西に沈む影 中編


それは葛藤の日々だった。

 

デュナン統一戦争が終わり、秩序を失ったマチルダ騎士団を立て直すことに尽力したあの頃は、すべてが輝いていた。けれど暗雲が垂れ込めてきたのは、皮肉にも宿願を目前に控えたときだった。

新たな指導体制の中心となるべき地位に誰に据えるか────

当事者であるカミューからみれば滑稽な論争で、騎士団は二つに割れた。
赤騎士団員は当然の如く、もともと上位にあった赤騎士団の長たるカミューを総指揮官に望み、青騎士団員は最初に同盟に参加を決めたマイクロトフを絶対的に支持した。
長く白騎士団長いう頂点を戴いていた騎士団は、唯一無比の指導者という概念から抜け出すことは出来なかったらしい。
騎士団分裂の危機────それは絶対に許されざる事態である。
再興を志したときから、カミューの中で統率者・マイクロトフの構図は出来上がっていた。古いくびきを最初に打ち破った男は新たなマチルダ騎士団の象徴に相応しい騎士であり、絶対的な指導者として君臨出来るだけの資質を持っている。
そんなマイクロトフを影から支えることこそ自らの最も有意義な位置だと考えていたカミューは、自団の騎士たちが寄せる期待に困惑した。喜ばしく思う反面、それが表立った争いとなることを恐れた。
密やかな情を交わす男が現実に直面する前に行動を起こす必要に駆られ、終にカミューは決断したのだ────騎士団領から去ることを。

 

 

あれが最も正しい道だったか否か、今でも疑問が残らないわけではない。だが、あのときは最善だと信じた。
すべてを共にしようと誓い合った最愛の伴侶。マイクロトフが騎士団長の地位に就くのは至極当然の流れだった。混乱した騎士団を導くにあたって必要なのは、カミューのような知略に秀でた指導者よりも、むしろ彼のようなカリスマだ。
信念に劣るとは思わずとも、マイクロトフの騎士団領への想いの強さはグラスランド出身のカミューとは比較になるまい。
新たな国において騎士団領が担う役割────誇りに基づく信念が支える正義。その礎となる男は、傍らにカミューが在る未来を欠片も疑いはしなかっただろう。
これまで守ってきた二人の位置、マイクロトフが突き進み、カミューが補佐に回るという関係は互いに居心地の良いものだった。だが、それが争いの火種となるのなら是正せねばならない。
あの戦いを通じて悟ったことは、マイクロトフが一人で充分指導者の責をまっとう出来るという事実。突っ走る傾向は残るだろうが、歯止めの存在が消失すれば彼なりに考えもしよう。
もともと地位への執着など皆無のカミューにとって、残された悔いはひとつだった。

 

愛を交わした男を欺いて姿を隠すこと。

 

彼は決してカミューの選ぶ道を望まなかっただろう。打開案を模索し、それが叶わなければ躊躇なくすべてを捨てただろう────カミューのために。
ひとたび決めた以上は後悔せぬ男だとわかっている。だが、騎士団を放棄する選択への是非は、必ずマイクロトフの胸の何処かに澱のように棲み付くに違いない。カミューはそれを見たくなかった。
だからこそ、口を噤むしかなかったのだ。
人知れず彼の地を去る以外、あのときの自分に何が出来ただろう────

 

 

昼過ぎから久々に村を出たカミューは、愛馬が心地良さげに風を切るのに任せて平原を進んでいた。
幾度となく過去を反芻する自身を女々しく思いつつ、そうせずにはいられないのは、治りかけた傷を身食いする獣に似た心情なのかもしれない。

 

 

────あの日のことは今でもはっきりと覚えている。

いつものようにマイクロトフと愛を交わし、そのまま眠りに落ちた男の顔を飽かず眺めた。
普段なら睡魔を誘う行為の疲弊さえ、最後と思えば愛おしく、火照る肌の温もりを噛み締めながら長い夜を過ごした。
離れて生きようと忘れない────凛とした眉、意外に繊細な鼻立ち、意志の強さを感じさせる口元。常に溢れる情熱を湛えて注がれた、今は閉ざされた夜の色の瞳も。
窓から忍び込む薄明かりを頼りに、男の面差しを心に刻み付けた。
これからの長い年月によって、いつかは薄れていく筈の記憶────だが、一瞬でもそれを永らえさせようと祈った。
翌朝、常と変わらず早朝訓練に向かうマイクロトフを寝台から見送った。冷たく凍えた額に優しくくちづけた男は、カミューに潜む決意に気付かず、それが長い離別となるとも知らずに笑みながら扉を出て行った。

────すでに何もかも終わっていた。
信頼出来る自団の要人らに騎士団領を出ることを告げ、引継ぎも済ませてあった。当初顔色を変えて反対した副官をはじめとする要人たちは、だが最後にはカミューの意志を尊重した。彼らにとって、絶対なる指導者の決意は決して曲げられ得ぬものだったからだ。
これで終わった────
二人で求めたロックアックス城下の小さな屋敷、その厩舎からマイクロトフの愛馬の嘶きが聞こえ、やがて蹄の音が遠ざかるのをぼんやりと追いかけながらカミューは思った。
不思議と涙は零れなかった。
本当に大きなものを失うとき、人は感情さえ思うままにならなくなるのかもしれない、そうカミューが悟ったのは最近のことである。
さして多くない荷物を手に、育んだ思い出を慈しみながら屋敷を出た。施錠する小さな金属音が、ロックアックスの街が見えなくなる最後の最後まで耳にこびりついて離れなかった。
やがて降りしきる雪の密やかなさざめきに、それは覆い隠されたのだけれど────

 

 

村に住処を定めてから、一度だけ手紙を書いた。
新しい生活を始めたこと、ただ騎士団のために尽力して欲しいと記した短いばかりの文面を、幾度も直しながら書き上げた。
未練が匂わぬよう、寂寥を感じさせぬよう。
読み返した手紙はひどく素っ気無く、自分ながらに恋人であった男に宛てたものとは思えなかった。
────返事は来なかった。
住処を正確に知らせた訳ではない。だが、手紙を言付けた隊商から、あるいは洩れるかもしれないとも考えた。期待など僅かも持たないつもりであったけれど、それでも落胆はあった。
恨み言や恋情を綴った返事を望んだわけではない。カミューはただ一言が欲しかったのだ。
────意志を認める、という肯定が。
マイクロトフが自分の出奔をどのように受け止め、折り合いをつけたのか。それを知り得ぬままに送った歳月は、これまで過ごしたどの一年よりも長かった。
離れてしまったのは距離だけではないのかもしれない。離れ離れになって、互いの生活が積み重なっていくうちに心まで見失ってしまう関係はこの世にどれほどあっただろう。
自分たちは特別なのだと、絆に寄り掛かり過ぎていたのかもしれない。マイクロトフの沈黙は、カミューにひとつの終焉をもたらした。胸に疼く恋しさを押し殺し、新しい自分を生きる決意を固めさせたのだ。
村人は誰もが温かく、穏やかで静かな日々は単調に流れ行く。

 

だが────

 

馬を止め、照り輝く残照に目を細めた彼は、気付けば北へと視線を巡らせていた。

 

 

これは決して未練ではない。
ただ────燻り続ける執着なのだ。

 

 

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不調の折に書いたものだから
まー説明くさいったらないッス(苦笑)
直そうにも手の入れようがない……。
しかしホントに寒いわ、この赤。
早いところ何とかせにゃ、凍え死にそう。

というわけで、多分次で終わる筈。
頑張れ、自分!!(泣笑)

 

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