盾と剣(つるぎ)


5.

一騎士団が出陣を控えているとは思えぬ静けさに包まれたロックアックス城に、密やかな鐘が鳴り渡っている。
騎士への階段を昇り始めた幼い従者たちが手々に鐘を持ち、時を伝えて歩く風習。騎士が一日の終わりを知り、同時に夜の備えへと気持ちを切り替える刻限である。
青騎士団・第一部隊は今宵、城の夜間警備の任を振り当てられていた。網の目のように張り巡らされた回廊の一つ、中央広場から城門へと続く眺めを窓から見下ろしているマイクロトフに気付き、副官が躊躇いがちに声を掛けた。
「隊長、宜しければ……」
自部隊長と親交の厚い青年騎士団長の出立を気遣っているのだろう、一時であれば任を置いて見送りに馳せ参じることくらいは許されるのではないかという進言を、マイクロトフは笑うことで一蹴した。
「───いや、いい。もう言葉も交わしてきた。この上、つとめを放り出して見送りになど向かえば、おれはカミューに張り倒されてしまう」
類稀なる美貌を持つ赤騎士団長。どこまでも端麗な青年が、この屈強の男を張り飛ばしている姿など想像出来ず、副官は首を傾げて苦笑う。同時に、軽口に潜む心からの祈りを感じ取り、彼は丁寧に言上した。
「所属こそ違えど、我らの思いも一つ」
マイクロトフが振り向くと、何時の間にか周囲に集まっていた第一部隊の面々が半分だけ抜刀した剣を前にそれぞれ瞑目していた。
戦地に向かう同朋を見送る最大の礼。
マイクロトフは薄く笑むと、彼らに倣ってダンスニーの鞘を握った。半分だけ引き抜かれた白刃に向かって頭を垂れ、重々しく唇を開く。
「……赤騎士団長とすべての赤騎士に剣と誇りの加護を」

 

悠然と進軍を始めた赤騎士団は、背後にて見送る騎士たちの祈りに送られて、やがて城門を超えて見えなくなった。

 

 

 

 

 

 

ロックアックスの街を抜けると同時に全速の行軍が開始され、勇壮たる一団は一気にマチルダ領を駆け抜けた。
一度だけ街道の村のやや東寄りにて馬のために休息を取り、予定通り空が白々とする頃にはミューズ市との関所へと辿り着いた。
「なかなかに強行軍でございましたな」
副長ランドが各部隊の報告を纏めた上で言うと、カミューは乱れた髪を撫で付けながら微笑んだ。
「寒さを感じる暇もなかったろうね。遅れたものはいないか?」
「我が赤騎士団において、カミュー様のご期待に背く者がおりましょうか」
くす、と笑ったランドは改めて思う。
細身の肢体を外套で包み、男たちの先頭で馬を操る美貌の青年。彼が望むことを為さずして、どうして誇りを貫けよう。強行軍であろうと過酷な戦いであろうと、彼が飛び込む世界にならば命を賭して付いて行く、それこそが赤騎士団に籍を置くものの絶対の至福なのだということを。
「予定通り、ミューズ領に入ったところに陣を張る……宜しゅうございましょうか?」
「そうだね、アレンを迎えたらそこでもう一度軍議だ。部隊長に伝えてくれ」
「拝命致します」
「……近衛の連中も呼んでおいてくれ」
カミューは明け空に遠く視線を投げた。その先には列を組み直している第一部隊がある。巡らせたランドの目に、息を切らせながら自部隊長を必死に見上げている若者の姿が映った。苦笑を禁じ得ず、彼は重々しく復唱した。
「近衛騎士に軍議参席を命じます」

 

 

 

 

 

