最後の王・100


数刻前、西棟の一室。
ゲオルグ・プライムの放った一撃は座に戦慄をもたらした。
「墓、ですか……?」
呆然と言ったのは青騎士団副長だ。自らの言葉を反芻するように瞳を虚空に漂わせ、次いでゲオルグを凝視する。
「陛下の御陵を掘り返すと仰せですか」
「そうだ」
一同はゲオルグに無比の信頼を置いている。それでも俄には納得出来ない意見であった。
場には死者の息子がいるのだ。父の墓を暴くと聞いて平静ではいられまいと、誰もが咄嗟に皇子の表情を窺った。けれども、当のマイクロトフは凍りついたように身じろぎひとつせず、黙してゲオルグを見詰めるのみであった。
ひとしきりの動揺が過ぎ去るのを待って、淡々とした口調が語り出した。
「おまえさんたちも同様だろうが、最初に話を聞いたときから引っ掛かり続けていた。先代白騎士団長、彼が何ゆえ表舞台から姿を消したのか。亡き主君への忠節から、剣を置いて去る───決して「ない」とは言い切れないだろう。だが、皇子が成人するまでの間、皇王空位という非常事態に陥ると知っていながら職務を放棄するとは、王の信頼厚かった人物ならば、おそらくは有り得ない」
宰相グランマイヤーを見るが良い、そうゲオルグは言った。
先王とマイクロトフ、二代に仕え、今なお懸命につとめている。あの献身こそ、信と責とを委ねられた者の在るべき姿だ、と。
「……となれば、宰相と同じ道を取る筈だった騎士団長が、そう出来ない立場に追い込まれたと見る方が自然だ。彼は消された。おまえさんたちが想像した通り、排除されたんだ」
「…………」
「前に、おれは調査すべきかという提案を退けた。今回の陰謀については、何もかもが仮定頼りで、そのくせ内実を知りつつ動ける数が少ない。下手に手を広げては、収集がつかなくなる恐れがあったからだ。だがな、途中で思い直した。先王暗殺は古い事件だ、それだけ謀略の証を得るには困難がある。考えられる手があるなら、一つでも多く試してみるべきではないか、と」
そこで彼は、机から焼き菓子を一つ摘まんで口に放り込んだ。話を整理するための小休止といった風情だった。
「……皇子が即位式の最終稽古を行った日、おれは司祭長に幾つか話を聞いてみた」
虚を衝かれてマイクロトフが瞬く。片や、マカイに会話を持ち掛けるゲオルグを見守っていたのを思い出した青騎士隊長は、ああ、と合点がいったふうに頷いた。
「司祭長殿は怪訝な顔をしておいででしたな」
「まあな。妙なことを聞く、とでも思ったんだろう。おれが尋ねたのは先王葬儀に関する諸々だ。主な焦点は、手配の中心だった人間と、柩の重さ」
「重さ……?」
若い赤騎士が首を傾げる。助言を求めて上官を見遣るが、赤騎士団副長の面差しは硬いままで、視線に答えようとはしなかった。
「王族に死人が出た際、柩は騎士団が用意することになっているそうだな」
誰に問うたという訳でもない声に、青騎士団副長が頷く。
「王族のみならず、議員などの要人が死去した場合も、です。騎士団は、組織の性質上、何と申しますか……死者を送るのに慣れておりますゆえ。無論、騎士の葬儀と王族のそれとでは形式がだいぶ異なりますが、用具等の手配は古くより騎士団が請け負って参りました」
そこで、はっと気付いて言い替える。
「───白騎士団が」
「そう」
ゲオルグが背凭れに沈みながら腕を組んだ。
「さっき青い兄さんも言っていたが、白騎士団長の所在は、王が倒れた時点で既に分からなくなっている。その後、結局一度も目撃されていないのだろう?」
はい、と青騎士団副長が呟く。ちらと赤の同位階者に目を向けた。
「我らはグランマイヤー様らと共に控えておりましたが、騎士たちは手を尽くしてお探ししたと、後になってから聞きました。陛下がお亡くなりになって、城中が上へ下への騒ぎとなり……そんな中で、陛下の執務室の机に置かれた剣と文が発見されて───」

