最後の王・101


早朝訓練の場では、皇子と対峙するゲオルグ・プライムの姿が騎士たちの注目を集めていた。
皇子の客人──現在、「別任」に就いて姿を消しているグラスランド出の護衛が剣を学んだ人物──の存在は、今や末席の騎士でも知らぬ者はない。誉れ高き剣豪の剣筋を目にする貴重な機会と一同は奮い立ったが、当のゲオルグは剣を鞘に納めたまま、皇子の猛攻を弾き返すばかりで、「一撃必中」の攻撃形態から与えられた異名の片鱗すら窺わせずにいる。
やがてマイクロトフが前屈みで息を切らせながら呻いた。
「駄目だ、まるで歯が立たない」
すると剣士は防御の構えを解いて朗らかな笑みを洩らした。
「今の攻撃、相手が並の剣士なら五人は倒している。並以上でも、一人か二人……」
鞘入りの剣先で皇子の左半身を指す。
「何とかいけるだろう。攻撃を放った直後、防御がガラ空きになったところを狙われなければ」
はあ、とマイクロトフは唇を噛んだ。
「ついでに言わせて貰えば、攻撃も一本調子になりがちだな。読まれて避けられるぞ」
青騎士団の上位階者らは、指摘を耳にして一斉に苦笑した。
若きマチルダの皇子、「青騎士団長」マイクロトフは天賦の才に恵まれた剣士だ。とは言え、若く、欠点もない訳ではない。
意識が攻撃に向いたが最後、防御が疎かになる。裏表のない性情、駆け引きを好まぬ心持が剣先にも現れるため、どちらかと言えば先読みし易い。
感じてはいても、臣下の身にはなかなか口にしづらい意見を容赦なくぶつけるゲオルグ・プライム。こればかりは部外者の特権だ、と副長は目許を緩めて見守った。
「敵が少数なら乗り切れるだろう。だが、大勢だったら? 一から十まで力押しでは、いつか息切れする。穴だらけの防御に畳み込まれて終わり、だ」
「力だけでは……通用しない……」
口中で唱えて考え込むマイクロトフを横目で見遣り、ゲオルグはふうと息をついた。
「まあ、そう深く悩むな。考えるより先に身体が動く……それはそれで悪くない。ならば実戦だ。より多く経験を積むしかない」
小さく頷く皇子の姿を見届けた青騎士団副長が、朝のつとめの終了を宣言した。
「御即位まで、今日を入れて残り三日。状況に則して、つとめの変更や配置の入れ替えが行われるのを考慮せよ。各部隊長・小隊指揮官は、常にも増して連絡を密にし、所在を明らかにしておくように」
それぞれに拝命の意を示した後、青騎士たちは軽やかな足取りで鍛錬場を出て行った。残ったのは馴染みの面々、副長・第一隊長、そしてフリード・Yを含めた五名である。
不意にマイクロトフがゲオルグに向き直って一礼した。
「……失望させてしまっていなければ良いのですが」
虚を衝かれて瞬く男に言い募る。
「せっかく稽古をつけてくださったのに……不甲斐なくて、申し訳ない」
たちまちゲオルグは吹き出した。
「相も変わらず固い男だ。失望した相手に口出しなんぞしない。ついでに言うなら、「稽古をつける」なんて大層な真似をしたつもりもないぞ。おれも、食って寝るだけでは鈍るからな、たまには身体を動かさないと」
