盾と剣(つるぎ)


6.

命じられた束の間の仮眠時間、次第に明るくなる周囲に慣れることが出来ず、ミゲルは与えられた陣幕を抜け出した。
遥か東に目を凝らすが、広がる大地にはすでに軍馬の影はない。副長ランド率いる別働隊は関所周辺の包囲に入るため、休息もそこそこに街道を東南下し始めていた。
現在、この地に残っているのは第一・第二・第三、僅か三部隊である。騎士の半数以上を移動させることについて、軍議中にも若干の戸惑いを覚えたミゲルであるが、命を受けた騎士隊長らはカミューの指示に絶対の信頼を寄せているのか、諾として従っていた。唯一、カミューが少数部隊の側に属することだけが一同を案じさせたが、守りを固めるのは上位三部隊、反対意見の呈示には至らなかった。
ミゲルはゆっくりと陣幕の間をぬって歩き、見えるはずもない彼方の敵を睨みつけては嘆息する。
夜を徹しての行軍、続く軍議。
仮眠の命が出されているのは、三部隊が担う役割に配慮されたものだと分かっている。が、粗末な敷物の上で幾度転がろうと、眠ることは出来なかった。それは初陣による高揚と逸り、そしてあまり認めたくはないが僅かな怯えの所為であった。
出陣前、自部隊長ローウェルから伝えられた訓辞が脳裏を駆け回っている。

 

騎士団長が生還出来ねば戦は負け。
カミューが期待を寄せてくれている。ローウェルもまた、彼がいずれ赤騎士団の大いなる力となるだろうと激励してくれた。
初めて戦に臨む身に何が出来るかわからない。けれど、与えられた期待を裏切ることだけはしたくない。そう思えば思うほど目はすっきりと冴えてしまい、眠るどころではなくなってくるミゲルだった。

 

「……眠れないか?」
不意に投げられた甘い声音にぎくりとし、慌てて振り向くと、そこには鎧装束を脱ぎ捨てて普段通りの軽装に戻ったカミューが寛いだ表情で笑っていた。
「は、あの……」
「いつ、如何なる場においても速やかに眠り、速やかに目覚める───それも騎士たるものの重要な資質である、……おまえの惚れ込んでいる青騎士隊長殿の言だ」
「マイクロトフ隊長の……?」
つられて笑み返す。それから窺うように上官を眺め遣り、小声で問うた。
「カミュー団長こそ、休まれないんですか……?」
「寝起きは身体が重いからね、……そこからいくと、どうやらわたしは騎士の資質を著しく欠いているらしい」
カミューは肩を竦めた。陣幕を繋ぐ一本の短い支柱に優雅に腰を落とし、ゆったりと息を吐く姿を見詰めながらミゲルは眉を寄せる。
「いいんですか? 鎧も付けず、そんな軽装で……ローウェル隊長あたりがご覧になったら、目を剥かれると思いますが」
「物見の部下を信用しているのでね。報告を受けてからでも十分間に合うさ」
くす、と笑って付け加えた。
「……そういうところも気構えに欠けるかな」

 

ミゲルは漠然と解した。敬愛する騎士団長が、初陣に重要な責を与えられた己を気遣い、気持ちを解そうとしてくれていることに。
カミューとは単なる部下の一人として以上に、近しく接した一時期がある。けれど叙位以来、彼は一線を引いた上官としての態度を崩そうとはしなかった。それを寂しく思う反面、いつか再び彼の中で欠くべからざる存在として認められようという目標も生じた。
まさに、今回の戦いはその機会である。そんな気負いからどうしても平静を保てずにいるミゲルを、カミューは敏感に察して和ませようと試みているのだ。

 

「お聞きしても構いませんか?」
「何だい?」
「先ほどの軍議……赤騎士団の軍議はいつもあんな感じなんですか?」

 

ミゲルの叔父は前・白騎士団長である。
彼はゴルドーに似た尊大な支配者然とした上官であったらしい。彼から語られた言葉の端々によって騎士団内の要人たちの遣り取りといったものについて知識がないわけではない。
軍議とは厳しいばかりの緊迫と鼓舞に彩られ、決して笑いが洩れるような場ではない、それがミゲルなりの認識であったのだ。
けれど先ほど展開された光景は彼の予想を覆した。目前に戦いを控えているとは思えぬ、和やかとさえ言える雰囲気に包まれていたのである。
無論、騎士隊長らに張り詰めた覚悟と緊張がなかったわけではない。だが、どうにものんびりした会議だとミゲルは意外に思ったのだ。