 

文には主君の死去に殉じて騎士人生を終える決意、そして副官ゴルドーを次の騎士団の筆頭に推す旨が記されていた。
非番時、騎士は城下にて過ごすことも多々ある。捜索時、白騎士団長が城から出たという事実は確認されなかったが、マイクロトフも何度かこっそり抜け出した経験があるくらいだから、見落とされる可能性がないとは言えない。
何と言っても、要塞というものは、入るものは厳しく吟味するが、特別な場を除いては、出ていくものに払う関心が薄い傾向がある。
その日のつとめを終えた白騎士団長は、何らかの私事で城下に出た。明けて帰城し、王の死を初めて知った。主君が陥った苦境を知らず、看取ることも出来なかった自らを悔いて、騎士団を辞すと決めたのだろう───これまで、そう考えられてきたのだ。

 

「……今にして思えば、あれも計算された誘導だったのでしょう」
口惜しげに赤騎士団副長が呻く。
「あまりにも突然の陛下の御逝去に動転し、御葬儀や先々を考えるのに取り紛れ、団長の行動の不可解を沙汰するのが遅れた。否、そうなるよう仕向けられたのに気付かなかった───」
若者が真剣な眼差しで上官を凝視している。皇王死後に騎士団入りしたため、そのあたりの事情には疎かったのだ。暫し思案した後、ぽろりと言った。
「それじゃ、やっぱりゴルドーが先代を殺して成り替わったんですか?」
これにはゲオルグが渋い顔で笑う。
「躊躇を知らんな、若いの。だが、おそらく当たりだ。おれは、侍医長が最初に呼びに行ったときには、既に白騎士団長は死んでいたと考えている。後は……分かるだろう、彼の部屋か執務室にでも網を広げておけば、獲物が飛び込んでくる」
赤騎士団副長が、持参してきた覚書に目を通しながら補足する。
「記録によれば、当日グランマイヤー様は他の議員たちとの会食に臨んでおいでだった。この機に、用意してあった毒入りワインを陛下に渡して、「寝酒に」とでも勧めれば、侍医長が意見を求めるのは団長に限定されよう」
「でも……」
尚も若者が首を捻った。「死体が」と言い差して、刹那、目を見開く。
マイクロトフも同時に理解した。忽然と消えた白騎士団長、ゲオルグが示唆する彼の行方を。
ゲオルグから軽く目線を向けられた赤騎士団副長が一同を見回した。
「少し前より、わたしはゲオルグ殿の意を受けて調査を続けておりました。過去数十年、王族の御葬儀は少なく、比するに不充分ではあるのですが……」
そんなふうに前置いて説き始める。
騎士団は、各団ごとに祭事に使う品を扱う職人に伝手を持っている。同じ騎士でも階級によって用具の質は変わってくるので、その旨を伝えて、相当する品を納入させるのだ。
王族が死亡した場合、これを差配するのはマチルダ騎士団中の最高位、白騎士団が担うのがしきたりとなっている。礼拝堂へと遺体を移し、司祭が弔いの儀式を執り行う瞬間までは、白騎士団長が一切の責任者となるのである。
先ず、何を置いても優先されるのは柩の用意だ。病床についていた場合はさて置き、予め準備するのが憚られる品ゆえ、職人には指示を受けてからの製作となる。
ある程度出来上がった型に装飾で差をつければ、騎士用の柩は事足りるが、王族ともなるとそうはいかない。マイクロトフの母、先代皇王妃のときも、依頼を受けた店の職人が総がかりで、正に突貫作業によって柩は作られたのだった。
そこで赤騎士団副長は、一同を眺め回した。
「さて、ひとつ御尋ねしたい。陛下の御葬儀にて、何か気付いたことは?」
マイクロトフ以下、必死に記憶を探るが、答える者はない。問いを振った男も、力なく息をついた。
「……わたしもです。皇王陛下の御葬儀に臨むのは初めての経験、「こういうものだ」と出されれば、何ら不思議を覚えない。司祭の中にも、先々代の皇王陛下を送った者は皆無だった。比べる対象がないから、誰も違和感を覚えなかったのでしょう。陛下をお納めした柩は、普通よりもやや深かったのです」
「深い……」
自問気味に復唱してマイクロトフが眉を寄せる。
「そうは感じなかったが……」
すると副長は痛ましげに目を細めた。
「無理もございませぬ。この地方で使われるのは大多数が木の柩、然れど王族の方々には石棺が御用意されます。もともと厚みのある材質ゆえ、目を眩まされるのでしょう」
マイクロトフは更に深く、記憶の淵へと意識を投じた。
冥界への護符代わりに胸に長剣を抱き、その身の周りを花で埋め尽くされた亡父の亡骸。苦しんだ跡の窺えぬ安らかな死顔だけが唯一の救いだった。
記憶にあるのはそれだけで、柩に刻まれた彫りものの柄ひとつ覚えていない。葬儀に臨む機会が頻繁にあるでなし、「それが普通」と思い込んでいたと言われれば、その通りかもしれなかった。
ゲオルグ・プライムが、やや身を乗り出した。
「顛末は置くとして、おれが司祭に聞いたのは、柩の重さに不自然は感じなかったかという点だ。マカイ司祭長は言っていたよ、えらく重かった、とな」
何事か言いたげな顔になった青騎士隊長に気付いて、唇を綻ばせる。
「……石の棺桶だからな、もとより重いのは当たり前……なのは確かだが、そういう話じゃないんだ、これが」
城で柩に納められた遺体は、儀式当日、騎士によって礼拝堂まで運ばれる。葬儀の後、これをつとめるのは司祭の役目だ。墓地へと移された柩は、再び騎士の手で埋葬される。
「城から礼拝堂へ、礼拝堂から墓の入り口となる西の門までの移動は馬が引く車で行われるが、門から墓までは道幅が狭く、車が通れないそうだな」
「ええ、そこからは人の手で運ばれます」
マイクロトフは答え、今いちど記憶の糸を辿った。
「司祭たちと、騎士が何人か……それで柩を運んでいました」
「その点が異なるのです、マイクロトフ殿下」
鋭く赤騎士団副長が言葉を差し挟む。
「皇王妃様の御葬儀の折には、司祭のみで果たしております。ところが、此度は彼らだけでは手に余った。そこでやむなく、騎士が助力したのです」
尋常ならざる重みの柩。だがそれは、偉大なる王の終の住処に相応しい荘厳な品を用意した結果なのだろうと、司祭らは納得したようだった。
一方、墓陵まで付き従った一同も、同じ理由から疑問を抱かなかった。寧ろ、共に柩を支えて敬愛する王に最後の奉公を、そう望む気持ちの方が強かったに違いない。
「───では、何故そこまで重かったのか。柩を製作した葬具品店を訪ね、そこで驚くべき事実を知りました。あの柩は、陛下が亡くなる一月も前に完成していたと」
「お、お待ちを」
知らず声を荒げて青騎士団副長が腰を浮かせた。
「ならば、その店もゴルドーの……?」
それが、と赤の副長は表情を曇らせる。
「陛下御自身の依頼と、店では信じられていました」

