10.
ミューズ近郊とは異なる、肌を突き刺すような冷気に抱かれた北の街・ロックアックス。
マチルダ騎士団の居城最奥の一室では、凱旋した赤騎士団を迎える恒例の御前会議が始まろうとしていた。
予め先触れによって事の次第は報告されている。最高権威者ゴルドーは満悦の表情で背もたれに沈んでいた。
この場に臨むのは各騎士団長・副長、更には最高部隊を与る第一騎士隊長。実際に出陣を果たした赤騎士団からはすべての要人が参席することが慣例であった。
赤騎士団の上層の面々の無事を安堵したように眺めていた青騎士団長コルネだったが、ふと眉を寄せた。それから小声で切り出す。
「……ローウェル殿は如何なさった?」
居並ぶ赤騎士団の騎士隊長のうち、第一部隊長の姿だけが見えない。言葉になって初めて気づいたゴルドーらも怪訝そうに瞬いた。
「ミューズに残留させております」
答えたのは副長ランドであった。
「先にご報告致しました通り、ミューズ市が負傷者の手当てを申し出てくれましたゆえ、我が赤騎士団の代表というかたちで残して参りました」
そうか、とゴルドーは頷いてカミューを見た。やや俯きがちの赤騎士団長が静かに同意の礼を取る。
「いや、しかし……敵も卑劣な罠など仕掛けることの無意味を痛感したに違いない。赤騎士団における戦没者は皆無だったというではないか。これはまったくもってして、奇跡としか言いようがない」
「本当に……見事でしたな、カミュー殿」
心からの感嘆を込めてコルネが、更にはこうした場で発言することすら珍しい白騎士団副長カストールが口にすると、カミューは薄く笑みを浮かべた。
「はい───今のところは」
僅かに掠れたいらえに、ランドを始めとする赤騎士隊長らは案ずるような眼差しをカミューに送った。
「しかしカミュー……不思議なことがある。何故おまえは敵をハイランド領へ逃がした?」
ゴルドーが重々しく訊く。それは先の伝令が戦果を伝えたときから一同の疑問であったのだ。
結局、国境の関所付近を囲んでいたランド率いる別働隊は、関所の張り番を退けさせ、敵をハイランド領へ追い込むことに成功した。あくまでミューズ領に潜伏を目論む敵だけを排除し、逃走するものはそのまま捨て置いたのである。
犠牲者の一人もないほど優位に展開された戦い。敵を完膚なきまでに殲滅させられた筈のものを、何のために長らえさせるような真似をしたのか。勝利によって上機嫌のゴルドーにあって、それは唯一の不満であり、質さねばならない点だった。
「……それに関しまして、ゴルドー様にお願いがございます」
不審を隠そうともしない主君の質疑をやんわりとかわすようにカミューは穏やかに返した。
「わしに……?」
「書状二通、ゴルドー様のご署名をいただきたく……」
カミューは真っ直ぐにゴルドーを見詰める。案の定、疑問でいっぱいになった男は首を傾げている。
「これは我がマチルダ騎士団の最高指導者であるゴルドー様の御名によるものでなければ意味がないのです」
柔らかに自尊心をくすぐられて、ゴルドーはすぐに満面の笑顔となった。
「ふむ、そうか。して、内容は?」
「一通はミューズ市長及び市軍宛……戦いにおける助力と負傷者の看護に対し丁重なる感謝の意を」
「……それは同時に未だ同市に療養する赤騎士への配慮ともなりましょう」
意を汲んだようにコルネが助勢した。
始まりとは打って変わったように協力的な態度を見せるミューズ市に対して礼を取ることは、今後の都市間の関係においても重要なことである。まして現時点で味方騎士が世話になっているとあればカミューの心情は理解出来る、そう考えての言葉であった。
一応は勝者の余裕を見せたいのか、ゴルドーが寛容に同意するのにカミューは再び口を開いた。
「いま一通はハイランド皇王アガレス・ブライト殿宛に」
「何?」
一同に淡い驚きが走るのを無視して彼は淡々と続ける。
「内容は……『ジョウストン都市同盟領下、ミューズ近郊に根城を構えていたならず者の一団が、排斥の際に国境を越えて貴国へ侵入を果たした。同盟領内にて殲滅出来なかったことは不覚にして甚だ心苦しい、くれぐれも御用心あれ』、……と」
ゴルドーは更に困惑を浮かべた。いずれにしろ、頭を下げるような内容の書状を出すような真似は本意であろう筈がない。主君の不満そうな顔を暫し見据えたカミューは、人知れず吐息を洩らしながら付け加えた。
「……敵がハイランド兵の一部であることは明白です。彼らはならず者を装って同盟領内に根を張り、各都市間の情勢を探っていたと思われます。だとすれば、こちらも動きを考えねばなりません」
疲れたように一旦言葉を切った彼の代わりにランドが続けた。
