最後の王・104


東棟の客間に現れた顔は、何れも複雑そのものであった。
サウスウィンドウ通相が、マイクロトフと一緒に一同の戻りを待っていたフリード・Yに声を掛ける。
「グリンヒルで興味深い書物を手に入れた。昨夜、明け方近くまで読んでいたので、予備の蝋燭まであらかた使い果たしてしまったのだが……」
聞くなり、若者は弾かれたように椅子から立った。
「では、わたくしが補充して参りましょう。入室をお許しくださいませ」
シュウは何事か言い掛けたが、少し考えて、「頼む」とだけ応じた。
「それが終わりましたら、殿下、わたくしは騎士の皆様方のところへ向かわせていただいても宜しいでしょうか」
そろそろ仲間たちが最後の打ち合わせを始めている時間だ。会合に参加出来ない主君の分まで、と奮い立つ調子を声音に認め、マイクロトフは明るく笑んだ。
「そうしてくれ。頼んだぞ、フリード」
いそいそと退出してゆく若者を見遣ったシュウが、扉が閉まると同時に、困惑気に呟いた。
「誰かに命じれば事足りるだろうに……王位継承者の従者が、使用人の役目に率先して名乗り出るとはな」
「皆様方は、おれの大切な客人です。少しでも心地良く過ごしていただきたいと、フリードは考えているのです」
シュウは微かに笑んで、低い小声で言った。
「……成程、教育が行き届いているらしい」
フリード・Yくらいの年頃の人間なら、皇子の間近に仕える立場に驕りを生じかねない。なのに彼にはそれがない。
一時期そうした傲慢に陥り掛けた──そう当人は猛省している──とは知らぬシュウにしてみれば、何処までも腰の低いフリード・Yの姿勢が、実に不思議だったのだ。
立ち止まったまま遣り取りを見守っていた一同に、束の間だけ笑みが並んだ。だがすぐに、入室時の様相が戻ってくる。
口火を切ったのは、最後に入室したティント王グスタフだ。一同が戻る頃合を計って運ばせてあった茶に気付いて、着席もせぬまま、器の一つを摘まみ上げた。
「貰うぞ、皇子。口直しとは気が利いてるな、ありがたい」
そうして他の面々にも茶を取るよう目線で促す。各国要人らは、杯に手を伸ばしては空いた椅子に腰を落としていった。
いずれの顔にも、マイクロトフも戸惑うほどの陰鬱が浮かんでいる。堪らず呼び掛けようとしたとき、今にも長椅子に横たわりそうな体勢を取っていたグスタフが再び言った。
「皇子、あんた……欠席して正解だぜ。料理は豪勢だったが、まるで食った気がしなかった。昨夜の会食とはえらい違いだ」
「一人で長椅子を占領しないでいただけますかな。わたしの座る場所がない」
「おっとすまんな、リドリー殿」
「……それにあなたは、人より多く召し上がっておられたが」
「シュウ殿……、分からんかなあ。食っても腹に納まらん、ってのは食っていないのと同じなんだ」
遣り取りを横目で見ていたアナベルが、マイクロトフに着席を勧める。それから茶で唇を湿らせて、代表するかたちで切り出した。
「グスタフ殿の例えはともかく、我々も同じ感想だよ。ゴルドーという男、聞いていた以上だ。とてもではないが、愉快な会食だったとは言えないね」

 