 

ある日、遣いと名乗る人物が店に現れ、自身の柩を作って欲しいとの皇王の依頼を告げた。
たまたま店主が留守で、代わりに応対に出た職人の長はたいそう驚いた。
王は健勝で、まだ死を考えるような年齢ではない。しかも、柩の作製依頼は騎士団が下すのが常で、王自ら動くなど、聞いた覚えもなかったからだ。
けれど、よくよく聞けば、王の望む品は過去に作られてきた王族用のそれとは若干作りが異なる。死後の世に持参したい思い出の品が多々あって、それらを余さず納めるために普通よりも容量を大きくしたいというのが王の希望であったのだ。
いざ、柩が必要となったときに、そこから望みを要れた品を作り始めるのは難しかろう。故に、予め注文だけしておこうと思い立ったのだ───遣いはそのように王の言葉を伝えた。
成程、そういうこともあろうかと職長は納得した。そうして「定石と違う」と渋る店主を説き伏せ、仲間の職人らと共に、それは見事な石棺を作り上げたのだった。

 

「……周到すぎる」
ボソリと青騎士隊長が唸る。小さく頷いて、赤騎士団副長は続けた。
「用意しておくだけの筈だった柩が、程なく使われることになってしまい、店主一同、戦いたそうです。やはり世に言われるように、葬具の前準備は不吉を呼ぶのだと……陛下の御依頼であろうと、容赦していただくべきだったと。ですが、この話をしてくれたのは店主や残っている職人たちです。応対に出たという職長は、既に店を辞していたので」
「何?」
険しい顔でマイクロトフが遮る。死んだ細工職人が脳裏を過ったのだ。
「まさか、その人物も……?」
「いいえ、殿下。ご懸念には及びませぬ、他で商いに就いておりましたゆえ」
この瞬間、温厚そうな騎士の顔に憤りが走った。
「店の者たちの話では、柩を作り終えて少しした頃、親の遺産が入ったから商いを始めると言って辞めたそうです」
「嘘くさい言い分ですな」
すかさず呟いた青騎士隊長に一瞥が注いだ。
「わたしにもそう聞こえたよ。そこで職長の現所在を探り当てたところ、これが白騎士団御用達の備品商だった」
流石にそこまで予期していなかったゲオルグが口笛を鳴らした。
「それはまた……大当たりだな。身柄を確保して、調べを入れておくか」
「……いえ、ゲオルグ殿。時に追われておりましたし、……正直なところ、わたしはこの企ての醜さに辟易としていたのです。本来ならば皆様との合議を待って事を運ぶべきだったのでしょうが……先んじて乗り込み、本人に直接問い質して参りました」
これには青騎士団副長が目を丸くした。
「あなたが、……ですか?」
「……お恥ずかしながら」
忍耐では誰よりも勝る人物である。ゴルドーに、理不尽なつとめを強いられた苦難の日々も、ひたすら耐えて忍んだ男とは思えぬ勢い任せの行動と、青騎士団副長には聞こえたのだ。
「無論、職長の親の生前の懐事情など、攻める材料は幾つか用意致しましたが。それでも、のらりくらり……店の仲間らが語ったのと同じ台詞を並べ立てるものですから、最後の札も切りました。彼の者の店は現在、赤騎士団の管轄地区にあります。ロックアックスにおける商業権の認可業務は、店が置かれている区を担当する騎士団が差配している。このまま真実を語らぬ気なら、商業権を剥奪すると───」
若い赤騎士がパチパチと瞬いた。
「脅したんですか」
「脅したのだよ」
さらりと認めて、副長は苦笑する。
「仰天して、最初は声も出ないようだった。あの地区は、かつて白騎士団が担当していた。ゴルドーが団長に就任した後、押し付けられる格好で我が団が引き継いだが……妙なところで役に立ったな。たちまち馬脚を現したとも。「白騎士団と商いをしている店に、そんなことが出来る筈はない」だの、「騎士団の上の御方に直訴して守っていただく」だの……。商業権の成り立ちについて、懇切丁寧に説明し直してやらねばならなかった。決め事を曲げてまで店を守ろうとすれば、「騎士団の上の人物」とやらが癒着で罪に問われる。まして大事になるのを望むだろうか、とね」
もっとも、と真面目な顔で付け加える。
「まるで根拠のない脅しでもなかったらしいな。あの様子では、白騎士団側に相当の賄賂でも送っていそうだ。叩けば埃の出る身なのだろう」
「御見事」
青騎士隊長が小声で口にする。
淡々とした穏やかな物言いは、時に恫喝よりも効果的な脅しとなるものだ。相手の計算高さや、卑小な性情を見取った上で──ならず者に自らが科した手とは違う──的確な手法を駆使した副長の判断への、心からの賞賛であった。
「で、吐いたのか?」
ゲオルグの問いには、赤騎士団副長も僅かに複雑を浮かべた。
「完全にゴルドーの企みに加担していた、という訳ではなかったようですが。一口に申し上げれば、金です。職長は金を受け取って、ある一点について沈黙を守ってきました」

 

