューの持つ図面の半分と一致する。
細かく区分けされている二階層は司祭たちが寝起きする部屋らしい。「広間」と称された大きめの一室は、廊下を挟んで面し合う個室群の南の端、突き当たりにあった。
更に、大小三つに分かれた三階部分が、司祭長マカイと古参の司祭二名の居室になっていると騎士は説いた。
「食後、ひとたび各人は自室に戻って、式典用の身支度を整える。その機を衝いて司祭と摺り替わるのだ」
「……しかし」
カミューは慎重に言葉を差し挟む。
「些か無理があるのでは?」
「見顕されるのを案じているのか? そうか、貴様は知らんのだな。マカイを除いた司祭の装束は、実に都合の良い隠れ蓑だ。あれを纏ったが最後、親兄弟でも判別は難しかろう」
くすくすと忍び笑って、暗い瞳を光らせる。
「武器どころか、子供ひとり隠せそうなほどの余裕を持たせた作り……、さながら暗殺のために誂えたような衣装だ」
───それで礼拝堂の出入りを制限して入れ替わりを防いでいるのか。
心中で納得しつつ、カミューは続けた。
「とは言っても……司祭がどう振舞うのか、式次第に記された程度しか知らぬ身で、代役を演じられるものでしょうか。顔は見顕されずとも、声を出せば別人だと分かってしまうでしょうし……」
鼻先で笑った騎士が、ゆったりと椅子の背に凭れた。
「式の一連の流れは簡素そのもの、しかも演習を重ねた上での本番だ。今更、打ち合わせる要素は残っていない。貴様は、食事を済ませて戻ってきた司祭を始末して、用意されていた式典服を着る。それから───」
控え室の片方、本堂から見て右手側にある一室を指す。
「ここへ行けば良い。司祭長が垂れる訓辞を聞いた後、他の司祭連中と共に本堂へと進む。整列の順序は、周りの動きに留意すれば自ずと知れるだろう。もう片側の控え室には絶対に近付くな。皇子のみならず、国賓たちもこの部屋を使うらしい」
与えられる情報を整理する白い貌に、探る瞳が当てられた。
「……今になって臆したか? 式中の決行を宣言したのは貴様だ。ゴルドー様の子飼いとなるため、多少の困難は承知の上で大口を叩いたのではなかったか。いや……、然したる困難とも言えまい。最大の難問だった堂内への潜入手筈は、こちらが整えてやるのだ。司祭に成り替わり、連中の動きに倣いながら皇子に刃を入れる───これくらいの真似は、貴様の傭兵としての才覚をもってすれば造作もなかろう?」
厭味調子を隠しもしない男に軽く肩を竦め、尚もカミューは思案に暮れた。
「……どの司祭が、壇上で最も皇子に近い立ち位置を取るかは分かりませんか?」
式次第では、王位継承者が司祭長から宝剣ダンスニーと冠を受け取った後、司祭に加護の所作を与える、とある。新王の御前に順を追って進み出る、それが壇上右手にて立ち並ぶ司祭たちの唯一の動きなのだ。
白騎士隊長は淡々と答えた。
「そこまでは調べ得なかった。誰と替わっても大差あるまい、適当に選べ。但し、三階に寝起きする者は除外しろ。司祭長は論外、残る二人も左側の控え室を経由して壇上に上がるからな」
古株の司祭たちが剣と冠を携える栄誉を担っているのだとカミューは理解した。
司祭の長によって次代の王に捧げられる宝剣ダンスニー。凶悪な中にも清廉だった幅広の刃に刺し貫かれた日の、遠い痛みが蘇るようだった。
さて、と白騎士隊長は居住まいを正した。
「決行の頃合だが……、忠誠の儀を狙えとゴルドー様は仰せだ」
「忠誠の儀───」
ああ、とカミューは小首を傾げた。
「全騎士を代表して白騎士団長が新皇王に忠節を誓うという、あれですか」
「そうだ。ゴルドー様が皇子に剣を捧げ持つ、その瞬間を狙うのだ。ゴルドー様が貴様を取り押さえる、我々配下の白騎士が貴様を捕縛し、直ちに城に連行する───後は貴様の望み通りだ。演出は派手な方が良い。貴様も少しばかりゴルドー様に斬られた方が、より見栄えがするのではないかと申し上げたのだが……」
そこで騎士は言葉を切り、粘ついた視線でカミューを舐め回した。
「出来れば無傷で貴様を手に入れたいと仰せになられた。いったい、どんな魔術を使った? そちらの趣味はお持ちではないと思っていたのだが」
堪らずカミューは苦笑した。一度だけ二人で話す機会があったが、それらしい秋波を送ってきていたのを思い出したのだ。
「……さて、覚えがありませんね。それを言われるなら、わたしもそちらの趣味は持ち合わせていないのですが」
まあ、と小声で付け加える。
「首尾良く万事を終えたら、考えてみると致しましょうか」
すると白騎士隊長は面白くなさげな調子で鼻を鳴らした。胸元から懐中時計を取り出し、刻限を確かめると、角燈を手に立ち上がった。
「そろそろ行くぞ。痕跡を残さぬよう、心掛けろ」

