2.
「……現在掴み得る情報は以上である」
議事進行を与る赤騎士団副長ランドが締めると、一同に思案の沈黙が流れた。
マチルダ中枢による会議の数刻後、中央棟にある議事室に集められた赤騎士団の要人たちは緊張の中にあった。
ここしばらく、騎士団領は平穏であった。他都市領へ向けての出兵は当然皆無で、久々に身の引き締まる事態に直面しているという実感がどの顔にも現れていた。
特に、これがカミューを騎士団長と戴いて最初の本格的な出陣であるということも緊張に拍車をかけている。地位を駆け抜け、一気に頂点に上り詰めた青年騎士団長。が、彼が戦場でどのような人間であるのか、それを間近に見たものは限られた者だけなのだ。
ただ、ミューズからの書状には様々な思惑が散りばめられていたため、一気に士気が上がるという訳にいかず、状況が報告されるにつれて一同の表情には当惑が増した。
部下らの反応はおおよそ予想の範疇である。ランドはちらりと横に座る騎士団長を一瞥してから居並ぶ騎士隊長らに視線を巡らせた。早速第一部隊長ローウェルが挙手で応えた。
「幾つか腑に落ちぬ点がございます。何ゆえ、ミューズ市は正式なる援軍の申し出をせず、曖昧極まりない書状を寄越したのでしょう?」
ランドは重く頷いた。
「それは御前会議においてもゴルドー様の疑念の最たるものであった。市軍の大半が遠征に街を空けており、残る部隊のみで目標を撃破出来なかった事態を極力他都市に伏せたい意向があるのではないかと思われるが……」
一応先ほどの到達論を述べた上で、彼は正否を窺うように騎士団長の言を待つ。小さく頷くカミューに安堵したようにランドは続けた。
「ミューズ市はジョウストン都市同盟の盟主、我が騎士団領と同等の軍事力を自負している。相手が予想通り正規ハイランド軍ならば同盟の条項に基づいて援軍出兵要請も出来ようが、述べたように目標の一団の正体は掴めぬままである。拠って、かような婉曲な表現を用いたのではないかと推測している」
「しかし」
意見を挟んだのは第五部隊長グスターだ。
「量りかねます。事実、残存兵で目標を砕けなかった以上、何ゆえミューズ市は沽券に終始するのでしょう」
「───それは今の都市同盟の質だろうね」
初めてカミューが口を開いた。忠節を捧ぐ騎士団長の意見を洩らすまいと一同は身を乗り出した。
「かつてハイランドからの脅威から領土を護るため、都市同盟は築かれた。けれど……現在は微妙に当初の崇高なる理想を失している」
「……と仰いますと?」
「以前のようにハイランドの同盟領侵害が頻繁でなくなった分、団結して理想を実行する理由が薄れてきているということだ」
カミューはしなやかな手を伸ばし、卓上に広げられた一帯の地図を指した。
「ハイランドと隣接するミューズ、そしてマチルダ騎士団領。この地は常に脅威と隣り合わせにある。もっとも、我が騎士団領は国境に深い森が在ることからハイランド総軍の直接進軍はまず考えられない。一方、デュナン湖を挟む各都市も同様だ」
指先が地図を南下する。
「彼らにとってはハイランドよりも赤月帝国……いや、今はトラン共和国か、そちらに対する目の方がよほど過敏だ。それは今回のミューズ市軍出兵要請からも明らかだろう。つまり、実際問題としてハイランドの脅威に直面しているのはミューズだけということになる」
カミューは微かな溜め息をついた。
「……にもかかわらず、今の都市同盟は無条件に他都市のため死力を尽くす関係ではなくなってきている。知っての通り、ゴルドー様は先日来より軍事力による貢献を旨に出資金軽減をお求めになっておられるからね。唯一頼みになる筈の騎士団領の姿勢がこれでは、疑心にも駆られるだろう」
「……確かに、先ほどもゴルドー様はミューズ市に恩を売れと仰せになられましたな……」
ランドが思い返すように小声で呟く。
「これは都市同盟という板の上で繰り広げられる力関係のゲームなのさ。相手に手札のすべてを晒す馬鹿はいない」
一同は得たように成る程、と頷いた。そこで改めておずおずと副長は口を開いた。
「カミュー様……ミューズに恩を売れるとお考えでおられましょうか?」
するとカミューはくすりと笑んだ。
「売りたくとも、買っていただけなければ商いは不成立だよ、ランド」
はあ、と苦笑した上でランドは僅かに眉を寄せた。
「しかし、ゴルドー様は……」
