3.
「おれ……ですか?」
赤騎士団・第一部隊の詰め所にて行われた部隊編成確認の場で、不意に名指しされた若者は目を見開いた。一方で周囲の騎士たちも一様に驚きを隠さず、厳しい顔立ちの自部隊長を見詰めるばかりである。
彼らが絶対の忠誠を捧ぐ赤騎士団長、その側付きに任命されるのは最高位である第一部隊の栄誉とされてきた。選出される騎士の数は戦の規模にもよるが、いずれも一騎当千の力量を持つものがあたるべき重要極まりない任である。
カミューの求める人員の少なさも一同を唖然とさせたが、更に近衛騎士の名の最後に年若い新任騎士が呼ばれたとき、彼らの驚きは頂点に達した。
「隊長……恐れながら、反対です!」
「同感であります、ミゲルの剣技は認めましょう。しかし、よりによって初陣にかような重責を……」
「静まれ」
第一隊長ローウェルは渋い顔で一喝した。
「カミュー様のご希望だ、これは決定事項である」
更に動揺しながら顔を見合わせて眉を寄せる男たちの中、当のミゲルが一番呆然としていた。が、やがて心得たように落ち着きを取り戻した表情で低く返す。
「───拝命致します、ローウェル隊長」
ローウェルはミゲルを一瞥し、それから散会を命じた。個々は刻限までに出立の準備を果たす。あるものは家族の元に走り、あるものは装備の点検に時を割く。そうした束の間の自由時間なのだ。
最も奥まった場所に席を置いていた若者が最後に立ち上がって扉に向うのを、未だ椅子に腰を落としたままだった第一隊長が呼び止める。
「……ミゲル、おまえは何か思い違いをしているようだ」
「は?」
「此度の任……カミュー様の温情だと思っているのではないか?」
図星されてミゲルは俯いた。
立場上、最前線からは一歩身を退いたところに布陣するであろう騎士団長。確かに彼を警護する役割は重大なつとめであろうが、逆を返せば、己以外に優れた武人が配備される位置は、もっとも安全な場所とも言えるかもしれない。
叙位後間もない自分がそこに置かれたのは、ある意味で危険から遠ざけてやろうというカミューの配慮であるとしか思えなかったのである。
顔つきから察したのだろう、第一隊長は深々と溜め息をついて首を振った。
「……おまえはまだまだカミュー様を理解しておらんようだな」
「どういうことです?」
「戦いで熱くなるのは、何もおまえが敬愛しているマイクロトフ殿ばかりではないということだ」
彼は笑む。
「戦場であの方が後方でのんびりと部下の戦いを眺めておられるだろうと思うなら、考え違いも甚だしいぞ、ミゲル」
ミゲルはぱちぱちと瞬きながら食い入るように上官を見詰めた。
「ええと……その……」
「確かにおまえは新任騎士……腕はともかく経験は著しく不足している。だが、だからといっておまえに楽をさせてくださるほどカミュー様は甘い御方ではないぞ」
そこで笑みを納めた男がゆっくりと立ち上がった。窓辺まで進むと、硝子越しの空を見上げる。この平穏が、続く空の彼方では緊張と闘争に染められるのだ。ローウェルの眼差しは険しかった。
「初陣であることなど理由にならん。あの方は……騎士隊長として臨んだ初陣でそれは凄まじい働きをもって赤騎士団を支えた。今でも忘れない、あれはわたしがあの方に心から跪いた日だったからな」
当時第九部隊長を勤めていた彼は、後から一足飛びに第七部隊長に叙位されたカミューを最初、必ずしも快く思ってはいなかったのだ。上官に関する噂話は何処の部隊にも転がっている。
ミゲルもまた、そうしたローウェルの姿勢の変化を耳にしたことはあった。だが、実際に本人の口から語られる事実は厳正で、若者を震わせるに十分であった。
「だが……戦には勝ったが、我らは負けた。騎士団長を戦没に至らしめてしまったからだ」
そこで彼は振り向き、ミゲルを鋭く睨み付けた。
「わかるか、ミゲル。相手を打ち負かすだけが戦いではない。我らにはあの方をお護りする責務がある。如何なる状況下にあろうと、カミュー様がロックアックスへご帰還出来ねば、そこで敗戦だ」