 

 

 

 

古びてこそいるけれど、立派な屋敷であった。無人となってからどれほど経つのか、打ち捨てられた調度品が立派なだけに、よりいっそうの物悲しさを誘う。
白騎士隊長の歩みは、ホールの先、地下へと続く階段へと進んで行く。下方は月明かりも届かず、完全な闇だ。男の持つ角燈だけでは心許なく思えた。
廊下の端まで窺い見ると、使い差しの蝋燭を残した燭台があった。見事なまでに蜘蛛の巣が張っているが、使えないことはなさそうだ。燭台を得て、早足で戻ったカミューに気付いて振り返った騎士が、火を移そうと、手持ちの角燈の小扉を開き掛けた。
そんな男に首を振り、右手を軽く掲げる。闇が一瞬だけ赤く煌めき、次の刹那、埃だらけの蝋燭に一斉に小粒の炎が灯った。
「……火魔法、か。薄気味悪い術だ」
胡乱げな呟き。聴き止めて、階段を降り始めた男の背へとカミューは言った。
「騎士団も、回復や補助系紋章の恩恵に与っているのでは?」
すると、短い沈黙を経て、渋々といった響きが「それは認める」と応じた。次いで、嫌悪も露わに続ける。
「だが、攻撃魔法は別だ。剣で戦う武人にとって、あれは間合いの外から襲い来る尋常ならざる攻撃、卑劣な技でしかない」
同じ剣士として、この意見にはある種の同感を覚えなくもないが、敢えてカミューは異論を述べた。
「けれど、時には身を護るための力ともなります」
───敵に囲まれ、斬られる寸前だった宿主を救うため、紋章は目覚めた。
あのときは為すすべもなく、魔性の咆哮を見詰めるしかなかったけれど、「烈火」の力を支配下に納めた今なら、別なる対処も可能だ。
結局、「力」が脅威となるのではなく、持ち手の心がすべてを決めるのだと、今は思うカミューであった。
白騎士隊長が、そんな一言をどう取ったかは分からない。ただ低く言うのみだった。
「魔法如きに頼らずとも、己の身は己の武力で護る。わたしはそうしてきた」
最後の段を踏み切り、角燈を掲げて周囲を窺う男。続いて降り立ち、倣って燭台を巡らせたカミューは、そこが広々とした物置部屋になっているのを知った。
処分された後なのか、物品は少ない。床に無造作に置かれた壷が数個と、まばらに本を残した大きな書棚。目についたのは、そのくらいである。
「ここはどういった屋敷なのですか?」
露ほども返答を期待せずに問うたが、意外にも騎士はすんなり応じた。
「アルダの子孫が暮らした家───そう伝えられている」
「……と言うと、あの?」
「そうだ。独立戦争の英雄の一人、「騎士団の父」と称される聖アルダ。その、最後の直系子孫の屋敷だったと記録されている。もっとも、アルダとその子孫にまつわる品々の殆どは礼拝堂に移されているから、見ての通りの有り様だがな。処分の決断が下されぬまま今に至った「忘れられた遺物」とでも言えば良いか。わたしも、此度のことがなかったら、このロックアックスにそんな代物が在ったとも知らずにいたろう」
言いながら騎士は、書棚へと進んだ。床と天井を交互に確かめ、空いた棚板に角燈を置くなり、横板に手を掛けた。然して力を入れたようにも見えなかったが、あちこちから鈍い軋みが上がり、見る間に書棚は横へと動き始める。
「あ……」
歩み寄って燭台を翳してみると、書棚の裏の壁には横一線に、幾本かの溝が刻まれている。一方で、ゴロゴロという微かな音が鳴っており、そこでカミューは、この書棚本体が可動式になった隠し扉なのだと悟った。
完全に書棚を動かし切った後には、ぽっかりと大穴が開いた。明かりで内部を照らすと、想像よりもずっと見事な通路になっている。知らず感嘆の息を洩らしたカミューを横目で見遣り、白騎士隊長は含み笑った。
「……建国を宣言した後も、マチルダは国内に居座るハイランド兵と幾年にも渡って戦いを重ねた。この経験が、現在のロックアックスの基盤となっている。山肌に添った急勾配の街、火矢に強い石造りの家屋───戦に万全の備えを有す首府都。王城が築かれた際には、王を脱出させるための隠し通路が真っ先に作られた。途中、幾つかに枝分かれし、正しい道筋を知らぬ敵には迷路にもなる道は、城と街のほぼ中心を繋いでいる。かつてハイランドによって洛帝山で働かされていた抗夫たちは、実に優秀な技術を持っていたらしい。然して時を要さず、抜け道は完成した」
「…………」
「国内からハイランド兵が完全に消え、近隣諸国とも友好を結び、首府都に攻め込まれる危機が薄れた今、抜け道の存在は、王と騎士団要人のみに伝えられる情報となった。だが───」
ふと、騎士は肩を震わせた。
