宝暦「佐渡国寺社境内案内帳 下巻」に見る佐渡の社

宝暦「佐渡国寺社境内案内帳 下巻」に見る佐渡の社(「宝暦の寺社帳 下巻」に見る佐渡の社)

宝暦「佐渡国寺社境内案内帳 下巻」にある371社について、祭神別に社数を集計したのが下記の表である。2012/11/23修正:

佐渡国の社・補足(佐渡における社の特性について)

祭神名 社数 備  考 備考2
熊野権現 48 熊野権現、十二権現、2012/11/23以下を追加し48社に変更(大石村本宮、同新宮各1社追加).
白山権現 46 白山権現.
諏訪明神 42 諏訪大明神.
八幡大菩薩 30 八幡、八幡宮、若宮権現.
山王権現 19 山王権現、八王子、若一王子、客人、十禅師権現、大宮権現、聖真子権現 .
神明 11 ..
天神 11 天神、天満宮、菅原天神.
羽黒権現 10 ..
小田原権現 10 .実態不明
石動権現 10 ..
北山権現 9 北山権現、金北山権現 修験と思われる
尾平権現 8 尾平権現、小平権現、大平権現実態不明
*不明 7 当国延喜式9社など、大半の祭神は復古神道の付会と思われ、祭神は不明
春日明神 6 ..
住吉明神 6 ..
御霊知権現 5 御霊知権現、五礼知権現、御了一権現 実態不明
弁財天 5 ..
気比明神 4 ..
伊豆奈権現 4 .実態不明
大山祇 4 ..
稲荷 3 ..
木神 3 ..
牛頭天王 3 ..
小布施明神 3 .実態不明

上記小計

305 ..
その他 64 祭神数2のもの14社(赤井明神ほか)、祭神数1のもの38社(愛宕ほか)
2012/11/23以下を削除し64社に変更(大石村本宮、同新宮各1社を熊野権現に追加)
.

総合計

371 ..

参考:全国の神社祭神ランキング

宝暦「佐渡国寺社境内案内帳 下巻」にある371社の明細
 ※郡町村、社名、社人・祠官・別当・社僧・社名等は標記資料から転記
 ※略暦・参考欄:
  宝暦「佐渡国寺社境内案内帳 下巻」、「日本歴史地名大系 15 新潟県の地名」(平凡社、1986)、各種Web情報を要約。
 ※祭神:祭神別社数集計に使用
 面積換算・・・ 1歩=1坪、1畝=30歩、1反 =300歩 =10畝、1町 =10反

2012/11/23追加修正:
サイト:み熊野ねっと熊野神社参詣記/新潟県
に掲載されている以下の佐渡熊野権現社(十二権現社)にリンクを設定。
 
12下土村十二権現(これは確証がなく誤謬の可能性あり)、16鹿伏中津川、52戸地、61本屋敷村(千種)熊野権現、69目黒町、73※馬場村(畉田)十二権現、80※渋手村(豊田)熊野権現、92畑本郷熊野権現、93坊ケ浦、110北河内村十二権現、110北河内村十二権現、141真更川村十二権現、111北立島、122,123小野見、126石名、138五十浦、110北河内村十二権現、141真更川村十二権現、189坊ヶ崎村(玉崎)十二権現、194平松、198北松ヶ崎、202歌見、203※北小浦村熊野権現、207岩首、259青木村熊野権現、261武井村熊野権現、284井坪村熊野権現、288江積村十二権現 、293※宿根木村称光寺熊野権現、360,361羽茂大石岡田2社、363羽茂大石、368※丸山村熊野権現