「ご承知の通り、皇王アガレス・ブライトは穏健派……此度の敵は主戦派の軍部から派生した一団にございます。アガレス皇王に向け、自国内に意を反する者存りとの事実を伝えると同時に、軍部の暴走を牽制する必要があるかと」
「───なるほど」
コルネが首を捻った。
「ならず者を装った敵の意図を逆手に取る訳か」
「左様、こちらが気づいていると知れても良し、騙されたままだと思われても良し……いずれにしろ、小賢しい策などマチルダ騎士団には通じぬという表明だけがあれば宜しいのです」
「アガレス皇王が和平を通すおつもりであるならば、こちらとしては騙された振りを通すのが肝要とも言えますな」
カストールが頷きながらゴルドーを見る。ようやく納得したように張り出した腹を撫でながらゴルドーは同意を見せた。
「……書状はわたしが草案を作成致します。ゴルドー様には内容に目を通された上でのご署名をお願い申し上げます」
「よし、わかった」
そこでカミューは小さく息を吐いた。
何しろ尊大なゴルドーである。書状にあからさまな優位を匂わされては目論みも崩れてしまう。よってカミュー自ら書状を作成することを申し出たのだが、面倒事の嫌いな男らしく、ゴルドーは手間が省けるといった様子で満足そうだった。
「この他、戦の詳細は後程書面にて提出致します故……」
ランドが締めたことで慣例の会議は手短に終了の運びとなった。即座に一座に和やかな空気が漂う。
「では、赤騎士団の御一同には閲兵の間においてゴルドー様のお言葉を賜った後、慰労の酒宴が用意してありますぞ。戦いの疲れを存分に癒されるが良い」
戦に出た騎士は帰還後、最高指導者である白騎士団長から慰労の言を授かり、心ばかりの宴を儲けられるのが慣しとなっている。
宴の準備を任されていた青騎士団副長が朗らかに言ったが、赤騎士隊長らの顔は晴れなかった。いずれも敬愛する騎士団長の横顔を見遣るばかりで重苦しい表情である。
「……? 如何なされた、何か……?」
そこでカミューが静かに言う。
「畏れながらゴルドー様……わたしは酒宴を控えさせていただいても宜しいでしょうか?」
折角の席を申し訳ないのですが、と沈んだ口調で付け加えるのを見て、それまで無言のまま参席していた青騎士団・第一部隊長は微かに眉を顰めた。
「どうした、カミュー。気分でも悪いのか」
お気に入りである青年騎士団長の辞意にゴルドーは顔をしかめたが、カミューは緩やかに首を振った。
「いえ……ただ、草案の作成もありますし……」
「待たれよ。言われてみれば、少々顔色がお悪い。お疲れか、カミュー殿」
カストールが案じる口調で問う。カミューは薄い苦笑を浮かべた。
「騎士団長として初めて臨む対外戦でしたので……」
「おお、無理もないことだ。その上、この見事な戦果……草案も急ぎであろうが、まずは休まれた方が良い」
コルネが若き騎士団長の労を労いながら言うと、ゴルドーも不承不承といった様子で頷いた。
「まあ、気疲れしても已む無いことだ。何と言ってもおまえはまだ若いからな……閲兵後の退出を許可する」
「申し訳ありません。部下一同は御心尽くしを存分に受けさせていただきますので……」
赤騎士隊長らは途端に互いに顔を見合わせたが、ランドの一瞥によって声もなく目を伏せた。
「では、ゴルドー様。どうぞ閲兵の場に……」
青騎士団長の進言で立ち上がったゴルドーは、ちらりとカミューを見遣った。
「ゆっくりと休むがいい、カミュー」
「───ありがとうございます」
他騎士団の要人らが次々と部屋を後にする中、最後に残った青騎士隊長マイクロトフがカミューに静かな目を向ける。カミューは机の一点を見詰めたまま、視線を返そうとはしなかった。やがて諦めたマイクロトフが部屋を出て行くと、後には赤騎士団員だけが残る。
「カミュー様……」
控え目に、だが心からの慰撫を込めて呼んだランドにカミューは小さく苦笑した。
「……そんな顔をするな、まだ全てが終わった訳ではないのだ。おまえたちには部下の働きを労って欲しい」
「カミュー様……」
個々に席を立って自然と集まってきた騎士隊長らに眼差しを向け、カミューは穏やかに微笑んだ。
「……案ずるな、大丈夫だ」
琥珀の瞳がゆっくりと窓を見る。とっぷりと暮れた闇色の中に、ちらちらと舞い降りる白い影。
「おお……冷えると思ったら雪ですな」
第九隊長が独言のように言いながら目を細める。しばし一同は無言で窓の外に見入った。
やがてカミューはひっそりと立ち上がった。
「閲兵が終了したら自室に下がる。後は頼む、ランド」
「カミュー様…………」
なお痛ましげに顔を歪めたまま言葉を探している副官に、彼はもう一度呟いた。
「わたしは───大丈夫だ……」
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