盾と剣(つるぎ)


頭上に広がる蒼空が疼痛を伴う鮮やかさで視界を覆い尽くしていた。
それは凄まじいまでの重圧で、さながら大地との間に押し潰されそうな錯覚さえもたらす。軽い酩酊に陥って周囲を見回せば、眼に映るのはいずれも普段と異なる、硬く息を詰めた仲間たちの貌である。
鼓動が痛いほどに耳を打ち、やがて耐え難くなった頃、柔らかな声が滑り込んできた。
「……そう硬くなるな」
はっとして見遣る先で涼しげに笑む秀麗な青年。ただ一人、優雅な遠駆けにおける休息でも味わっているかのように飄然と時を過ごしていた赤騎士団長───
「そのうちに嫌でも緊張せねばならなくなる。今からそれでは後が持たない」
「は、はい」
諌められて慌てて自戒したが、次の言葉には苦笑を禁じ得なかった。
「間近にそんな飢えた獣みたいな男がいては落ち着かない。わたしの士気を殺ぐな───ミゲル」
揶揄混じりに言った上官を眩しげに見詰め、マチルダ赤騎士団・第一部隊所属騎士ミゲルは腹の中に凝り固まっていた息を吐き出した。

 

 

 

 

1.

マチルダ騎士団宛にミューズ市より火急の知らせが入ったのは、冬も近い極寒の日のことだった。
騎士団領も席を置くジョウストン都市同盟、それは北方に位置するハイランド王国の脅威から組織された同盟である。強大な軍事国家であるハイランドは古より幾度となくデュナン侵攻を目論み、戦火を交えてきた。デュナン湖を中心に広がる五つの都市、そしてマチルダ騎士団領が手を組み、侵略からこの地方を守ろうとしたのが同盟の始まりであった。
ハイランド王国内でも、在位する君主によって政策方針は多様だ。ここ数年、両者間における大々的な領地戦争は行われておらず、だが、ささやかな紛争は常にあった。狭い地に並び立つもの同士、決して相容れぬさだめに翻弄されるのは必然であったかもしれない。
ミューズ市からの報は、先日来よりハイランドとの領土を分ける国境の壁伝いに鎮座するようになった不審な一団について伝えていた。白騎士団長ゴルドーにあてた市長名義による親書は相当の切迫を感じさせるものであった。
こうした大事の詮議には各騎士団より団長・副長が揃って参加するのが通例である。計六名のマチルダの中枢らは順に回される書状を自らの目で確かめた上で、直ちに討議に入った。

 

「どう思う、カミュー。ミューズは騎士団に出兵を求めておるのか」
ゴルドーが憮然とした表情で再度机に親書を滑らせる。それを手にした若き赤騎士団長は丁寧に目を通した上で穏やかに口を開いた。
「慎重に濁してはありますが……出兵の要請と見て間違いないでしょう」
「ふざけたことを」
ゴルドーは吐き捨て、腕を組んで椅子にもたれた。
「何のために市軍が在る」
「ゴルドー様……ミューズ市軍の主だった部隊は現在セナンへ出兵中です」
やや苦笑しながらカミューが言うと、はたと眉を寄せた騎士団の統括者は鼻を鳴らした。
「そう……そうだった」

 

都市同盟領をハイランドと挟む形で南方に位置している赤月帝国、ここに内乱が起きて数年になる。先日終に解放軍が首都グレッグミンスターを攻略してトラン共和国が成立、解放戦争は終幕を迎えた。
内乱後期、都市同盟に属するティント市・サウスウィンドウ市が混乱に乗じて赤月帝国に侵攻した。モラビア城を中心とする北方地方を占領下に置いたのである。新国家が誕生した今、都市同盟に奪われた領土を奪回する動きが生ずるのは自然の流れだ。それに備え、ティント・サウスウィンドウ両軍はミューズに援軍を求めたのである。
ただ、これは時期尚早の出兵に思われた。
生まれたばかりの国家には為すべき諸々が山積みとなっている。即座に領土奪還へ向けて動き出すのは不可能だろう。が、セナン地方を征圧して南方への足がかりを掴んだ二都市からすれば、何としても奪った地を確保しておきたい願望が強い。結局はミューズ市が折れて、形ばかりの出兵で都市間の均衡を保とうとしたに等しかった。
実際にトラン共和国が領土奪回に向けて立ち上がるには、あと一年は必要だろう。二都市連合軍ばかりか、ミューズ市軍の兵まで賄うだけの兵糧を確保するとなれば、最も近いサウスウィンドウ市が財力の負担を強いられることになる。いずれミューズ市軍は戦わぬまま帰還することになるだろう───それがカミューの見解であった。
『共に手を携えてデュナンに生き抜く』といった都市同盟の理念は歪められ、いつしか力関係と義理、思惑が交錯するようになった。今回のミューズ市軍の出兵は、その顕著な例とも言えるのである。

 

「不審な一団とありますが……ミューズ市は実際、正体を掴んでいないのでしょうか?」
温厚な青騎士団長コルネが静かに口を挟む。それは一同が首を傾げずにはいられない一節である。
「我が誉れ高き騎士団が出向いていって、ならず者の集団であったとなれば……許し難き侮蔑だな」
「……不審には変わりないと思われますが」
軽く笑ってカミューは続けた。
「主戦力が留守とあっても、名だたるミューズ市軍です。生半可なことでは他都市に救援を求めはしないでしょう」
「……するとおまえの見解は?」
「確証は持てませんが……ミューズ市はハイランドの伏兵であると疑っているのではないでしょうか」
「確かに……親書には『数百にも及ぶ集団』と書かれておりますな。盗賊集団にしては多すぎる」
コルネがカミューから回された親書を舐めるように見入った後に同意する。
「しかし、ならば尚のこと、確認の上に援軍を求めるのが筋であろう!」
憤ったように拳を机に打ち付けるゴルドーを宥めるような笑みで一瞥したカミューは小首を傾げた。
「あるいは……確認不可能な状況、とも考えられるかと」
「どういう意味だ?」
「伝統あるミューズ市軍、たとえ留守部隊であろうと盗賊か敵兵かの見極めがつかないというのは不自然です。接近出来ない理由があるか───あるいは」
「……接近して撃破された……」
コルネが後を引き取って呟くのにカミューは軽く肩を竦めた。
「いずれにせよ、事細かに述べたい事実ではないのでしょう。この親書は市軍・騎士団双方に対して実に慎重に配慮された事実上の出兵要請と取るべきと考えます」
「騎士団は同意すべきか?」
あまり面白くないのだろう、ゴルドーは手元に戻ってきた親書を憎々しげに一瞥してから二人に問うた。コルネは一度息を飲んでから頷いた。
「カミュー、おまえはどうだ?」
「……禍の芽は早めに摘むが宜しいかと」
ゴルドーは渋々といった表情であった。
「やむを得んな。今回は多分に外交上の問題も孕んでおる……カミュー、赤騎士団は出せるであろうな?」
事情の流れから予期していた美貌の騎士団長は深淵を湛えた口元を綻ばせた。
「拝命致します、ゴルドー様」
「行け、ミューズ市にたっぷりと恩を売って来い」
「───……御心のままに」

 

 

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何ちゅー説明臭い冒頭だ(遠い目)
おまけに短い。
後程ちと手を入れるかもです。
だが、それよりも何よりも……

……青は何処。

 

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