柩が完成した頃合を見計らって、王の遣いとして来た人物が再び職長の前に現れた。「無理を受けてくれた礼に」と、店に支払う報酬とは別に、多額の金を差し出したのだ。
更に使者は職長に、この金を元手に商いを始める気はないかと持ち掛けた。先日の邂逅の際、何気ない世間話になり、そのとき職長が零した言葉を記憶していたのだという。
「所詮は雇われ職人、このまま人に使われるより、自らの店を持ってみたい」、それが職長の夢だった。強引な要求を店主に通してくれた職長の厚意と気概に惚れ込み、その望みに肩入れする気になったのだ、と。
店を出す場所や商業権は用意するし、商いにも全面的に協力してやれる───そう使者は囁いたのである。
渡りに舟の勢いだった。とは言え、個人的に礼金を受け取ったとは知れるのはまずい。ゆえに、「親の遺産が入った」と騙って職長は店を辞めた。
以後、使者が約した通りに店を手にし、白騎士団から大量の注文を受けて懐を潤してきたという訳だった。

 

「しかしながら、彼も、自身が手掛けた柩がこうも早く使用されることになるとは思っていなかった。店の者がそうであったように、相当に頓着していたのは確かなようです。けれどそんな折、馴染みとなった使者から、「依頼に行ったのが自分だということは内密にして欲しい」と頼まれたそうで」

 

世間的に、葬祭に使われる品を予め準備するのは宜しからぬとされている。亡き王の命を受けたからとはいっても、実際に交渉に出向いた自分は非難を浴びるに違いない。「どうして王をお止めしなかったのか、不忠怠慢」と謗られる。だから頼む、黙っていてくれ───と。
否はなかった。
この人物が窮地に追い込まれれば、騎士団との大事な繋ぎ役を失うも同然だ。まして職長は金を受け取っているのだから、命運を共有しているに等しかった。

 