それに、と両の肩を竦めて小首を傾げる。
「実のところ、助言が功を奏するのは基本を学んでいる間が精々だ。経験の中から己の戦い方を会得する、それが剣士の真髄というものじゃないか?」
フリード・Yから受け取った手布で汗を拭いながら、マイクロトフは無意識に口走っていた。
「カミューは見事な剣捌きをしていたが……あれはどのようにして身につけたのだろう。やはり、実戦を通じて学んだものなのですか?」
つと動きを止めて、ゲオルグは皇子の若々しい顔を一瞥する。横から青騎士隊長が口を挟んだ。
「わたしは目にしたことがないが……たいそう「狡猾な剣」だとか」
これは、騎士団の中で唯一カミューと剣を交えた赤騎士団・第一隊長の感想だ。初めて聞いたときには失笑し掛けた。傭兵として数々の実戦を潜り抜けてきたとは言え、相手は二十歳にも満たない若者である。それを指して「狡猾」とは、生え抜きの武人たる男の評とも思えぬ過大だ───そんなふうに考えもした。
けれどその後、注意深くカミューを観察するうち、青騎士隊長の認識は改まった。成程、動作に隙がない。何気ない仕草のそこかしこ、寛いで見えるときでさえ、いつでも攻撃に転じられる備えが青年にはあった。優美な猫を装って敵を招き寄せる獰猛な獣。そんな狡猾さが、確かに感じられたのである。
「……あいつは良くも悪くも自分を知っている。昔から、な」
ゲオルグはポツと切り出した。
「身は軽いが、小柄で非力な子供だった。敵とまともに打ち合うのは不利だと早くから悟っていた。だから速さに磨きを掛けたんだな……、敵の攻撃を交わして逆に斬り込むだけの速さを。己の見てくれも武器にした。見るからに屈強な相手には誰でも警戒するが、あいつは……まあ、一見したところでは線が細い。隙を晒して敵の侮りを誘い、一気に仕留める───「狡猾」か、巧い言葉だ。おれは「可愛げがない」と呼んだものだが」
静かな声音だった。そこには若き弟子への、紛れもない情愛が滲んでいる。
カミューを殺すためにロックアックスへ来た、かつてゲオルグはそう語った。人生を交わらせた責任を重んじるあまり、闇を抱いた青年に最後の救いを与えるのだ、と。
そこに至る葛藤の跡は窺えない。けれど今、カミューを光の下へと呼び戻す戦いに参戦することになった奇縁を、ゲオルグ自身も歓迎しているのが一同にも感じられる。
あと、三日。
ゲオルグは、期せず日数に思いを巡らせていた。
報復を行動に移すなら、この三日が勝負だ。式当日、厳戒態勢の中での決行は自滅行為に等しく、即位後の接触もまた、困難を有すると分かっている筈だから。
更にゲオルグは思案した。
真から狡猾ならば、「陰謀が解明されるのを待ってみる」とでも騙って、再び城に、皇子の傍に戻って機を窺うという手もある。
けれど、おそらくそれはないだろう。この街で最初に会ったとき、既にカミューは己の敗北を予感していた。
だとしたら───