郡町村 社  名 社人・祠官・別当・社僧 略   歴 ・ 参  考 祭 神 社名等

雑多郡




1 相川上山之神 山之神祠官安岡長門守成保 慶長8年相川銀山立始、即銀山之鎮守として勧請、社地7畝10歩、享保8年造営、明和8年社建立。/おそらく 社は、専念寺、源徳寺、法華寺、専照寺、妙音寺などと同様に退転し、跡地のみ残すと思われる。 山神山之神
2 相川下山之神 大山祇祠官安岡長門守成保 銀山の総鎮守、慶長10年大久保長安建立、同12年大山祇を勧請、社地2町7反1畝12歩、祠官長門守屋敷1畝3歩と7畝15歩。/七福神演能絵馬が現存する。絵馬は天保4年(1833)の年紀、佐渡奉行所の地役人七人が墨書されている。明治20年代には能舞台はなくなり(理由不明)、近くの教寿院に新しい舞台ができた記事が『北溟雑誌』(明治22年5月)あると云う。/現存(大山祇神社)
参考:神官安岡成政橘 三喜
大山祇大山祇
3 相川下山之神 八幡祠官佐々木駿河守幸方 元和7年北方竜山へ勧請、寛永2年当駿府屋敷之東へ遷す、享保4年今の地へ遷社、社地7反8畝3歩。/現存(八幡宮) 八幡八幡
4 相川夕白町 神明別当大行院 勧請年月不詳・・・・。/夕白町は山師備前嘉兵衛が開発、のちに夕白と号し、夕白町となる。(なお備前夕白は、慶長12年(1607)塚原根本寺祖師堂を建立。) 神名は延宝(1673-)の洪水で流失する。神明の後はなだれ地となり、明屋敷が続いている。/明神は古くは北沢川の北側の山岸にあったと云う。社地は、買石(製錬業者)池島甚兵衛所有地だったが、ある日半左衛門が霊夢をみて銀山を見立て、大盛りを得た。その報賽として、神明社を勧請。元禄15年(1702)社殿を地主甚兵衛に返還、以後山伏大行院が別当となる。延享3年(1746)現地へ遷す。※明神社は明治維新後「大神宮」と改号し、国家神道「村社」に列し、存続する。/大行院は当山派佐渡触頭で袈裟下70院を有する。大行院は文禄年中渡海、西三川・鶴子と移住し般若院と号す、慶長年中相川へ転じ大行院と改号する。 神明神明
5 相川弥十郎町 天満宮社僧大願寺 時宗四日町大願寺:満松山と号す。貞和元年(1345)遊行七代託阿上人開山、二世託岸(託阿弟子)に佐渡布教を命じ、貞和5年二世託岸道場を開く。当時は真言もしくは天台の寺院であり一山60坊があったと伝え、時宗に転宗したものと伝えられる。 文和4年(1355)遊行八代渡船上人が三崎から府中・橋本の現在地に移し、「橋本道場」と称す。 天正17年(1589)上杉景勝の佐渡攻めで堂宇が焼失、 慶長14年(1609)大久保長安が再建、相川にも大願寺(四日町大願寺16世了任代)を建立、鎮守天神社を祀る。 明治元年相川大願寺廃寺、橋本道場に合併、鎮守天満宮(天神社)も橋本道場へ遷座、現存する。住僧は天満宮の神官となる。大正5年下戸の北野社(慶長6年創建と云う、「佐渡国寺社境内案内帳」には該当する社は無いと思われる。)に合併され、消滅。 天神天満宮
6 御陣屋御囲之内 稲荷社僧真光寺 御陣屋内鎮守、元文4年奉行美濃部茂孝建立、同年金北山別当真光寺快信を以て遷宮。/佐渡奉行所内に稲荷社があった。不詳。 稲荷稲荷
7 相川下山之神 愛宕山権現別当教寿院 別当は天台宗教寿院/下山之神町には佐渡鉱山総鎮守社大山祇神社(通称「山の神」)、八幡社、愛宕山権現(別当教寿院)、禅宗総源寺、真言宗大乗寺、日蓮宗法泉寺、江戸中期には天台宗大光院、天台宗教寿院、禅宗長泉寺、浄土宗厳浄寺、真言宗遍照院があった。/ 愛宕権現は佐渡奉行所の鬼門の鎮護として建立、別当は教寿院/なお寛永13年山之神に東照大権現が創建、明治維新前は御霊屋と称する。東照宮別当は教寿院。愛宕・東照大権現の存在は未確認。 愛宕愛宕山権現