ロックアックスに各国代表が着いて丸一日、初めて白騎士団長ゴルドーが動いた。自身の主催で、ごく小規模の晩餐の席を設けたいと申し出てきたのだ。
ずっと無視を通してきておきながら、式典前夜になって何を今更───そう一同は鼻白んだ。
とは言え、固辞する理由も見つからない。ここはひとつ「皇子の敵」を検分してやろうとの勢いも手伝い、招待を受けたのだった。
中央棟にある広間に赴いた各国代表らは、そこでゴルドーの権勢を目の当たりにした。
贅を尽くした料理の数々、所狭しと並べられた煌びやかな装飾品。「富めるマチルダ」を高らかに誇るような持て成しぶりに、だが逆に一同の心は冷えた。
質実を地で行く皇子に比べ、何と底の浅い接待か。
金を使えば、場は幾らでも豪華になる。けれど、民を護る武人の中心に立つ男に必要なのは、堅実と誠心、それだけだ。悪戯に上辺を飾り立てるだけ、本来の威光が陰って映るということに、ゴルドーは気付いていない。
ゴルドーは、挨拶が遅れた非礼を詫びた。即位式典に向けてマチルダ要人の意識が集中しているため、何かと政務が滞りがちにあり、その穴を埋めようと大忙しだったのだと弁明した。そして、四年ぶりに王が立つマチルダについて、希望的な観測を熱心に説いては、各同盟国との親密と平和を訴えた。
───まるで戯画だ。一同は寒々しい思いで、けれど表向きは友好を崩さず、ゴルドーを見守った。
義理の兄にあたる先王を殺し、その息子の暗殺をも謀りながら、新たな時代への希望を語る男。
この会食に、皇子は早々に欠席を決めたが、まったく正しい判断だった。赤の他人でさえ、これだけ腹に据えかねるのだ。「父君にも劣らぬ、立派な王になって欲しい」などと面と向かって言われたら、皇子の忍耐も限界だったろう。
一同は、男が口にする麗句の軽さにも気付いていた。
ゴルドーも抑えようとはしているのだろうが、隠し切れない尊大が口調の端々に滲む。さながら、マチルダの真の統治者は自らであるとでも言いたげな気配だった。
これでは配下の白騎士たちが増長するのも道理かもしれない。到着より目にしてきた皇子と赤・青騎士との関係とはまるで違う。皇子の優渥なる言動の前に、騎士たちは決して驕らず、その手厚さを更に他者へと向ける。まったく温かな繋がりで、傲慢が入り込む余地もない。
結局のところ、集団とは、戴く指導者の気質が大きくものを言うのだろう。マイクロトフ暗殺が果たされていれば、マチルダは専横的な軍事国家への道を突き進んでいたかもしれない。
要人たちは、改めてマイクロトフの強運ぶりに、選ばれたる者の力を見た気がしたのだった。

 