 

「そうだね……わたしが騎士団長に就任してからというもの、本格的な外部との戦は初めてだけれど……」
カミューは小首を傾げて考え、それから頷いた。
「……あんなものじゃないか?」
ミゲルは思わず苦笑した。
あの和やかさの源はカミューなのだ。何処か飄々とした総指揮官は、逸る部下の心を宥め、無用な緊張を解くことによって能う限りの力を引き出す名手なのだろう。
「昼過ぎにはランドも所定の位置に到着することだろう、そうしたら開戦だ。眠れないなら、せめて横になって身体を休めておくがいい」
言いさして、カミューはふわりと立ち上がった。ミゲルは慌てて威儀を正して呼ばわる。
「カミュー団長!」
振り向く青年の平時と変わらぬ穏やかな瞳に胸を締め付けられるようだった。
「おれ……おれ、必ず責を果たしてみせます」
すると彼は微かに目を細めた。
「……怖いか、ミゲル?」
「え?」
必死の宣言とはまったく別のことを問われて戸惑う。
「怖い……?」
「戦場に出ることが。城を出る前、マイクロトフが言っていた。恐ろしく緊張しているように見えたとね」
ミゲルは俯き、足元の土を睨み付けた。

 

───怖い。
胸のうちで同意する。
ミゲルは未だ人を殺したことがなかった。モンスターや罪人の捕縛に剣を振るったことは多々ある。けれど、人の命までをも奪ったことはなかったのだ。
これが初めての経験となる可能性は高く、実際に人を屠った自分がどう感じるのかも想像がつかない───もっとも、そんな感傷に浸る余裕があれば、の話だが。

そして万が一にも近衛としての己のはたらきが足りずにカミューが傷つくようなことがあったら。
拭おうにも拭い切れない不安は付き纏っている。それを『恐れ』と呼ぶなら、彼は間違いなく恐れていた。

 

「怖い……です」
途切れがちに告白した。
「無様だとは思うし、臆してはならないのだと頭では分かっています。でも……おれは怖い」
これがローウェルあたりに問われたことなら、殊更に虚勢を張ることも出来ただろう。けれど、カミューに心情を隠し通すことなど出来なかった。常に溢れる思慕の念は、正直であれとミゲルを唆し続けるのだ。
「───それでいい」
優しい声にはっとして顔を上げると、柔らかな琥珀の瞳が真っ直ぐに見詰めていた。
「団長……?」
「誇りある戦い、正義を旨とする戦い……どんな理由をつけるにしろ、戦とは殺し合いだ。敵とは言え、他人を傷つけ命を奪うことをまったく恐れなくなったら、むしろその方が恐ろしい。無論、ひとたび戦場に立てば思い悩んではならない。己が屍を曝すか否かは一瞬の運……けれどね、ミゲル。戦いを恐れ忌む心こそ、人である何よりの証だ。無様などではないし、間違ってもいない」
「カミュー団長……」
ミゲルは目をしばたき、必死で青年を凝視した。
「団長も……ですか? 団長も戦いを恐れていると……?」
「───わたしの場合は、また少し違う」
彼はひっそりと口元を綻ばせた。
「わたしのつとめは勝利し、そして部下たちをロックアックスへ生きて連れ帰ること。それは如何なることにも優先される絶対のつとめだ。身に負う責務の大きさの前には恐れが入り込む余地がない。そうしたものは多分……戦いが終わったときに纏めて襲ってくるのだろうね」
「…………」

 

ミゲルは黙したまま目を伏せた。
そうか───そうなのか。
そしてロックアックスにはそうして傷ついた彼を迎える唯一の存在が待っている。カミューはそのためにも生きて戻ろうと務めるのだろう。

 

「……ミゲル」
ふと、調子の変わった声が言う。
「おまえは騎士であることを選んだ。それによって生じる様々な痛みと共存することこそ……選択した道を進むということだ」

 

カミューがマイクロトフを──道ならぬ恋を──選んだがゆえに痛みを抱えているように。
敵を殺すことも。
その怨嗟の響きを受けることも。

 

「……おれはカミュー団長に騎士の誓いと忠誠を捧げました。今も、これからも誓いに恥じぬ騎士として、……お傍に在ります」
迫り上がる想いを迸らせると、カミューははんなりと微笑んだ。
「赤騎士ミゲル───おまえの忠誠に期待している」

 

 

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やっと次回、開戦。
ここまでで、すでに6回……?
……これで戦いが1回で終われば
スッキリなのだけれど(苦笑)

 

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