INTERVAL /23


朝食の席で、父皇王より直々に三年間のグリンヒル留学を命じられた少年の心は暗かった。
未来の王として、物心ついた頃から帝王学を教え込まれてきた。皇子は真面目で、何でも一生懸命に学んだが、ある程度の歳になると得手・不得手、興味関心といったものが顕著に現れるようになっていった。
幾人もの識者が皇子の教育係として任ぜられていたが、中には深刻に頭を抱える者もいた。
例えば弁論述。
皇子は決して愚鈍ではなかったが、論理立てて語ろうとするほど、言葉が巧く出てこなくなる。寧ろ、感情の昂ぶりに任せた方が雄弁で、これは満座の中での冷静なる発言を求められる王としては、あまり感心される傾向ではない。
どっしりした物腰には充分に合格点が与えられるが、周囲から寄せられる麗句に笑って応じるだけの社交性がない。「立派に見えるとはどういうことだろう」とか、「賢そうと言われたが、何故だろう」とか、逐一考え込んでしまう。結果、やや取っ付き難いとの印象を与えてしまうことが多かった。
一本気な性分も良し悪しだった。
白は白、黒は黒。正義感が強く、曲がったことが許せず、ひとたび思い込んだら相手が誰であっても譲らない。
過ちと気付けば素直に認めるもするが、「物事には事情によって白黒が混じり合うときもある」といった柔軟性に欠ける。時世や環境によって多様な判断を駆使せねばならない王という立場に、これは如何なものか。
教育者たちは葛藤した。
時には厳しい叱責も辞さず、たまたま聞き止めた皇王が「子供のうちからそんなに喧しく言わなくても」と割って入るときもあったほどだ。難しい顔の父を見て、幼心に申し訳なく思った皇子は、何とか教師たちが望むようになろうと懸命に励んだが、如何せん思うようにはならなかった。
心情が顔に出る。
これも未来の王には相応しくないと言われてきた。だから感情を抑えるように努めてみたが、それはそれで逆効果、気持ちに合わせて表情を動かすまいとするあまり、やたら気難しげな風情が染み付いてしまい、相対した者には尽く「御機嫌が悪いのか」と案じられる有り様だった。
要するに、真面目過ぎて不器用、マイクロトフはそうした少年だった訳である。
決定的に教師らを悩ませていたのは、皇子が学問以上に武術に熱心だったことだ。
王位継承者は、一定の年齢になると、形式的に青騎士団長の称号を与えられて、剣や体術の訓練に参加する旨が定められている。単に護身のためでなく、皇王家の成り立ちから続いた慣習だ。
マチルダは、ハイランドの支配を逃れて建国を宣言した後も、領内に残る敵兵らとの数年に渡る小競り合いを経験した。徐々に騎士団が戦いを担うかたちに移行したが、「いつでも戦場に立てるように武道を磨く」というのが、皇王一族、即ちマティスの遺児らの信念だった。それが今日まで受け継がれ、守られているのである。
マイクロトフは、だが定められた歳よりも早くから剣を手にし、卓越した剣士と伝えられる皇王家の祖マティスの血統の片鱗を発揮していた。「歴代の王の中で最も優れた武人ではないか」と称されてきた父王が目を細めるほど、少年の才覚は際立ったものだった。
マイクロトフ自身、幼い頃から騎士団の一員に加わる日を心待ちにしていた。剣術が好きで、身体を動かすのも好きで、部屋で書を積み上げて教師と対峙する時間よりも、ずっとずっと自分に合っていると思われた。
そうして漸く夢が叶ったばかりだというのに、グリンヒル行きを命じられてしまった。きっと、教師たちが父に直訴したのだろう。

 

『殿下はやや学問を苦手としておいでです。いいえ、すべては我々の力不足……、殿下の興味を引き出して差し上げることが出来ませなんだ』

『斯くなる上は、一刻も早く、より優れた指導者が揃うニューリーフ学院にお送りした方が宜しいかと』

 

年若い王族がニューリーフ学院にて学ぶ、これも慣習だ。父王も行ったという話だから、仕方がない。だが、父は成人間際、しかも一年ほどで戻ったらしいのに、どうして自分はこの時期で、おまけに期間が長いのか。
あまり敏感な質とは言えない皇子だが、これには何がなし察しがついた。

 

『殿下はどうも、騎士というものに傾倒が過ぎておられる御様子。剣術の稽古に臨む情熱の半分も政治学問に向けてくださったら……いえ、勿論これは力及ばぬ教育係の愚痴に過ぎませぬが』

