「こいつは何とも、立派な風体の若様だな。会えて嬉しい。これより末永く、宜しく頼む」
相対すなり放たれた豪快な一言に、マイクロトフは勿論、周囲を囲む騎士や見物の民までもが呆気に取られた。
ロックアックスの街を囲む壁、その門を出た周辺は、ちょっとした異彩を放っている。新たな王の誕生を一目見ようと国内外から集まってきたものの、街中に宿を取れなかった民たちが、野宿の構えで式の日を待っているからだ。
マチルダ騎士団も人を出して見回りに努めているが、これまでのところ大きな騒ぎは起きていない。魔物は人いきれを嫌っているらしく、たとえ現れても、腕に覚えのある連中が──小金と引き替えに──これを排除し、安全を保っている。
そんな野営組の集団にとって久々の事件、それが此度の賓客の到来であった。
昨日今日で知り合った者同士、のどかな昼食を終えた頃合いに、南方から、かなりの数の集団が近付いてきたとの声が上がった。たちまち辺りは騒然としたが、迫り来る一団の中、マチルダの赤騎士団員がちらついているのに、誰かが気付いた。
ならば安心と胸を撫で下ろしているところへ、今度は青騎士団員を引き連れた皇太子マイクロトフが現れたのだ。
即位を間近に控えて城を出た皇子。そこで初めて群集は、こちらに向かっている一団が式典に出席する賓客なのだと悟った。
皇子は、張りのある声で言った。
これより迎える各国代表は、共にデュナン周辺の平和に尽力する大切な仲間。我がマチルダの、新たなる時代の幕開けを見届けに来てくれた方々だ。心を尽くして出迎えたい。どうか、協力して欲しい───
民は熱狂的な拍手をもって応えた。
若き皇子の真摯な姿勢が好ましい。
彼の、民草に対しても丁重を貫く在り方が微笑ましい。
こんなふうに頼まれて、奮い立たぬ者があろうか。随従の騎士の指示に従って、民は列を作り、客と対峙する態勢に入り──と言っても、あちらこちらに天幕が設えられているので、「整然と」という訳にはいかなかったが──皇子の期待に添うべく、あらん限りの厳粛をもって国賓を迎えようと気負っていたのだ。
にも拘らず、到着した一団から最初に上がったのは、妙に気安い呼び掛け。しかも、皇子に歩み寄った面々は、ごく有り触れた旅装束に身を包んでいるため、一見では要人とも思えぬ様相だ。つまり、緊張して出迎えた群集を脱力させるに充分な、おおらかな邂逅となった訳である。
式典に参加する各国要人たちは、その殆どが先代皇王の死後に要職に就いた面々だ。在位の長いティントのグスタフ国王も、先王の葬儀には参列していない。時同じくして、自国の炭坑で大きな事故があり、側近が代理で弔問に訪れたという経緯があるからだ。
そういった訳で、いずれの人物とも初対面となるマイクロトフの緊張は、民にも負けず、相当なものだったのだ───朗らかに呼び掛けられる直前までは。
ついと進み出た大柄な女性が、磊落な声を放った男の耳元に囁いた。
「グスタフ殿……幾ら何でも、初見の皇子に向ける挨拶にしては砕け過ぎだ」
すると彼は───ティント国王グスタフ・ペンドラゴンは、気まずそうに頭を掻いて苦笑した。
「おっと……申し訳ない、マイクロトフ皇子。旅の間、ずっとこんな調子だったから、つい……と言っても、おれは国許でもこんなものだが」
やれやれ、と女がマイクロトフへと向き直って礼を取る。
「お噂はかねがね……、ミューズの主席代表議員アナベルです。一同、グリンヒルより長く行動を共にしてきたものですから、すっかり打ち解けてしまって……。驚かれたでしょう、申し訳ございません」
「……アナベル殿、無理をすると舌を噛むぞ」
すかさず茶々を入れたグスタフを横目で睨み付け、再びマイクロトフに笑み掛けるアナベルだ。