8 相川栄町 風宮大明神社僧大泉寺 社僧禅宗大泉寺/柴町には元和8年(1622)開基禅宗大泉寺、元和6年開基浄土宗専光寺があり、南には寛永3年(1626)創建の風宮大明神と、慶長10年(1605)創建の天神がある。明治元年大泉寺は廃寺、小学校に転用(現信和会館)、信和会館で仏具を保管、昭和29年天満宮は風宮神社と併合、専光寺は浄土宗法然寺と併合。
参考:下相川富崎弁財天(bS7)
風宮風宮
9 相川柴町 天神別当和光院 当国地役人渡辺治郎左衛門正集、慶長10年甲州より守来り此処所に社を建立、明暦2年和光院長栄法印に譲る、社地4歩、安永5年東方山を崩し社地を広げ、本社・拝殿を建立。※なお相川栄町風宮大明神の項bWを参照。 天神天神
10 相川江戸沢 塩釜大明神別当本昌寺 別当天台宗本昌寺/「佐渡相川志」別記:「塩屋町ハ塩浜ニテ上羽田中程ニ塩竈ノ社アリ。寛永六年相川町割定ムル時、農家ハ下戸村ヘ引キ、塩竈ノ社ハ江戸沢本昌寺境内ヘ移セリ」。
※塩屋町の海岸は直煮法による塩釜のあった場所で、塩屋町が形成されたといわれる。 塩竈大明神:文禄元年(1592)塩屋町に勧請、慶長元年(1596)長坂登り口付近に牢屋が建立、江戸沢に遷す。元社地跡と思われる辺りには小祠があると云う。別当は江戸沢天台宗本昌寺、「寺社帳」では「当社往古は塩屋町にて塩を焚き当社を勧請。寛永六巳年当寺へ遷す」。/現存(塩竃神社)
塩竃塩竃大明神
11 相川五郎左衛門町 金毘羅権現社僧万福院 社僧天台宗馬頭山万福院/五郎左衛門町:『佐渡相川志』(宝暦年中1751-)では、「東片側長サ百弐拾九間。元禄ノ検地ニ、町屋敷四反三畝十八歩。寛永年中五郎左衛門ト言フ者開発ス、依テ名トス。」また、同誌絵図には北側から玉泉寺・来迎寺・金剛院・円行寺・万福院・金比羅が描かれていると云う。金剛院と来迎寺の間の沢道の奥には、「檀特山」がある。現在、日蓮宗玉泉寺・同宗円行寺・真言宗金剛院・金刀比羅神社が残る。/永禄3年(1560)讃岐金毘羅別当金剛寺慶順が渡海、最初吉井に勧請、寛永17年(1640)弟子宥順が渡海、現地に移し、五郎左衛門町を開いた山師五郎左衛門が社殿を造営と云う。(「佐渡神社誌」) 金毘羅金毘羅権現
12 下戸村上町 十二権現- 元禄の末此所に百姓惣四郎祠を建て、自然と此所の鎮守となる、鹿伏村良蔵院社を建て・・・。/現存(明治9年熊野神社)
2012/11/23追加:
下記リンク先の鎮座地は下戸村字岩野となっているが、この岩野と上町との関連が資料不足で把握できず、このリンク先の社と上町十二権現が同一である確証は無い。
み熊野ねっと>熊野神社参詣記/新潟県下土村十二権現
熊野十二権現
13 下戸村春日大明神 祠官津田和泉守慶長10年鹿伏村に勧請、蓮華峰寺快空を以て遷宮、元和5年今の地へ遷す、社地6反6畝2歩。/現存(春日神社) 春日春日大明神
14 下戸村善知鳥大明神 祠官市橋伊勢守善知鳥(うとう)は郷名にて、祭神は住吉大明神、慶長5年社建立、相川鎮守 及び下戸ほか7郷の氏神、社地1反8畝歩。/元住吉大明神といわれ、下相川(46)にあった。下相川には元善知鳥屋敷の地名が残る、ただし詳細は不明、現存(善知鳥神社) 住吉善知鳥大明神
15 鹿伏村 神明祠官佐々木越中守 慶長年中鎮座、元和2年今の地へ遷す、社地1反6畝3歩、屋敷2畝歩ほか。/不詳 神明神明
16 鹿伏村 十二権現社人忠兵衛 一説には天和年中勧請と云ふ。/不詳
2012/11/23追加:
み熊野ねっと>熊野神社参詣記/新潟県鹿伏村十二権現
現存する。真言宗泊藤山観音寺東に隣接する。
熊野十二権現
17 大浦村尾(小)平権現 社人半右衛門慶長6年開基、社地2畝1歩。/現存(尾平神社)/祭神は草葺不合尊(産屋の神とされる) 尾平権現小平権現
18 橘村三宮大明神 社僧定福寺 開基大永元年、社地8畝16歩。/祭神順徳天皇第三皇子成嶋親王とする。明治三十九年荒沢神社合併。
三宮神社由緒によれば、順徳天皇第三皇子成嶋親王を祀る三宮村三宮神社(親王大明神)75より、橘光行(三喜)が当地に来て勧請し、石造の御神体を彫刻して当社を創立したという。
確かに延宝4年(1676)橘三喜が来島し、社壇を開いて、各地の神社の社号を改めるなどをしている。
一方
三宮村親王大明神(三宮神社)は別当長徳寺、開基長徳元年( 995)とあり、親王大明神の勧請は慶長八年(1603)という書付がある。
要するに、三宮村と橘村の両三宮神社には関連性はないと思われる。
元来、橘村は近接はするが地形的に宮の浦・橘・差輪の集落(村)かから成り立っていて、元禄初年に、宮の浦・橘・差輪の三ヶ村が合併した時、産土神として三宮として成立したものと思われる。(貞享4年(1719)新境取極め文書には、橘村・宮の浦村は別村となっているという。)また三宮(さんぐう)大明神の元宮は宮の浦の北、長手岬にあったと伝える。
以上であるとすれば、当宮の祭神は、強引に、橘三喜によって、成嶋親王(第三皇子千歳宮)に付会されたものと思われる。
/ 社僧定福寺:橘村浜戸にあり。泡海山と号す、真言宗豊山派、本尊大日如来。開基は不知(寺社帳)。元和9年(1623)一説には天文19年(1550)、本寺曼茶羅寺栄遍法印により、法流の伝授を受けたとあり、三宮大明神の別当であった。古は興福善寺といい、曼茶羅寺末になったとき、定福寺と改号という。境内には隠居の観音堂がある。なお 橘村には三宮大明神・荒沢神社、真言宗定福寺・観音堂・地蔵堂などがある。
三宮三宮
19 稲鯨村神明 社人六郎左衛門天文21年勧請、社地1畝5歩。/不詳 神明神明
20 米郷村神明 社人忠右衛門不詳、社地6歩。/現存(米郷大神宮) 神明神明
21 二見村中宮大明神 権兵衛元和4年吉田卜部家より勧請、社地5反歩。/現存(二見神社)、中宮とは順徳上皇に供奉した女官右衛門佐御局を云う。 中宮明神中宮明神
22 沢根村若宮権現 社人忠兵衛慶長16年勧請、社地2畝3歩。/現在は春日若宮社で春日社と思われる。 春日若宮権現
23 沢根村 白山権現祠官赤塚但馬 不詳、鰐口の銘に慶長18年・・寄進とあり、社地4畝6歩。 白山白山権現
24 沢根村中山 神明祠官赤塚但馬 宝永年中神明勧進、沢根村白山祠官と、同村修験金宝院争論あり、明和8年但馬支配の命あり。 神明神明
25 東五十里 北山権現社人作兵衛 元禄寺社帳不詳、社地10歩 北山権現北山権現
26 西五十里 北山権現社人長右衛門 天文18年勧請、社地2反7畝18歩。/西野に真言宗吉祥寺(金北山別当であった)があったが、昭和47年長安寺に合併。神社は現存(金北山神社)と思われる。 北山権現北山権現
27 田中村天満宮 -慶長2年勧請、社地6畝歩。/不詳 天神 天満宮
28 田中村白山権現 -天文21年勧請、社地18歩。/現存(白山神社)と思われる。 白山白山権現
29 窪田村白山権現 社人多郎右衛門慶長5年勧請、社地4畝21歩ほか。/不詳 白山白山権現
30 窪田村滝宮大明神 別当蓮華院預り元禄寺社帳不詳、社地1反1畝6歩ほか。/不詳、蓮華院も不詳。 滝宮滝宮大明神
