「……さて、揃っているな」
ゲオルグ・プライムが騎士たちを見回す。同じく、若い赤騎士が室内の面々を一望しながら声を上げた。
「フリード殿を待たなくて良いんですか?」
年頃が近く、一緒に行動する機会も多かったため、若者は皇子の従者に並ならぬ親しみを覚えている。最後の情報交換には何としても同席したいだろうと、そんな配慮から出た一言だった。
これには青騎士団副長が優しく答えた。
「各国代表が晩餐より戻ったら、こちらへ合流するよう申し伝えてあるよ」
次いで、座で唯一椅子を使わずに窓脇の壁に背を預けて立つ青騎士隊長が含み笑った。
「ゴルドー主催の晩餐で、そうそう話が弾むとは思えない。従者殿も早いうちに解放されるだろうから、先に始めていても不都合なかろう」
白騎士団長の唐突な申し出は、各国代表を戸惑わせた。これは騎士たちにも同様である。
陰謀を知って皇子に加担する気になった代表らは、半ば興味も相俟って申し出を受けた。会食の合間に、ゴルドーがぽろりと皇子に有利となる事実でも洩らさないか、との思惑もあったようだ。夜の訪れと共に、一同は貴賓室へと出向いていった。
丁度それと入れ替わる頃合で、赤騎士団・第一隊長が帰城した。
半月あまりもグリンヒル公都で諜報に励んだ騎士に、会って感謝を述べたいと望んだ皇子だったが、これは副長たちが止めた。日が落ちるのを待ち、努めて人目を避けて入城したのに、皇子が直々に出迎えたとあっては、誰の注意を引かぬとも限らない。諭された皇子は、心を残しながらも、当初の予定通り東棟の客間で各国代表の戻りを待つことになったのである。
斯くて、皇子に味方する者の拠点・西棟の一室にて最後の情報交換が始まった。分散して行動していたために、未だ知らぬ事実がある。これを共有することが第一歩なのだ。特に赤騎士隊長は、不在中に発覚した「先代白騎士団長の行方」に絶句して、もはや憤りの言葉も出ない様相であった。
「ところで……エミリア殿と元・大臣もロックアックス入りしたのだろう? どちらにお通ししたのかね」
上官に問われ、彼は顔中に現れていた不快を即座に消した。
「城に迎えてゴルドーに気取られる訳には参りませぬし、街の宿には既に空きがなかったので、一先ず今宵はわたしの家に……。共にグリンヒルから戻った部下を数名、警護と見張りに置いて参りました。明日、礼拝堂でお目に掛かりましょう───との、エミリア殿からの伝言です」
「城下の自宅か、抜かりないな。それで、元大臣とやらの証言は大丈夫だろうな? いざとなって翻されては元も子もないぞ」
ゲオルグの指摘には、苦笑混じりの言が返った。
「エミリア殿が付いている以上、御懸念には及ばぬかと。今後の処遇は明日の発言の誠実如何にかかっていると、事に触れては大臣に囁き掛けてくれておりますので」
「マチルダに留め置かれれば、間違いなく死罪相当。グリンヒルに処遇を任せたら……どうなるのだろうな」
首を捻る青騎士団副長に、考え込みつつ騎士は答える。
「ワイズメルに命じられて已む無く……との主張が認められれば、あるいは罪が減じられる可能性も残されるようです。エミリア殿がその点を示唆したため、今は羊さながらに従順なもので」
「実際のところ、グリンヒルは証言後の引渡しを求めているのかね?」
問われて、今度は幾分低い声音で騎士は言った。
「……いいえ、副長。すべて我々に一任する、と」
それを聞いて、ゲオルグがひっそりと笑う。
「この街まで一緒に旅した姉さんが、政務長官にまで出世するとは……実に感慨深いものがあるな。元大臣も、難儀な相手を敵に回したものだ」
次いで青騎士隊長を見遣った。
「侍医長の娘婿は?」
「街の外、野宿連中の一員と化しています」