「今の意見、不本意ながら、的確です。ロックアックス滞在中、ずっと飾り立てて過ごす自信がありません。どうでしょう、皇太子殿下さえ宜しければ、無礼講……とでも言いますか、ここまでそうしてきたように、気の置けない友人さながらに接し合えたらと思うのですが」
「勿論、おれもそのように希望します」
マイクロトフはにっこりした。
「若輩の身ではありますが、以後、懇意にしていただけたら嬉しく思います」
「さてさて、グランマイヤー殿の言われた通り、生真面目な皇子でいらっしゃる」
再びグスタフが揶揄気味に言った。呼ばれて歩を進めたマチルダの宰相が、丁寧に一礼した。
「殿下、ただいま戻りました。明朝あたりの到着と読んで、知らせをお送りしたのですが……誤差が生じてしまいました、お詫び致します」
「無事の到着に勝るものはない。あいにく晩餐会は延期してしまったが、今宵、簡単な宴の手配をしてある。おまえも参席してくれ」
はい、とグランマイヤーは更に大きく頭を下げた。次いで、気を取り直したように残りの面々に視線を向ける。促しに応じて、一人が背を正した。
「トゥーリバー連邦より参じました、リドリー・ワイゼン。将軍職を与っております」
それからマイクロトフの表情を見て、淡々と言い添える。
「コボルト種を御覧になるのは初めてですかな、マイクロトフ殿下?」
ピンと立った耳、黒光りする鼻先。「二足歩行する犬」といった風情のコボルトは、種としての結束が強く、居住する地が限られる傾向にある。
四年前、トゥーリバーを代表して父王の葬儀に参列したのは人間種族の要人だった。このため、リドリーが言った通り、直にコボルトと対面するのは初めてのマイクロトフであった。素直に頷いて、眦を緩める。
「トゥーリバーのコボルト兵は、とても優れた武人の集まりと聞いています」
するとリドリーは、ほう、と目を細めた。
「成程、騎士団長の名をお持ちと伺ったが……コボルト兵に関心がおありか」
「たいそう勇敢で、持久力に優れ、味方とすれば心強い限りの兵だとか」
「嬉しいことを言ってくださる。いずれ機会あらば、我らの軍事演習を御目に掛けましょう」
「本当ですか? 是非!」
立場も忘れて詰め寄る皇子に、リドリーは虚を衝かれ、次に破顔した。余所行きの礼節の幕が取れ、心底からの親愛が兆した瞬間であった。
「こちらがサウスウィンドウからの出席者、通商大臣シュウ殿」
コボルト将軍に紹介されるかたちで進み出たのは、黒い長髪を持つ、如何にも文人といった人物だった。
「今は通商大臣だが、次のサウスウィンドウ首相だな」
グスタフ王の指摘に、男は冷たい一瞥を返す。
「我が国は現在、新首相の選挙中。不用意な発言は控えていただきたい」
「謙遜しなくても良いだろうに。最有力候補なのは誰もが認めている」
鬱々とぼやいて、グスタフはマイクロトフに向かって両手を掲げた。
「この御仁、別に機嫌が悪い訳じゃない。これが「地」らしいんだ。だがまあ、頭は切れる。万事、この調子だから付き合いづらいが、悪い男ではない」
何だその評価は、とでも言いたげにシュウは眉を顰めたが、マイクロトフの視線に気付いて表情を和らげた。
「お初に御目に掛かる。国の通商を与るとは言え、少し前まではラダトにて商いを営んでいたに過ぎぬ身、非礼があればお許しいただきたい」
「ラダトにお住まいだったのですか」
「ええ、……何か?」
いや、とマイクロトフは背後に控える従者を見遣って微笑んだ。
「おれの従者、フリード・ヤマモトと言うのですが……彼が言い交わした女性がラダトに暮らしているのです」
「で、殿下!」
たちまちフリード・Yは真っ赤になって狼狽える。両手をバタつかせている若者に、国賓一同は笑み崩れた。
「それはそれは……」
「若いというのは良いな、実に初々しい」
アナベルとグスタフが笑み合う傍ら、マイクロトフは言い募る。
「それに、フリードの祖先はラダトの出なのです」