「……細工職人のときと同じですな」
青騎士隊長が言った。
「相手の同情を誘い、間に入った自分の名が洩れぬよう手を打つ。細工職人の口は塞いだが、職長の方には甘い汁を吸わせて味方に取り込んだ」
「死人が多くなるだけ、自らに通じる糸に気付かれかねないからな。おそらく相手の気質を見て、手段を使い分けたんだろう。で、その「王の使い」というのは、やはり───」
ゲオルグの視線に赤騎士団副長は強く頷いた。
「白騎士団・第三隊長です。職長には、わたしが訪ねて来たことは決して口外するなと申し付けておきました。もしも第三隊長に洩れれば、命の保証はしかねると脅したので、まず大丈夫でしょう。何より自身大事な人物です。それにその……、「こちらには殿下が付いている」とも言い添えましたので」
申し訳なさそうに頭を下げられ、マイクロトフは微笑んだ。
「おれの肩書きが役に立つなら、迷わず使ってくれて良いのだ。それくらいしか、力になれないのだから」
おもむろに表情を引き締め、唇を噛む。
「……そういうからくりだったのか。父上の柩の中に白騎士団長が居た、と……」
「……「遺体が」、だな」
ゲオルグは溜め息を洩らして首を振った。続きを引き渡すように赤騎士団副長を見遣る。
「礼拝堂に移されるまでの間、柩は中央棟の霊安の間に安置されます。護りの任に就くのは白騎士団。既に次の団長と確定したも同然のゴルドーには、護り人の選出は思いのままです」
「……成程、小細工も思いのままですな」
不快そうに青騎士隊長が吐き捨てる。
「御遺体は花やら祭具やらで飾られる。その下にもう一つ別の遺体を入れようと、埋まってしまって上からは見えない」
「いちど柩に納めた遺体を引き出すなんて、普通しませんしね……」
若者も嫌悪を隠さず顔を歪めながら言い、横目でゲオルグを窺い見た。
「それにしても、よくそんなことに気付かれましたね」
まあな、と幾分和らいだ口調で彼は返した。
「長く傭兵なんぞやっていると、それはもう色々な事態を聞き齧るものさ。例えば、敵の目を掻い潜っての脱出劇には長持ちが重宝するとか……戦場で、生き残りの敵を探して回る兵から逃れるために死体の真似をした連中、とか。消えた白騎士団長が城から出た形跡がないと聞いたとき、彼には申し訳ないが、真っ先に考えた。人知れず遺体を隠す手立てをな」
更に続けようとしたゲオルグは、そこで言葉を切った。勢いで言いそうになったのだ。「燃やして消す」───カミューが行った隠滅を。
「……無論、城内は隈なく探されるだろう。ごく最近、土を掘り返した跡などあれば一発だ。となれば、外に運び出すのが常套だが、自分で歩いて抜け出すというならともかく、人ひとり運ばれているのに、まるで門番たちの関心を引かなかったのも妙な話じゃないか」
「…………」
「傍目から見て奇異でなく、軽々しく触れられない。しかも、最後は地中だ。発見されて不都合な死体の隠し場所としては、この上ないほど最適だろう?」
「……それで墓を掘って確かめる、と……」
ゲオルグは空を仰いだ。
「これまでのところ、おまえさんたちの尽力は報われている。仮定に過ぎなかった陰謀の全体図も、随分と判明してきた。だが、まだ決定的な部分に欠ける。ゴルドーの奴がワイズメルと交わしたという書簡にしろ、皇王暗殺部分は残っていないからな」
「書簡……」
青騎士隊長が眉を寄せる。若い赤騎士が慌てて言った。