関所を僅かに東に入ったところに赤騎士団の陣が組まれた。簡易な陣幕を築き上げるのは主に下位の部隊の騎士たちである。
最初にたてられた本陣に集められた要人たち、それから同席を命じられた近衛任務にあたる騎士たちは、先発した第二隊長の合流に顔を綻ばせた。
「無事で何よりだ、アレン」
穏やかに労をねぎらった上官に、彼は深く叩頭する。
「大事なかったか?」
第一隊長ローウェルの言葉にアレンは満面の笑みを浮かべた。
「は、何しろカミュー団長の御言い付けで敵の傍近くには寄れませんでしたので、大事があろう筈もなく……」
部隊長一同は怪訝そうにカミューとアレン双方を見詰める。傍に寄らずでは斥候の役目は成り立たないのではないかと思ったのだ。
「遠眼鏡にて様子を探るよう、申し渡したんだよ。勇敢な第二部隊にはすまないことだが」
カミューが端的に説明するのにますます周囲は困惑する。
「で、どうだった?」
構わず本題に入る青年にアレンは背を正した。
「数はおよそ三百あまり、やはりどう考えてもまっとうな盗賊集団にしては多過ぎますな」
「……盗賊に『まっとう』な集団などないような気が致しますがなあ」
すかさず第十部隊長エドが口を挟む。アレンは軽く睨みつけてから再び切り出した。
「装備的にも軍と何ら劣るものはありません。紛うことなき、ハイランドの尖兵と見定めました」
「布陣は?」
置かれた折り畳み式の卓の上に地図を広げ、ゆっくりと指し示しながらアレンは説明する。
「敵はミューズ−ハイランドの関所の壁の最も北寄り……そして国境を分ける森に挟まれた扇状の地形を利用しております。一見では自ら退路を断っているようにも取れますが……」
「……背後に万全を敷いてあるが故に、我らは正面から向かうしかない……」
後を引き取った第三隊長エルガーに応えてアレンは息を吐いて頷いた。
「森の中の伏兵は確認したかい?」
カミューが柔らかく問うと、生真面目な返答が返った。
「無論です、カミュー団長。この森は凄まじく鬱蒼と樹木が茂っておりまして、さすがに敵も伏兵の配備は諦めたようで。いや、幾年も国境を護ってきただけの森のことはあります」
カミューは深々と考え込みながら地図を睨みつけていた。
「少なくとも、伏兵を案じる必要はないという訳ですな。では、我らは真正面から敵に突き進むだけのこと!」
第四部隊長ウォールが拳を握るのに賛同の頷きが広がっていく。それを軽く片手で留め、カミューは再度アレンを見た。
「もう一つの任の方は?」
「はい、こちらに」
彼は懐から取り出したものを恭しい仕草でカミューに差し出した。しなやかな手が受け取ったのは一通の書状である。
「カミュー様、それは?」
問うたローウェルに密やかな笑みが向いた。
「偵察とは別に、届けものを頼んでおいたのさ。ミューズ市軍の留守部隊指揮官あての書状を……ね」
言いながら書面に目を通す青年を、一同が不思議そうに窺っていた。やがて読み終わるなり、カミューは小さく頷いた。
「……予想通りだ。敵は魔法兵を主軸とする一軍であるらしい」
「何ですと?」
途端に洩れる驚きの声を副長が遮る。
「静まれ! カミュー様、それは如何様な……?」
「考えてもみるがいい」
カミューは開いた書状をテーブルに置きながら言う。
「たとえ相手が訓練されたハイランド尖兵であり、迎える市軍が残留部隊であろうと……敵の正体も見極められぬほど苦戦するとは考え難い。要は、間近に寄ることも叶わなかったと見ればいいだけのこと。敵は遠方から市軍を迎えうち、退けたのさ。それを可能とするのは熟練した魔法兵の放つ攻撃魔法だったということだ」
静まり返った一同の中でランドがおずおずと書状を取り上げて目を通す。
「礼節には礼節、誠意には誠意……市軍はわたしの疑問に応えてくれた」
「……それゆえ傍へ寄らぬよう、お命じになられたのですな……」
アレンが呆然と呟く。
偵察を命じられた場合、相手の戦力を量るために一戦を交えるときも多い。が、カミューは決して敵に近寄ることなく目的を果たせと命じた。集団の魔法兵から繰り出される攻撃魔法の恐ろしさは誰でも知っている。それは剣を振るう暇もなく、一瞬で大局を決する圧倒的な力なのだ。
「……やれやれ、無駄にならずにすんだな。ランベルト、例のものを」
「は、はい!」
命じられた第七隊長は出発時より自部隊に預けられていた幾つかの箱をテーブルに積み上げ始めた。
それまで隅で静かに軍議に聞き入っていた近衛の騎士たちが急いで彼を手伝い始めた。最も緊張し、最も若く力のあるミゲルが恐ろしい勢いで箱を積み上げるのにランベルトは苦笑した。
「ご推察、恐れ入るばかりでございます、カミュー様……」
テーブルを埋めた箱を一瞥し、感極まったように呟く第七隊長を怪訝そうに見詰め、ミゲルたち近衛の騎士は元の位置に戻る。
「カミュー団長、この箱は?」
代表するかたちで問うたアレンに、カミューは頷きながら口を開く。
「我ら騎士は魔法兵との戦にに慣れていない。剣を以って戦うことには幾らでも勇敢になれても、遠方から放たれる見えない刃には手の施しようがない。魔法兵には弓が効果的と聞くが、俄仕立てで増やした弓兵には不安が残る」
騎士らは口惜しげに唇を噛み締めた。
上官の言う通りだ。騎士団は剣技を重んじる武力集団なのだ。一応は弓を扱う兵も在るには在るが、あくまで後方からの援護の色彩が強いのである。