そうでしたか、と小さく相槌を打ってマイクロトフは目を伏せる。
「会食には絶対に出るなと、グランマイヤーに言われたのですが……」
この時期になって、直接ゴルドーが牙を剥くとは思えない。けれど、先代皇王が毒を盛られたと知っては、宰相も認識を改めざるを得なかった。とてもではないが、ゴルドー主催の食事会に行かせる訳にはいかないと、強行に訴えたのである。
「やはり、断わって良かったのですね」
「ええ、本当に……。殿下が同席されていては、我々も平然を貫き通せなかったかもしれない」
トランのバレリア将軍が溜め息をつく。
「御父君、そして先代白騎士団長のご無念、お察しします。殿下の許しさえあったなら、この手で一太刀入れたかったほどだ」
「おいおい、勇ましいのは結構だが、そいつは皇子の仕事だぞ」
グスタフの言葉にバレリアは苦笑った。
「ですから、抑えました。殿下や騎士諸兄の尽力、無駄にするほど愚かではない」
共犯者めいた笑みが座に広がる。不意にコボルト将軍が背を正した。
「ところで、マイクロトフ殿下。グランマイヤー殿の御加減は如何ですかな?」
「そうそう、昨夜は危うく卒倒するんじゃないかと思ったよ。結局、彼も会食には顔を出さなかったし……明日の式は大丈夫なんだろうね?」
ゴルドーが皇子の命を狙っていると知り、そのための配慮を払ってきた宰相グランマイヤー。けれど、先王が暗殺されていたとまでは想像だにしていなかった。
腹心として長く先王に仕えた彼には、昨夜マイクロトフが語った事実は耐え難く、各国代表に案じられるほど打ちのめされて見えたのだが───
「御懸念には及ばない、衝撃は怒りに取って変わりましたから。今やグランマイヤーも、騎士らと等しく、戦場に臨む兵の一員さながらです。会食を辞したのは、ゴルドーと顔を合わせれば本当に気の病いに陥りそうだから……だそうで」
「気持ちは分かる」
シュウがむっつり言って、茶を干した。
「すると、残るはグリンヒルか。大丈夫なのか、あの大臣殿は」
グリンヒルからの式典出席者である外務大臣は、溜まった疲れを癒したいと、最初の会食を断わった。が、ひとたび寝台でゆっくり眠ると、張り詰めていたものが緩んだのか、一気に疲労が噴き出したらしい。発熱し、僅か一晩でげっそりと面窶れしてしまい、今は消化の良い粥を口にするのが精一杯。立ち上がろうにも、足元がふらつく有り様なのだ。
「悪い人物ではないが、外交を司るには些か図太さが不足しているな」
直截なシュウの判断に、しかし一同は同意を浮かべる。アナベルも言った。
「昨夜、同席していなくて良かったかもしれないね。これでワイズメルの件まで知ったら、とても明日の式典には出られなかっただろう」
「……と言うより、明日までに回復するのか? 座っているだけでも、裁判とくれば長くなる。おれの席は彼の隣だ、倒れられたら厄介だぜ」
「しかも、ワイズメルの話も出ますからな……」
ぼやくグスタフにリドリーが気の毒そうな目を向ける。そこでマイクロトフは明るく笑んだ。
「大丈夫です、代理となる人物が来られるので、大臣には体調が戻るまで休んでいただいていても支障はない」
「代理?」
「はい、我らにとって心強き味方だった人です。紹介するのは明日、式の直前になりそうですが、おれも楽しみにしているのです」
へえ、とグスタフが目を瞠る。
「どんな奴、……と聞きたいところだが、それじゃ楽しみは明日まで取っておくか」
会えば驚くだろう、とマイクロトフは秘密めいた高揚に含み笑った。
公女の主席侍女から、一足飛びに国家の要人へ。エミリアの才知と軽やかな物言いは、きっと彼らにも好感をもって受け入れられるに違いない。
ふと、シュウが難しい顔で乗り出した。
「……が、これでグリンヒルの思惑も明かされた。式を前に、すっきり片付いて何よりだ」
マイクロトフは瞬いた。急いで他の面々を見回してみると、みな似通った表情と変じている。怪訝の視線を受けて、仕方なさそうにシュウは教えた。
「結論から言えば、納まるべきところへ納まったことになるのだろうが……殿下とテレーズ公女の婚儀、我々の間では、かなり懐疑的な見方が強かったからな」
「え?」
「つまり、他に継承者を持たぬにも拘らず、公女を他国へ嫁がせて、この先ワイズメルはグリンヒルをどう統治してゆくのか、関心が持たれていた訳です。しかし、ゴルドーと組んで、あなたを亡き者にしようとしていたなら、おおよその想像もつく。マチルダ皇王家の断絶に付け込んで、公女という傀儡の王でも立てて、二人で二国の実権を握ろうとしていたのだろう」
「テレーズ殿が王と認められなければ、次の道がありますからな。グランマイヤー殿が聞けば憤慨されるだろうが、国の混乱期には軍を掌握する者が強い。ゴルドーは騎士を束ねる立場、まして先代皇王の義弟なれば、そのまま君主に成り代わることも難しくない」
リドリーの補足にグスタフも頷く。彼が、きょろきょろと室内を窺うのを見止めたバレリアが、マイクロトフへと向き直った。
「図々しくて恐縮ですが、酒をいただけませんか? ゴルドー主催の席では、とても気持ち良く飲めなかったので」
「おお、バレリア殿。良くぞ言ってくれたぜ」
「そんなに物欲しそうな目をされては、嫌でも気付きます」
配慮が至らなかったのを詫びながら、マイクロトフは張り番の騎士を呼んだ。騎士は、用を言い遣って嬉しくて堪らないといった様相で拝命を叫び、急いで踵を返していった。
「……一国の皇太子に「すまないが」とか「頼む」とか言われたんじゃ、気合いも入るね」
見送った後、アナベルが笑む。
「よく、赤と青の騎士団員を味方につけたものだ。ゴルドーの間者が潜んでいるとは思わなかったのかい?」
「思いませんでした」
端的に返して、それから静かに言い添えた。
「……考えないようにしていた、というのが正しいかもしれません。騎士は我がマチルダの誇り、おれが、ずっとそう在りたいと願ってきた正義の執行者です。一部の騎士がゴルドーに与しているとしても、すべてを疑えばマチルダの根幹を否定するに等しい。暗殺の危険に置かれた身で、あまりに警戒感が乏しいと幾度もグランマイヤーに諭されたものですが……それでもおれは信じたかったのです」
「……そして騎士たちは信ずる心に誠で応じた───良い話じゃないか、あんたの目は確かだった訳だ」
グスタフの合の手に、だがマイクロトフは苦笑う。
「切っ掛けを与えられたからに過ぎません。おれは彼らを信じていた、けれど一緒に戦って貰おうとは考えてもみなかった。たとえ命を狙われようと、即位の日までを凌げば、すべて解決するのだと……そう思い込んでいましたから。しかし……」