「ほら、今回おれたちが持ち帰った話ですよ。写しを取ったら証拠品として渡すと、エミリア殿が約束してくれているんです」
それか、と独言を零して、すぐに口を閉ざす騎士隊長だ。詳細を求めて話の腰を折るのを憚ったのである。
ゲオルグは続けた。
「何度も名の挙がった白騎士だが……、ゴルドーの命令で動いていた確証がない以上、詰めの札としては使えない。つまりこちらは、まだゴルドーの犯罪の証を手に入れたとは言えない訳だ。毒の出所関係ではっきりとゴルドーの名が出れば良いが、せいぜいワイズメル止まりだろうしな」
赤騎士団副長が後を引き取った。
「……ですが、先代白騎士団長が殺害されたとなれば、一気にゴルドーの喉許に刃を突き付けられます。先代は、ゴルドーを後任に指名する旨の書状を残して姿を消された。そんな人物が、人知れず葬られていたとしたら───」
「地位簒奪を目論んだ殺人。仮に王の暗殺に繋がる直接証拠が出なくても、ゴルドーを叩くには充分な札になる。おれの提案は、そういう事情だ」

 

 

シン、と沈黙が下りた。
真っ先に均衡を破ったのはマイクロトフだ。副官を見遣り、低く言う。
「今夜は騎士隊長たちと夕食を取る約束をしていた。すまないが、断わりを入れておいてくれるか? 日没と同時に始めよう」
決然とした口調だったが、すぐにゲオルグが遮った。
「待て待て、まさかとは思うが、参加する気じゃなかろうな。許可さえ出してくれれば充分だ」
「何故です? 作業には一人でも多い方が良い」
「……分かっているのか? 墓を暴くんだぞ。そんな場に、息子が立ち合うものじゃない」
ええ、と赤騎士団副長が言い添える。
「賛同致しかねます。幾ら真実を明かすためと申せど、我らとて畏れ多く、身の竦む思いであるものを……。殿下には、お待ちいただきたいと存じます」
けれどマイクロトフは頑に首を振った。
「息子として、そして一人の騎士としても、すべてを見届けたいのだ。何より、人任せにしては父上に申し訳ない。おれは父上に、「出来ることには進んで臨め」と教えられてきたのだから」
ゲオルグが、ふうと溜め息をついた。
「……確かに真相に近いとおれは考えている。だが、もしも団長の遺体が出なければ、単なる墓荒しで終わるぞ」
「それならそれで、望みが出ます。彼は今も何処かで生きている、と」
明るい声音。真っ直ぐな瞳に当てられた剣士は、仄かに苦笑した。
「その前向きさ、何処かの馬鹿に見習わせたいものだな」
それから一同を見回す。
「……という訳だ。異論は?」
賛成とはいかぬまでも、それ以上の反意は上がらなかった。
「よし、決まりだ。日暮れを待って、ここに居るもので決行する」
「おれも、ですか……」
若い騎士が独言混じりに呟くのを耳聡く聞き止めた青騎士隊長が冷ややかに言った。
「当たり前だ。若い労働力は貴重だからな、気張って働け」
それは分かっているのだ。座で一番下っ端の身、率先して作業に従事せねばならないだろうことは。ただ、事が事なだけに、どうにも及び腰になってしまうだけで。
「にしても、もう少し誰か他にも───」
言い掛けたところで扉が鳴った。「遅くなりました」と声を発しながら入室したのは、司祭長マカイを訪問していたフリード・Yだ。
「殿下、皆様、ただいま戻りました」
いつも通り、かちかちの礼をもって挨拶した彼は、自らに集まる注視の熱に気付くなり、瞬きを繰り返した。
「あの……?」
「良かったな」
青騎士隊長が振り返った。
「仲間が増えたぞ。若い労働力、一名追加だ」