そうして小さく溜め息をつく。
「進んで証言を申し出た心意気は評価に値するが、何ぶん気弱は否めません。ロックアックスへの道中で魔物にでも襲われたが最後、そのまま逃げ帰りそうなので、念のため護衛の騎士を送り、そのまま付き添わせてあります」
「最善だな。「民間人を危険に晒してはならない」と、あの皇子は言いそうだ」
ゲオルグが頷く傍ら、赤騎士隊長が感嘆含みに笑んだ。
「それにしても……侍医長の死亡を確認した後も、よくぞ諦めずに娘御の許まで赴いたな。この証言は大きい、入手に漕ぎ付けた功績もしかり、だ」
「ええ、まあ」
貴重な証言を得る替わりに、騎士として稀なる体験を味わった青騎士隊長は、小さく肩を竦めた。
「執念深さには、そこそこ自信があります」
「……褒めたのだが」
「それはどうも」
さらりと往なして男は続ける。
「しかしながら、わたしの労苦など、グリンヒルで情報集めに奔走した赤騎士御一同には遠く及ばない。知らせを聞いた折は、殿下が感極まって涙されるのではないかと案じられたものです」
「……半分くらいはエミリア殿の力だったがな」
軽く苦笑を零す男を、二人の副長が改めて慰労した。
「困難なつとめと知りつつ、果たし上げた献身、殿下は決してお忘れになるまい」
「然様、この場には同席されなかったが……直接ねぎらいたいと、マイクロトフ様は幾度も仰せだった」
「斯様に言っていただき、部下一同、騎士冥利に尽きます」
騎士が深々と頭を下げるのを見届け、さて、とゲオルグが居住まいを正した。
「これでお互い、聞き洩らした、あるいは伝えそびれた情報はないな。だったら本題に入ろう」
先ずは赤騎士団副長へと目を向ける。
「国賓連中には皇子が了承を取り付けたようだが、他の出席予定者の動向はどんなだ?」
「ロックアックスの各区長は、全員が出席の意思を違えておりませぬ。村長たちは……遠方より訪れる者に関しましては、確認が式直前になりましょうが、おそらく辞退する者は出ないかと」
「まあな……、「国の大事を裁く」と銘打ったからには、立場上、欠席する訳にはいかないだろうな。となると、問題は一般の招待客か」
はい、と赤騎士団副長は手持ちの覚書に視線を落とす。
「結果的に脅しになってしまったようで胸が痛みますが、やはり女性を中心に複数名の辞退者が出ました。明日の入堂査証時にも、若干名がこれに加わると思われます」
「すると、代わりの人間で座席を埋めねばならんな。手隙の騎士は居るのか?」
これには青騎士団副長が笑みながら応じた。
「マイクロトフ様の御人徳、とでも申しましょうか……それについては国賓の方々が協力してくださいましたゆえ、解決済です」
「どういうふうに?」
「国許から同行した護衛の兵たちを、辞退者の穴を埋めるために御貸しくださるそうで」
再び赤の副長が補足のかたちで言った。
「本来ならば、騎士を使うのが順当でしょうが、此度は事情が事情です。団衣を脱いだところで、完全に顔を知られていない保証がない以上、代役はつとめさせられませぬ」
式典に参加する白騎士は、ゴルドー以下、副長と十名の隊長のみだ。他団の騎士には殆ど関心を払わない白騎士団員だが、どんなところで顔を見知っているか分からない。一般の招待客が座る席に、赤や青の騎士が紛れ込んでいると気付けば、直ちに警戒するだろう。
「……が、国賓の皆様がこれを知り、「配下の者で充当せよ」と申し出てくださったのです。万一が生じた場合には、出席者の避難誘導にも御協力くださると」
ほう、と感嘆の息を洩らしてゲオルグは苦笑った。
「他国のお偉いさんにまで、随分と肩入れされたものだな、皇子は」