ごくりと喉を鳴らしてミゲルは頷く。自らの背負わされたつとめの重さが、不意に五体を押し潰しながら広がっていくような錯覚に駆られた。
「すみません……心得違いでした。てっきり、団長が初陣であるおれを、と…………」
「───無理もないが、な」
ようやく表情を緩めた男がポンと若者の肩を叩いた。
「仰っておられたぞ……おまえに期待しているのだ、と。わたしも同じだ、いずれおまえはカミュー様をお支えする大きな力となるだろう」
束の間ミゲルは呆然とし、それから去っていく上官の後ろ姿に慌てて礼を払った。もたらされた響きは若者の熱を掻き立て、絶句させる。
日頃どちらかというと無愛想で、心情など吐露しない自部隊長。そんな男からの激励は、カミューの期待と相まってミゲルを高揚させるばかりである。
部屋を出て行くローウェルの背にもう一度深く頭を下げ、彼は無意識に愛剣の鞘を握り締めていた。
ミゲルが部屋を出ようとしたとき、廊下をやってくる男があった。他団の人間ではあるが、彼は即座に足を止めて丁寧な礼を払った。
逞しい体躯を包む自信と誇り。長きに渡ってミゲルが憧憬を捧げ、今もなお崇拝の揺らぐことなき青騎士団・第一部隊を率いる男。誠実で真っ直ぐな視線を逸らさぬ騎士、マイクロトフが笑って手を挙げた。
「初陣だな、ミゲル」
親しげに呼び掛ける声は豊かだった。
本来、こうして所属の違う上位の騎士と交流することはない。が、マイクロトフはある意味でミゲルの剣の師であり、大いなる目標であった。そして───赤騎士団長に想いを寄せる若者にとって、彼は恋敵でもあったのだ。
「……カミュー団長は自室におられる筈ですが」
「知っている」
マイクロトフはにやりと笑った。
「先ほどローウェル殿にお会いした。おまえが居残っていると聞いたのでな」
ミゲルは怪訝そうに眉を寄せた。
かつて彼はマイクロトフに誓ったことがある。決して報われないカミューへの想いを忠誠と変え、彼のために戦い抜くと。
マイクロトフの来訪が、初陣を迎えた自分に決意の確認を求めるためであろうと判断して、改めて威儀を正して真っ直ぐに男を見詰めた。
「マイクロトフ隊長……おれは此度の出陣において、カミュー団長の近衛を命じられました」
一瞬、意味を量りかねるようにマイクロトフは瞬き、それから納得したように微笑んだ。
「大儀だな、ミゲル」
「はい、機会を与えられたのだと思っています。おれは剣と誇りに恥じぬ戦いをもって……あの日の誓いを遵守します」
「……そうか」
僅かに目を細めたマイクロトフは感慨深そうにミゲルを凝視し、それからふっと苦笑した。
「何か?」
「いや……思い出してな。カミューが初陣のとき、同じことをおれに言い残した」
「団長が……?」
「機会を与えられた───そのときカミューも経験以上のつとめを託されていた。おれはたいそう案じていたのだが、笑いながらそう言っていた……」
反芻しているのか、懐かしげに呟く男の眼差しは温かかった。ミゲルがカミューと同じような価値観を持ち合わせているのが快かったのかも知れない。
ミゲルもまた、偶然にも焦がれる騎士団長との類似を示されて赤面した。慌てて言い募る。
「宜しいのですか? 早くカミュー団長をお訪ねした方が良いのでは……?」
口にしつつ、微かに胸の奥は痛む。それでも、恋心を忠誠で包み込んだことに悔いはなく、この男だからこそ負けを認められるのだと思っている。決して自虐でもなく、へつらいでもなく告げた彼にマイクロトフはゆっくりと頷いた。
「今から行く。だが、まずはこちらの用を済ませてからだ」
「は……?」
戸惑う若者の肩に大きな掌が降りてきた。限りない温かさに満ちた力強さが布越しにミゲルの体内に伝わってくるようだ。そして───呟かれた言葉は若き新任騎士に与える心からの誠意であった。
「剣と誇りがおまえを護るように。無事の帰還を祈っている、ミゲル」
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