「ほう、それは奇縁だ」
シュウはニヤリと──フリード・Yにはそう見えた──して、軽く会釈した。
「同郷……に近いよしみ、宜しく、フリード殿」
「は、はい。こちらこそ、どうぞ宜しくお願い致します……」
何がなし怯みながら若者が一礼するのを待って、グランマイヤーが最後の一人を指し示した。
「殿下は、前に公都で会われておいででしたな?」
グリンヒルの外務大臣であった。一癖も二癖もありそうな人物に埋もれて影の薄かった男が、これまた控え目に礼を取る。
テレーズの指揮の許、グリンヒル政府内では大幅な人事移動が行われているというが、こうして国を代表しての式典参加を託されたからには、ワイズメルの陰謀とは無縁と判断されたのだろう。マイクロトフは丁寧に労をねぎらった。
「国の大事たる折、お運びいただいて感謝する」
「お久しゅうございます、マイクロトフ殿下……我が国こそ、このようなかたちでの御婚儀の取り消し、お詫びのしようもございませぬ。テレーズ公女殿下より、書状をお預かりして参りました。お納めください」
恭しく差し出された文を受け取って、マイクロトフは瞑目した。
想像も及ばぬ多忙の中、こうして真心を尽くそうとする乙女の心が切ない。この先、国の頂に立つテレーズとシンという青年との仲はどうなるのだろう。そんなことを過らせ、束の間だけ胸が詰まった。
そこでアナベルが思い出したように後方へ目を向けた。
兵に引かれてしずしずと歩み出たのは、まだ若く、小柄な馬だ。絹のような光沢を放つ漆黒、額に僅かな白毛を携えているが、マイクロトフが乗ってきたそれと兄弟馬であるかの如く、極めて似通った一騎である。
「こんなところでお渡しするのも何だが……、お祝いです。皇子は武芸にも秀で、その腕前は騎士さながらとか。今年生まれの中からの選りすぐり、マチルダ産の馬に比べれば耐久性には劣りそうだが、脚の速さは保証します」
「これは……見事だ」
無意識に賞賛が口をついた。従順そうな瞳の聡明、そろそろと手を伸ばせば、主人と認めたように鼻面を押し当ててくるミューズ馬。
うっとりと見惚れるマイクロトフに不満でも覚えたのか、後方から愛馬が小さく鼻を鳴らした。頬を緩めながら声を掛ける。
「仲良くしてくれ、これからは共に暮らす仲間なのだから」
「調教は基本のみに留めてあります。乗り手が手ずから仕込んだ方が良いかと思いましたので」
厚い配慮に感じ入り、マイクロトフはアナベルに向き直って深々と頭を垂れた。
「御心遣い、嬉しく思います。大切に乗らせていただく」
見守っていたグスタフが腕を組んだ。
「ティントからの祝儀は金塊だ。うちの国には鉱山資源以外に、これといった品が見当たらなくてな。あまり上品な祝いじゃないが、受け取ってくれ」
「我がトゥーリバーからは、護身用を兼ねた宝剣を贈らせていただく」
「グリンヒルは……申し訳ございません、このような事態にて、手が回らず……御婚儀の品を代用するのも非礼と思いまして、その……」
マイクロトフはゆるりと首を振った。
「既に受け取らせていただいた」
───誠心という、得難い品を。
陰謀解明にあたって、献身的に協力してくれた。ゴルドーを糾弾するため、エミリアが出陣してくれる。これ以上の祝儀の品はない。
幸福そうな皇子に気付いたグリンヒル大臣は、怪訝げに瞬いたが、深く追求しようとはしなかった。
最後にシュウがむっつり言った。
「……山水画をお持ちした。他国の進物に比べて、どうにも実用性に欠けるが、前首相が選んだ品なので、御容赦いただきたい。交易所にでも持ち込まれれば、お好みの品に替えられよう」
マイクロトフは吹き出しそうになった。苦虫を噛み潰したようなサウスウィンドウ代表に、急速に親近感を覚えたのだ。
そうとは気付かず、取り成すようにリドリーが口を挟んだ。