 

「ああ、居た。皆さん、こちらだったんですね」
物思いを消し去ったのは、切迫した呼び掛けだ。若い赤騎士が鍛錬場の扉に縋って、大きく肩を弾ませている。はっとした一同だが、若者の表情を見るなり、緊張は別の感慨に取って変わった。
「とうとうやりましたよ、……これで王手だ!」
感情を抑え切れず、そこで彼はぐいと袖で目許を擦った。急いで駆け寄ったフリード・Yに何事か囁かれ、照れ臭そうに苦笑いながらも、拳を振り回す明るい高揚。
一同は、それだけで理解した。
何より待ち望んだ、グリンヒル公都からの知らせが届いたのだ、と。

 

 

 

 

 

赤騎士団の副長執務室に出頭していたのは、第一部隊の隊長付き副官以下、数名だった。
何れの顔も、若い騎士に劣らず晴れ晴れとしている。隣国に潜伏しての諜報に心血を注いだ疲労は顕著ながら、それを上回る充足感が彼らにはあった。
騎士たちは、今朝早くロックアックスに戻ってきた。目立たぬように何組かに分かれて街を抜け、最初に城に入った一団が、出頭中の面々だったのである。
息をするのも忘れて報告に聞き入っていたマイクロトフらは、騎士の声が途切れると同時に、顔を覆って瞑目した。
───やっと。
やっと最後の破片が埋まった。しかも「生き証人」込みという幸運にも恵まれて。
これまで若い赤騎士が「運に味方されている」と何度も言っていたが、今ほどそれを実感したことはない。マイクロトフの胸は、たとえようもない感激に疼いた。
「……という訳で、一先ず半数ばかりが戻りました。隊長を含む残り半数は、式典前日にロックアックス入りする予定になっております」
「その際、内務大臣を連行してくるのだな?」
「はい。「元」内務大臣、ですが」
青騎士団副長の確認を、即座に言い直して騎士は微笑んだ。
「あまり早期に連行を果たして、もしゴルドーに知られれば抗弁の余地を与えてしまう、……斯様に隊長は仰せでした」
それを聞いて、青騎士隊長が含み笑った。
「考えることは同じだな」
雇われ刺客と、元グリンヒル要人。これで皇子側はふたつながらの勝札を──ゴルドーには内密で──手に入れたことになる。
幾度となくマイクロトフ暗殺未遂を繰り返しながら、捜査の網が自身に届かぬうちに「処理」してきたゴルドー。今度はそうはいかない。敵の喉首に絞首の縄を掛ける瞬間まで細心を払い続ける、それが騎士たちの共通認識なのである。
第一部隊副官の話は続いた。
「何と申しましても、相手は要職にあった人物です。力づくでも連れ帰るつもりでしたが、エミリア殿の御尽力もあり、事情が変わりましたので……幾つかの手続きを踏むことにしたのです」
納得して頷いた赤騎士団副長だが、ふと眉を寄せた。
「大丈夫かね? 他にも陰謀に加担していたものが宮中に居れば、大臣……いや、元大臣の拘束がゴルドーに伝わりかねないが」
「御懸念には及びませぬかと。テレーズ公女殿下の差配の許、現在グリンヒル政府内には粛清の嵐が吹き荒れておりますゆえ。縦しんば後ろ暗い連中が居たとしても、己の身を守るのに精一杯……既にワイズメル亡き今、ゴルドーに義理立てする理由も見つからぬでしょう」
それと、と騎士は苦笑を噛み殺しながら付け加えた。
「殿下が御即位直後に白騎士団長解任権を行使なさる、という話が出まして。ならば詮議も同時に行われるだろうと、エミリア殿が証言に立たれる旨、申し出てくださいました」
そこで若い赤騎士が言葉を挟んだ。
「大丈夫なのかな。詮議での証言といったら、内輪の歓談とは訳が違うし、相当な気構えが要ると思うんですが……」
若者も、別行動を取っていたとは言え、第一部隊の所属である。先輩騎士たちは容赦なかった。
「おまえもエミリア殿とお会いしたのだろうが。人を見る目が足らんぞ、未熟者め」
「おまえが証言台に立つより、百倍は頼もしい御方だ」
「隊長も絶賛しておられたぞ。騎士団に誘いたいほどだ、とな」
「……それって、女の人への褒め言葉になるんですか?」
「騎士団位階者として口にされる、最大級の賛辞だ!」
遣り取りに吹き出して、マイクロトフはそろそろと背を正した。
