家族の肖像 5


気が済むまで走りに走って、とうとうよろめく足が言うことを聞かなくなった頃、辺りには闇が降り始めていた。宵の明星が輝く空を見上げながら草むらに転がった少年は、未だ止まらぬ涙を拳で拭った。
目を閉じても、さっきのカミューの顔が浮かんでくる。あれは怒りだ。おそらく彼の、本気の怒り。

「綺麗……だったなあ……」

ぽつりと呟いてみる。
もともと整った顔立ちが、表情を失ったときにあれほど美しいとは思わなかった。作り物めいた美貌───綺麗ではあるけれど、あんなに悲しいものはない。
必死に笑顔を思い浮かべてみても、無駄だった。一瞬で焼きついてしまったように、脳裏から冷たく凍った表情は消えようとはしない。
昔、どこかで漏れ聞いた寓話のようだ。瞳に氷の欠片を落とされ、感情を凍らせた少年の物語。ならば自分はカミューに氷の刃を刺してしまったのだ。カーマイアは両手で顔を覆った。

 

今頃は、マイクロトフも戻った頃だろうか。
彼は今回の出来事をどう思うだろう。
剣の師である男も、常々語っていた。
自身の力量を見定めることも大事だが、敵に対してもそれを怠るな。対峙した敵に敬意を払え、怒りに任せて武力を振るうな。
それを忘れた自分にどれほど落胆するだろう。

 

「何処へ……行くかなあ……」
あの家を飛び出した以上、また以前のように根無し草の生活に戻る他ない。ほんの少し前まで当たり前だった暮らしを思い出すのは至難だった。彼らに恥じる人生は送りたくない。盗っ人に戻ることなど不可能だ。どこか、住み込みで働かせてくれるところを探そうか。だが、身元も定かではない孤児の受け入れ場所など容易には見つかるまい。
不意に寒さを覚えた。身体だけではなく、心の中までをも冷たい風が吹き抜けていくような感覚。そこで初めてカーマイアは上着も羽織らずに出てきた自分を悟った。
今、身につけている衣服もすべて彼らが与えてくれたものだ。居間に置きっぱなしにしてきた上着も、箪笥に納まっている着替えも、何もかも。身に纏うものはおろか、温かな食事も寝床も、彼らはすべてをくれた。どれほど守られていたかを思い知る。なのに、自分は迷惑しか生まない存在なのだ。
「マイクロトフ……カミュー……」
これからは胸の中でしか呼べなくなる名前を切なく呟く。どうせ別れるなら、何故あんな台詞を残してきたのか。これまでの好意に対する感謝や詫び、置いてきたかった言葉は幾らでもあったのに。

 

胸苦しい物思いを遮ったのは、間近に潜む殺気だった。はっとして身を起こした少年は、いつのまにか周囲を囲んでいる獣の息遣いに愕然とした。
───しまった。
村の外は夜ともなればモンスターの徘徊する危険な領域。こんなところで休んでいないで、さっさと別の村に駆け込むべきだったのだ。しかも、カーマイアは丸腰だった。マイクロトフに与えられた訓練用の剣は、自室に置き去りにしたままなのだ。
全身を強張らせて立ち上がった少年の、夜陰にも利く目に入ってきたのは、数頭のキラードッグだった。必死に記憶の糸を辿った彼は、カミューから与えられた知識から、敵が魔法攻撃を持たぬモンスターであることを拾い上げた。
ならば、勝機はあるかもしれない。培った体術で地道に攻撃を繰り返せば───その間に力尽きさえしなければ。
やるしかない。
死にたくなければ戦うしかないのだ。こんな辺鄙なところを偶然通り掛かる救いの手など期待することは出来ない。一人で立ち向かわねばならないのだ。
「来い、ちくしょう」
張り巡らせた闘気に応じたように、敵の一体が動いた。伸びた首の先に光る牙が胸元を掠める一瞬を突いて、少年は鋭い手刀を見舞った。鍛錬の立会いとは異なり、身体が出来上がっていない、重みのない一撃では与えるダメージも知れている。カーマイアはすかさずもう片手で繰り出した一撃によって、劣る力を補った。
続け様の二撃に多少は怯んだのか、モンスターらは距離を保ったまま攻撃に転じる瞬間を計り始めた。このままでは到底敵わない。確実に先に限界がきてしまう。カーマイアは咄嗟にあたりを見回し、落ちていた短い木切れを素早く取り上げた。
その一瞬の隙をついて飛び掛ってきたキラードッグの赤く開かれた口目掛けて、剣技の突きの要領で握った木切れを押し込んだ。喉元を突かれたモンスターは絶叫と共に転がった。
優勢になったのは一瞬のことだ。仲間が負傷したのに逆上したのか、キラードッグは一斉に攻撃の刃を剥いた。少年の完成されていない体術では、攻撃をかわすことで精一杯だ。そしてそれが時間の問題であることも明らかだった。
終に一体に押し倒されて、剥き出しの牙に覆われた魔物の口が自身の喉に落下しようという刹那、少年は無意識に叫んでいた。
「マイクロトフ……カミュー!!」

