盾と剣(つるぎ)


11.

城の大広間を開放しての慰労の宴は戦場にて剣を振るった男たちが自らの生存を実感する、心弾む催しである。
敢えてそこから踵を返したカミューは、ひっそりと静まり返った自室への廊下を歩いていた。
足取りは重く、端正な美貌に憂いが潜んでいたが、他団の騎士とすれ違うたびに彼は心情を窺わせない優美な笑みを返しながら歩き続けた。
耳に聞こえてくるのは戦勝と健闘を湛える賞賛。
そのいずれをも振り捨てながら足を進めた彼は、自室の前で立ち尽くしている少年に眉を寄せた。赤騎士団の従者の一人、ラウルという少年である。
年少の騎士予備軍の中でもカミューが最も目を掛け、気に入っている少年は、上官を見た途端に真っ直ぐに背を正した。
「お、お帰りなさいませ、カミュー様!」
「……どうしたんだい、待っていたのか?」
確かに従者は上官の身の回りの諸々の雑用が言いつけられる。今宵、当番に当たったのであろうラウルが、カミューの着替えや夜食・風呂の支度などのためにここに居るのは不自然ではない。
だが、部屋の外でぼんやりとしていたのは、ただ忠誠を捧ぐ青年の戻る瞬間だけを待っていたのだろう。
「もうつとめは終わったのだろう? 休んでいても良かったのに」
微笑みながら言うと、少年は真っ赤になって首を振った。
「あ、あの……ぼく、カミュー様にお話が……」
「わたしに?」
「酒宴を辞退なさったと正騎士の方にお聞きして、それで……」
ああ、と笑いながらカミューは自室の扉を開けた。
「入って待っていればいいのに」
少年は開かれた扉に幾度も躊躇し、それからゆっくりとカミューの後について入室した。
出陣前に美術品の類を売り払ってしまったため、実に殺風景な部屋と成り果てた自室。それでもようやく戻ってきた実感で溜め息を吐くのと少年の掠れた声は同時だった。
「……申し訳ありません、ぼく……考え無しでした。カミュー様はお疲れなのに……、やっぱり失礼します」
「ああ、構わないよ。別に疲れて酒宴を断った訳じゃない。ただ……」
そこで彼は言葉を切った。逡巡し、そして首を振る。
「……で? どうしたんだい?」
改めて向き直ると、ラウルは未だ迷う様子を見せながら一つの包みを差し出した。綺麗に包装されたそれを受け取って怪訝そうに見詰めていると、少年は更に紅潮しながら切り出した。
「お留守の間に書状をお届けするため入室させていただいて……その、あんまり部屋が変わっているのでびっくりしました」
ああ、とカミューは苦笑して綺麗さっぱり何もなくなった壁やソファテーブルを見た。
「出入りの商人の方に、カミュー様が美術品を売り払ったと聞いて……、それが正騎士の皆さんを護る札を買うためだったと……」
そう言えば、商人には特に口止めめいたものはしなかった。それでこんな年少者にまで気を遣わせてしまったのかとカミューは嘆息する。
「皆で相談したんです。カミュー様は御自分のものを売ってまで部下を護ってくださる。だから……お返しをしたい、って」
だが、少年は次第に消沈していくようだった。
「見習いや従騎士の方々も乗ってくださったんです。でも、皆でお金を出し合っても以前の品々には遠く及ばなくて……」
カミューは驚いて包みを見た。
「花瓶……なんです。小さいけれど、良い品だって商人が言ってました。随分おまけして貰ったけど……、でもこの部屋にはやっぱり小さくて、何だか似合わなくて……」
カミューは黙したまま包みを解いた。硬質で繊細な硝子細工の小振りの花瓶が顔を覗かせる。目利きには多少の自信がある彼にも、それが商人の言の通り、かなりの品であることは分かった。
「……やっぱりもっと大きな絵とかにすれば良かったかなって……」
項垂れてしまった少年を見詰めていたカミューは、そっと包み紙を戻しながら訊いた。
「わたしは……おまえたちにそうまでして貰えるような団長かい……?」
ラウルは驚いたように目を見開き、一歩足を踏み出した。
「勿論です! カミュー様はぼくらの憧れで……本当にぼくらのことを大切にしてくださいます。皆、言ってます。カミュー様のためなら命を落としても構わない、全てを懸けてお仕えするって……!」
少年は一気に言い放った。が、ゆっくりと目線を落としていく騎士団長に気づいて言葉を飲む。
「───おまえも? ラウル、おまえもそう思っているか?」
「え……?」
「おまえも……わたしのために死んでもいいと、そう思っているのかい……?」
「は、はい! 心から……」
「だとしたら」
カミューは感情の窺えぬ冷たい琥珀を瞬かせた。
「おまえを赤騎士団の正騎士にする訳にはいかない。それは心得違いというものだ」
吐かれた言葉にぎくりとして、少年は身を強張らせた。
「カミュー……様……?」
「騎士たるもの、上官の盾となって死すは誉れなり……確かに騎士団の教義はそう教えている。けれど、少なくともわたしは───そんなことはありがたくもないし、そうして欲しいなどと思わない」
冷徹とも聞こえる口調で淡々と言いながら、眼差しが窓へと向かう。その先、遥か遠くに在る見えない街を見詰めるかのように。
緊張のあまり固まっている少年に向き直ったとき、すでにカミューは常なる穏やかな笑みを浮かべていた。けれどラウルには、それがひどく切なげなものに見える。
「覚えておくがいい、ラウル。わたしが赤騎士団長である間に騎士に叙位されるつもりなら……決してわたしの盾となろうなどとは考えるな。わたしが欲しいのは剣なのだから」
「剣……?」
間近に寄って優しく肩に置かれた手の温もりにラウルは幾度も目をしばたいた。
「……身を護るための盾ではなく、共に戦い続ける剣。わたしが部下に求めるのは、ただそれだけだ」
「カミュー様……」
「───それが……わたしの騎士団長としての誇りでもあるんだよ」