31 山田村 白山権現社人新九郎・源十郎 弘仁3年勧請、同村羽黒権現と当社両社に弘法大師作地蔵菩薩有之、社地5反4畝12歩ほか、社人屋敷3畝2歩ほか。 白山白山権現
32 山田村羽黒権現 社人市太夫元禄寺社帳不詳、社地3反5畝6歩ほか、社人新九郎屋敷3畝2歩、源十郎屋敷3畝歩。/社人は本間氏で河原田本間氏の系統と云う、永正4年(1507)及び寛正元年(1460)棟札(記録)が知られる、片貝に現存(羽黒神社)。 羽黒権現羽黒権現
33 二宮村二宮大明神 祠官近藤和泉・森田山城康保4年勧請、社地7反1畝2歩、米10石余、反歩1町7反余、社人屋敷1反歩。/現存(二宮にくう神社)する。祭神は玉島姫(父は順徳上皇・母は右衛門督局)と云う。 二宮二宮大明神
34 真光寺村 金北山権現 別当真光寺 真言主宗真光寺/金北山は佐渡最高峰で北山と呼ばれていた。当然古代から信仰の山であったと推測ができます。 真光寺前身は修験といわれ、当初は清水野の北、本坊沢の地にあったと云われる。 天正17年(1589)上杉景勝が佐渡を制圧、これは北山権現及び上杉謙信(不識院殿真光謙信大居士)の加護とし、真言宗真光寺(初代は快清)を創建、金北山権現の別当とする。 寺地30町9反5畝、石高54石、寺家8坊(東之坊、下之坊、円満坊、田中坊、上之坊、南之坊、坂本坊、脇之坊)と末寺門徒18ヵ寺を有する。 慶長6年(1601)佐渡金山が発見、大久保長安により、白山信仰から勝軍地蔵信仰に改められ、北山も金北山と改称されたと云う。 慶長16年(1611)佐渡代官大久保石見守長安の発願により、仁王門を建立 元和元年(1615)武田家遺臣川崎四郎左衛門元邦の孫中山元忠、方恭が山門を寄進、阿弥陀堂を再建 明治の神仏分離で、別当賢理をはじめ寺家8坊は、復飾・神職となり、真光寺は廃寺となる。 明治12年田中坊は上の坊、東の坊、坂本坊を合わせて再興、昭和17年真田寺と改号。 円満坊も復興し、現円照寺(羽茂村山)として存在するようです。 畑野玉林寺には真光寺鐘楼が残存する。明治7年真光寺から鐘楼20円、梵鐘は70円で買取、鐘楼は現存、梵鐘は戦時に金属供出し失われる。 本坊は金光家として今に伝わるようです。(未確認)/往古は新保大慶寺が別当であったが、上杉景勝の佐渡侵攻後、真光寺が別当となる。山頂には金北山神社があり、将軍地蔵を祀る。近世以前には金北山権現は白山権現の影向であることも考えられるようです。 北山権現金北山権現
35 真光寺村 牛頭天王社人兵部・助太夫 天文12年勧請、社地1畝19歩ほか。/現存(村上神社)と思われる。村上とは真光寺村成立以前の呼称と云う。 牛頭天王牛頭天王
36 平清水村 白山権現- 大同2年勧請。/社は白山神社として現存すると思われる。 白山白山権現
37 上中興村 北山権現- 天長元年勧請、社地8反3畝26歩ほか。/旧地は鳥居元にあり、将軍地蔵を安置、真言宗長国寺が別当であった。明治維新で中興神社と改名、現存する。 北山権現北山権現
38 和泉村荒木大明神 社人本間刑部元亨3年本間氏建立、社地7反1畝20歩、米6石余、反歩2町7反余。/現存(荒貴神社)と思われる、国造大荒木氏の氏神と云われる。あるいは順徳上皇の殯宮を荒貴大明神としたとの説もある。社人は和泉の本間丹後、下矢馳の本間刑部、牛込の小野豊前の3家であった。 荒木明神荒木大明神
39 和泉村天満宮 社人助四郎法華宗本光寺の項、社地7畝14歩。/本光寺は黒木御所跡に隣接する。日蓮宗法教山、正和元年・・・・・・・・・和泉村東に観音、西に弥陀、南に約し、北に天神が鎮座し、それぞれ順徳院の勧請とする。(観音は本光寺に安置とされる。) 天神天満宮