「商いは相手があってこそだ。我らは為すべきつとめを果たすだけ、受け取り方はミューズ次第……それ以上は如何ともし難い」
「───でしょうな」
ようやく納得したのか、表情から曇ったものが消える。
「それにね、わたしには別の考えもある」
改めて口調を厳しくした青年騎士団長は一気に一同の緊張を促した。
「目標の一団はここ……ミューズ市のほぼ真北、ハイランドとの国境の壁を背に位置している。布陣を構えるまでの経緯はさだかではないが、留守部隊とは言え市軍相手に互角以上に渡り合う連中だ。装備・武力……鑑みるに相応の背後があると見て間違いないだろう」
「すると、やはり推測通りハイランド尖兵……」
騎士隊長の一人が呟くのににっこりする。
「ハイランド国内における都市同盟への見方は割れているらしいからね。皇王アガレス・ブライトは主に和平推進派、軍部は好戦派……わたしは今回の一団が軍部による画策ではないかと見ている」
束の間ざわめきが起きたが、鎮まるようにとの副長の促しに再び沈黙が降りた。
「昨今、各都市にはハイランドの諜報部隊が潜り込んでいる筈だ。当然、現在のミューズ市の守備態勢の緩みは報告されているだろう。布陣を張りながら、何故彼らは本格的に侵攻を開始しない? それはあくまで、この画策が都市同盟の軍事力を量るための様子見であるからではないか───」
「するとハイランド軍部はいずれ全面戦争が勃発することを予期していると……?」
第四部隊長ウォールが深刻な顔で言葉を挟む。頷いた上でカミューは肩を竦めた。
「同時に、見ているのかもしれない……実際にミューズ領に侵攻した場合、他都市の軍がどう動くかをね」
途端に第十部隊長エドが声を荒げた。
「す、するとカミュー様……我らはまんまと敵に手の内を晒すことになるのでは?」
やや気性の激し易い男のもっともな困惑にカミューは薄く微笑んだ。
「まあ、そう言うな。いずれにしろ、このまま同盟領に有り難くない客人を留め置く訳にはいくまい? 近隣の住民が不安に戦いているのは事実だ。我ら騎士の最たるつとめは、領民を護り、領土を安寧に保つこと……同盟で結ばれる以上、他都市に向けてであろうと理念は変わらず。それが誇り高きマチルダ騎士団の在るべき姿だろう?」
「……左様ですな、我らは武力持たざる民を護ることを剣とエンブレムに誓った集団。その誇りは自領のみならず、同盟領すべてに寄せるべきものの筈……」
独言のようにローウェルが洩らし、それは一同の総意であるようだった。
「そう、そうした誠意が各都市を結ぶ信頼となる。わたしとしてはミューズ市に恩よりも誠意を買っていただきたいね」
朗らかに締めた騎士団長に、部下たちは深い尊崇の表情を返した。
さて、と深々と背もたれに沈んだカミューは語調を変えて切り出した。
「では、実際の行軍を手短に説明しよう───ランド」
促された副長は咳払いしてから周囲を見回した。
「出立は本日、晩課の鐘と共に。強行軍ではあるが、夜明けまでに関所を臨み、ミューズ領へ入った地点にて陣を張る」
一晩の間に自領土を抜ける。これは機動力を誇る赤騎士団であってこそ可能な進軍であった。
「……軍略はそこで改めて組む」
第三部隊長エルガーが控え目に口を挟んだ。
「綿密な策を持たず、正体不明の敵と対峙するは危険と考えますが……」
ランドはカミューを窺った。言い難そうな副官の様子に笑いながらカミューが応じた。
「この目で確認してもいない相手を前に立てる策はないさ。案ずるな、すでに『目』は放った」
怪訝そうな一同に再びランドが続ける。
「アレンの部隊を先発隊として出立させてある」
第二部隊長アレンは殊に馬術に優れた男である。自然、その部下らも騎馬に絶対の自信を持っている。格別なる敏捷性を誇る部隊が偵察として向っているなら、下手に策を弄する以上に心強いことだ。
一同は当初から不審に思っていた第二隊長の不在にようやく納得し、改めてカミューの打つ手の素早さに感嘆した。
「他に詮議はないか?」
「ひとつだけ」
ローウェルが真っ直ぐにカミューを見詰めながら言う。
「近衛騎士の編成ですが……慣例通り我が第一部隊から選出するということで宜しいでしょうか?」
はたと瞬いたカミューは、そこで苦笑した。
「ああ……忘れていたよ。そう言えばあったね、そんなものが」
部隊から外れて騎士団長の傍らに身を置き、命を賭して自団の戴きを護る騎士。その指揮は副長職が執り、戦いの規模によって人員数を定められる特殊な一団である。