「マイクロトフ殿下……グランマイヤー殿のお話から、殿下が実を重んじる御方と知って、彼は道中ずっと気にしていたのだ。わたしが持参した短剣は、サウスウィンドウ領クスクス出身の鍛冶職人テッサイ氏が鍛えた品───とも、申し上げてみたのだが」
いえ、と慌ててマイクロトフは首を振った。
「おれはこれまで、風雅とは縁遠く過ごしてきました。良い絵を眺めると、心が落ち着くと聞きますし……、ありがたく受け取らせていただきます、シュウ殿」
シュウの硬かった面差しが幾許か和らいだ。彼もまた、マイクロトフの真っ直ぐな心根に、感じるものがあったらしい。
「さて、皆様。このような場で立ち話も何ですから、そろそろ出発致しませんか?」
グランマイヤーが提案したが、マイクロトフの背後から青騎士団の副長が声を張った。
「暫し御待ちを。実は、皆様が到着される少し前に先触れが着きまして……」
マイクロトフが明るく後を引き取った。
「程なく、トラン共和国からの使者殿も到着されるらしいのです。ここでお迎えし、共に城へ向かいたく思います」
だいぶ日も傾き、東棟の広間にも茜色が射すようになった。
城内に用意した部屋でひとときの休息を得た各国要人らが、続々と集まってくる。こうした場合、誰を上座に据えるかに悩めるところだが、そこは大雑把なマイクロトフだ。入室した順に奥の椅子を勧め、これが一同には好感をもって受け止められたようだった。
要人たちが連れて来た護衛の兵たちは、すべて街の外に残った。マイクロトフは、城下にある騎士団位階者らの屋敷を護衛の宿舎に充てようと考えていたのだが、そこは客人も心得ていた。マチルダ側に負担をかけぬよう、最初から野営を命じていたのだった。
「いや、実に良い城だ」
結果的に上座に座したのは最年長のグスタフである。大きく伸びをするや否や、頬杖をついて苦笑った。
「うちなんぞ、敷地内にまで坑道が伸びているからなあ」
「湯を使った御陰で、旅の疲れが吹き飛んだ」
アナベルが微笑めば、
「わたしの部屋にコボルトパイを置いてくださったのは殿下の御配慮か?」
リドリーが言い、シュウもまた、
「気持ちの良い部屋を用意していただいた。生き返ったような心地だ」
と、淡々とした口調ながら謝辞を述べる。
最後に入ってきた人物を誘った後、マイクロトフが宰相グランマイヤーと並んで末席についた。
ひとりグリンヒル大臣の分だけ、席が空いている。公主の急逝によってテレーズのマチルダ輿入れ中止となった此度の事態は、外交責任者として大変な通苦であったらしい。ただでさえ胃の腑を痛めている上にロックアックスへの旅が重なり、心身共に疲れ果てた大臣は、この先の式典出席も鑑みて、食事よりも睡眠を望んだ。丁重なる詫びを受けた一同も、事情を理解するだけに、会食の辞退を快く了承したという訳である。
さて、とマイクロトフが面々を一望した。
「明朝の御到着と予想していたので、心ばかりの宴席になりますが……グランマイヤー夫人と、先程の従者フリード・Yの母───おれの乳母だった人ですが、二人が中心となって、料理を用意してくれました。おれが言うのも何だが、彼女たちの料理はとても美味い。皆様の口にも合えば良いのですが」
メイドたちが卓に並べていく皿に見入り、一同は好ましげに顔を綻ばせた。
「これは良い、温かな持て成しだ」
アナベルの独言めいた言を受けて、リドリーがしみじみと頷く。
「いや、まったく。わたしのような根っからの軍人には、気の張る晩餐会より、こうした席の方がありがたい」
「早く着き過ぎたから、夕食は抜きかと覚悟していたぜ。これは美味い、本当に美味いぞ」
待ち切れないといったふうに料理を啄み始めたティント王には、一同とも堪らず吹き出した。最初の一口を飲み込んで、男は不意に真面目顔になった。
「皇子、初見からずっと妙な顔をしているが……おれの物言いや振舞い、気に入らんか?」