 

 

 

 

 

 

漆黒に包まれた中、手燭の灯を頼りに小道を進む。
冬が近いとあって、虫の音ひとつ無く、枯れ枝を踏み締める微かな足音だけが響いている。
列の最後尾、フリード・Yがコソコソ声で切り出した。
「本当に良いんでしょうか、こんな……」
隣に並ぶ若者が悄然と返す。
「仕方がないですよ。おれだって、バチが当たりそうで気が進まないけど、こういう事情だし……」
「わたくし、その「事情」を知らないんですが」
「……多分、うちの隊長が帰って来たときにでも聞けますよ。早く全員揃うと良いな、そうしたら情報交換が一度で済む」
こら、と前から青騎士隊長が振り向きざまに一喝した。
「遅れているぞ。手鋤をズルズル引き摺るな、使う前に傷むだろうが」
「はあ」
「す、すみません」
二人は慌てて手にした鋤を抱え直した。これから神聖なる墓の土を掻き回すのかと思うと、ひどく重い荷ではあったけれど。
少しして若い騎士が、一度は早めた歩調を再び落とした。引かれるようにフリード・Yも倣う。
「どうなさいました?」
「ここ……、このあたりだ」
感慨深げな呟き。前方に目を凝らせば、そこは僅かに木立ちが切れて、広場のようになっている。樹木の一本を見詰め、小さく続けた。
「間違いない、この木だ。おれはここに隠れて見ていたんです」
ああ、とフリード・Yも頷く。カミューが白騎士団の第二隊長を殺した現場だと悟ったのだ。
若者は尚も言った。
「攻撃魔法って、そう何度も見たことはないけど……あの人の火は凄かった。剣も残らなかったんですよ。ああやっておれのことも燃やしちゃえば、何食わぬ顔で城に戻れたのに」
「カミュー殿はそうなさらなかった……」
「ええ。今度会ったら、ちゃんと礼を言わないと」
「……礼って、「殺さないでくれてありがとう」、とか……? 何だか変ですよ、それ」
「そうかな。笑って聞いてくれると思うけどな」
後方で延々と続く会話に、青騎士隊長は、やれやれと嘆息した。
「私語は慎め」と言いたいところだが、気持ちは分からないでもない。これから始まる作業への気鬱を紛らわそうとしているのだと思えば、敢えて咎め立てる気にもなれず、同時に、そんな二人の遣り取りが、隣を歩く皇子の慰めにもなっているのを敏感に察していたのである。
陰鬱な道行の終わりに一同を迎えたのは多くの墓標。更に歩を進め、終に目指す一画へと辿り着いた。
予備の蝋燭にも火を灯し、少し離れたところに置くよう命じてから、ゲオルグ・プライムが向き直った。促しに応じて、マイクロトフは墓碑の前に進み出る。
「真実を掴み、御無念を晴らすためです。安息を乱す我々をお許しください」
そうして最初に手鋤を土に突き刺した。見届けたゲオルグが、道具を握り直して他の面々を一望する。
「言い出した手前、次鋒を与らせて貰う」
墓碑に一礼して、二番目の鋤を入れた。
それからの数刻、男たちは交替に交替を重ねて、周囲に土塊を積み上げていった。副長たちは粛々と、若者二人は半ば自棄めいた勢いで───地中深く埋もれた石棺が現れるまで、永遠にも思われる作業を繰り返した。
どれだけの時が経ったか、手鋤の先が何かを捉えて動かなくなった。払い除けるように土を掻くと、夜目にも白い石の面が覗いた。
交替して穴の脇に避けていたゲオルグが、同じく替わったばかりで息を切らせている副長たちに呼び掛ける。
「問題は、先代の団長と断定出来るかどうかだ」
「出来ましょう」
きっぱりとした答え。
「違えようのない特徴がございます。左の肘から下が失われておりますゆえ」