40 和泉村荒気(木)大明神 祠官小野豊前当社は和泉村と一所に候哉。 荒木明神荒木大明神
41 牛込村諏訪大明神 社人勘六郎応永29年勧請、社地1反9畝7歩ほか。/不詳 諏訪諏訪大明神
42 石田村諏訪大明神 -永享3年勧請、社地27歩ほか。/不詳 諏訪諏訪大明神
43 中原村若一王子 社人理右衛門応永31年勧請、社地1反2畝2歩ほか、畑6反余、田5反余、社人屋敷6畝16歩ほか。/現存(中原神社)する。社人は矢田氏。 山王若一王子
44 川原田町 諏訪大明神祠官本間駿河 勧請年月不詳、 一説に信州諏訪より何某当国へ渡海して、今此所諏訪町に住居して建立とも云ふ。天暦元年社領に寄付、同年の日付の古書あり。・・社地5反2畝歩、神主屋敷2畝歩、田5反余、畑2町1反余、鳥居は正徳年中建立、 ・・宝暦7年拝殿焼失。/現存(諏訪神社)。 諏訪諏訪大明神
45 下八幡村 八幡祠官本間三河 康治元年勧請、社地3反歩、米10石余ほか、神主屋敷1反4畝余、式部屋敷1反5畝余、往古は当村全体八幡の社地・・。/現存(八幡神社)、元和9年棟札では「奉造立八幡宮・大檀那鎮目市左衛門」とある。 八幡八幡
46 下相川村 戸河権現別当安養院 慶長6年勧請、往古駿河より戸川何某渡海、日蓮宗本興寺の境内に住して卒す、此に葬る、戸河権現と勧請して慶長6年今の地に遷す、 当村の鎮守とす、社地1畝10歩、中古紀州熊野山より行人当国へ渡海して、此の地の西立岩に不動の形像と月日を穿附置・・。/下相川村戸川山本興寺:駿州富士郡本門寺末、元亀3年建立。戸川何某当国へ流罪、此の地にて死す、ゆえに社を建て戸川権現を勧請、山号を戸川山と称する。※戸川某とは炭焼長者(黄金の発見)伝説の一種とされる。※別当安養院は当山派修験と思われる。/古くは住吉大明神があり、社は下戸村に移り、善知鳥明神 (14)となり、跡地に戸河権現が戸河沢から下りて来て村の鎮守となる。
炭焼藤五郎伝説:藤五郎は戸川某の家臣とも云う。
橘三喜:当社にも橘三喜の介入があったも云う。
戸河権現戸川権現
47 下相川富崎 弁財天支配大泉寺 開基など不詳、禅宗相川大泉寺(相川栄町風宮大明神)の項を参照。/地図によると千畳敷の南 に弁天崎の地名がある。 弁財天弁財天
48 小川村北山権現 -不祥、社地3畝歩。/金北山権現の里宮の一つとされる。/別当は真言宗金剛寺(今は廃寺、元亀3年開基「寺社案内帳」)と云う。 北山権現北山権現
49 達者村白山権現 社人源左衛門天正18年勧請。/口伝では長禄2年(1458)大野村の本間源左衛門が移住し氏神の白山権現を勧請と伝える。現存と思われる。 白山白山権現
50 達者村 十二権現社人三助 寛永19年勧請、社地1畝2歩。 熊野十二権現
51 北狄村羽黒権現 社人佐右衛門天正16年勧請、社地1畝6歩。/現存(羽黒神社) 羽黒権現羽黒権現
52 戸地村十二権現 社人庄兵衛元和8年建立、社地1畝1歩。/当村に六軒釜と云う旧家があり、各々組もしくは単独で北野宮(文禄2年創建)、十二権現(元和8年)、若宮(延宝7年・相川大山祇の安岡長門守の勧請と云う)、不動堂を祭祀していた。明治6年これ等を合祀、熊野神社(現存)となる。
2012/11/23追加:
み熊野ねっと>熊野神社参詣記/新潟県戸地村熊野権現
「若宮神社 熊野神社 北野神社」と名前の並んだ扁額を掲げるというから、社殿は明治に統合されたのであろう。不動堂は手掛りなし。
関連サイト(戸地の公式サイト)では、戸地には武芸「白羽」が伝承され、その由来は以下のように云われる。