「エミリア殿に来ていただけるというのは願ってもないことだが……グリンヒルも大事の時、申し出に甘えて良いのだろうか」
案じる皇子に向けられたのは力強い宣言だ。
「大事の時だからこそ、でしょう。ワイズメルの陰謀はグリンヒルの忌まわしき汚点。これを清算した上で、新たな時代を迎える───公女殿下は斯様に御考えなのだと思われます」
「清廉な人だからな」
マイクロトフは静かに目を伏せた。
「父君が陰謀を企てていたと知るだけでも苦痛だったろうに、すべてを認めて、なお正しくあろうとする……誰にでも出来ることではない」
「ええ、本当に」
青白い顔で、それでも気丈に前を見詰めていた公女を思い起こしながらフリード・Yも頷く。弱く嘆息するのに気付いた青騎士団副長が首を捻った。
「どうかしたかね?」
「いえ……返す返すも惜しい気が……」
「何がだね」
「あのまま何事もなければ、テレーズ様はマチルダに輿入れなさっていたのですよね。エミリア殿も、侍女としてロックアックス城に住まわれて……それはそれで、何と申しましょうか、……素晴らしかったでしょうに」
うっとマイクロトフは息を詰めた。この上、そこに話題が向くとは予期していなかったのだ。
今更、「あれは駆け落ちを助けるための偽装婚約だった」とも言えず、引き攣った笑みを浮かべるしかない。そんな動揺を見取って助けたのは、場で唯一事情を知るゲオルグだった。
「巡り合わせ、というのだろうな。グリンヒルは公女を必要としていた。つまりはそういうことだ」
ええ、と第一部隊騎士らは同意する。
「それに、エミリア殿を皇王妃様の侍女待遇にとどめておくのは損失以外の何ものでもありません。あれほど勇ましき御婦人を見たのは初めてです。大臣宅に乗り込んだ際の御姿、皆様にも見せて差し上げたかったほどで」
「そんなに凄かったんですか」
「……凄かった。こう言っては語弊があるが、エミリア殿に詰め寄られた大臣は、蛇に睨まれた蛙のようだった……」
「へ、へえ」
若い赤騎士は、共にグリンヒルで彼女と対面した皇子の従者を窺い見た。あのときのエミリアは、テレーズが同席していたのもあってか、回転は早いが穏やかな人物といった印象だったのだ。
視線に気付いたフリード・Yも若者に目を向けた。こちらは「立ち会えなくて残念でしたね」という無言の語り掛けであったが。
さて、と気持ちを切り替えるように赤騎士団副長が声を張る。
「本当に御苦労だった。おまえたちの持ち帰ってくれた報、どれほど詮議の助けになるか……。ゆっくり休暇でも取らせてやりたいところだが、残念ながら今は叶わぬ」
「心得ております、副長。空手で戻らずに済んだだけで、我らは充分に報われております」
そうして部隊副官はマイクロトフへと向き直った。
「殿下……斯様な顛末、何と申し上げて良いのか……」
いいや、と柔らかく首を振るマイクロトフだ。
「おれの方こそ、言葉が見つからない。事実が明かされ、これで父上も浮かばれよう。本当によく頑張ってくれた、恩にきる」
感じ入った面持ちで一礼し、再び騎士が口を開いた。
「それと、今ひとつ。グランマイヤー様をはじめとする各国の要人の皆様がロックアックスに迫っておりますぞ。早ければ明日、午後にも到着なさるのではないかと」
「本当かね? 当初の見立てよりも早いではないか」
「気取られぬよう、夜のうちに迂回して行き過ぎましたが、遠目ながら第八部隊騎士の顔が見えましたゆえ、間違いないと思われます」
ふむ、と副長たちが考え込む。
「予想以上に道行が順調だったということですかな」
「こうなると、晩餐を日延べしたのは尚早でしたか」
小声で論じ合う男たちを一瞥し、軽い調子でゲオルグが言った。
「まあ、良いんじゃないか? 晩餐とやらの日延べは宰相の指示だったじゃないか、おまえさんたちが気を揉む問題でもあるまい。それに……ここまで札が出揃えば、皇子は接待に専念しても良さそうだ」
マイクロトフも小さく応じた。
「おれも、人を招いての晩餐会という儀礼的なかたちではなく、内々に各国の方々と話してみたかった。先触れが着き次第、街の入り手まで赴きます。教えてくれて感謝する」