「頭から信用されて、包み隠さず打ち明けられては、海千山千の政治家と言えど、手助けする気にもさせられるでしょうな」
ボソリと青騎士隊長が感想を述べる。一同は堪らず吹き出した。
実際、そんな塩梅だったのだろう。そうやって意図せぬまま周囲を味方につけてしまうのも、マイクロトフという男の魅力に違いない。
そこで赤騎士隊長が小さな挙手で上官の意識を引いた。
「副長、一つお願いが……」
「何だね?」
「空いた席を二つばかり、都合していただけないでしょうか。実は、グリンヒルを出る前に、今いちど例の細工職人の息子を訪ねたのですが───」
陰謀を暴くための手札の一つ、細工職人の覚書を譲ってくれたアルバート。
父親の無念は必ず晴らす、そう伝えるために、出立間際の慌ただしさをぬって下宿先に立ち寄った。そんな赤騎士隊長に、彼は訴えたのだ。
もしも近々裁きが行われるなら、何としてもその場に同席したい。父が何ゆえ殺さなければならなかったのかを知り得なければ、母も自分も無念から逃れられず、事件を過去にすることも出来ないのだ、と。
もっともな言い分だと騎士隊長は考えた。そこで、アルバートもロックアックスに連れ帰ってきたのである。
「事実は残酷です。ですが、家族には知る権利がある。覚悟も見届けましたゆえ、是非とも参席させてやりたいのです」
そうだな、と副長は瞑目した。
「亡き職人殿もそれを望むだろう。分かった、席は用意しよう。夜明けと共に、誰か迎えを送るが良い」
「ありがとうございます」
束の間だけ、座に沈黙が下りた。あまりにも理不尽きわまりない真相を知り、避けられぬであろう家人の悲嘆を思って胸が詰まったのだ。
気を取り直すようにゲオルグが話を戻した。
「で、肝心の裁判の方だが……先ずは皇子が開始の宣言をして、その後はどう進める?」
この問いには、青騎士団副長が赤の同位階者を見遣りながら慎重に返した。
「何と申しましてもマイクロトフ様は当事者のお一人……、心穏やかに議事を進行させるのは難しゅうございましょう。話し合いました結果、持ち回りで主導してゆこうと考えております」
「持ち回り?」
「はい。それぞれの事実確認に直接当たった者が、最も巧みに場を仕切れましょう。全員が札を共有しておりますし、洩れが生じる恐れもありませぬ。先発部隊が戦闘に入った後は、臨機応変に展開する……といったところでしょうか」
生粋の軍人らしい例えを受けて、ゲオルグは、だが神妙に首を傾げた。
「経験がないから良く分からんが、裁判とは、もっと綿密に進め方を打ち合わせておくものじゃないのか? おまえさんたちにしちゃ、えらく場当たり的……と言うか、大雑把な作戦だな」
副長たちは瞬き、それから互いを見合って破顔した。
「まあ……、仰る通り、綿密に練り上げておいた方が、我々としては楽なのですが」
「殿下が主催でおられますゆえ、何がどう転ぶか分かりませぬし」
可笑しくて堪らぬといった顔で、赤騎士団副長が言い添える。
「皇王位から退く気でおられるとは言え、一国の慶事たる舞台を裁判の場に替えるという発想に行き着かれるとは、我らには全く予想出来ませんでしたからな」
「……やはりマイクロトフ殿下の発案だったのですか」
グリンヒルでエミリア相手に、そんな流れになるのではないかと冗談半分に口にした赤騎士隊長だ。だが、いざ帰国してみて、想像が現実と化していたことに驚いた。
普通なら、国の恥部はひた隠しにされるものだ。民や他国の賓客の前で堂々と披露するなど、いったいどうして決まったのかと些か怪訝に思っていたのである。
上官は笑いながら頷く。