「い、いえ、そんな」
前に書物で国王グスタフの功績を読み、坑夫の側に立った思考で国を統治する彼に密やかな憧れを抱いていたマイクロトフである。ただ、実際に出会った男の、まるで国王らしからぬ気風には些かの戸惑いを禁じ得ない。そこを的確に衝かれて狼狽えた。
「決してそういう訳ではないのです。その、何と言ったら良いか……」
「遠慮されずとも良い」
シュウがぼそりと言った。
「一国の王とは思えない、と……正直に言われたら如何か」
「手厳しいな、サウスウィンドウ代表。仕方がなかろう、こちとら鉱山で名を馳せる国だ。右を見ても左を見ても抗夫、抗夫。話し口調だって伝染るってもんだ」
からからと高笑うグスタフに、シュウへの悪感情は見えない。どうやら一同には、互いに言いたい放題といった関係が成立しているようである。
「王国なんて大層な名で呼ばれているが、鉱山地を除いたら、ティントは猫の額みたいに狭い国だからな。同じ王族の括りでも、礼節を重んじるマチルダとは別物だ。御国柄ってことで、気を悪くしないでくれ」
「とんでもない、違うのです。ティントの活気が感じられるようで……良いな、と思っていただけで」
社交の場は苦手だ。ただ、此度の客人たちには最初から好意を抱いているだけに、こんなところで失望させてはならないと必死になった。
が、そうなると今度は言葉が巧く出てこない。もどかしさに紅潮するばかりだった。
「申し訳ない、不躾だったらお詫びします」
困り果てた様子に忍び笑ったアナベルが、ワインを注いだ杯を掲げ持った。
「ともかく、先ずは乾杯といきましょう」
真っ先にグスタフが呼応した。
「ならば年功序列だ、音頭を取らせて貰うぞ。明日、マチルダの王位に就くマイクロトフ殿を祝し、そして各国の安寧を祈願して───乾杯」
「乾杯」
それぞれが杯を上げ、互いに会釈し合った。気遣いをはたらかせてくれたミューズ代表に感謝の目線を投げたマイクロトフは、続いて最も席の近い人物を窺い見た。
「バレリア殿……と仰ったか。お疲れでないなら良いのだが」
何故か慕わしい人を連想させるようになった色、真紅の軍装を纏った女性が顔を上げる。旅の仲間ではなかったためか、やや会話に入りづらそうに黙していた彼女は、すぐに首を振った。
「わたしも軍人、御気遣いは無用です」
「トランの将軍職に就いておられるとか」
アナベルの問いにはゆっくりと頷く。
「御存知のように、我が国は先ごろ内戦が終わり、新国家が誕生したばかり。初代大統領レパント殿が国を空ける訳にもゆかず、こうして一将軍であるわたしがお招きにあずかりました」
「大変な戦いだったと聞くが……何にせよ、民の声に応えて旧体制を打ち破った反乱軍のはたらき、見事としか言いようがない。バレリア殿も、さぞ優れた武人でおられるのでしょうな」
同じく「将軍」を名乗るリドリーの一言が、バレリアを微笑ませた。
そこで、珍しく押し黙っていたグスタフが、ちらちらと女将軍を見遣りながら、思い切ったように口を開いた。
「バレリア殿、改めて挨拶する。おれはティントのグスタフ・ペンドラゴンだ」
「存じています」
やや剣呑とした調子を感じ取って、マイクロトフは強張ったが、グスタフはさらりと続けた。
「今更と言えば今更だが、うちやサウスウィンドウは、昔から赤月帝国と折り合いが悪かった。古くは、そちらに攻め込んだこともあったな。だが……こう言っちゃ何だが、今や赤月帝国は滅び、トラン共和国と名を替えた。おれも、野心満々だった前のティント国王たちとは少しばかり考え方が違う。こうして相見えたのも何かの縁、出来ればトランと友好を結びたいんだが……、どう思う?」
え、と瞬く女将軍に、シュウも言った。
「グランマイヤー宰相殿より、トランからも式典に出席する特使が居ると聞いて、我々なりに話し合ってきた。我がサウスウィンドウも、ティントに倣う用意がある」
