盾と剣(つるぎ)


14.

「何だ、死に掛けていた割には元気ではないか」
不穏な揶揄を口にしながら姿を見せた男に、ミゲルは手にした食器を置いてまじまじと見入った。
近衛騎士オルテスが、不機嫌さを隠そうともせずに椅子を引き寄せて寝台の傍らに設える。それから彼は眉を寄せて憮然と言った。
「……いい歳をして口の周りについたスープくらい気づかんのか、さっさと拭け」
慌てて拳で口元を拭ったミゲルは改めてオルテスを見詰めた。
「オルテス殿……あなたもお怪我を?」
共にミューズに療養する仲間だったのかと思ったのだが、途端にオルテスは不快も露に言い切った。
「馬鹿を言うな、おまえのようなヘマはしない」
「だったら……」
何故、と口篭もるミゲルは次の言葉に心底驚いた。
「おまえの回復を見届けて共に帰還する」
如何にも不本意だと言わんばかりの声音だが、眼差しは穏やかだった。
「……もう食事が取れるのか」
「は、はあ……」
傷は回復魔法とその後の医術で塞がっている。目覚めてホウアンと語り合い、一息ついた途端に激しい空腹を覚えたミゲルだった。『食欲があるなら何よりです』と、笑いながら卓を整えてくれたため、枕を背に半身を起こし、まずは負担にならない程度にと滋養のあるスープを流し込んでいたのである。
「8日も寝ていたためか、腹が減って死にそうで……」
するとオルテスは初めて苦笑めいたものを浮かべた。
「殺しても死にそうにないな、おまえは」
そこには親愛と呼べるような気配があった。腕を組み、食事を続けろと促す仕草も前とは異なる柔らかさだ。
「すみません、おれの所為で……早く戻られたかった……ですよね」
ミゲルが謙虚に詫びると、オルテスはぞんざいに肩を竦めた。
「まあな。だが……自ら志願したことだし」
「えっ?」
「仕方なかろう、カミュー様をお護りして重傷を負った男の安否は見届ける義務がある。それには同じ近衛だった人間が適任だろうから」
他都市の人間だけに任せっ放しではな、とオルテスは薄く笑う。
「ロックアックスに戻ったら覚悟しろ、おまえは赤騎士には英雄として扱われるだろう。だが、カミュー様にはお叱りを受けるだろうからな」
英雄という言葉に実感が湧こう筈もなく、むしろ後者が気になってミゲルは押し黙った。
「騎士団長の代わりに敵の刃を受けた……その行為は我ら騎士にとっては絶対の価値を持つ。教義でもうたわれているように最高の栄誉であり、羨望の対象ともなる。けれど……しくじったな、ミゲル。カミュー様は決して快く思われないことだろう」
「や、やっぱり……そうでしょうか」
不意に心細くなったミゲルが縋るように取った手に、オルテスはあんぐりと口を開いた。
「ホウアン殿にも言われたんです。団長は怒っているでしょうか……?」
「……だろうな、それも相当に」
振り解かれるかと思われた手は、男のもう片手で宥めるようにぽんと叩かれた。
「隊長が仰っておられた。出陣前におまえに告げた中で一つだけ落としてしまったことがあった、と。たいそう自らを責めておいでだったぞ、後で丁重にお詫びしろ」
「隊長が? 何を……?」
「───『あの方を庇って死んではならない』」
はっとして目を見開く。
「矛盾していると思うだろう。我ら近衛の任を与えられた騎士は、己の身をもってカミュー様をお護りするのが絶対のつとめ……わたしがおまえと同じ立場にあったら、やはり躊躇なくつとめを果たしただろう。だがな、ミゲル。腕を斬り落とされようと足を砕かれようと、我らは生き延びねばならないのだ。もし運が味方せず絶命するとしても、決してカミュー様の御前で息絶えてはならない、それが現在の赤騎士団近衛騎士に課せられた絶対の使命なのだ」
オルテスは窓に視線を向けながら続ける。
「かつてはいざ知らず……あの方が騎士団長に昇られたときに決まった我が赤騎士団の指針だ」
「どうして……」
弱く訊いたミゲルは、だが答えを知っていたような気がした。

