真 門 流 総 本 山 本 隆 寺(本堂扁額)
★「都名所圖會」に見る本隆寺
|
天明年間刊「都名所圖會」の本隆寺から
:左図拡大図現在、四方から民家に圧迫されていることを除けば、相対的にはよく伽藍は維持される。
しかし、雰囲気としては荒廃が進んでいることは否めない。
|
2010/12/19追加:
○「花洛羽津根」清水換書堂、文久3年(1863) より
慧光山本隆寺塔中:
玉樹院、是好院、本光院、玉峰院、本栖院、宝珠院、正寿院、本城院、本照院、慶成院、本法院、円随院、証成院、安住院、円光院、一乗院 16ヶ院
花洛の末寺:城南八わた本妙寺などがある。
→ 八わた本妙寺は下に掲載の末寺の項にあり ○大正5年「京都坊目誌」碓井小三郎編記事より(上京第四學區之部)
旧地4,014坪、今3,629坪
是好院・慶成院・宣妙院・玉樹院・正寿院・玉峰院・本法院・本城院(現在と変わらず) 2011/04/29追加:
「洛中法華宗本山寺院の伽藍建築」丹羽博亨(「広島工業大学研究紀要 17 (21)」1983 所収) より
○宝永(1701−)年中(あるいは寛永年中か)の「本隆寺伽藍古図」では
北辺68間、南辺70間、東辺41間余、西辺53間余の境内地をなす。表門は東面し、本堂と祖師堂が並ぶ。本堂北側に客殿・庫裏があり、庫裏の東には学問処と学寮を配する。本堂の前方には番神堂がありその他鐘楼や行者寮などが散在する。塔頭は西・東・北に16ヶ坊がある。
○天明8年
(1788)本隆寺絵図:(図は2003/8/3追加)
当絵図では各堂宇について以下のように記す。
本堂:12間1尺×10間半2尺、入母屋造(明暦3年・1657建立で、天明の大火を遁れる)
本隆寺本堂平面図:7間×7間、入母屋造
祖師堂:6間半×6間半、南北に上り段四方屋根
本隆寺祖師堂平面図:3間×4間、錣葺(天文11年・1542建立)
※2013/10/19追加:本堂・祖師堂は2013年重要文化財指定の答申を受ける。
客殿:一條様故政所の旧殿、7間半×9間半:宝暦8年(1748)政所殿舎を移建、天明の大火で焼失
これ等の立体的資料としては、上掲載の「都名所圖會」及び
「新編法華霊場記・本隆寺」:貞享2年(1685)がある。
なお寺中の配置は多少現在とは異なる。
○天保14年 (1843)本隆寺当時建物絵図:
(図は2003/8/3追加)
寺中は現在の構成とほぼ同一と思われる。 ★概 要
法華宗(真門流)総本山。慧光山と号する。本尊:十界曼荼羅。
※法華宗真門流三本山がある。
妙法蓮華経山平等会寺(鯖江) →越前鯖江の諸寺中
智光山本興寺(武生) →越前武生の諸寺中
恵光山本境寺(小浜)
長享2年(1488)妙顕寺日具上人の弟子日真上人が本迹勝劣を主張して妙顕寺より分立。
※日真大和尚は但馬九日市に生誕す。 →但馬九日市妙經寺<但馬の日蓮宗諸寺中>を参照。
翌延徳元年(1489)に四条大宮に堂舎を建立して、21ヶ本山の一つとして興隆する。
天文法華の法難で焼亡し、堺に逃れ、天文11年(1542)帰洛が許され西陣に再建される。(旧地は幕府が公収)
天正12年秀吉の命で、現在地に移転。
明暦3年(1657)諸堂が完成。
享保15年(1730)の西陣焼け・天明8年(1788)の天明の大火にも本堂のみは焼失を免れる。