戸地の「千仏堂」住職大光坊の創出と伝え、次第に衰微するのを天保年中「千仏堂」に逗留した正覚坊が社の祭行事に仕立てたものでそれが伝承される。
熊野十二権現
53 戸中村山之神 社人源四郎不祥、社地1畝17歩。/口伝では天正年中に畑野から古土源右衛門、鶴子銀山から渡辺孫十郎が上杉景勝の侵攻で移住し、村を開く、山之神社人は古土源右衛門家の一族と云う。 山神山之神
54 南片辺村 白山権現社人勘三郎 慶長5年勧請、社地24歩/現存(白山神社)すると思われる、 白山白山権現
55 北辺辺村 羽黒権現社人豊右衛門 文禄元年勧請、社地2畝25歩。/不詳 羽黒権現羽黒権現
56 北片辺村 山王権現社人権兵衛 不祥、社地4歩。/不詳 山王山王権現
57 北片辺村 若宮権現社人治郎兵衛 不祥、社地4歩。/不詳 八幡若宮権現
58 石花村蘇民将来 社人民部不祥、社地6歩。/現存(素戔嗚神社)する、社人民部は長野民部家で草分百姓の一人と云われる。 牛頭天王蘇民将来
59 後尾村石動権現 社人源四郎・九郎衛門天文7年勧請、社地5畝12歩ほか。/中世、修験の多くが後尾村に入村したと云われる。熊野権現・日野尾権現・ゆするぎ権現・羽黒権現・十二権現の五社御座候と云う。智拳(教)院・金剛院の2家の山伏(当山派)が残る。金剛院は一時佐渡当山派触頭を務める。権現は現存(石動神社)する と思われる。 石動権現石動権現
60 後尾村十二権現 社人四郎左衛門天文17年勧請、社地12歩。/現存(十二神社)する と思われる。山伏智拳(教)院・金剛院が別当であったと推測される。 熊野十二権現
61 本屋敷村 熊野権現社人吉左衛門 天正16年寺社帳開基不詳、社地3反1畝15歩ほか。/現存(熊野神社)と思われる。
2012/11/23追加:
明治22年本屋敷村、西方村、大和田村が合併千種村となる。
千種の熊野権現は本屋敷村のものだけと思われる。
み熊野ねっと>熊野神社参詣記/新潟県本屋敷村(千種)熊野権現
熊野熊野権現
62 新保村八幡 別当大慶寺・祠官本間備前真言宗大慶寺/かっては金北山の別当であった。文永年中(1264-)住僧集が金北山で感得し、八幡宮を勧請。 当初は天台宗であったが、上杉景勝の佐渡攻めによって真言宗に改宗、寺号も当初は雲上寺、その後八幡山阿弥陀院長福寺、享保元年(1716)大慶寺と改号する。八幡宮に隣接する。/ 八幡社は新保八幡神社として現存する。神体は河内誉田八幡社地の砂と云う。砂を入れた箱には寛永2年社僧快照の名が記されると伝える、またかってはこの箱を納めた檀上には甲冑の将軍地蔵が安置されていたとも云う。 八幡八幡
63 新保村 北山権現社人与四右衛門・次郎左衛門 元禄寺社帳開基不詳、舎地7畝14歩ほか。/明治維新で大彦神社と改号と思われる。 北山権現北山権現
64 新保村山王権現 社人与三兵衛元禄寺社帳開基不詳、舎地3畝8歩ほか。/不詳 山王山王権現
65 新保村諏訪大明神 社人掃部元禄寺社帳開基不詳、舎地2畝4歩ほか。/不詳 諏訪諏訪大明神
66 皆川村白山権現 社人勘七郎天正16年寺社帳開基不詳、社地4畝2歩ほか、社人屋敷9畝6歩。/明治40年諏訪明神を合祀、白山神社が現存。 白山白山権現
67 皆川村諏訪大明神 -元禄寺社帳開基不詳、舎地5畝歩ほか。/明治40年諏訪明神は白山神社に合祀される。 諏訪諏訪大明神
68 金丸本郷 引田部明神別当大乗院 当国延喜式9社の内、縁起も無之、社地24歩。御神号大巳貴命。/祭神は社伝で大巳貴命と云う、明治の神社明細帳では猿田彦命とするが、これは延享年中(1744-)橘三喜が納めた神号である。「大日本地名辞典」では阿倍氏一族引田氏(当地開拓者)の祖大彦命を祀るとする。また神社正面から社殿真後は金北山であり、金北山を神体とした大彦命を祀る社であった可能性 もあるようです。