またしても頭を下げられた騎士たちが、居心地悪そうに身じろぐ。悪戯に権威を振り翳されれば、好ましからざる感情を禁じ得ないが、こうして丁寧に遇されるのも、やはり落ち着かないのである。
「殿下……殿下、憚りながら申し上げます。皇王となられる御方が、臣下に幾度も頭を下げられるのは如何なものかと存じます」
あ、とマイクロトフは瞬いた。
皇王制廃止宣言は両騎士団の位階者の前で行われた。ある程度、話が固まるまでは吹聴して回るような案件でもない。在城の騎士の中には、薄々情報を掴んでいる者もあるだろうが、戻ったばかりの彼らは、ほぼ白紙の状態なのだと思い至ったのである。
マイクロトフは満面の笑顔で胸を張った。
「……いずれは同じ騎士の一員だ、細かいことを気にしないでくれ」
「は?」
きょとんと目を丸くした部下たちを見た赤騎士団副長が言い添えた。
「その件については、兵舎に知る者も居よう。そこから察するが良い、……あまり不用意に騒がぬように」
「はあ……」
釈然としない顔ながら、騎士たちは問い掛けを納めた。再び赤騎士団副長が笑んだ。
「休暇はやれぬが、一先ず心身を休めてくれ。またすぐに働いて貰わねばならぬだろうが……あと少しだ、何とか共に乗り切ろう」
「はい、副長。ゴルドーの一方的な命令で方々へと走らされていた頃を思えば、何ということもございませぬ。いつでも御呼びください」
部隊副官が心底からといった口調で言い、居並ぶ面々にも一礼した。そうして、先頭に立って退出して行こうとした刹那、不意に足を止め、おずおずと振り返る。
「ひとつ、お聞きしても宜しいでしょうか」
躊躇でいっぱいの声音には青騎士隊長が応じた。
「何か気になることが?」
いえ、と騎士は逡巡して目線を彷徨わせたが、やがて思い切ったように背を正した。
「カミュー殿は……まだ戻っておられないのですか?」
何気ない一言が座を凍り付かせる。駆け抜けた緊張を感じたのか、騎士は眉を顰めた。
「あの……?」
「まだだ」
心情を窺わせずに答えたのも、青騎士隊長であった。
「最も重要な案件に当たっているからな、……手古摺っているのかもしれない」
「然様でしたか」
ふうと息をついて騎士は項垂れる。
「戻っておいでなら、カミュー殿にも一言お詫びしたかったのです」
「詫び?」
「ええ。此度の企て、グラスランド侵攻を目したところに起因すると伺いました。グラスランドと言えば、カミュー殿の郷里……、さぞや不快に思っておいでだろう、と」
───実際、「不快」どころでは済まなかったのだが。
胸中で嘆息しつつ、青騎士団副長が首を振った。
「彼は分かってくれているとも。その上で、我々に信頼を寄せてくれていたのだ。おまえたちの心遣いも、カミュー殿には充分に伝わろう」
たちまち赤騎士らの表情に喜びが昇る。遠くグリンヒルで奔走しながら、そんなふうにカミューを思い遣ってくれていたのかと、マイクロトフの胸も熱くなった。
赤騎士団・第一部隊騎士らが去った後、短い沈黙が下りた。静寂を破ったのは、やはりマイクロトフだった。
「……我が儘を言っても良いだろうか」
そう前置いて、共闘する男たちを一望する。
「おれは今まで、皇王となって白騎士団長の解任権を得た後……式典後、直ちにゴルドーを詮議する場を持とうと考えてきた。たとえ陰謀の確証が得られなくとも、あらゆる理由を掻き集めてゴルドーを今の地位から引き擦り下ろし、騎士団を歪んだ権威から解放する───それが最善なのだと考えていた」
だが、と拳を握り締める。
「みなの尽力の甲斐あって、何とかここまで漕ぎ着けた。もう、解任権に拘る状況は過ぎた。おれは、即位式をゴルドー糾弾の場に充てたい」
騎士たちはぎくりと身を固くした。互いを窺い合い、代表するかたちで赤騎士団副長が問うた。
「それは……参席者の前で、という意味でしょうか」
「そうだ。確か、副長以上の地位の者には、法議会に代わって詮議を行う権限があったように思う」
説明を求めるゲオルグの眼差しに気付いて、青騎士団副長が身を乗り出す。