 

自らを生かすために死にゆく部下、流れた血がカミューを絡め取らぬため。
冷徹な指揮官でありながら、傷つき易い優しさと自らの安穏を決して許さぬ厳しさを心の奥底に併せ持つ彼のために。

 

「……負傷した際に落馬せぬよう、手綱に腕を絡めていたな、ちゃんと訓練通りに出来たではないか」
ふと、オルテスは調子を変えた。
混戦の最中に落馬することは致命的な危地をもたらす。離脱も出来ず、敵兵に囲まれる恐れがあるからだ。よって、戦闘不能に陥るほど重篤な負傷をした場合、真っ先に落馬を防ぐ手段を講じる。それは実戦訓練で幾度も繰り返された教えだった。
「近衛の場合、もう一つの理由があるのだ。そうやって重傷を負った騎士は、仲間が馬に鞭を入れて戦いの輪から離脱させる───あの方の目の前から逃がすために」
「団長の……ために……?」
「そうだ。あの方のために、だ」
オルテスは断固として言い切った。
「此度の戦いを通じて分かっただろう。あの方が我らに如何程のものを与え、如何程の心を砕いておられるか。ならば我らも応えねばならぬ。無念にも武運に見放されたときは……あの方の盾として屍になる瞬間をお見せしてはならんのだ、ミゲル」

 

何故だろう。
何故、他の男たちが分かっていることを、自分は失念していたのか。
上官の盾となれ、それは騎士団でも当たり前のように教えられる教義である。けれど遺されたものの自責や悔恨、そういったものに言及する教えは何一つない。
例えばゴルドー、彼のように尊大な男なら。
盾となって死んだ部下を褒め称えてくれるかもしれない。歳月が、いつか死んだ部下の名すらも忘れさせていくのは想像に難くない。
けれど、カミューは。
カミューは自らを責め続けるだろう。
感情を露にせぬ彼らしく、身のうちで、心の中で死んだものを悼み続けるだろう。
その葛藤を予期出来るから、赤騎士団は法を作ったのだ。若くして頂点を極めた青年のもたらす大いなる庇護に報いるため、彼を愛するがために。

 

「生きるつもりで足掻き抜いて……それでも倒れたなら、団長は許してくれるのでしょうか……」
「……そうだな」
オルテスは低く同意した。
「カミュー様の御為に死力を尽くし、遥か彼方、馬上で冷たくなったおまえならば───あるいは」
「…………ひどい人だ」
ミゲルは滲んでくる涙を堪えながら微笑んだ。

 

 

それでは死ねないではないか。
息絶える瞬間まで間近で剣を取りたいと願っているのに、そんなことを望まれたら生きるしかないではないか。
常に死と隣り合わせる剣の道を選んだのに、あの人は死ぬことすら許してはくれない。想いの証を立てるためにはひたすら生きて傍に在り続けるしかないのだ。

 

 

「……死神よりひどい人に惚れたんだな、おれは……」
呟いたミゲルの小声を聞き取れず、オルテスは怪訝そうに目を細めた。そんな男にミゲルはすまなそうに口を開いた。
「申し訳ありませんが、オルテス殿……ホウアン殿にスープのお替りを頼んできていただけませんか?」
「何だと?」
先輩騎士である自身を使おうとしている若者を見る瞳は、けれど何処か温かかった。
「いい度胸だな、わたしを従者扱いしようとは」
「一刻も早く体力を戻したいんです」
ミゲルは輝きを取り戻した双眸で笑った。
「流れた血の分を食わないと。頼みます、オルテス殿……あなたも早くロックアックスに戻りたいと思っておられるでしょう?」
虚を突かれたように瞬いて、オルテスは憮然と睨みをきかせる。
「……貴様が暴れ馬の問題児と呼ばれていたのを思い出したぞ。戻ったら当分は使い走りを勤めて貰うからな、新参者め」
如何にも渋々といった態度でオルテスは立ち上がる。しかし扉を開けるときに見せたのは『仲間』に向ける笑顔であった。

 

 

← BEFORE              NEXT →


あ…………あら。
オリキャラしか出てない……。

 

寛容の間に戻る / TOPへ戻る