「……ほら、見ろ。選挙結果を待たず、首相らしい発言じゃないか」
すかさず入ったグスタフの茶々には、寒々しい一瞥と、残りの面々の苦笑とが返った。
目を瞠っていたバレリアが、ふと大きく息をついた。
「奇遇だ、レパント大統領も同じ意見です。過去の確執に捕われるばかりでは、新しい国は動かない。此度のマチルダ訪問を機に、デュナン周辺諸国と良好な関係が築けたら良いと……そのように大統領は御考えだったのです」
マイクロトフは感動に打ち震えた。最も気にしていた点が、和解に向けて動き出したのだ。「良かった」だの「素晴らしい」だのと独り言を呟く皇子に、バレリアが明るく呼び掛けた。
「マイクロトフ殿下、わたしは、貴国とも新たに友好条約を結び直すよう、大統領に命じられています。即位されるまでは御手も空かぬでしょうから、暫くの滞在をお許しいただけるか?」
「皇子、おれも頼む。遠路はるばるマチルダまで来たんだ、洛帝山の採掘現場を見ないうちは帰れない」
「わたしも、名高きマチルダ騎士団の騎馬行軍を拝見させていただきたいものだ」
「護衛の兵を追い返したから、副代表がカリカリ怒っていそうだ。わたしも式の後、二日か三日、留まっても良いかな。その頃にはジェスの頭も冷えるだろう」
それぞれが言う中、ひとりシュウが嘆息した。
「残念ながら、長居は出来ない。マチルダに新皇王が即位した翌日には、サウスウィンドウでも新首相が選出されている」
「……素直に「おれが新首相だ、宜しく」と言ったら良かろうが。各国とも、そのくらいの情報は持っているんだぞ」
そうだな、とアナベルが同意した。
「今のサウスウィンドウには、シュウ殿以上に国を統べるに相応しき人はいない。それがミューズの見解だ」
「然様、我が国の見立ても同じ。そうした人物と懇意になれたのは幸いだった。トゥーリバーを代表して、今後の友好を請いたい」
立て続けに言われたシュウは、とうとう頬を緩めた。
「……では、もしも首相に就任した折には、よしなに」
飽く迄も慎重を崩さない男の姿勢に大仰に嘆息して、グスタフは本格的に料理の皿に取り掛かった。「冷めたら勿体ない」との促しに一同も倣った。
そうして暫く、和やかな歓談と料理への賞賛が続いたが、少ししてリドリーが手にした杯を置いて向き直った。
「ところで、殿下。街の入り口で出迎えてくださった際、騎士には見えない御仁がおられたが……」
ああ、と穏やかな笑みが浮かぶ。流石に生粋の武人、コボルト将軍には一目で察せられたらしい。
「御気付きでしたか。ゲオルグ・プライム殿です」
「何と! かの「二刀要らず」ですと?」
「何故また、そのような人物がマチルダに……?」
たちまち言葉に詰まった。正直に「護衛」とも言えず、懸命に思案を巡らせる。
「ええと……知人の伝手で、剣の指導を仰いでいるのです。先程も、ついでだからと、同行を……」
そこで今度はグランマイヤーが首を捻った。
「……はて。「同行」と言えば殿下、カミュー殿は如何したのです?」
期せず、絶句した。身内に反逆を起こされたような心地である。
一方、各国の要人たちは知らない名前に困惑を浮かべている。誰か騎士に同席して貰えば良かったと悔いながら、マイクロトフは冷や汗を拭った。
「グランマイヤー、それは後で話す。おまえの留守中、色々あったのだ」
「……はあ」
訳が分からないといった顔ながら、グランマイヤーは素直に引き下がった。苦しげな気配を察したのかもしれない、取り成すようにアナベルが語調を変えた。
「皇子は本当に武芸に熱心なのだな。特使フィッチャーの話では、先日お目に掛かったときには、騎士とも見紛う装束を着ておいでだったとか」
「ああ……、あれは青騎士団長だった頃の父の形見です。少し前に、破れてしまったのですが」