本堂以外の現伽藍は天明の大火後の再建。 2014年本隆寺本堂・祖師堂が重文に指定さる。
本堂は承応2年(1653)の火災の後、明暦3年(1657)に再建され、祖師堂も続けて再建される。京都本山中最古の現存する本堂・祖師堂建築である。
★日眞上人略歴
常不軽院と号する。 文安元年(1444)中山権大納言親通の子として、丹波(豊岡市九日市)に生まれる。
宝徳元年(1449)妙境寺の日全を師として入寺し、康正元年(1455)出家する。名を大経房慧光と改める。
文正元年(1466)妙本寺(妙顕寺)の学窓に身を寄せる。本迹の問題について研究を続ける。
長享2年(1488)日真、その同志大林坊日鎮等は一致勝劣を検討し、その結果三十余人は妙本寺を去り、六角西洞院に庵を結んで移る。
次いで、四条大宮に伽藍を構えて本隆寺と称する。ここに日真門流あるいは本隆寺派が別立する。 その頃、本迹一致勝劣の論は激しさを増す。
例えば、明応5年(1496)一致派妙覺寺・立本寺と勝劣派妙蓮寺・本能寺・妙満寺とが妙蓮寺において激しい討論を行う。
延徳元年(1489)日真、武生に弘通し千部読誦会を開催する。 享禄元年(1528)示寂
※本山平等会寺住職の談では、日真は応仁の乱<応仁元年(1467)〜文明9年(1477)>の混乱を避け、丹南(越前丹生郡・今立郡・南条郡)に避難する。これが縁で丹南には真門流の拠点が多くあるとのことである。
しかし、日真が応仁の乱を避けて、丹南に弘教したのかどうかは未確認である。
★本隆寺現況
現伽藍(概要図・・本隆寺案内板写真):2001/05/25撮影:
本隆寺伽藍配置図
無印は2001/05/25撮影、△印は2009/05/09撮影、◇印は2014/05/01撮影、▽印は2016/07/16撮影
本堂・祖師堂・本坊・客殿・南門・東門・西門等が現存。
いわゆる西陣にあり、部分的に駐車場化してはいるが、比較的整備はされている印象である。
南
門 △南 門 ▽本隆寺南門4
△東 門 ◇本隆寺南門3 ◇本隆寺東門2 ▽本隆寺堂宇:堂名不明、東門入り南にある。
▽本隆寺裏門
本堂(桁行7間梁間7間入母屋造り本瓦葺の大堂)
:2014/01/27祖師堂と共に重文に指定される。承応2年(1653)の火災の後、明暦3年(1657)に再建される。
◎本 堂:1972年撮影画像、明暦3年(1657)再建、京都日蓮宗諸山中最古の本堂と云う。
本
堂 △本 堂
◇本隆寺本堂3 ◇本隆寺本堂4 ◇本隆寺本堂5 ◇本隆寺本堂6 ◇本隆寺本堂7
◇本隆寺本堂8 ◇本隆寺本堂9 ◇本隆寺本堂10
▽本隆寺本堂11 ▽本隆寺本堂12 ▽本隆寺本堂13 ▽本隆寺本堂14
▽本隆寺本堂15 ▽本隆寺本堂16 ▽本隆寺本堂17
祖師堂(寄棟造、本瓦葺)本堂と同一時期の再建であろうという。本堂とともに2014/01/27重文に指定される。
祖師堂 △祖師堂
◇本隆寺祖師堂3 ◇本隆寺祖師堂4 ◇本隆寺祖師堂5 ◇本隆寺祖師堂6
▽本隆寺祖師堂7 ▽本隆寺祖師堂8
◇本隆寺客殿 ◇本隆寺客殿庭園
▽本隆寺本坊:入口傍らに「學室」碑が建つ。
▽本隆寺久遠山學室碑:側面に宝暦年中の年紀を刻む。上述のように、宝永(1701−)年中(あるいは寛永年中か)の「本隆寺伽藍古図」では「庫裏の東には学問処と学寮を配する。」とあり、真門流の学問所として「久遠山學室」があり、その石碑が残るものと思われる。
