盾と剣(つるぎ)


4.

ロックアックス城の西棟の奥深くに設えられた赤騎士団長の自室。
廊下に靴音を響かせて急ぎ歩いているのは長身の青騎士隊長である。真っ直ぐな夜色の瞳が見詰めているのは周囲でも目指す部屋でもなく、意識の中で微笑む端麗な青年、唯一人。
やがて辿り着いた扉を軽く叩くと、応えを待たずに中に踏み込んだ。相手が自室に戻ったことは承知している。在室を疑わず、常と同様、慕わしい人を呼ぼうとして───

押し黙った。

最愛なる赤騎士団長カミューの自室。
日頃整然と片付いた部屋が、今は嵐が吹き荒れていったかのようだ。床に散在するのは壷やら絵画やらで、殆ど足の踏み場もない。
出陣が決まったと聞いて慌てて足を運んだ青騎士団・第一隊長マイクロトフだが、一瞬状況の把握に苦しみ、ひとしきり首を捻らずにはいられない有り様である。
「カミュー……?」
障害物を避けながら、やっとのことで入室を果たすと、想い人は壁にある大きな絵を外そうと躍起になっているところであった。どうやら留め金から上手く額が外れないらしく、苦しげにもがいている。
「な、何をやっているんだ?」
呆然と問い掛けると、僅かに紅潮した顔が振り向き、安堵したように息をついた。
「ああ……丁度良かった。頼む、手伝ってくれ」
「これを外せばいいのか?」
なおも転がる美術品を迂回して近寄ると、長く逞しい腕を伸ばす。カミューが難儀していた大作絵画を、上回る背丈と腕力が容易く床へとずり下ろした。途中からさっさと場を譲って見物に回ったカミューは、感嘆とも呆れともつかない溜め息を洩らす。
「どうせなら、もっと早く来てくれれば良かったな」
「……おれは労働力を提供しに来た訳ではないのだが」
憮然とぼやいてから改めて向き直る。
「いったい何をしている? 出陣前だろう?」
「……出陣前だから急いでいるのさ、直に商人が引き取りに来るのでね」
床に散らばる品に視線を投げるのを見た途端、マイクロトフは沸き起こる激情に駆られて彼の両腕を掴んだ。
「どういうつもりだ?! 何故こんなことをする?」
「何故って……」
「おまえは戻る、絶対にここへ戻ってくる! なのに何故、身辺整理のような真似をするんだ!!」
カミューは束の間瞬き、それから苦笑した。
「……遺品の前処分をしている訳じゃないよ。金が要るんだ」
宥めるようにぽんぽんと胸元を叩くカミューに、マイクロトフは呆気に取られながらも手を離した。カミューは掴まれた腕を擦りながら改めて美術品に目を遣る。
「これは殆ど先々代の騎士団長が溜め込んだ品なのだけれど……結構な額になるらしいんだ。処分するのも面倒で放っておいたが、ここで役立つとは思わなかったよ」
疑問で一杯になっているマイクロトフに構わず、カミューはひょいと机に歩み寄った。
「そう言えば……サンゴがあったな。あれは何処へ仕舞ったのだったか……」
「サンゴ……───?」
マイクロトフが独言のように復唱する。出陣を控えた恋人に、たまらず訪ねてきた自分を放置するほどサンゴが大事か、との無意識の非難である。が、カミューはそう取らなかったようだ。ごそごそと引き出しを掻き出しながら軽やかに返す。
「十代の頃にね、ロックアックスに滞在した旅の男がいて……見初められて口説かれたんだ」
机の前に座り込み、次々と引出しを確かめている青年が洩らしたのは常ならばマイクロトフを仰天させるような一言だった。しかし、今はそれを上回る訝しさで小首を傾げるばかりである。
「そのときにサンゴを貰ったのだけれど……おかしいな、捨ててしまったか……」
「───カミュー」
「あれは高値がついたのに。勿体無いことをした」
ふうと溜め息をついて身を起こした彼に、途方に暮れたマイクロトフが囁いた。
「……頼むから少し黙って、考えるのをやめてくれ」
言うなり、大股で歩み寄って腕の中に迎え入れる。きつく抱いたカミューは反論するように唇を開きかけたが、くちづけがそれを塞いだ。
一瞬、カミューは僅かに身を退いた。それから仕切り直すようにマイクロトフの背に腕を回し、今度は情熱的に要求に応じ始めた。
マイクロトフは少々埃っぽく感じる薄茶の髪を掻き乱し、なおも深く唇を重ね、すべてを奪い取る代わりにすべてを与えんと熱心に彼を貪った。互いの息が切れるようになった頃、ようやく離れた唇が小さく呟く。
「……これ以上は駄目だよ、わたしは戦いを控えているのだから」
「カミュー……」
「続きは戻ってからだ。わたしの帰還時に夜勤が入らぬよう、祈っている」
カッと身を火照らせたマイクロトフは、そこで彼を解放した。惨憺たる有り様の室内を見回し、改めて問う。
「しかし、これはいったいどういうことだ? 出陣前にしなければならないことなのか?」
「まあね」
カミューはふわりと笑って乱れた髪を撫でつけた。
「欲しいものがあるんだ」
「そのために、この美術品を売り払ってまで金が必要なのか?」
「そうだよ」
ううむ、と考え込む男にカミューは肩を竦めた。
「現存する赤騎士団の蓄えではまかないきれないのでね。この際、廃物利用に着手してみた。こんなに突然出陣が決まるとは誤算だったが……まあ、嘆いても仕方がない」
「……此度の戦いで必要としているものなのか?」
頷いてカミューは返す。
「本当は他団から貸与してもらえれば一番なのだけれど……装備品の貸し借りは禁じられているし、ね」