「殿下の他に居ると思うかね? これだけ間近に御仕えしていても、あの御方には驚かされるときがある。もっとも、今は全員が賛同しているが……。という訳で、ゲオルグ殿。詳細なる打ち合わせは無用というのが、我ら副長二名の意見です」
「……「無用」と言うより、「意味がない」って言うんじゃないんですか、それ」
細かく突っ込みを入れた若い騎士には、すかさず部隊長の「無礼だぞ」との叱責が飛んでいた。
説明に聞き入っていたゲオルグが、やれやれと長い息をつく。
「納得出来てしまうのが困りものだな。確かにあの皇子、一見した限りは抑え気味に振舞っているが、本質的には相当な激情家らしい。一度火が点いたら何処へ吹っ飛んでいくか、予想するのは難しそうだ」
「それは我々も同じでございますとも、ゲオルグ殿」
日頃は穏やかを崩さない青騎士団副長が、決然として言い切った。
「如何なるときも沈着を保つは騎士のつとめ。然れど此度は……ゴルドーの所業のどれ一つを取っても、怒りを抑えるのは至難です。故に、全員の力が必要なのです」
つまり、こういうことだ。
ゴルドーは真っ向から反論してくるだろう。相対しているうちに、感情が激して冷静な対処が危うくなったら、すかさず別の者が替わって追求を続ける。
終始優位に事を進めるための、波状攻撃的な布陣。
「……おまえさんたちが冷静を失うとも思えんが」
多大な信頼を込めて前置いて、ゲオルグは力を抜いた。
「そう決めたなら、従おう。ただな、一つだけおれの意見を容れてくれ。式次第を読んだし、実演訓練も見たが……、開戦は、皇子が司祭から剣を受け取った後にして欲しい」
どれほど万全の警備体制を敷いても、壇上の皇子が丸腰でいる間は心許ない。ゴルドーをはじめとする白騎士団員には、堂内左手前方の壁際に添って席が用意され、武器携帯も認められている。例えば中に弓を保持する者が居れば、一気に危険は倍増するのだ。もしものときには、最初の攻撃を皇子が自力で防げる状況を作っておく、それがゲオルグの提案だった。
「心得ました、マイクロトフ様にもお伝えしておきましょう」
青騎士団副長が重々しく一礼する。遣り取りを見守っていた若い騎士が真面目な顔で切り出した。
「……やっぱり「礼拝堂で一戦」となる可能性は捨てられないんですね。マカイ司祭長、すんなり了承してくれたんですか?」
「すんなり……ではなかったな」
皇子とゲオルグに同行して、司祭長を説得する一部始終に立ち会った青騎士隊長が答える。
「何しろ、堂の中に入れず立ち話だ。あんな状態で、細部に渡って説ける話でないのは確かだが、殿下は「先王と騎士団長が暗殺された、だから式を裁判に替える」と、見事に要点のみで通された。司祭長殿も、ゴルドーが殿下の命を狙って暗躍しているのは宰相殿から聞き及んでいたらしいが……流石に許容を越えたらしい。「何も民の面前で行わなくても」だの、「即位してからでは駄目なのか」だのと、それはもう縋らんばかりの勢いで、いつまで経っても話が終わりそうになかった。だから、妥協案を出しておいた」
「妥協案?」
これは初耳だった二人の副長が怪訝そうに復唱する。あ、と騎士隊長は眉を寄せた。
「申し上げていませんでしたか、これは失礼。つまり、こちらの用が済んだ後、最初から即位式をやり直したら如何かと提案してみたのです」
椅子の背に片腕を回して身を捻り、窓辺に立つ男を見遣ったゲオルグが笑いながら補足する。
「皇子の決定にごちゃごちゃ口を出すな、流血沙汰になっても掃除はするから気にするな───とも言ったぞ」
目を丸くする一同に、騎士はむっつり反論した。
「相手は司祭長ですぞ、そこまではっきりは口にしていない」
「そこまで、ってことは……近いところまで言ったんですか」
若者の質問には無視を通そうとした青騎士隊長だが、副長たち、そして同位階者の眼差しに気付いて嘆息した。
