エミリアからの提言もあって、カミューは脚本を改めた。今後、誰かに話し掛けられた場合は『すまないね、急いでいるんだ』で通すよう、マイクロトフに命じたのである。
策は功を奏し、厩舎までの道程は比較的順調に進んだ。
騎士団員が使う馬は、赤・青両騎士が持ち回りで管理している。マイクロトフは仮病で早朝訓練を休んだ訳だし、部下と顔を合わせるのは避けるのが肝要だった。そこで二人は同盟兵が使っている馬を拝借することにした。
これはカミューの担当だった。同盟兵は騎士団員ほど二人と密接に過ごしていない。多少マイクロトフが雄弁になったところで、入れ代わりを見抜くには至らないだろうと考えたのだ。
───ミューズ市軍と騎士団と、馬の調教に差異があるかを確かめてみたい。
馬番のミューズ兵は疑う気配も見せずに二頭の軍馬を渡してくれた。『違いを試す』というくだりが効いたのか、並んだ馬の中でも特に見事な二頭だった。
本拠地の外に出るなり、マイクロトフは何かが溶け出していくような解放感を覚えた。未だ腰部は微妙に重く、振動が響くけれど、起き抜けのときよりはずっと楽だ。ちらりと目を遣ると、カミューも伸びやかに馬を操っている。
マイクロトフも馬術には自信があるが、カミューの卓越には及ばないとしみじみ実感した。僅かに腰を浮かせて走行の振動を支配する巧みは、体躯が入れ代わった今も健在だ。手綱を牛耳るというよりは馬に身を預けているとでもいった様子である。
かなりの速度による疾走にも拘らず、彼は泰然そのままだった。その横顔は自分のものであるけれど、向かい風に心地良さげに目を細めながら前方を見据える様は、やはりカミューを思わせた。マイクロトフは不可思議な情動を覚え、ひたすらに彼──自分の姿──を見詰め続けた。
程無くして、風の洞窟に到着した。下馬したカミューは洞穴の入り口に屈み込んだ。
「人の足跡だ、まだ新しい」
「やはりここか、良かった。行こう、カミュー」
勢い込んで足を踏み出すと、背後で彼が付け加えた。
「あまり奥におられないと良いな」
その口調が弱かったので、慌てて振り向かずにはいられない。
「ここに生息する魔物など、おれたちの剣腕ならば一撃だ。何を臆している?」
「臆している訳ではないが」
カミューは嘆息気味にダンスニーを抜き払った。
「おまえの身体、おまえの剣……身体と剣は元の一対だけれど、揮うのは力配分も癖もまるで違うわたしだからね」
はたと気付いて同じようにユーライアを抜き、試すように幾度か振ってみる。
「た、確かに……。何やら剣に振り回されているような気がする」
呆然として呻いた彼をカミューは鋭く睨んだ。
「言っておくが、あまり無茶な使い方をしないでくれよ? 間違っても岩に打ち付けたり、地面を削ったりしないでくれ」
「ぜ……善処する」
日頃ダンスニーを粗末に扱っているつもりはないが、力任せに揮うことが多いためか、端目にはそう見えないらしい。これまで愛剣が無事だったのは、剣自体の並外れた強度と、歳月を経て育んできたマイクロトフの剣腕との相性に拠るところが大きいのかもしれなかった。
注意を呼び掛けたカミューもまた、手にしたダンスニーを心許なげに撫でている。剣の扱いへの忠告は、自らに向けたものでもあったのだろう。
心を引き締めた上で、内部へ進んだ。
名の通り、何処からともなく舞い込んだ風が頬を過ぎる。洞穴特有の冷えた臭気があまり感じられないのも、この風に拠るものだ。
それでも、左右に迫る岩壁がもたらす閉塞感は如何ともし難い。いざ魔物に襲われたときの間合いを計って、前後になって歩を進め、二人は慎重に注意を払った。
「相変わらず狭苦しいところだな」
「洞窟とはそういうものさ」