 

巻き込まぬようにと隔てを置くのは、自らが傷つかぬための保身に過ぎない。騎士が差し出す誠意を認めるならば、見合うだけの信頼を返せ。共に戦い、不正を退けろ───あの日カミューはそう言った。
マイクロトフが、そして騎士たちが望む最良なる関係へと、背を押してくれたのだ。
すべては彼との出会いから始まった。
ならば終わりも、彼と並んで迎えたい。

 

「例の傭兵、か。人を見るフィッチャーの目は相当なものだが、流石にそこまでは見通せなかったみたいだよ」
アナベルが相好を崩す。
有能なミューズ特使も報告の末端に挙げていた。会見の場で、皇子と宰相という国の最高峰たる二人と、ごく当たり前のように同席していた青年。皇子とゴルドーの不和を案じた宰相が、内々に雇った護衛かもしれないと、アナベルも想像をはたらかせていたが───
「……ワイズメルを通じて送り込まれたゴルドーの刺客だったとは、ね」
「皮肉なものですな、そうした人物の寝返りによって陰謀が暴かれようとは……殿下は本当に運が強くておられる」
コボルト将軍の、尖った耳をピクつかせながらの発言を聞いて、マイクロトフは硬い笑みを浮かべるばかりだった。
昨夜の述懐で、ひとつだけ真実を歪曲した。
席上にはグランマイヤーがおり、ゴルドーとワイズメルの結託を明かしたからには、ワイズメルを介して「護衛」に就任した青年についても、言及せぬ訳にはいかなかった。
何も知らずに敵の片割れに助力を求め、よりによって刺客を招き寄せてしまったのかと悔いる宰相。そこでマイクロトフは、予め腹心たちと練り上げた脚本を披露したのである。
確かにカミューは刺客としてロックアックスへ来た。
けれど、皇子や騎士、そして雇い主にも等しいゴルドーの為人を比した結果、考えを改め、こちら側に付いた。始まりはどうあれ、彼は欠け替えのない仲間の一員なのだ、と。
脚色はしているが、完全な嘘もない。だからマイクロトフは躊躇いを覚えなかった。
今なお城に留まっていたなら、きっと共に戦ってくれていただろうとの確信があったから。
幸福な日々を奪い取った陰謀を暴こうと、誰よりも先に立つ戦士であっただろうから───

 

