偽装の裏側・5


最初の衝撃が薄れてくると、改めて珍しい体験だという実感が込み上げてきた。
事態そのものは異様だし、問題は多いけれど、これは仲間の術によっての変化、改めて魔法を受ければ元の身体に戻ることが出来る。何といってもそのあたりの楽観がはたらき、埒もなく頭を抱える必要もなかろうとの結論に達したのである。
こうしてカミューの身体に成り代わらねば知らぬままでいた。情交で受け身を担う側の負担───カミューは常にあのような労苦に耐えてくれていたのだ。今は疼く程度におさまったけれど、誇り高い彼のこと、よほど自分を想ってくれていなければ、あんな場所の痛みを凌げるものではないだろう。
彼の味覚を体感したのも感慨深い。食の均衡のためと義務的に口にしてきた野菜が、ああも舌を満足させるものだとは予想だにしなかった。
それでも、呑気に甘んじてばかりもいられない。彼らには近々敢行されるであろう古巣ロックアックス攻略という使命がある。何かと神経質になっている部下のためにも、騎士団長たる存在は常に万全の調子でなければならないのである。
魔術師メイザースは大抵図書館のあたりをうろついているという話だ。城の西棟の部屋からは階段で一階に下り、そこから屋外の通路を使えばほぼ一本路である。その程度の距離ならカミューの偽装も可能だろうと考えていたマイクロトフだった。
さて、廊下を進み始めて最初に顔を合わせたのは数名の赤騎士であった。
この連中は、礼節こそ外さぬものの、普段はマイクロトフに対して強張った表情を見せる。これは愛してやまぬ自団長と親密に接する者への羨望めいた不快だろうと認識していた。
ところが、今朝は恐ろしいほどにこやかだ。緩み切った眦で見詰めてくるなり、赤騎士らは丁重に会釈した。
「おはようございます」
「昨夜は良くお眠りになられましたか?」
こんな親愛溢れる眼差しは直属の部下からも滅多に与えられない。マイクロトフは狼狽え、言葉に詰まった。横からカミューに軽く小突かれて慌てて微笑みを繕う。
「う、うむ。ゆっくりと休んだぞ、気遣いを感謝する」
しかし、言った側から赤騎士たちの顔は曇った。彼らの知る美貌の赤騎士団長にしては調子が堅すぎたのだ。部下たちの怪訝を察したのだろう、カミューが即座に割り込んだ。
「似ているだろう? 実は昨夜、お互いの口調を模倣出来るかという話になったのだ。やはりカミューの方が巧みだったのでな、他の人間にも聞かせてみようと悪戯心が起きてしまったのだろう。驚かせてすまない」
うっかり偽装を忘れた自分の後始末をさりげなく行ってくれる聡明な伴侶。姿形は変わっても、やはり彼は素晴らしい半身だと心底感動するマイクロトフである。
「はあ、然様でございましたか」
「なかなか面白い趣向でございますな」
納得顔が笑う中、一人だけ尚も不可解そうに首を傾げている。
「……何か?」
「あ、いえ」
その赤騎士は躊躇し、だがおずおずと口を開いた。
「そのう……実に申し上げにくいのですが、カミュー様の御口元に……」
青騎士団長が密やかに目を剥いた。マイクロトフの口元に残った溶き卵の残りを慌てて懐紙で拭い取る。
「何も粗忽なところまで真似せずとも良いではないか、カミュー」
「す、すまない」
食べカスを取払い、いつもの端麗な赤騎士団長に戻った男は引き攣り気味に微笑んでみせた。羨ましげに見守っていた赤騎士が再び口を開く。
「……しかしマイクロトフ様も実になめらかな御弁術……、それに、失礼ながらいつもより穏和な御顔立ちに拝見出来ます。その点では見事な模倣ぶりだと感心しておりました」
ぴくり、と逞しい肩が震えるのをマイクロトフは見逃さなかった。自分の失態を庇おうとすると、今度はカミューが窮地に陥る、そんな事実をまざまざと見せつけられた瞬間であった。
───何か言わねば。
マイクロトフは全身全霊を懸けて演技に入った。
「よ、良かったな、評判が良いようだ……よ。いつもそうだと良いんじゃないか……い?」
「……そうだな」
これ以上怪しまれないようにと配慮したのか、カミューの答えは恐ろしく短い。おかげで会話は断絶し、一同は気詰まりな沈黙に見舞われた。マイクロトフは尚も己を奮い立たせた。
「では、これから訪ねるところがある、ので、……ね」
「……はい。行っていらっしゃいませ、カミュー様、マイクロトフ様」
騎士たちは再度礼を取り、二人を解放するように道を開いた。
漸く輪から逃れて一階へと続く階段に向かう。周囲を確かめたカミューが小声で囁いてきた。
「……『うむ』はないだろう? それに語尾に逐一間があるのは変だよ」
「仕方がなかろう? 『だよ』だの『かい?』などといった言い回しには慣れていないのだ」
まあね、とぐったりした様子で彼は続ける。
「他人事ではないな、わたしの方もまずかった。おまえの不備を埋めようとすると、かえって妙になると分かったよ。これは思ったより苦労しそうだ」
そうなのだ。
この異変を周囲に悟られるか否かはマイクロトフの技量によるものが大きい。使い慣れない美辞麗句を駆使し、打てば響くような機転を働かせ───そこでマイクロトフは偽装の至難に打ちのめされた。今、求められているのは最も彼の不得手とする分野なのである。
「こうしてみると、つくづくわたしたちは対極なんだろうね」
くすりと笑いながらカミューが言った。
「いっそ、おれたちが入れ替わっていると明らかにした方が良くはないか?」
「それも考えないではないけれど……」
思慮深く考え込んで首を振る。
「出会う人ごとに事情を説明するのかい?  感想を聞かれたり、不都合をしみじみ気の毒がられたり……それもちょっと、ね」
頷かずにはいられなかった。
さっき、あの場で入れ替わりなど洩らそうものなら、赤騎士たちの追求は苛烈を極めただろう。『用足し』に至っては多大なる恨みを買う恐れがあった。
互いを演じるのは難しいが、メイザースに術を解いてもらうまでの辛抱だ。ここはやはり、初心を貫くべきだろう。
「分かった。これからは騎士の誇りに懸けて、おまえの真似に尽力する」
「口調も表情も堅いよ。それから、わたしはそんなことに誇りを懸けたりしないし、拳を握ったり震わせたりもしない」
「分かった、よ。精一杯におまえのフリをする……からね」
「……頑張ってくれ」
屈強の青騎士団長が、戦場でも部下たちに見せたことのない困憊を滲ませながらひっそりと呟いた。

 

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やっぱり青は不器用標準装備ってことで。

 

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