「訓戒に背いた騎士は、軽易なもの、明白なものなれば、騎士団内で処罰します。しかしながら、例えば民間人を殺傷するなどの重大事や、より多くの意見を求めねば判断に窮するような場合は、法議会という席で詮議を受けるのです。身内意識によって正当な裁きが損なわれるのを防ぐ手段のひとつで、評議を行うのは騎士団外の識者などが中心となります」
更に赤の副長が補足した。
「此度の陰謀は当然ながら後者に当たりますゆえ、法議会の召集を要すと思われます。ですが、騎士団の規約上は、マイクロトフ様が仰せになられたように、「副長以上の者であれば、詮議を代行出来る」との文言が記されているのです」
解釈に苦しむ、といったふうのゲオルグに、赤騎士団副長は重ねて説いた。
「騎士団の規約が今のかたちとなったのは二百年近く昔の話です。中には補足・削除された項もありますが、大きくは変更を加えられておりません。法議会の成立は、ここ数十年のこと……つまり、本来ならば第三者の手に委ねるべき裁きを、騎士団長・副長が実行することが可能といった矛盾が生じる訳です」
「ははあ、成程」
「とは申しましても、実際にそうした簡易裁判の施行は、戦地や任務地に限られてきました。ロックアックスに連れ帰って裁くまでもない重罪人のみ、例外を適用するとの暗黙の了解があったと申しましょうか……」
「こちらが正規の手続きを踏まないんじゃ、ゴルドーも黙ってないでしょうね」
「そういうことには、やたら頭が回りそうですしねえ……」
若い騎士とフリード・Yが面白くなさそうに付け加える。そんな一同を横目で見遣った青騎士隊長が、ボソリと声を上げた。
「方々、一つお忘れです。議会の評議員はすべて、式典出席が予定されているのでは?」
束の間ぽかんとした副長たちが、ゆるゆると目を瞠る。
「……あ」
「た、確かに」
「多少の矛盾はあろうと、「青騎士団長」には詮議開始を宣言する権利がある。場に議員が揃っているのだから、ゴルドーが難癖をつけてきたら、「この場を法議会の席とする」と言ってしまえば解決です」
「何だか……言ったもの勝ち、って感じですね」
赤騎士の小声の指摘に、男は含み笑った。
「その通り。とは言え、問題がないとは言えませんな。当然ながら、場は混乱に陥る。晴れの式典が滅茶苦茶も良いところだ。準備を重ねてきた司祭一同、泣くでしょうな」
「動揺から生ずる混乱だけなら、納めようもありましょう。ただ、ゴルドーが逆上しないとも限りませぬ。国賓や民間人が参席する中、これは如何なものかと……」
もっともな赤騎士団副長の指摘に、けれどマイクロトフは決然と唇を噛み締めた。
「分かっているのだ、どれほど無茶を言っているかは。穏便に事を進めるのが賢明だと───それが王位を継ぐ身に要される判断なのだと、頭では充分に分かっている。だが、もう駄目だ。たとえ形式上さだめられた儀式だろうと、衆目が見守る前で、心を殺してあの男と向き合うなど……おれには無理だ、絶対に出来ない」
即位典礼の終盤、マチルダ騎士が新たな統治者へと膝を折る儀式がある。騎士側からは敬意と恭順、対して皇王は信頼を、互いに与え合うそれは「忠誠の儀」と呼ばれている。騎士団側の代表となるのは、現・最高位階者だ。こればかりは、好む好まざるに拘らず、如何なることがあろうと変更は有り得ない。
掠れた声が呻く。
「……あの男は父上を殺した」
いつから殺意を抱いていたのか、縁者の親愛を装い続けて、最悪のかたちで裏切った。
「そして先代白騎士団長も」
彼もまた、裏切られた。忠実な副官を、おそらく欠片も疑わず、信じ切っていたに違いない。
だから不意を打たれたのだ。父王の信頼厚き武人は、騙し討ちに遭って沈んだ。主君の柩に投げ込まれ、人知れず朽ちていった。
二つの亡骸が納められた石棺は、取り敢えず元通りに埋め戻してある。司祭によって鎮魂の儀を執り行った後、改めて埋葬し直すのが最良だろうと考えられたからだ。
祈りを捧げられることもなく地中に隠された人を思えば、怒りのあまり血が冷える。一刻も早く、彼が受けた非道を公にせねばとの激情が込み上げてくる。
「……ゴルドーは国の禁をも犯した。皇王印の細工職人、カラヤ族の族長も、他国侵略の野心に殺されたのだ。そして、その野心はカミューの生き方をも曲げた」