「これは皇子も、騎士団の誰も知らない。抜け道は、礼拝堂、そしてこの屋敷にも通じているのだ」
「……何ですって?」
終に堰が切れたように騎士は声を殺して笑い出した。
「とんだ落とし穴もあったものだ。知っているか? 独立戦争で没した二人の英雄を奉る社は、初めは城の敷地内にあった。今の場所に礼拝堂が造られたのは英雄の孫子の代になってからだ。当時の司祭長には、騎士団長と同じく、アルダの血筋に連なる人間が就いていた。つまり礼拝堂は、王城と同格の重みを持つ「英雄の子孫の住まい」だった訳だ。故に、枝分かれした通路の一つが礼拝堂にも通じていた」
そこで騎士は一息入れた。
「ただ、これを知った司祭長が───どうやら相当に頑固で杓子定規な人物だったようだな、「自身らは皇王一族とは一線を画すもの、王と同じ扱いを受けては道理に外れる」と断じて、枝道を埋め戻すようにと願い出た。王にしてみれば、司祭長は、建国のために戦い、騎士団の礎をも作った今ひとりの聖人の血を継ぐ人物だ。意向は捨て置けないが、アルダの血脈を護るのは皇王家の責務でもある。結果、苦肉の策……即ち、偽装が図られたのだ」
「塞いだと偽って、実はそのまま残した、と……?」
そう、と笑みを納めて騎士は通路の奥を凝視する。
「程無く、騎士団長だった最後の子孫が戦没して、アルダの血脈は絶えた。王の厚情は届かなかった訳だ。抜け道は、この屋敷へも通っていた。街が攻められたときには、家人は礼拝堂に逃げ込めるし、城に入ることも出来る。片や王も、聖人の片割れの子孫を伴いつつ、城からの脱出が果たせる───建国の英雄の末裔らに対する、マチルダ最大の敬意と愛情……とか言うものかもしれぬな。歳月を経て、それが裏目に出ようとは……皮肉な話だ」
応えず、黙したまま、カミューは考え込んだ。
騎士団の人間が知らないというのは事実らしい。礼拝堂に侵入する経路があるなら、皇子の側近たちが警備の焦点に挙げていただろう。
表向き「埋め戻した」とされるなら、今現在礼拝堂につとめる司祭たちも、そう信じている、あるいは過去に抜け道が存在したとさえ知らされていない可能性が高い。
だが、残された皇王家の最後の一人までもが知らないということは有り得るのだろうか。そして、この男は何故それを知っているのか。
「……どうして?」
無意識に口走っていた。
「皇子すら知らぬ事実を、何故そこまで知り得たのです?」
さあな、と騎士は生返事を洩らす。
「教えていただいた通りを伝えたまでだ。知りたくば、直接お聞きしたら良かろう」
「えっ?」
角燈で通路の先を指し示すようにして、いっそう低くなった声が言った。
「このまま道なりに進んで行くと、壁に突き当たる。だが、中央の部分は薄い木の板になっていて、下部を押すと前方に持ち上がる扉状になっているらしい。その先を右へ行くのが、騎士団でも知られている、街中に出る本筋の経路。この屋敷への扉は、マチルダ国旗によって、路側からは分からぬように覆ってあるのだそうだ」
噛んで含めるような言が続く。
「扉を抜け出たら左へ折れて、後はこの通り進むが良い」
言いながら差し出した小さな紙面は、幾つもの印が書き込まれた地図であった。
「印のついている通路は、侵入者を欺くための横道だ。そこを避けて進めば、自然と城に近づく」
そして、ある一点に指を止める。
「ここが礼拝堂への分岐地点、ゴルドー様が貴様を待っておられる」
そこまで告げるや否や、騎士はくるりと向き直った。外套の合わせを手繰り寄せ、やけに慇懃に会釈する。
「伝えるべきは伝えた。明日は貴様の手腕とやらを、とっくりと拝ませて貰おう。分かっているだろうが、失敗すれば命はないぞ。ゴルドー様が何と仰せになろうと、そこまでの寛容は、わたしにはないからな」
───健闘を祈る。
付け足し染みた小声で言い添えて、騎士は数歩後退した。カミューが通路に踏み出した後、隠し扉を元に戻すつもりらしい。書棚に掛けた手を無言の促しと認め、カミューは小さく一礼した。


 

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大っ嫌いなヤツとの逢引の次は、
暗いよ狭いよ地下道探検。
ここを書くため、
蝋燭片手に、家中の電気を消して
ちゃんと歩ける明るさかどうかの実験に勤しみ、
洗面所の鏡に映った己の姿に怯えてみたり。
楽しくも物悲しい体験でございました。

 

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