「左様ですな……此度のような不確かな敵を相手にするとあっては、むしろ第一部隊のみならず他部隊からも人員を割いた方が宜しいかと」
切々と説いたランドに、だがカミューは大仰な溜め息をついた。
「よしてくれ、必要ない。我が身くらいは自分で守るさ」
ひらひらと手を振るのに、ランドはすっと青ざめた。
「なりませぬぞ! 如何にカミュー様の仰せであれ、そればかりは承服致しかねます!」
珍しい副官の勢いに押され、カミューは眉を寄せた。
「ぞろぞろと周囲を固められて……動き難そうじゃないか」
「そうはならぬ者を選出すれば宜しゅうございます。良いな、ローウェル」
厳しい口調に第一隊長も深々と頷く。
「これまでの慣習はさて置き、わたしは部下の影に隠れるつもりはないよ」
「恐れながら、すでにカミュー様は御身お一人のものに非ず。我らのためと思し召してお側付きをお置きください」
同感を示す一同を困ったように見詰め、カミューは息を吐く。
「……妊産婦みたいな言い方をしないでくれ」
騎士団長のぼやきは、しかし場の緊張を緩めるに至らなかった。ローウェルが副長を補足するように言い募る。
「カミュー様……決してカミュー様のご武運を軽んじている訳ではありません。しかしながら、騎士団長とはそれだけの存在であるのです。たとえ首尾良くつとめを果たしたところで、カミュー様に万一有らば戦いは敗北です」
「…………簡単に殺さないで欲しいな」
語調の弱くなった青年に、更に彼は畳み掛けた。
「無論、かようには考えておりません。しかし、戦う我らには拠り所が必要なのです。カミュー様が常にご無事でおられるという安堵を持たねば、赤騎士団は立ち行きませぬ。そのためにも……持てるべき手を講じているという事実は絶対なのです」
「……………………」
「カミュー様ご自身のためと思わず、我らのために……何卒身辺警護をお置きください」
沈痛な礼を取る第一隊長に倣って、次々と部下は頭を垂れた。思案するカミューの横、途方に暮れたような副官がポツリと呟く。
「……どうあってもご承諾いただけぬとあらば……やむを得ませんな、説得可能な御仁に出てきていただく他ありませぬ」
暗に示された男を過ぎらせ、カミューは終に笑い出した。
「脅迫かい? 出陣前にあいつに耳元で喚かれてはたまらないよ」
「……マイクロトフ殿は我らにとって心強い味方となりましょうからな」
「───策士だね、ランド」
目を細めたカミューは嘆息しながら重ねた。
「では、譲歩だ。側付きは五名以下に抑えてくれ。でなければ交渉は決裂だ、わたしは出立まで耳栓をして過ごすことにする」
「ご、五名ですか……?」
絶句したランドだが、困惑したように巡らせた視線をローウェルと交わらせ、最後に渋々と頷く。
「……拝命致します……」
「ああ、それともう一つ……ローウェル」
カミューはにっこり付け加えた。
「その中には彼を入れてくれ」
「彼、と申しますと…………?」
「今年の正騎士叙位試験における主席騎士」
途端に一同は驚愕した。
「ミ……ミゲルですか?!」
つい先頃執り行われた叙位試験にて、類稀なる剣技をもって騎士に迎え入れられた若者。未だ若く、十七歳の新任騎士である。彼の武力は誰もが認めるものであるが、よりによって、何も───と、いずれの騎士隊長らも空いた口が塞がらない。
「し、しかしカミュー様……ミゲルはこの戦いが初陣、それはあまりにも……」
「敵の刃は古参の騎士を避けてくれるかい? 誰もが同等の危険と隣り合わせではないのか? ならば、新任騎士であることは理由になるまい」
「い、いえ……そういうことでは。初陣の不慣れが彼の力量を超えれば……それはカミュー様の危地となり得ましょう」
「言っただろう、己の窮地は己で脱する。初陣であるからこそ得られるものもある……わたしは彼に期待しているんだよ」
仄かに微笑む美貌の騎士団長に、もはや周囲は何も言えなかった。
案ずる心情は変わらない。だが、目を掛けられた若者を羨望すると同時にカミューの絶対の自信を感じ取り、それ以上異を唱えることが叶わなくなったのだ。
直属の上官であるローウェルは深い息を吐きながら重く復唱した。
「近衛騎士の人員は五名……内、一名を正騎士ミゲルと致します───」
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