「……司祭が己のつとめを重んじるのは理解するし、聖堂を争いで汚されたくないのも分かる。しかし、そんなことは殿下も承知しているのです。敢えて決められた以上、横槍を入れて欲しくない。血が流れる可能性があるほど重大な事態なのだと、司祭たちにも知っておいて貰う必要がありましたし」
ううむ、と直属上官が頭を抱える。
「正しい……ような、けれど今すこし言葉を選ぶべきであったような……」
赤の副長が慰めるように笑み掛けた。
「説得に時間を割けなかったのは事実です。何ヶ月もの間、司祭一同が式の準備に心血を注いできたのを知るだけに、殿下の御性情では強硬に当たれなかったでしょうし」
ゲオルグが吹き出した。
「まあ、何にせよ「式をやり直せる」という一節は効いたようだ。司祭長は全面的な協力を約束した。半ば自棄、といった感じも拭えなかったが」
はあ、と青騎士団副長は複雑な顔で頷いた。
「こうなったら、せめて流血だけは避けたいところでありますな」
「同感だが、ゴルドーの出方次第という点が難だな」
ここで一旦、話に決着がついた。見落としがないかを一同が思案し始めたとき、扉が鳴ってフリード・Yが入室してきた。
「すみません、幾つか用を済ませていたら、すっかり遅くなってしまいました」
「惜しかったですね。ちょうど今、一区切り着いちゃいましたよ」
若い赤騎士が教えると、フリード・Yは残念そうに苦笑した。
「出来たら、後で教えてください。実は、わたくしの方からもお話したいことがございまして……」
言い差したところで、彼は椅子に座る赤騎士隊長に気付いた。その場で丁寧に一礼する。
「お帰りなさいませ、隊長殿。グリンヒル行きの折には、本当にお世話になりました。見事つとめを果たされましたこと、お喜び申し上げます」
男は微笑み、軽い会釈を返した。同時に、若者が抱えた大荷物に目を止める。
「それは何かね?」
はあ、とフリード・Yは生返事を零して、急いで室内を見回した。窓辺に立つ青騎士隊長を見止めるなり、歩み寄って荷袋を差し出す。
「マカイ様から、だそうです。礼拝堂番の騎士の方が届けてくださいました。廊下で一緒になったものですから、わたくしがお渡しすると預って参りました」
騎士は小声で礼を言い、続いて量るように問うた。
「他に何か言っていたかね?」
「はい、「作法は荷の中に」、と。どういう意味でしょう?」
フリード・Yの疑問は騎士たちのものでもあった。しかし、これにはゲオルグが割って入った。
「そいつは後にしようじゃないか。まあ、座れ。話があると言ったな、何だ?」
怪訝の払拭を後回しにされて、ちらと不満を過らせたフリード・Yだが、すぐに思い直した顔で、言われたように若い騎士の隣に腰を下ろした。
「殿下の御傍を辞した後、グランマイヤー様に呼ばれたのです。昨夜、殿下が国賓の皆様にお話をされた際、ゴルドーが偽物の皇王印章を使ってグラスランド侵攻を命じたという話も出たらしいのですが……」
グランマイヤーが皇王印の破損に気付いたのは、王が倒れた、正にその日の朝だった。
普段ならば人伝に回す書類を、たまたま朝の挨拶がてらに執務室まで持参した。その場で裁可を下せば、宰相に届ける者の手間も省けるだろうと、王が印章を取り出したとき、初めて握りが欠けているのを目にしたのだ。
一年も前から壊れていたと聞いて、呆気に取られるグランマイヤーに構わず、王は、居合わせた先代白騎士団長と一緒になって笑い出した。「勝った」「負けた」という遣り取りの後、二人が「王の代替わりまでに宰相が気付くか」と賭けをしていたと知り、堪らず失笑を誘われたものだった。
