家族の肖像 終章


「抱擁ひとつで元の鞘、か……。それで、その間抜けな道場主の息子はどうしたんだ?」
赤騎士隊長ミゲルが可笑しそうに訊くのに、カーマイアは笑いながら答えた。
「それがね、笑っちゃうんですよ」

 

翌日、カミューは再びエダンの道場を訪れた。見舞いに、と花束を抱えてナジールに面会した彼は、あの優美で繊細な笑顔で同居人の不始末を丁寧に詫びた。
遠目には何度か見かけたことのある青年だったが、間近に対峙するのは初めてである。ナジールは目前で微笑む奇跡の美貌に魅了され、散々詰ってきたことなど綺麗さっぱり何処かへ吹き飛ばしてしまった。
数日後、気の進まぬまま、だがサボるには保護者二人の目が許さず道場に出向いたカーマイアは、迎える門弟仲間の一変した表情に戸惑うことになった。反感の中心にいたナジームが、まず真っ先にカミューを賛美する。取り囲む仲間たちは、先日見せたカーマイアの凄まじい強さに魅せられて、一気に悪意を捨てていた。
以来、彼は再び走って道場に通うようになったのである。

 

「あっさり誑し込まれやがって……情けない奴」
苦笑したミゲルに頷く。
「お陰様で……今でも時折、手紙の遣り取りをする仲ですよ」
二人の戦没を告げたとき、ナジールは外聞もなく男泣きに泣き崩れた。かつて自分が貶めた二人が、真実素晴らしい人間であることをそれからの歳月で実感した男は、失った命のために哀しみを惜しまなかった。
カーマイアとナジールの間、そこにはカミューの望み通り友情が生まれた。今では離れてしまったけれど、再会すればそこに亡き騎士たちの思い出が過ぎることだろう。

 

「それにしても……『息子』ってのは羨ましい立場だよな。他の連中に知れてみろ、おまえ……袋叩きだぞ」
揶揄されて小首を傾げる。
「……そうですか?」
「当たり前だろう」
ミゲルは憮然と正面の肖像を見上げる。
「おはようのキス、おやすみのキス……時には甘ったれて抱きついたり、抱き締めてもらったり。ああ、忌々しい」
「───湯上がりの肌を眺めてみたり……?」
笑いながら返すと、ミゲルの顔が強張った。
「何だって?」
「カミューは結構、そういう無頓着なところがありましたよ。おれの前でも平気で裸でふらふらしてましたから」
ミゲルは真顔で深々と考え込んだ。それから小声で囁く。
「……詳しく聞かせろ」
「それはまた今度」
カーマイアは吹き出した。
「一度に話したらありがた味が薄れるでしょう?」
「可愛くない奴だな、くそっ」
不貞腐れて一度はそっぽを向いたミゲルだったが、すぐに陰険な含み笑いと共に向き直った。
「……おれはカミュー団長とキスしたことがあるぞ」
「えっ……?」
「大人のキスだ。しかも二度」
誇らしげに言うのに苦笑して、肩を竦めた。
「マイクロトフに知られたら殺されますよ?」
「……二度目のときは見られた。危うく殺されかけた」
「本当に?」
得意満面といったミゲルの表情が好ましい。彼にとって、二人は過去になり得ないのだ。今もなお、間近に息衝いている優しい記憶なのだ───

 

 

 

「ミゲル隊長、あなたは前にマイクロトフを目指していたと仰った。でもね、おれは……マイクロトフそのものになりたかった」

 

如何なるときも大きな力で愛する者を守ろうと努めた誇り高き戦士。
武力によって、ではない。豊かな心と誠実な眼差し、温かな腕と力強い意志でカミューとカーマイアを包み込んだ男。
目指すなど、到底無理だ。一生かかっても追いつけない。
だから彼になりたかった。
同じ目でものを見、同じ価値観で信念を貫き、そして───

 

「マイクロトフになって、カミューを安らがせたかったんです」

 

初恋のひと。
美しくて厳しい、鋭い抜き身の白刃のようだったカミュー。
マイクロトフになって彼を守れたらよかった。
微笑ませ、和ませ、満たしたかった。

 

 

「……おまえはおまえさ」
ミゲルがポツリと言った。驚いて見返すと、彼は相変わらず肖像画から目を逸らさずに断言する。
「分かってる、目指したってどうにもならないものはあるんだ。亜流は亜流だ、紛い物で終っちまう。並び立てるような自分自身を磨くのが本当だってことも。だがカーマイア、おまえはあの二人の意志を注がれてきたんだ。マイクロトフ団長に成り代わらなくとも、あの肖像画の横に並ぶくらいは何とかなるんじゃないか?」
見上げたカーマイアの視線の先で、懐かしい面差しがこちらを見ている。
「そうなったら……さながら『家族の肖像』ってところだな」
笑いながら付け加えたミゲルに、薄く微笑み返した。
「ご一緒に如何です? マイクロトフが言ってました、『家族は血じゃない、愛情と信頼が築き上げる関係だ』、と」
「おれ……?」
若き赤騎士隊長はしばし考えて、それからにやりとした。
「……悪くないな。それじゃ、おれたちも彼らみたいに並んで描いてもらうよう、励むとするか?」

 

 

それは遠い未来への夢。
だが、マイクロトフとカミュー、二人の思い出と同じほどに色鮮やかに輝く希望だ。カーマイアは幸福を込めて頷いた。
いつ如何なるときも、同じ未来を見詰める。二人の記した道標を傍らの青年と並んで歩む、そんな人生を二人はどう祝福し、見守ってくれるだろうか。

 

「───てやろうか」
「えっ?」
ミゲルが笑いながら提案した。
「どうせ、その手の思い出はないんだろう? おれがカミュー団長から貰ったキス……ひとつ、おまえに分けてやろうか?」
一瞬呆然としたカーマイアは、首筋を掴んで引き寄せられるに至って初めて狼狽した。
「し、しかし」
「誤解するなよ、おい」
ミゲルは真剣な眼差しで諭した。
「おれだけ二回記憶を持ってる、ってのも不公平だからな。心して味わえ、カミュー団長のキスだぞ」

 

言いながら間近に寄ったミゲルに、終に笑いが零れ出す。
彼は、こういうところではカミューに近い感覚を持っているかもしれない。妙に意固地で、負けず嫌いで。幾つも年上のくせに、時折どこか子供じみた一面を見せる。
本当に、彼と目指す未来は実り多い道程となる気がする……。

 

 

「おい、こら。目ぐらい閉じろよ。まったく、そういうあたりは全然教育されなかったのか?」
「『愛の行為には、相手を想う気持ちがすべてだ』、カミューはそう教えてくれました」
「……なるほど、な」

 

ゆっくりと───
そっと重なった唇は、何処か遠い記憶を蘇らせた。
あれは別れの朝、二人が頬に落としてくれた、涙が出そうに優しかったキス。最後となった『家族』の体温───

 

 

亡き騎士団長の二対の眼差しが見守る中、脳裏に何処までも涼やかな風が流れる草原の風景が広がっていく。
慕わしい年上の友人と共に、いつかその大地に立つ日まで、この温もりを忘れまい。

───それは剣と誇りが繋ぎ合わせる、新たな絆の証なのだから。

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お付き合い、ありがとうございましたv

恒例(←……)の長々後記をご用意してます。
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