△鐘 楼 ◇本隆寺鐘楼2 ▽本隆寺鐘楼3
△番神・宝蔵・経蔵:左から
▽番神堂・宝蔵
◇本隆寺番神堂 ▽本隆寺番神堂2 ◇本隆寺転法輪堂 ▽本隆寺転法輪堂2
△祖 廟
△歴代碑
◇歴代墓碑 ◇開山上人碑:中央は題目、左は開山日真上人碑、右は二祖日鎮上人碑
塔頭として現在、是好院・慶成院・宣妙院・玉樹院・正寿院・玉峰院・本法院・本城院の8院を残す。
△本城院 ◇本城院2
△玉樹院 ◇玉樹院2
△是好院 ◇是好院2
△正寿院 ◇正寿院2
△本法院 ◇本法院2
△慶成院 ◇慶成院2
◇宣妙院 ◇宣妙院2
◎玉峯院二層塔
本堂はRC製、方3間の2重堂、方形屋根上に大きな如意宝珠(推測)を置き、その上に露盤・相輪を建てる形式を採る。
△玉峯院1 △玉峯院2 △玉峯院3 ◇玉峯院4 ◇玉峯院5
▽玉峯院6 ▽玉峯院7
2014年春、本堂・祖師堂・客殿内部が公開される。(内部は撮影禁止の為、報道発表資料を転載する。)
本隆寺本堂内陣文様
本隆寺祖師堂花天井1 本隆寺祖師堂花天井2 本隆寺祖師堂花天井3 本隆寺祖師堂花天井4
本隆寺祖師堂花天井5 本隆寺祖師堂花天井6 本隆寺祖師堂花天井7
★本隆寺末寺・・・・・判明している部分のみ掲載
○加賀金澤円融寺 →金澤城下の諸寺中
○加賀金澤卯辰慈雲寺 →卯辰山麓の諸寺中
○加賀野田寺町本妙寺 →金沢寺町の諸寺中
○加賀野田寺町本性寺 → 同上
○加賀泉野寺町立正寺 → 同上 越前安保村報恩寺:福井市安保町 →越前の諸寺中
〇越前鯖江下河端妙好庵 →越前鯖江の諸寺中
〇越前鯖江水落法華寺 → 同上 〇越前鯖江妙法寺 → 同上 〇越前鯖江小泉盛隆寺 → 同上 〇本山越前平井平等会寺 → 同上
〇越前鯖江二丁掛本蔵寺 → 同上 越前青野妙祐寺 →越前鯖江の諸寺中
○越前塚町圓明寺 →越前武生の諸寺中
○越前家久本承寺 → 同上 ○越前家久眞浄寺(元は府中本興寺末という) → 同上 ○越前府中常眼寺 → 同上
〇本山越前府中本興寺 → 同上
○越前敦賀妙泉山圓隆寺 →越前敦賀の諸寺中
○丹後西舞鶴本行寺 →丹後の諸寺中
○洛中本久寺
:上立売千本本久寺 →山城の日蓮宗諸寺中
×山城上鳥羽最然寺:昭和50年日蓮宗へ転宗(円満な転宗) → 山城の日蓮宗諸寺中の上鳥羽・下鳥羽の項中
○山城八幡本妙寺:石清水八幡宮東谷下に法華宗本妙寺がある。(但し、石清水八幡宮との関係は認められない。)
→山城八幡本妙寺
○「石清水八幡宮境内調査報告書」2011 より
元禄5年「神社仏閣并坊舎寺庵改帳」
京本隆寺末寺城之内町 御朱印高14石6斗8升 本妙寺
124年以上前永禄12年竹内伊豫建立日吽開基
寺家 御朱印高7石7斗3升 圓珠坊・・廃寺
124年以上前永禄12年竹内伊豫建立日休開基
寺家 御朱印高6石 乗蓮坊・・廃寺
以上2ヶ寺同時同人建立日元開基
○摂津地黄宝林山持経寺 →摂津能勢の諸寺中
○但馬九日市妙教寺 →但馬の日蓮宗諸寺中
真門流開祖日真上人生誕地でもあり、誕生井が残る。
○播磨龍野本行寺 →讃岐の日蓮宗諸寺中
〇讃岐丸亀本行寺 →讃岐の日蓮宗諸寺中
2006年以前作成:2024/10/29更新:ホームページ、日本の塔婆、日蓮上人の正系
|