 

年少ながら聡明なラウルは理解する。
言いながらカミューがミゲルを思っているのだと。
カミューを庇って瀕死の重傷を負い、ミューズから戻らぬ若き新任騎士。身をもって近衛のつとめを果たした彼は、仲間の正騎士らに英雄的な語られ方をされ、すでに従者にも噂は届いている。
経験の浅いミゲルを重要な役割に抜擢した、けれどそれがカミューの判断の誤りとは思わない。ミゲルの実力は赤騎士団の誰もが認めているし、経験は所詮積み重ねるしかないのだ。
そうやって地位を駆け上がったカミューがミゲルに同様を求めたとて、何の責めを負うことがあるだろう。
けれど、この心優しき主君は───

 

「……カミュー様の剣となるよう、一日も早く正騎士になれるよう、頑張ります」
胸を詰まらせながら一言だけを告げたラウルに、カミューは微笑んで頷く。
そこで秘めやかなノックが聞こえた。続いて低い声が問う。
「カミュー、居るか……?」
マイクロトフだった。
ラウルは長居したことを恥じて、慌てて礼を取った。
「そ、それじゃ……ぼくは失礼します。お疲れでしょうが、どうかお夜食はお取りください」
「ああ、ありがとう」
カミューは改めて手にした包みを掲げた。
「これも───ありがとう。とても喜んでいたと……他の者にも礼を伝えてくれるかい?」
「はい!」
返答がないのに焦れたのか、再び呼ばわりながら扉が開いた。精悍な顔は退出しようとするラウルを認めてやや照れたように苦笑し、場を空ける。少年はマイクロトフにも丁寧な礼を取りながら去っていった。
しばし見送っていたマイクロトフだったが、室内に目を戻したときには笑みが消えていた。代わりに眉を寄せ、扉を閉めながらカミューを凝視する。
見返す琥珀に危惧していたものを見出した彼は、足早に歩み寄って正面で足を止めた。だが、もたらされた言葉は静かなばかりだった。
「帰ったよ、マイクロトフ……」
マイクロトフは白い美貌を見据えたまま唇を噛み締めた。

 

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やっとタイトルとリンクしましたです。
青も出てきて青赤っぽい〜(微笑)

ついでに王様vの台詞パロっちゃったv えへ。
次はもっと明確にパロってみるか〜〜vv

 

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