けれど、気付いた以上は壊れた品を使わせておく訳にはいかない。
宰相職に就く遥か以前から、皇王印章は新調されていないので、先ずは作成を一任される職人の子孫の現所在を調べるところから始めねばならないが、ともあれ直ちに新しい品を手配する、グランマイヤーはそう進言した。
王は、「急ぐこともなかろう」と渋ったが、結局は「任せる」と笑顔で応じたのだった。
───何気ない、平和な朝の一幕に過ぎなかった。
ただそこに、影のようにひっそりと同席していた今ひとりの存在を除けば。
「ゴルドー、か……」
青騎士団副長が呻く。フリード・Yは硬い面持ちのまま頷いた。
「グランマイヤー様も、そのときは意識に止まらなかったのだそうです」
成程、と赤の副長が眉を顰める。
「騎士団長が陛下に朝一番の御指示を仰ぐ場に、副長であり、陛下の義理の弟でもある男が同席する───何ら違和感のない、日常の図と思われたであろうからな」
「ですが、それより一年も前からゴルドーの背反が始まっていたなら、事情は違ってきますよね?」
窓際から青騎士隊長が陰鬱に呟いた。
「……かねてからの見立て通り、「決行」の狼煙が上がった訳だ」
印章製作を手配する、それによって職人の死が明らかになる。殺人となれば、王や騎士団長の性格からして、事件の詳細を知ろうとするのは間違いない。そうなれば不可解な調査打ち切りが、必ず疑問視される───
ゴルドーは、ここで暗殺決行に打って出たのだ。
フリード・Yが青騎士団副長を見遣りながら声を震わせた。
「職人の所在について問われて」
続いて赤騎士団副長へと視線を移す。
「葬儀参列のためグリンヒルに向かわれる道中にまで、文が送られ、破損の経緯を問われて」
それぞれ行動に当たった副長たちは、言葉の先を察して痛みを過ぎらせた。
「何故そんな話題が持ち出されたのか不思議だったが、今になって漸く分かった、切っ掛けを与えてしまったのかと、グランマイヤー様はたいそう嘆いておいででした。ゴルドーの企みを御存知なかったのだからと、わたくしも何度も申し上げたのですが……」
ゲオルグが低く言う。
「……だな。こういう言い方は気が進まんが、どのみち遠からず、同じ結果になっていただろう。既に奴は毒を手に入れて、先王の生命与奪権を握ってた。疑いを持たせぬよう立ち回っていたゴルドーの勝ちだ」
非道な遣り口に一同は唇を噛んだが、ひとり若い騎士が言い放った。
「ってことは、疑いを持たせるように動き出したところから、ヤツの負けは始まっていた、ってことですよね」
上位騎士たちは虚を衝かれたように瞬き、一斉に表情を緩めた。
「おまえは底無しに前向き思考だな。その通り、同じ手口で殿下が狙われていれば、誰も気付かぬままだったやもしれぬ」
赤騎士団副長が言えば、
「如何なる変化か、ボロを出したからには、報いを受けて貰わねばなりませぬな」
青の副長も強く応じる。最後に、漸く消沈から抜け出したフリード・Yが座を一望した。
「グランマイヤー様から皆様に「存分に頼む」とお伝えするよう仰せつかりました。もう、ゴルドーや第三白騎士隊長の私財没収手続きを始められたそうですよ。他にも確定済の罪人はいないかと、息巻いておいでです」
「これはまた、御気の早い」
「だが、頼もしき後詰めでおられる」
騎士たちは破顔して、深々と頷き合う。よし、とゲオルグが片膝を叩いて乗り出した。
「裁判についてはこのくらいで良いな。先を急ごう」
一斉に集まる視線の中、歴戦の剣士は厳しい顔で付け加えた。
「───もうひとつの戦いについて、話を詰めるぞ」
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