エミリアと遭遇した後、言葉少なに努めた反動か、不思議と多弁になる──あるいは愚痴っぽくなる──マイクロトフだ。一方カミューは、これも肉体のもたらす影響か、珍しく先に立ってずんずんと先を急いでいる。
「広々とした場所で思う存分魔法を揮われる方が鍛練になると思うのだが。こんなところを好まれる心境は、おれには良く分からない」
「……わたしもだよ」
振り向いた顔には蜘蛛の巣が張り付いていた。
「別に、おまえの身体だからと粗略に扱っている訳ではないよ? 前に来たときと微妙に背の高さが違うからかな、うっかり突っ込んでしまったんだ」
「……蜘蛛の巣くらいでとやかく言うほど心は狭くないぞ。それよりカミュー、前だ。気をつけろ」
何時の間にやら前方に魔物が現れていた。数歩で横に並んだマイクロトフは、傍らの伴侶の体躯に闘争の熱が沸き立つのを感じた。
一方で、彼自身の肉体は血が引いていくようだ。すっきりとした視界、四肢の先まで張り詰めてゆく緊張。これがカミューの戦いに臨む感覚なのだと悟るなり、感動に酔い痴れる。
魔物は『ごず』と呼ばれる種で、大きな凹凸付の鉄球を武器にしている。あの鉄球でカミューの肉体を傷つけないためにも、先手必勝で行くしかない───マイクロトフは最初の攻撃を見舞った。
何もかもが違う。振り下ろす剣は考えていたよりも遥かに速く魔物を斬り裂き、次いで反撃に出る仲間の『ごず』を躱す身体も恐ろしく軽い。気を良くして、残りの魔物も鮮やかに斬り捨てる彼を、背後のカミューが無言のまま凝視していた。
「カミュー、おまえの身体は素晴らしい! この瞬発力……鍛練してもおれには持ち得ぬ、実に見事なものだぞ!」
───ただ、残念ながら、まだほんの少し下半身が重いけれど。万全のカミューは、ならばどれだけ素早い身のこなしであることか。
素直な感嘆にカミューはひっそり肩を上げる。
「……それはどうも」
彼はマイクロトフほど入れ替わった身体を楽しむ気にはなれないらしい。自らの愛剣よりも格段に重いダンスニーを、その後も彼は申し訳程度にしか使おうとしなかった。
自然、先鋒を請け負うかたちとなったマイクロトフは、ユーライアを痛めぬよう心がけつつも、張り切って戦いに勤しむ。魔物がもっと手強ければ肉体の入れ替わりが響くこともあったろうが、今のところ然したる問題も感じられなかった。
四肢の軽やかさを堪能しながら、洞窟の奥深くまで侵入を果たした。この際だから、普段あまり使わない攻撃魔法なども試してみたい、そう調子に乗ったところで唐突に勢いが切れた。
「ど、どうしたと言うのだ? 急に身体が怠くなったぞ」
「だろうね」
探索開始当初よりも速度を落とし、庭の散策でもしているかの如くゆったりと後を追ってきていたカミューが呆れた口調で一蹴する。
「おまえは配分というものを完全に忘れている。体力自慢の身体とは違うんだ、後先も考えずに飛ばしていればガタもくるさ」
そうして、やれやれと首を振る。
「気付くかと思って黙っていたが……入れ替わってもおまえはおまえだな」
「…………」
愕然としているとカミューは微笑んだ。良く彼が見せる、困ったような笑みだった。
「まあ……勇ましいのは確かだったよ。髪を振り乱して、鬼気迫る形相で魔物と戦う自分を見るなんて、そうは出来ない経験だ。おまえも自分の闘う姿を見たいかい?」
カチャリ、とダンスニーを握り直す。
全身に疲労の行き渡ったマイクロトフが答えるよりも早く、新たな敵が出現した。巨大な体躯、座して宙に浮く魔物。
この区域では強敵と呼べる『にちりんまおう』であった。
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