 

───最愛なるひとの頬に伝った一筋の雫。
大切に思う人々を残らず奪われ、生涯拭えぬ傷を負った青年。
彼に報復の刃を握らせたゴルドーが許せない。
彼に未来を忘れさせた仕打ちを、彼に代わって許さない。

 

「即位式典を終えるには、忠誠の儀を踏まねばならない。忠誠に信頼を返すあの儀式は、おれが知る、最も尊い遣り取りだ。かたちだけ取り繕えば穏便に進むと分かっていても、おれには出来ない。偽りで固めた儀礼に臨むくらいなら、今すぐ、この手で、ゴルドーを討ち果たしたいとさえ思う」

 

───まただ、と青騎士団副長は思った。
皇王制廃止が持ち出されたときもそうだった。マイクロトフの確固たる意思に基く発言には異見が挟めない。さながら熱に引き擦られるように、巻き込まれるように、沸き立つ何かに満たされる。
同様の感を覚えていた赤騎士団副長が、慎重に口を開いた。
「醜い陰謀の進行を許してしまった……これは国家、そしてマチルダ騎士団の威信を失墜させましょう」
「分かっている。だが、おれもテレーズ殿と同じ思いだ。醜いものに蓋をして先へ進もうとは思わない。たとえいっとき名が地に落ちようとも、後の行動をもって回復すれば良い。そんなものは幾らでも取り戻せる、……失われた命とは違って」
今度は青騎士団副長が言った。
「かの礼拝堂は、建国の英雄を偲ぶ民たちの心の拠り所。斯様な聖なる場を、断罪の席に充てても良いのでしょうか」
「国を築いた英雄たちを奉る場で、国を誤った方向へと向かわせようとした罪人の裁きを行う……これ以上ない、最適な場だとおれは思うが」
押し黙って遣り取りを見守っていたゲオルグが不意に姿勢を正した。
「すまんが、警備案書というのをもう一度見せてくれないか?」
「は、はい」
机上に山と積まれた書類を漁った青騎士団副長が目当ての束を引き抜く。恭しく捧げられたそれをゲオルグはぱらぱらと飛ばし読んだ。やがて見つけた礼拝堂の見取り図と参席者の席次表を見比べながら小声で呟く。
「警備の中心は青騎士団……、赤と白で堂内に待機するのは位階者のみ、か」
「何ぞ不都合がありましょうか」
いや、と首を振って考え込み、最後にゲオルグは低く切り出した。
「……おれは皇子の考えに賛成する」
はっと注視する一同に顔も上げず、なおも図面を睨んで続ける。
「この国の民は……いいや、マチルダの民のみならず、同盟を結ぶ各国の代表も、事実を知るべきだとおれは思う。野心を持つのは悪いことじゃない。だが、則を越えた野心がどれほど醜く、他者を踏み躙じるか……そいつを直視し、今後の教訓とすべきだ」
そうして彼は、物憂げにマイクロトフを見遣った。
「国の禁を犯して他国を侵そうとした行為を、包み隠さず公の場にて裁く───そんな姿勢に、救われる心もあるかもしれない」
知らず一同は呼気を殺した。剣士が示唆するところに思い至ったのだ。
長い沈黙の果て、青騎士団副長が同位階者を横目で窺った。
「……混乱を食い止める手立てはありましょうか」
赤騎士団副長は眉を寄せつつ、ゲオルグが手にする警備案書を一瞥した。
「完全に、とはゆかぬまでも……最小限に抑える手ならば何とか」
答えながら座り直す。
「予め、列席者に伝えおくのです。御即位に先立ち、国家的大事を沙汰する時間を設ける、と……。立ち会う覚悟を持たぬものは、当日、席を空けるように申し伝えておけば、ある程度の混乱回避にはなるかと」
「だけど、詮議の内容は直前まで伏せておくんですよね? 不審がられて噂になって、ゴルドーに洩れませんか?」
若い騎士が不安そうに上官を見上げた。
国賓以外の参席予定者は、ロックアックス各区長、村長たち、有識者などの著名人とその縁者といった面々だ。数も相当になる。苦渋混じりの顔が頷いた。
「ゴルドーとの個人的親交が把握される人物を省いて、尚且つ、箝口を敷くとしても……まったく洩れぬとは言い切れぬだろうな。だが、万一を考えれば、まるで気構えを持たぬまま参席されるよりはマシだろう」
万一、と呟く若者に青騎士隊長が肩を竦める。
「追い詰められたゴルドーが逆上したら、血を見るかもしれない。我々は流血に慣れっこだが、一般人は……。一斉に出口に殺到されてみろ、警備にあたる騎士だけでは抑えられない。ヘタをすれば、大惨事だ」
「ああ……成程、「そういう可能性もある」という心構えをしておいて貰う訳ですか」
フリード・Yが独言を洩らす。そうは言っても、詳細も明かさず、そこまでの覚悟を促せるかについては、やや懸念が残ったが。
再び青騎士隊長が言った。
「いずれにせよ、ゲオルグ殿が言われたように、青騎士団員が警備の中心にあり、白騎士団側の出席者が位階者程度というのは有利な条件でしょう。我らは殿下の御意思に添ってここまで来たのですから、幕引きまで御付き合いするのも一興かと」
「……一興、などという楽しいものでもないがね」
苦笑して、青騎士団副長が背を正す。ひたとマイクロトフに瞳を当てて、それから丁寧に一礼した。
「すべてはマイクロトフ様の御心のままに。我ら一同、剣と誇りの許、最善を尽くしましょう」
「やって……くれるか」