シュウが首を捻った。
「その人物、ワイズメルから受け取った報酬を放棄した、と言われたが」
───ここにも小さな歪曲がはたらいている。グリンヒル公都に諜報に赴いた騎士の手を介して、報酬の金を孤児院に譲り渡したと説明したのだ。
実際には、カミュー自らがグリンヒルを出る際にそうしたのだから、時間的な差異がある。とは言え、暗殺の報酬を手放したという点では同じだろうというのが、腹心たちの総意だった。
「傭兵とは武力を売る者。より多額の報酬の前には主人も売る……とは聞くが、心情で寝返るとはあまり聞かない」
それに、と量るようにマイクロトフを窺うシュウだ。
「一般に言って、軍籍に身を置く者ほど、より裏切り行為を嫌悪するものだとばかり思っていたが」
言葉に詰まったマイクロトフの代わりに、バレリアが口を開いた。
「仰ることは分かる。わたしも、そうしてコロコロと雇い主を違える傭兵を見るにつけ、侮蔑してきましたから。ですが、解放戦争を経た今、やや認識を改めました。軍籍に留まらず、剣のみを手に戦火を渡り歩く傭兵にも、信念を持つ者はいるのです。雇われたからでなく、まして報酬を期待してでもなく、ただ己の信ずるままに動く。その、カミューという人物も、そんな損得抜きの一人だったのではないでしょうか」
リドリーも頷きながら賛同する。
「生憎わたしはこれまで傭兵と関わる機がなかったが……私欲絡みで他者を暗殺する輩を見限り、国の安寧のため尽力なさる御方の側に回ったのは、傭兵としての資質や価値観とやらは置いても、人として気高き選択であったと考えますな」
最後にグスタフがさらりと言った。
「いずれにしても、その傭兵がゴルドーとワイズメルの繋がりを暴露してくれなけりゃ、王や団長の死も闇の中のままだった訳だろう? グランマイヤー殿は血相変えて驚いていたが、禍転じて福、とは良く言ったものだぜ。実際、こういうものなんだろうなあ……些細な拍子に風が吹く。風を味方につけられるのは、正しく、より強い意思を持った側だ。皇子、あんたはそれを逃さなかった。必ず勝てるぜ」
はい、とマイクロトフは強い語調で応じて、次いで躊躇がちに付け加えた。
「おれ個人としては、皆様方が見届人を快く受けてくださり、本当にありがたい。ただ……昨日も申し上げたように、ゴルドーも黙って裁きを受け入れるとは考えられない。そこは心苦しいと思っています。皆様の安全には、騎士たちが誠心誠意、配慮致しますので」
これにはアナベルが苦笑した。
国の乱れは──特に、今回のような事態は──可能な限り外に洩れぬよう立ち回るのが政治家の常だ。だがマイクロトフには、そうした思考が過ぎらなかった。真っ正直な姿勢は、画策や暗躍に慣れたアナベルらには新鮮で、好ましく、同時に空恐ろしくもあったのである。
「……まあ、気遣いには及ばないさ」
「我々を質に取って優位に立とうとするほど愚かなら、その時点で終わりは見えている」
「そうそう、こっちにもリドリー殿やバレリア殿がいるんだ。ゴルドーが暴れたところで、手出しなんぞ出来るものか」
「見込まれて光栄ですな、御期待に添いましょうぞ」
「礼を失した不心得者には、遠慮なく「はやぶさの紋章」を見舞ってやろう」
それぞれが口にする勇ましい覚悟が、マイクロトフの感動を揺さぶる。
式典を裁きの場にすると決めたものの、それを各国代表がどう捉えるかが気掛かりだった。なのに彼らは迷いなき支持を示してくれた。そんな現実が、心を沸き立たせるのだ。
彼らは同じ価値観を持っている。節度を越えた野心を嫌悪し、平和を望む指導者たち。彼らと同時代に生きる自身を幸福に思うマイクロトフだった。
そんな満悦を見届け、不意にアナベルが口を開いた。
「それはさて置き、マチルダ、そしてティントまでもが王制を廃止する方向で考えているなら……良い機会だ、少し話してみようかね」
怪訝そうな視線を受けたミューズの女傑は、ゆったりと背凭れに身を預けた。
「実は少し前から考えていたことがあってね。各国の代表が、こんなふうに無礼講で集まる機会は滅多にないし……どうかな、少し時間を貰えるかい?」
「無論、何なりと」
「どのようなことでしょうかな?」
「同盟国家、についてさ」
耳慣れない言葉が一同を戸惑わせる。アナベルは真摯な面差しで付け加えた。