剣を主力とする一団として接近戦ならば絶対の自信を持っていても、気付かぬうちに降り注ぐ魔法が相手では分が悪い、それが騎士団としての弱みでもあった。
「相手が攻撃魔法を使ってくるなら、こちらもそれなりに備えを固めねばならない。しかし、保有する魔守装備を掻き集めてもすべての騎士に行き渡らせることは到底無理だ」
確かにその通りである。騎士団の揃える防具の主たるものは剣を交えることを前提にしたものが多いのだから。
ますます難しい顔になる一同にカミューは苦笑した。
「……まあ、そう渋い顔をしないでくれ。一応、打てる手は打った。ミューズへの誠意の方も商いが成立したのでね、そう悲観することもないだろう」
「……と仰いますと?」
部隊長らに視線を投げられた第七隊長が胸を張って宣言する。
「札、でございます」
「札……?」
はい、と彼は箱の一つを開いて中身を取り出しながら微笑んだ。
「赤騎士団が保有する装備や紋章をすべて費やしても、とてもすべての騎士には届きません。そこで、魔守系の札を装備させよとカミュー様が……」
紋章の力を紙片に封じ込める札。魔力の有無に左右されず扱えるそれは、騎士にも心強い魔法防御となる手段である。ざわめく一同の中で、なおもランベルトは続けた。
「出立前、商人を呼ばれたときには不思議でしたが……よもやそうした理由とは……」
「商人?」
初めてランドが首を捻った。それから恐々とカミューを見詰める。
「恐れながら、カミュー様……我が赤騎士団にこれほどの札を購入する予算は残っておりましたでしょうか……?」
「ないよ」
副官のあまりにおずおずとした様子に軽く吹き出して、彼はひらひらと手を振った。
「案ずるな。来期予算の使い込みもしていなければ、無用な借財も作っていない」
「そ、そうは仰いましても……」
「ランド副長」
ランベルトが躊躇しながら口を挟んだ。
「カミュー様は自室の美術品や骨董品を処分なさって札をお求めになられたのです」
「何?」
途端に動揺を走らせた一同に、カミューは困ったように肩を竦めた。
「別にいいだろう、資金の出所など……」
よくはない、それが要人たちの総意だった。
敬愛する騎士団長の自室を美しく飾っていた品の数々。それを売り払ってまで戦いに備えた上官の姿勢に感動すると同時に、何故一言告げてくれなかったのかと愕然とする。上官が心地良く過ごす日常を損なうくらいなら、いっそ自らの資財を投げ打ってでも助力したものを。
年上の部下たちの必死の眼差しに苦笑して、カミューは首を振った。
「細かいことを気にするな、絵だの壷だので部下の安全が買えるなら安いものさ。だいたい、あの部屋の美術品は先々代が買い揃えたもの……わたしの趣味ではなかったんだ」
「カミュー様……」
「いらないものを売り払う、代わりに欲しいものを手に入れる。道理だろう?」
「……商人とのご交渉は、それは見事なものでございました……」
商才を買われてただ一人その場に立ち会ったランベルトが小さく言い添える。商人は呈示された金額に目を丸くし、懇願し、だが最終的には美しい笑顔に負けてがっくりと肩を落としながらありったけの札を置いていったのである。
「ミューズ市軍の背後支援も取り付けられたからね、更に札が届けられることになっている。取り敢えず各部小隊ごとに現存する札を配布し、残りは戦況を見ながら支給していくことにしよう」
続く言葉は更に一同を驚かせた。あれほど非協力的に思えた市軍を軟化させるとは、さながら魔術としか思えない。
「カミュー様……いったい市軍にどのような書状をお送りしたので?」
ローウェルが眉を寄せたまま問うと、彼は華やかに笑った。
「此度の労をねぎらい、犠牲者への心からの追悼を表し、勇敢なる市軍への変わらぬ信頼を誓っただけさ。ただ……文面には尽く配慮を欠かさなかったけれどね。さながらマチルダの赤騎士団長からミューズ市軍への恋文のような感じかな」

 

───それではとても見過ごすことなど出来なかっただろう。
一同は一斉に破顔して、目の前の端正な騎士団長に礼を払った。

 

 

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何か先日、幻水2小説本にて
気になる記述を見た気がする……。
立ち読み(笑)なのでうろ覚えだけど、
離反イベント後
『同盟は結べなかったが、7千の兵が増えた』
……みたいな一文。
離反したのは青・赤騎士団の約半数、
ってことは一騎士団員7千人=総員2万近く?!
ワールドガイドブックによると
ロックアックスの人口は約9700人の筈。
これはいったいどーゆーこと〜〜???
周辺の村々出身者入れても
主要都市の人口より多いって、いったい……。
お願い、誰か見間違いだと言って。
7百人だよ、と(それはそれでチンケな感じ・笑)

っつか、やっぱ見なかったことにするか。

7/18 追加(笑)

……そう、間違いじゃなかったの……7千……。
……今更、どうでもいいや〜。
我が家では一騎士団・千人くらいにしとこ(笑)
従騎士以下込みだから、実働騎士7〜800人。
それでも多い?と思ってたのに……しくしく。

 

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