くしゃりと顔を歪め、マイクロトフは唇を噛み締める。
自らの意が、彼らに大いなる負担を与える自覚はある。それでも曲げられなかった思いに賛同し、微笑んでくれる仲間がありがたく、ひたすら胸が詰まった。
では、と赤騎士団副長が眦を決す。
「次の巡回交替時から手分けして列席者を訪ねる旨、申し渡しましょう。赤・青、在城する部隊長を全て呼び集めてくれるかね?」
命じられた若い赤騎士が慌てて背筋を伸ばした。
「ロックアックス外からの出席者についてはどうするんですか?」
「今から家を訪ねても間に合うまい、既に街に入っている者も居ようからな。彼らに関しては、当日、入堂の査証時に伝える他ないだろう」
「あっ、あの!」
唐突にフリード・Yが割り込んだ。
「マカイ殿には、何と申し上げますか?」
あ、とマイクロトフが目を瞠る。
「……それもあったな」
「殿下……「あったな」どころではございません。マカイ殿にとっては、皇王制廃止の旨も容易には受け入れ難い話でしたのに……。わたくし、殿下の御心を説くのに半日以上も費やしたのですよ? この上、式典も予定通りに行われず、まして礼拝堂内で流血沙汰が起こりかねないとあっては、嘆かれるどころの騒ぎではありません」
「それもそうだ」
小さく嘆息して、マイクロトフはゲオルグを見遣る。
「明日、国賓が着いてからでは身動きが取れなくなります。今日のうちに、おれの口から直接事情を説いておきたいのですが……」
「分かった、御供しよう」
あっさりと同意したゲオルグは、しかし半ば上の空で、手にした警備案書に食い入るような眼差しを注いでいた。
「……ただ、な。出来れば午後からにしてくれないか。いま一度、こいつを吟味しておきたいんだ」
篭った声音が一同の表情を硬くする。もはや手を加えるまでもないとされてきた警備の布陣に、何ぞ思うところがあるのかと、熱を帯びた視線が集まった。これに気付いたゲオルグは、漸く顔を上げ、大仰に手を振った。
「おまえさんたちは飽きるほど読んだ代物だろうが、おれは新参者だからな。礼拝堂の中も一度見たきりだし、念を入れておきたいんだ」
そういうこともあろうかと、マイクロトフは微笑んだ。
「分かりました、では午後に」
「ここに隊長たちを集めるんだな? だったらおれは隣へ移ろう。これは借りていくぞ」
隣室はゲオルグの寝所となっている部屋だ。冊子を熟読するのに静寂を求めるのは自然の成り行きだが、やや唐突感がないでもなかった。怪訝そうに見詰める顔の中、ゲオルグは青騎士隊長に目を止める。
「それと……そっちに不都合がなければ、この兄さんを借りたいんだがな」
「わたし、……ですか?」
「ほら、礼拝堂に行った時も色々教えてくれたじゃないか。あんな調子で、意見役として付き合って欲しいんだが」
「あの折にも申し上げたが、わたしの知識は、ほんの付焼刃に過ぎませんが……」
はじめ困惑を浮かべていた騎士の眼光が次第に鋭くなる。皇子へ、そして上官らへと瞳を巡らせ、次いで背を正した。
「……と仰せですが、如何なものでしょう」
勿論、否はない。青騎士団副長が即座に了承した。若い赤騎士を見遣って言う。
「では、第一部隊副官に出頭するよう伝えてくれるかね?」
「分かりました」
遣り取りを待たず立ち上がったゲオルグが、軽い調子でフリード・Yに声を掛けた。
「すまんが、おれたちの分の朝食を隣に運ばせてくれないか。久々に早朝から運動したものだから、どうにも腹が空いて堪らん」
「はい、ゲオルグ殿。デザートも忘れずに、……ですね?」
「重要事項だ」
ゲオルグは高らかに笑って、青騎士隊長を従えて退出していった。
二人を見送った一同の唇に上っていた微苦笑が、やがてゆるゆると消えてゆく。フリード・Yがポツと言った。
「……またしても秘密の匂い、ですね」
「何だね、それは?」
問い返した赤騎士団副長に、乗り出しながら訴える。
「副長殿が陛下の御棺について調べていらっしゃったこと、ゲオルグ殿は何も教えてくださらなかったのです。今のも、きっと……何か思い付かれたに違いありません」
「成程」
くすりと笑んで、男は目を細めた。
「それがあの方の遣り方なのだろう。ならば、我らは従うまでだよ。ゲオルグ殿を味方に得られたのは最大の僥倖だった。我らには騎士としての見識が染み付いている。あの方の経験や思考は、得難い力だ」
そうだな、とマイクロトフもにっこりした。
「おまえがゲオルグ殿を連れて来てくれなければ、どう転んでいたか分からない。本当に感謝しているぞ、フリード」
最愛の主君に心からの謝辞を与えられたフリード・Yは、たちまち頬を染めて破顔したのだった。

 

 

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次回、招待客ご一同様の到着です。
それで登場人物勢揃い。のハズ。

にしても、
ここんとこ一話あたりがヤケに長いったら。
こんなのが暫く続きそうです。

 

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