「衆知の通り、我がミューズとトゥーリバーは、サウスウィンドウの前身だったデュナン君主国から独立した国だ。トゥーリバーは複合種族で形成されていたために連邦制を執り、国名もそれに準じた。一方で、ミューズは「市国」と名乗った。何故そうしたか、理由を知っているかい?」
「……「市」とは人口を基準にした集落の単位の一つ、建国時に主都と決めた一画の規模に準じて、これを国名に取った」
真っ先に言って退けたシュウに、流石だね、と呼び掛けてアナベルは続けた。
「独立当時のミューズは、良く言ったところで「村」の集合体、「国」と名乗るのもおこがましいほどの小領だったからね。だから国の名に「市」を入れた、というのが通説だ。今でこそ領土も増えて、国家の体裁を保っているが、それでも一国としての規模は決して大きくない。それは、ここに集まった国々にも言えることだ」
トランを除いてね、と加えられた一節に要人らが考え込む。
「まあ……確かに狭いな、うちは特に」
グスタフが苦笑で応じれば、
「六ヶ国の所領を合わせて、漸くトランと同等程度ですからな」
渋々ながらリドリーも同意を示した。最後にシュウが、ちらとバレリアを一瞥しながら小声で補足する。
「かつて赤月帝国やグラスランドと一戦を交えた経緯を顧みれば、瞭然だな。一国では到底太刀打ち出来ず、常に複数国による連合軍が編成されていた」
視線に気付いた旧・赤月帝国の女将軍が忍び笑った。
「それも、大々的な連合ではなかった。マチルダ騎士団やコボルト軍、ミューズ軍は北方への備えを重視していたから」
アナベルはそこで大きく息を呑み込んだ。
「そう……、本題はそこだ。バレリア殿、トラン共和国は、我々のように国境を接し合っていないし、内乱の混乱さえ納まれば、立派に大国と言えるだろう。だから構想に加えなかったが……ここから先の話、決して貴国に含みを持ってのものではない。理解してくれるね?」
「アナベル殿の御人柄は承知しているつもりだ、お気になさらず」
間髪入れずの了承は、軍人らしい潔さに溢れていた。ほっとした面持ちでアナベルは先を進めた。
「グリンヒルも含めて、我々は友好関係にある。けれど、それはあくまでも相互間に交わされた同盟であって、六ヶ国を一つに結ぶ条約はない。此度、マイクロトフ殿下とテレーズ公女の結婚に敏感になったのも、これで二国間の関係が強固となり、今日までの力の均衡を崩すのではないかという懸念があったとは言えないか? 抜きん出られては困るという考えはなかったか」
「…………」  
「狭い土地にて割拠するもの同士、こんな下らない懸念はいっそ取り除いてしまいたい。そこで考えたのが、同盟国家という構想さ」
ふむ、と腕組みしたリドリーが呼気を洩らす。
「……具体的には?」
「六ヶ国同盟を結ぶ。現在の自治権はそのままに、政策を一本化する」
「つまり……それぞれの代表の話し合いによって、ということか」
シュウの言葉にアナベルは頷いた。
「例えば、人口比に応じた投票権を元に政策を決定すれば、より公平になるのではないかと思う。だが、最も重要なのは防衛面に生じる強みだ。幸いトランとは、この先も円満な関係が保っていけそうだけれど、ハイランドは───大国ハルモニアを後ろ盾に持つハイランドは、今すぐにも脅威となる可能性が捨て切れないからね」
「だが、アナベル殿。このところハイランドは大々的な軍事行動を起こしていません。だから、国境に配備していた赤騎士団を帰国させてくださったのでは?」
マイクロトフが控え目に発言した。
今、直接ハイランドと国境を交えているのはミューズのみだ。マチルダ騎士団も、侵攻に備えるミューズ軍に加勢するかたちで騎士を常駐させている。
ただ、即位式典を控えて人手が要るだろうと、先日、赤騎士団の部隊が帰国を促されて戻ってきた。アナベルの厚意に感謝すると同時に、国境線の緊迫が和らいでいるのかもしれないと考えていたマイクロトフなのだった。
アナベルは微笑んで、しかしすぐに表情を引き締めた。
「現ハイランド王は、歴代の中では比較的穏健派で知られる人物だ。国境における小競り合いは皆無じゃないが、マイクロトフ殿下の言われたように、国を挙げての侵攻の気配は、ここ何年か途絶えている。ただ……、このところ少々気になる情報が洩れ聞こえていてね」
