騎士団を離反して数月、ハイランドとの戦いは依然として予断を許さぬ状況ではあるが、新都市同盟軍の志気は高い。
組織だって同盟軍参入を果たした騎士たちは貴重な即戦力であり、戦いの前線を任されることが多かった。一戦の後には短い休息が与えられる取り決めになっているが、怠惰を貪る騎士はない。練度の低い同盟兵にとって、彼らは心強い教官なのだ。戦い以外の時間は兵たちの鍛練相手を勤める、騎士たちの生活はおよそそうしたものだった。
昨日のことである。
いつものように、二人は道場で同盟兵の訓練に付き合った。
一日のつとめを終えて自室へ戻る前に少し風に当たろうと進言したのはどちらだったか。肩を並べて図書館へと続く庭路を進んだところで仲間の一人、魔術師メイザースと行き逢った。
齢八十を超えてなお魔道の探究に余念のない男は、樹木を前に瞑想に浸っているようだった。邪魔をせぬよう無言のまま会釈して通り過ぎようとした二人に、彼の方から声を掛けてきたのである。
「ちょうど良かった。新しい魔法を考えたところなのだ」
「メイザース殿、熱心でおられますね」
微笑んだのも束の間、続く言葉にカミューは微かに眉を寄せた。
「これが完成すれば戦闘で非常に有利にはたらく筈。悪いが、協力しては貰えぬかな?」
「協力……と言いますと、おれたちに魔法を受けよと?」
マイクロトフも考え込んだ。戦いで功を奏すということは、試みられるのは攻撃魔法だろう。メイザースの力量を知るものとしては、威力を想像して然るべきところである。
だが、即座に断るのも躊躇われた。二人にはメイザースの気持ちが理解出来たからだ。
戦術を編み出したなら、試してみたいのが戦士の性分である。戦いの手法は違っても、それは魔術師にも同様なのだろうと。
そんな二人の葛藤を、すぐに彼は笑い飛ばした。
「確かに効果は絶大だが、直接の害はない。わしが考えたのは入れ替わりの術なのだ」
強力な敵が出現したときに側にいる弱い個体と中身を入れ替えてしまえば容易に勝てる、というのがメイザースの意見だった。
「弱い個体に入った敵は簡単に斃せる。強い個体を得たところで、もともとの力が弱い敵は新しい身体を使いこなせぬ。例えば先日グリンヒルで戦ったボーンドラゴン、実に強敵だったが……あれをひいらぎこぞうと入れ替えた状況を考えてみるがいい、一撃で勝利だ」
「……理屈は分かりますが」
カミューが丁重に割り込み、首を傾げた。
「そう都合良く、弱い魔物が側に現れるものでしょうか?」
するとメイザースは僅かに怯んだ。指摘が痛いところをついていたらしい。
「だ、だが……ハイランドとの戦いが佳境に入り、ますます強大な敵と立ち向かわねばならぬ我々にとって、画期的な戦法には違いあるまい。そうは思わないか?」
マイクロトフの耳には画期的というより、何がなし小狡い戦法のように聞こえなくもなかった。無論、仲間のために知力を絞っている老魔術師を尊重して口にはしようとはしなかったが。
カミューも同じ心境だったらしい。短い沈黙の後、穏やかな笑みを浮かべた。
「そうですね、予め備えをしておけば有効な戦法かもしれません。分かりました、我々で宜しければ協力させていただきましょう」
毅然と言った青年に、やや驚いた。慎重なカミューとも思えぬ決断だ。メイザースを疑う訳ではないが、入れ替わりの魔法などといったものに危険はないのか、本当に大丈夫なのだろうか、そんな不安が過る。
懸念を読み取ったのか、ふわりと魔術師の表情が緩んだ。
「案じる必要はない。実はな、一度は成功しているのだ。午前中、犬と猫で試してみた」
彼は目を丸くする二人に得意気に説き始めた。
庭をのんびり散歩していた犬と猫を捕えて魔法を施してみたところ、思いのほか上手くいった。
懐から用意していた骨を出してみると、猫は激しく尾を振って骨をねだり、終いには『お手』までしてみせたのだという。対して、冷めた目で骨を一瞥した犬の方は、ぎごちない仕種で毛繕いを続けていたらしい。
「そ、……それは確かに入れ替わったようですね」
カミューが何とも言えない表情で頷くと、メイザースは胸を張った。
「無事に元にも戻したぞ。危険はない」
けれど小動物での成功に満足出来ず、もう少し大きな生き物で試そうとしているのだ。成功例があるという事実を聞いて、漸くマイクロトフの不安も薄れていった。
二人は少し離れて並べられ、メイザースが耳慣れない呪文を唱えて印を結ぶのを見守った。ロッドが一閃し、奇妙な風に煽られても身じろぎ一つせずに耐えた。
すべての手順を終えたらしい老人が、伺いを立てるような口調で問う。
「……どうだ?」
「特に何も変わった感じは……」
答えたのはカミューだ。自身の緋色の騎士服を確かめ、マイクロトフに目を向ける。
「おまえは?」
「おれも変化なし、だ」
内心、カミューの身体に成り代わるとはどんなだろうと子供のように胸を弾ませていた。彼の剣技を見るたび感じるように、身が軽く思えるのだろうか。
自分の姿を鏡越しでなく目撃するのも興味深い体験だろうと考えていた。カミューの目に映る自分が、望むほどに雄々しく逞しくあるといい、そんな期待も兆していた。
だから魔術が成功しなかったのは本当に残念で、声音にも落胆が滲む。魔術師が味わっている失意はそれ以上なのだという配慮を忘れてしまうほどだった。
「むう……駄目だったか」
メイザースは口惜しげに呻き、眉間に皺を寄せた。何が悪かったのかと思案を重ねる男をカミューが柔らかく慰撫する。
「けれど、一度は成功しているのです。魔法がレベル毎に威力を増すように、人間ほどの大きさの対象に施すには術の力が弱かったのではないでしょうか」
「そうか……そうかもしれんな、成程……」
独言のように応じてから、彼は長く息をついた。
「とは言え、今よりも術を強めるとなると、流石にいきなり人に試すのは憚られる。すまなかったな、二人とも。後は何処ぞの魔物にでも試してみるとしよう」
悄然として背を向けるメイザースを見送りながら、心から術の完成を祈らずにはいられない二人であった。
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