「……騎士を従えて街を巡回されている、とも聞いた」
ふと、アナベルの声が硬くなった。静かに食器を置いて、マイクロトフを凝視する。
「こうしてお会いし、我が目で殿下という人間を見届けた。この先、長く親交を温めたいと望む者として、思うところを正直に言わせて貰っても良いか?」
「勿論です」
一気に重くなった空気を感じつつも、マイクロトフの視線は揺らがなかった。ミューズの女傑を真っ直ぐに見詰め返して背を正す。アナベルは、言葉を選ぶように束の間だけ瞳を泳がせ、次いで目線を合わせた。
「現在、白騎士団長との仲は良好ですか?」
頭上からすっぱりと斬りつけるような直截。すかさずシュウが続けた。
「王位継承者自ら足を運んで出迎える……つまり、我々は国賓待遇であると理解している。だが、白騎士団長は……「王と両輪」と称される騎士の長は、我らが城に入ったと知るだろうに、未だ顔も見せようとしない」
「それは───」
「執務に追われて時間が取れぬなら、それなりの対処というものもあろう。白騎士団長は無視を通すつもりか。礼節を重んじる騎士を束ねる者として、これは如何なものか」
リドリーもまた、憤懣を隠さない。再びアナベルが言った。
「皇子……実はフィッチャーから報告を受けているのだ。先日の訪問時、白騎士団員に芳しからぬ横暴を感じた、明らかに質の低下を見た、と。白騎士団長ゴルドー殿は皇子の叔父君にあたるらしいが、あなたに限って、身内意識で目零しを加えることはなさそうだ。どうだろう、この件について説明は可能だろうか?」
マイクロトフは唇を噛んで俯いた。気持ちを落ち着けるため、一口だけ酒を啜り、改めて一同を見回した。
「御指摘は承知しています。代わってお詫びも申し上げる。だが……、そこを説く前に、先ずは聞いていただきたい。即位を見届けるために集まってくださった方々に対して申し訳ないとは思うが、おれは……おれの代で、マチルダの皇王制を廃止するつもりです」
「えっ?」
「何ですと?」
予期せぬ発言が座を竦ませた。要人らは驚愕して、ひたすらマイクロトフを凝視する。マイクロトフは薄く笑んだ。
「方々が言われるように、白騎士団長ゴルドーは気高き騎士の誓いから外れ、私欲を追い、他者を下に見る人物です。その部下も、ゴルドーの威を着て横行を重ねている。今の体制を壊し、作り変えねば、と……そう思います」
アナベルが慎重に口を挟んだ。
「それが皇王制の廃止と、どう繋がると?」
「マチルダ皇王家は子が生まれ難い血統らしく、御存知の通り、今や始祖マティスの直系王族はおれ一人となりました。国の決め事に従い、父の亡き後、四年もの皇王不在が生じてしまった。結果、一部の騎士の横行を招くに至ったのです。この先、いつまた同じ事態に陥らないとも限らない。だから統治の根本を改めるのです」
ううむ、とシュウが考え込んだ。
「今ひとつ分からない。あなたは若い。此度のテレーズ公女との婚儀は流れたが、これから妃を娶って───」
「子孫繁栄に励めば解決、……なんて野暮を言うなよ、シュウ殿」
グスタフが低く遮った。一斉に視線が集まる中、彼は続ける。
「おれのところには娘が一人いる。えらく可愛いんだ、これが」
唐突に目尻を下げるティント国王。一同はぽかんとした。
「あのう……グスタフ殿?」
「母親似でな、リリィは将来たいした美人になる」
おずおずと呼び掛けたリドリーに構わず陶然と呟き、不意に彼は表情を引き締めた。
「だが……どんなに可愛くても、女王たる器を持つとは限らない」
はっと誰かが息を飲んだ。
「リリィは酷い難産で生まれた。だから次の子は望めそうにない。親戚中を見回しても、おれの跡を継げそうな人間は見当たらない。王というのは、これでなかなか厄介な仕事だからな、血が繋がっていれば良いという話にはならない。そうだ───皇子に先を越された。実はおれも、おれが元気なうちに、王制を終わらせるべきではないかと考えていたんだ」