『戦乱の気運ありといった世なら、寧ろ賞賛すべきなのでしょうが、騎士ではなく、王になられる御身なのだと、この際はっきりと諭された方が宜しいのではないでしょうか』

 

何年も経ってから思い返して、マイクロトフは、漸く教育者らの手厳しさを理解することになる。
王は長く子に恵まれなかった。健勝な身ではあるけれど、譲位の日が、マイクロトフが若いうちに訪れるのは間違いない。それまでに、何としても立派な王位継承者に育て上げねばならないという焦りが、教師たちを駆り立てていたのだ、と。
けれど、あの頃は分からなかった。
ただ決定が理不尽に思われて、けれど異論を述べようとは思い至らず、悄然とした。
「学院には一つ年下の従者も一緒に」という配慮には慰められたが、それでも鬱屈を払うには遠く及ばない。
そんな訳で、無人の鍛錬場に独り向かい、持ち始めたばかりの騎士剣を振り回していたマイクロトフだったのだ。グリンヒル公都───あの学問の街に、思い切り剣を振るう場はあるのだろうか、そんなことを埒もなく考えながら。
このときである、「彼」から声を掛けられたのは。

 

「御精が出ますね」
言いながら鍛錬場に入ってきたのは白騎士団長。
騎士団に籍を与えられ、青騎士たちには多少ながら馴染みを感じ始めていた。けれど、白騎士団長とは公式の席で顔を合わす程度で、個人的に相対す機会がなかった。
父王から「立派な男だ」と聞いていたし、堂々とした姿を見ればマイクロトフもそう思う。ただ、急だったのもあり、やや怯んだのだ───彼には片方の腕がなく、空の袖口を胸元で止めるという、あまり見慣れぬ風体であったから、目の遣り場に困ってしまったのである。
皇子の戸惑いに気付いたふうでもなく、男は厳つい顔を綻ばせていた。
「驚かせましたか、これは失礼。つい、声を御掛けしてしまいました」
「……ここを使うのか? だったら退く」
いいえ、と騎士は首を振った。
「誰も居ないときを見計らって、たまに来るのです。この、鍛錬場の空気が好きなので」
それから僅かに身を屈めてマイクロトフを見詰めた。
「もしや塞いでいらっしゃいますか?」
図星され、マイクロトフは頬を赤らめた。あれほど教師たちに言われているのに、やはり顔に出てしまっているらしい。
それでも相手が、自身が憧れて止まない騎士という存在を束ねる人物であるためか、何故かするりと言葉が零れ出た。
「……グリンヒルに行くことになったのだ」
「ああ……、御遊学が決まったのですか」
「父上のときよりずっと早い。それに長いのだ。三年は戻って来られない」
握ったままだった剣に気付き、鞘に納めた。俯いて、ポツと続ける。
「せっかく騎士団に加われたのに。ニューリーフ学院で、しかと学べと命じられた。王位継承者として未熟だから、剣を取り上げられてしまうのだ」
はて、と白騎士団長は考え込んだ。
「鍛錬場がなければ剣の稽古が出来ませんか?」
「え?」
「一口に学ぶと言っても、色々あります。御存知ですか? あの学院には、兵法の書が騎士団に負けぬほど揃っているのですよ」
「そうなのか?」
思いがけない言葉に目を丸くして、マイクロトフは男を見上げた。凝視には朗らかな笑みが返った。
「与えられた機は活かさねば。この際、学院に置かれた戦術書の読破にでも挑まれてみては如何でしょう?」
「でも、他の学問が……」
「そこは時間を遣り繰りするのです。騎士の教えにもありましたでしょう、「限られた時の枠内で最善を尽くす」……あれの実践ですね。今し方、少し拝見させていただきましたが、なかなか堂に入った鍛錬ぶりでした。騎士としても有望なのですから、きっと御出来になると思いますよ」
世辞は素直に受け止められない質だが、このときばかりはひどく嬉しかった。
「騎士なら、やれる……?」
「ええ。それに……学院の中には広場もあった筈です。周りの人間を傷つけぬように気を付ければ、武術の稽古も出来るでしょう。剣はともかく、体術くらいなら、他の学生が運動を兼ねて相手になってくれるかもしれませんよ」
但し、と小声で付け加える。
「……その場合、あまり本気を出してはいけません。皇子は立派な体格をしていらっしゃる上に、腕力も相当なものだと、青騎士団の副長から聞いていますから」
知らないところで、そんな噂が交わされているのかと、羞恥混じりの喜びが込み上げた。マイクロトフは白騎士団長に丁寧に頭を下げた。
「ありがとう。少し気持ちが軽くなった。そうだな、やろうと思えば何処でも鍛錬は出来るな。苦手な学問も……父上に恥を掻かせぬよう、精一杯に頑張る」
すると騎士は仄かに苦笑した。少しだけ躊躇う素振りを見せ、思い切ったように言った。
「ひとつ、餞別代わりの御忠告をお聞きくださいますか」
「勿論だ、何だろう?」
「今すこし、肩の力を抜かれた方が良いですね。おひとりで我武者羅にならずとも、いずれ良き味方が皇子を御支えします。騎士団もその一つですが」
意味が量れず瞬く少年に、彼はいっそう腰を沈めた。目線を合わせての、静かな囁き。
「あなたのように真っ直ぐな御方の周りには、自然と人が集まります。苦手な分野に無理をせずとも、助けてくれますよ」
「……良く分からない」
正直な反応が男を破顔させた。ひょいと姿勢を正して虚空を見遣る。
「いつかきっと、お分かりになります。それから遊学についてですが……陛下より早いの長いのと気にしていらっしゃいましたね? そうですね……、わたしはその件について、陛下の御考えを伺っております。こっそりお教えしましょうか」