 

先代白騎士団長が、正騎士に叙位されたばかりの頃のことである。
休日を得て郊外に出ていた彼は、魔物に襲われる親子に遭遇した。咄嗟に子供を庇い、左腕を切断されたが、大怪我をものともせずに魔物を撃退し、親子を救ったのだった。

 

「彼には然したる問題にはなりませんでした。たとえ隻腕であろうと、誰よりも武勇に優れ、人格的にも認められて、みごと地位を昇り詰められたのですから」
「それと、確か赤毛だったんですよね、そう聞きました」
鋤を振るう手を止めて若い騎士が言う。だらだらと流れる汗を拭いながらの発言に、「怠けるな」との声は上がらなかった。
「……って言っても、普通の赤毛とはちょっと違う、本当の赤。例えば……」
自らの内着を引っ張って、「こんな色」と付け加える。
成程、とゲオルグは首肯した。赤毛と言えば、茶褐色の総称。原色に近い髪を持つ人間は、この地方でも珍しい。
「腕だけでも充分だが、髪の一房も残っていれば完璧だ。さあ、もう少しだぞ、頑張れ。蓋がずらせれば、それで良い」
鼓舞に後押しされて、若者たちは死力を振り絞った。その頃には足場がかなり深くなっていて、穴の外に土を掻い出すのは容易ではなかったが、二人は献身的に作業を続けた。
程なくゲオルグの「良し」とする声が飛んだ。
「そのへんで良いだろう、上がって来い」
次に、一歩進み出たマイクロトフを素早く押し止める。
「ここで待て。いくら何でも、それはさせられない」
「しかし……」
「見届けたい気持ちは分かる。だがな、おれが親父なら、せがれに変わり果てた姿を見られたくないと思うぞ」
埋葬から四年余り、柩の中は予想出来る。こう言われては、流石にマイクロトフも退くしかなかった。
「では、申し訳ないが───」
「言うな、こいつは言い出した者の義務だ」
ゲオルグは、副長たちの手を借りて這い出した若者たちに替わって穴に滑り下りた。手燭を足場の隅に置き、蓋に手を掛けて具合を確かめる。眺め入っていた青騎士隊長が声を張った。
「手が要りますか」
「すまんが、頼む。どうやら少し張り付いているようだ」
いらえを受けて、騎士は柩の反対側へと下り立った。
二人がかりで蓋をガタつかせているうちに、何とか持ち上げるに至った。本体と噛み合わず、乗っているだけになった蓋の端を掴み、騎士が息を弾ませる。
「押してください、こちらから引きます」
息詰まるような攻防であった。
頑なに死者を護ろうとする石蓋を宥めすかし、終にそれが動いたときには、穴の外で見守る一同は知らず顔を背けていた。
明かりを翳し、生じた隙間から内部を覗き込んだゲオルグが、微かに顔を歪めた。瞑目して丁寧に一礼するなり、憚るような仕草で柩に手を入れる。
戻した指先には、僅か数本の毛髪が絡んでいた。薄明かりの許、多少の変色は見取れるが、紛う方なく赤かった。
次いで彼は穴上を見遣った。
「二体の骸が折り重なっている。片方は……隻腕だ」

 

 

───発見を感謝する先代白騎士団長の吐息か。
剣士が握る手燭の火が揺らぎ、静かに消えた。

 

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