「グスタフ殿……」
「民が求めているのは、「王」という名ではなく、国を支える強い力だ。資質を持たぬ者が頂点に立てば、当人も民も不幸になる」
「ですが、マイクロトフ殿下には充分に王の資質が備わっておいでだと思いますが」
バレリアが言い、グスタフもうっすらと笑って頷いた。
「勿論、おれも同感だ。だが……皇子の子が、孫が、そう生まれ付く保証はない。まして子供に恵まれづらい血統なら、尚更だ。血筋を重んじて国を治める時代は過ぎた。王制を存続させる国を否定するつもりはないが、政治なんてものは、やれる奴、才能を持つ人間が執るべきだとおれは思う」
「…………」
「それにな。バレリア殿が言ったように、マイクロトフ皇子は立派に王の器を持っている。そんな男が考え抜いて決めたんだ、おれたちみたいな部外者がとやかく言うのは野暮だろう?」
「グスタフ殿……」
マイクロトフの声は震えた。
敬意を抱いていたティントの王が真っ先に支持してくれるとは予想しておらず、彼が同じものの見方をしていたことに感激したのだ。熱い眼差しに気付いたグスタフが、小さく苦笑った。
「確かにおれたちは、即位を祝うために集まった。だが、王になったあんたが将来的にどうしようと、それはマチルダの問題だ。これまで通りの友好が交わされるなら、ティントはそれで良い。ミューズはどうだ?」
振られたアナベルは、吹き出した。
「先にそう言われてしまっては……異論を口にすれば、展望の狭さを晒すようなものだな。どのような新体制になるかはともかく、ミューズは古くからの隣人として、温かく見守らせていただこう」
「……わたしにも息子がいる」
リドリーが後に続いた。
「我がワイゼン家は代々軍人を輩出してきた家系だが、息子はどちらかと言えば穏やかな性情で……幸い、本心からわたしの跡目を継ごうと励んでくれているが、家風に阻まれ、本当に進みたい道を諦めているのではないかと案じた時期もあった。だからグスタフ殿の話は良く分かる。人は、己に合った生き方をしてこそ幸福なのだ。上に立つ者であれば尚のこと、その資質は、己のみならず、周囲をも左右する」
そうしてきりりとマイクロトフを見詰めて一礼する。
「我がトゥーリバーも、貴君が築かれる新しきマチルダを見守らせていただく。変わらぬ友好を約していただければ、ありがたい」
「内乱を経たトラン代表として申し上げる。長く続いた体制を終わらせるのは、並ならぬ大事。けれど、我々はそれを果たしました。今あるのは、未来への希望だけです。どうか殿下も、御心強く励まれますように」
温かな激励ばかりが続いて、マイクロトフは言葉を失った。各要人に逐一頭を下げ、最後にシュウに目が止まる。椅子の背に凭れ、腕組みしたまま考え込んでいた男が、周りの注視に溜め息をついた。
「……だから、首相に就任した訳ではないと何度も言っているのに」
そう前置いて、ふっと口元を緩める。
「だが、グスタフ殿の意見はもっともです。これは他国が口を出す問題ではなかった。先程の発言は忘れていただきたい。この件はそれくらいにして……、「白騎士団長の行動を説く前に」と言っておられたようだ、「後の方」を聞きましょう」
「……切り替えが早過ぎるぞ、シュウ殿」
グスタフが混ぜっ返し、だが厳しい顔へと変じた。
「そうだな、ここからが本番と見た。話を進めてくれ」
はい、とマイクロトフは指先を重ね合わせた。一呼吸置いて気持ちを整理し、ゆっくりと口を開いた。
「こうして集まってくださったのを幸いに、今ひとつ、見届けていただきたいことがあるのです───」
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