「と、仰ると?」
「軍の一部が王の方針に不満を抱いているらしいのさ」
国境の壁を挟んで睨み合うハイランド兵とミューズ兵との間に起こる戦闘は、小規模な段階のうちに終息を迎えてきた。けれど、領地拡大を目論み、主戦論を唱えるハイランド軍部は、戦いの芽を序盤で摘もうとする穏健政策に賛同していない。これを王の弱腰と見て、あからさまではないにしろ、非難の囁きが出始めているらしい。
どういった情報網か、そんな話を耳にしたのだとアナベルは説いた。
「つまりね、王が代替わりでもしたら、いつ、どうなるかは読めないって訳さ。強力な軍事国家とは言え、ハイランドも我らと同じく小国だ。北にハルモニアが構える以上、南下するほか領土を広げる手はない。唯一国境を接するミューズが攻め落とされれば、戦火は瞬く間に他国に飛び火するだろう」
「……確かに、そうなればミューズだけの問題ではありませんな」
「それを言うなら、ティントも同様だぜ。この中で、唯一グラスランドと直に接しているからな」
グスタフが言い、もっとも、と付け加える。
「あそこの場合、守るときには結束するが、一致団結して攻めてくる、ってのは想像出来んが」
それを聞いたアナベルはにっこりした。
「限られた土地に犇めく小国は、常に危険と隣り合わせだ。でも、ここで六ヶ国が強固に結び付いていたらどうだろう? 政策を共有し、軍事面でも一枚岩だと広く報じたら、敵国側はどう出る……?」
「より慎重になりますね」
ただ一人、該当国に属さないトランの女将軍が真っ先に答えた。
「先程も言ったが、かつて我が国は幾度かティント・サウスウィンドウ連合軍と戦った。ここにマチルダ騎士やコボルト兵、ミューズ兵までもが参戦していたら、今のトランはなかったかもしれない。逆に、攻め入る側とすれば、最初から六ヶ国を相手にするようなもの。慎重にならざるを得ないでしょう」
そう、とアナベルは明快に言い切った。
「我々は、互いの力の均衡など気にするよりも、より大きな脅威に意識を払わねばならない。有り体に言えば、ハイランドの侵攻を牽制する抑止力、それが同盟国家の最大の狙いだよ」
沈黙が下りた。
要人らは深々と考え込み、アナベルの構想を吟味する。やがてシュウがぽつりと言った。
「……細部を突き詰めれば問題がないとは言えないだろうが、防衛という点に主眼を置くなら、悪くない」
「少なくとも、おれたちの国の間で戦が勃発する事態は恒久的になくなる訳だな。一国一国と友好同盟を結ぶより、手っ取り早いかもしれないな」
グスタフがおおらかな調子で言い、片やリドリーが慎重に口を開く。
「予期せぬ案ゆえ、この場での即答は控えさせていただきたい」
「勿論だよ、リドリー殿。わたしも、これを正式な打診とは考えていない。シュウ殿も言ったが、実現には様々な問題があるだろうからね。腹を割って話せる人間が集まったから、自衛のためにはそんな手段もあると挙げてみたのさ」
聞くなり、コボルト将軍は目を細めた。
「ハイランドという脅威が現実にある以上、今より更に我々の関係を密にするという意見には賛成致しますぞ。無論、トランを含めてだが」
度々の配慮にバレリアは破顔した。
「例えば構想が実現に向けて動き出すとしても、それが「防衛」に徹するものなら、トランにとっての問題にはならない。寧ろ、わたしが同席する場で洩らしてくれたことを、我が国への誠意と受け取ります」
マイクロトフは───座で最も若輩である上に、近々国主の立場から退くと決めているマイクロトフには、発言が憚られた。
ただ、それが攻め込むための結束でないなら、マチルダの基本方針にも則している。すべてが片付いたら、宰相グランマイヤー以下、要人らに諮ってみようと、自身でも不可解なほど高揚しながら考えたのだった。
 

 

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話が堅苦しくなるので、
入れるかどうしようか迷ったけれど……
ここまで来たら、心残りのないようにと
入れちゃいました、都市同盟設立案。
将来的にゲームの世界観に
近づけるための回でございました。

 

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