 

各騎士団には予算が振り分けられており、資金の運用は個々に一任されている。その範囲内での武具購入等は自由だが、代わりに幾つかの留意点があった。
予算を騎士団間で動かさぬこと、保有する武具は貸与し合わぬこと。
騎士団はそれぞれ均等につとめにあたることを前提としているが、現実問題では然程平等とはいえない。現に白騎士団は対外出兵は幾年も行っていないのである。そうしたあたりを理由に一騎士団が予算を独占することがないよう、決められた規律であるらしい。
一方の武具貸与禁止はもう少し正当な理屈である。いつ、如何なる時にも万全の態勢でつとめに臨むことが必定とされる騎士団。他団に武具を貸し渡したところで出陣が必要となれば、それは死活問題になってしまう。よって、これらの戒律は遵守するよう求められてきたのであった。
そんな理由から、カミューが何を必要としているのか、マイクロトフには聞けなかった。聞いて答えられてしまったら、何がどうあれ助けたいと思っただろうから。

 

「力になれれば良いのだが……」
悄然と言う男にカミューは優しく目を細めた。
「この問題についてはおまえは無力だ。けれど……すでに十分、力になってくれたさ」
しなやかな指の先に、さっき壁から下ろした絵画がある。マイクロトフは苦笑って彼の頬を撫でた。
「それだけか?」
「……言わせるな」

 

戦場に向かうカミューにとって何よりも大きく強い力───『戻る』という意志。

 

その根源に存在する男は息を吐いて姿勢を正した。
「……ミゲルを近衛に据えたそうだな」
「耳が早いね、おまえにしては」
「さっき会ってきた。相当緊張しているように見受けられたが」
見たままの正直な感想を述べると、カミューはほくそ笑んだ。
「……あいつがそんな殊勝な顔をしているとはね。見てこようかな」
「その時間はないような気がするぞ」
溜め息混じりに足元を指した男に、彼はやれやれと首を振る。
「残念だな」
可笑しそうな表情に向かい、マイクロトフはふと語調を変えた。
「ミゲルは……───」
「やれるさ」
暗に濁した言葉の先を読んだカミューが笑いを納めて鋭く返す。迷いのない即答に同意するように頷いた。
「そうだな……あいつはやるだろう」
「そうでないものは使わない。わたしだって鬼じゃないさ」
「……どうだろうな」
心を通わせ合ったものの打ち解けた応酬の後、マイクロトフはカミューの手を取り、両手で押し包むと己の額にあてた。重く、低いバリトンが囁くように祈りを紡ぐ。
「……無事に戻れ、待っている……カミュー」
「ついでに、もう一つ祈ってくれないか?」
相変わらずこうした行為には照れを隠せないカミューが朗らかに調子を変えた。
「何なりと」
鷹揚に頷いたマイクロトフに、彼は花びらのような唇を綻ばせた。
「これから商人がやって来る。この品々が高く売れ、求めるものを値切れるよう……商運も祈っていて欲しい」

 

 

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これが今生の別れなら
相当悔いを残しそうな恋人面会模様。

 

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