 

父も知らず、母もない。
今際の際に叫べる名は、それだけだった。
死を覚悟したカーマイアは、依然本能的に魔物を押し退けようと足掻きながら脳裏に二人を思い浮かべようとした。
そのとき。

 

 

 

不意に身体に乗っていた魔物が大きく横に弾き飛ばされた。震えながらその方向に目を向けたカーマイアは、魔物の傍らに落ちて見覚えのある品に戸惑った。
ひとふりの剣───その鞘は彼が鍛錬用に使っているものに見えたのだ。
どういうことなのかなど考える前に身体が動いた。必死に剣に向かって飛びつこうと弾んだ彼に、だが別のキラードッグが襲い掛かった。利き手でなければ犠牲にしても構わない、咄嗟に判断したカーマイアは左腕で喉元を庇って攻撃を受けようとした。
けれど、その寸前でモンスターは真っ二つに裂けた。飛び散る血飛沫に呆然としながら見上げれば、そこに雄々しく立ちはだかるのは大柄の剣士。

 

「マイ……」
「もたもたするな、剣を取れ!」
鋭い怒声に励まされ、反射的に剣に飛びつく。持ち慣れた鞘を握った途端、全身に力が湧いてくるような気がした。するりと剣を抜いている間に、マイクロトフは更に一体のキラードッグを打ち倒していた。カーマイアの訓練相手をしているときには見せたことのなかった、凄まじいまでの剣戟だ。
大剣ダンスニーは振り下ろされるたびに魔物の悲鳴を誘った。一刀両断、まさに彼の剣は力の奔流だ。見惚れながらもカーマイアは剣を構え、向かってくるキラードッグに覇気を殺がれまいと努めながら渾身の一撃を見舞った。幸いなことに、それは急所を一閃したらしい。仰向けに倒れた魔物は四肢を弛緩させ、やがて砂塵の如く消え失せた。
高揚よりも放心して、カーマイアはその場にへたり込んだ。剣を握った手が震えている。戦いは終った、剣を納めろと思考が命じても、全身はまったく言うことをきかなかった。
ゆっくりと大股で歩く男の気配が近づく。少年の目前で身を屈め、何ものかを拾い上げて朗らかに言った。
「……毒消し、か。どうせなら『こんとんの盾』でも落としていけばいいものを」
拾い上げたアイテムをポイと少年の膝に投げ、屈強の騎士は不敵に笑った。
「なかなか見事な攻撃だったぞ、カーマイア。だが、運に助けられたとも言えるな……まだまだ精進が必要だ」

 

温かな響き───少年の目に、再び熱いものが走った。

 

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ゲットアイテムにケチつける青、
所帯臭いとサブちゃんに指摘されました。
いーじゃん、生活かかってるし〜
ゴージャスな土産を持ち帰りたい年頃なのさ。

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