 

 

誰にも苦手はある。持って生まれた性分というものもある。
教師たちは熱心で、それには感謝している。だが、何かにつけ、わたしを引き合いに出すきらいがあるらしい。
「父君に倣え」「父君はそうしなかった」「どうして父君のように出来ないのか」───この前、フリードの奴が憤慨して、泣きながらグランマイヤーに訴えに来たそうだ。
彼らは、わたしが最初から今のように政務をこなしてきたとでも思っているのだろうか。人は経験しながら学んでゆく。学ぶ早さには個人差がある。人と比べられるのはつらいことだ、このまま続けば、あの子は卑屈に陥ってしまう。

───前向きな御性情は筋金入りと伺いますが。

力量以上に無理を続ければ、いつか何処かが破れる。人の器とはそうしたものだ。
マイクロトフをニューリーフに送る。息苦しい期待の目を逃れた方が、いっそ伸び伸びと過ごせよう。専属の教師が付かずとも、勉学を怠ける子ではない。城で大人に傅かれているより、毛色の違った人間と接する方が、社交性とやらも育めそうだ。
期間は……そうだな、少し長めに行かせるか。戻る頃にはさぞや図太く逞しくなっていよう。器用な子ではないのだから、どっしり構えた方がうまくゆく。

───御多忙の中、良く御覧になっていらっしゃる。

「親馬鹿」と笑うが良い。この世で唯一の、大事な息子だ。

 

 

「父上が……」
目を瞠る皇子に騎士はしっかりと頷いてみせた。
「学び舎に押し込んで、剣術を取り上げるのでありません。御父君は自由をくださったのですよ。如何に使われるかは皇子の御心ひとつ。御父君の望みは、健やかで曲がらず、心温かな人間であって欲しいということだけです」
さて、と男は背を伸ばした。軽い礼を──左手はないので逆の手で──取り、最後にもう一度にっこりした。
「環境が変わると、戸惑われることも多いでしょうが……、何事も慣れです。有意義な学院生活を送られるよう、お祈りしております」
言い差して、白騎士団長は静かに鍛錬場を出て行った。

 

 

 

あのとき、非礼を承知で聞いてみたかったことはある。
片腕を失って、苦労はなかったのか。
それでも位階を極められたのは何故なのか。
おそらく彼は、笑いながら答えただろう。

『何事も慣れです』
『与えられた機を活かせたのかもしれませんね』

父王から聞かされた白騎士団長、ただ一度だけ言葉を交わした男は、そういう人物であったのだ。
もっと何度も話せば良かった。
もっと色々と教えて貰えば良かった。
彼の人は、黄泉路の露払いをつとめて父王を迎えた。
そして今なお、皇王夫妻を護って剣を握っているに違いない。

 

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……という訳で、
これでゴルドー様がやらかした諸々は
すべて明かされた(筈)と思われます。
ちょうど100話でキリが良かったなー……なんて。
中身的に纏めてアプするのが良いかと思い、
そうしました。なので、各回のコメントも省略です。

このI/23は、
何となくクッションで書いて入れてみました。
イキナリ白骨死体で初登場となった人の、
気の毒さへの埋め合わせ〜。

 

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