偽装の裏側・4


食事のトレイを手に戻ってきたカミューは、マイクロトフの顔を見るなり言った。
「早朝だからね、幸い、顔を会わせた人間は少なかったのだけれど……行き交うたびに『何か良いことがあったのか』と聞かれたよ」
堪らず苦笑った。普段から柔和な笑みを絶やさないカミューだ。偽装に勤しんでいるつもりでも、自然とそんな表情を浮かべてるのだろう。
良いことどころか、とんでもない目に遭っているというのに、などとぼやいた彼は改めてマイクロトフに向き直る。
「お大事に、だそうだ」
「何?」
「青騎士からの伝言。仮病を使ったから」
「ああ……そうか」
「ちなみに二日酔いだ。あまりたいそうな病を偽って騒ぎになるのも困るしね」
雨の日も風の日も休むことなく続けてきた早朝訓練を二日酔いで欠席するというのは不本意だが、カミューの言葉はもっともだ。原因不明の体調不良では部下たちの心配も広がるだろう。
「なのにハイ・ヨー殿ときたら、わたしの顔を……いや、おまえの顔だが、見るなり肉料理だぞ?」
「ハイ・ヨー殿には二日酔いだと言わなかったのか?」
「気分の悪い人間がいそいそと食事を取りに出向くかい? そうした場合ならわたしが……わたしの身体をした者が取りに行くのが自然だろう?」
それもそうだ、と生真面目に頷いた。自分一人でそんな大役を果たすのは不可能だという強い意思表示も込めて。
相変わらず食欲は感じなかったが、カミューの体調維持のためには無理をしてでも食事を取らねばならない。
それに、実際に食物の匂いを嗅いでみて分かった。マイクロトフの意識そのものは食事を歓迎しているのである。身体が変わっても食い意地のようなものは残るのか、そんなふうに考えながら卓に歩み寄ったのだが。
「おれの分は……これだけか?」
指差したのは小振りのパンと野菜サラダ、溶き卵を浮かべたスープである。もう一方の、炒めた肉と温野菜、大盛飯に大きな器入りのシチューに比べて息を飲むほど貧相な献立だ。
生活時間の微妙なズレから共に朝の席を囲む機会は多くない。それでも、記憶の中でのカミューはもう少しまともな食事をしていた気がする。大いなる疑問を感じたのか、彼は力なく首を振った。
「……昨夜は無理をしたからね。多分、喉を通るのはその程度だと思うんだ。我慢してくれ、わたしの胃は朝からそう重い食事が出来るほど頑丈ではないんだよ」
「そ、そうか……やむを得んな」
悄然と同意して席に着いた。今一度、己の皿を見詰めて密やかに嘆息する。向かいの席で気が進まない表情ながら肉を切り分け、一片を口に運んだカミューが顔をしかめた。
「ど、どうした?」
「朝っぱらから肉が美味いなんて……本当におまえは健康なんだね」
喜んでいるのか悲しんでいるのか、自分の顔ながら判別し難い表情である。何と言ったものか迷った挙げ句、結局無言のままマイクロトフも食事に取り掛かった。
カミューの皿のたっぷりした肉汁を横目に、配色だけは可憐過ぎるほど鮮やかなサラダをつつく。ところが、鳥か兎にでもなった心地で野菜を咀嚼した途端、思わず子供染みた感嘆の声が上がった。
「カミュー! トマトが素晴らしく美味いぞ、これは驚いた」
「それが普段わたしの感じている味だよ」
穏やかな瞳が諭す。
「今、わたしたちはそれぞれの感性を体感しているんだ。こればかりは、こうして入れ替わりでもしない限り味わえるものじゃない。そう考えてみれば、悪いばかりでもないかもしれないな。」
精悍な顔に深慮を浮かべてカミューは続けた。
「声もそうだよ。普段聞いている自分の声は実際に他人が聞く声とは少し違っているらしい」
「言われてみれば、何か違和感があるな」
だから寝起きのカミューも直ぐに異変に気付かなかったのだろう。朦朧とした状態では、昨夜散々喘いだために声が掠れた、程度で済ませても不思議はない───範疇だったのかもしれない。
「だからね、今聞いているのが本当の自分の声なのさ。いつもわたしたちはこの声で互いに語り掛けているんだよ」
目覚めてから初めて耳にする、情感を込めた言葉だった。たちまち胸を締め付けられて身を乗り出したが、目に映るのは自分である。すんでのところでくちづけの願望は掻き消えた。
少しして、二人は奇妙な食事を終えた。欠片も残さず綺麗に皿を空にしたカミューは神妙な面持ちで忠告するのを忘れない。
「それにしても、マイクロトフ。余さず食べておいて言えたものではないが……幾ら何でも胃に負担が掛かるんじゃないか? 朝はもう少し油分を控えた方が良いと思うよ」
「……腹が重いか?」
「いいや、全然」
「それがおれの配分なのだ。午前中の訓練に備えて十分に食事を取っておかねばならないからな。一応、昼は控えるように心掛けているから問題ない。寧ろおまえの方こそ、……状態は察しないでもないが、もう少ししっかり───」
咄嗟にカミューは肩を竦めた。薮蛇だったと察したらしい。多少慣れたためか、最初のときよりはだいぶ様になっている。
「そのあたりを論議するのは元の身体に戻ってからにしよう。刻限的にもそろそろ良かろう、メイザース殿のところへ行ってみないか?」
向かってくる矛先を柔らかく躱す、そんなカミューの巧みな弁術にはいつも感心させられてきたマイクロトフだが、今回は自分の唇から発したためか、説教してやりたいほどの傲慢とも思えた。
ともあれ、この状態が長く続くのはありがたいとは言えない。精神的な弊害が拡大せぬうちに解決するのが互いのためだ。
悠然と立ち上がるカミューの後を追って足早に席を離れた。口元に残ったスープの具、淡い黄色の溶き卵に気付かぬまま。

 

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今回ちと短めだったな……。

さて、部下たちの反応は如何に。

 

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