要する当社は「縁起も無之」という訳で、によく分からないというのが実態であろう、式内社であるとは復古神道によって後世適当に付会したものとも思われる。/別当の修験勧性院は明治維新で神職(宮本氏)となる。 別当大乗院とは不詳。
不明大巳貴命
69 目黒町村 熊野権現祠官本間右京・社人弥十郎 不詳、社地9反6畝歩、米5石余、反歩6反余、社人屋敷1反1畝歩、同屋敷1反6畝16歩、社は享保9年建立。/現存(熊野神社)
2012/11/23追加:
み熊野ねっと>熊野神社参詣記/新潟県目黒野村熊野権現
熊野熊野権現
70 河内村飯持神社 社人千之助・与兵衛当国延喜式9社の内、御神号若宇賀能売神、 気化神なり、御膳持須留若宇賀能売神と見えたり、神不知。社地6畝15歩。延宝年中橘三喜社参の節、小き祠の有けるを拝し・・・。/橘三喜の頃(延宝年中)には小祠があった程度で、橘三喜が何か細工(捏造)をしたものと思われる。/現存(飯持神社) 不明
若宇賀能売神
71 大久保村 白山権現別当真禅寺 開基元暦元年。/真禅寺は真言宗豊山派、文清山と号す、本尊大日如来、養和元年(1181)、佐渡に流された文覚上人の開基と云い、庵室の跡が寺になったものと云う。境内11町6反余、米4石余、寺家分1町余、寺家に上の坊、大聖寺、中の坊、田中坊があったが明治維新で廃寺。/白山権現は現存(白山神社)する。大久保諏訪明神を合祀。
/「佐渡国寺社境内案内帳」:蓮華峰寺末寺 大久保村 文学山真禅寺 当寺開基不知、天正元年快喜と云僧、越後国天沢寺より法流伝授と寺社帳に有之、境内11町6反歩、米4石余、反歩1町4反9畝15歩・・・、当社鎮守諏訪大明神、仝白山権現・・・
真禅寺々家 上之坊、中之坊、田中坊、大聖寺・・・
白山白山権現
72 大久保村 諏訪大明神別当真禅寺 元禄寺社帳開基不詳、社地2反5畝27歩。/大久保白山権現に合祀。 諏訪諏訪大明神
73 宮浦村一宮大明神 別当慶宮寺・社人勘左衛門真言宗慶宮寺/慶宮寺は神護山と号す、大同2年(807)開基。国分寺とともに一宮大明神の別当であった。門末・門徒53ヶ寺、寺家寂光坊、等覚坊、明持坊、吉祥坊、国分寺末上之坊、地蔵院、国分寺 末行泉坊があった、寺家は今次大戦後廃寺・移転となる。奥の院に八祖堂がある。慶宮とは順徳上皇第一皇女慶子が当寺で没したことによる。/一宮(いっくう)明神祭神は順徳上皇第一皇女慶子(島照姫命)と云う。しかし佐渡一宮として古代に遡る見解も多いとも云う。 一宮一宮大明神
馬場村2012/11/23追加:
出雲系(櫛御気奴・スサノウ)の十二権現がある。土地では「じゅうにさん」と呼ぶ。
「佐渡国寺社境内案内帳」には馬場村の社の掲載はないが、畉田熊野権現(十二権現)とは旧馬場村の所在と思われる。
明治10年馬場村と北村とが合併し畉田(ふた)村となる。畉田での熊野権現は馬場村のものだけと思われる。
み熊野ねっと>熊野神社参詣記/新潟県馬場村(畉田)十二権現
 →熊野神社(佐渡市畉田)
74 後山村御食神社 社人求馬当国延喜式9社の内、御神号大御気持神・・・往古勧請之地不知、今山崎五郎助と中百姓屋敷に神跡有之と云へ共不詳。/要するに当時すでに退転し不明であったようです。土地では新宮(しんみや)といわれる。社伝では慶安頃までは約2km離れた字新宮にあったが洪水で流失、その後他村の屋敷神同様であったが、寛保3年(1743)当村古屋将監が譲り受け、宝暦5年(1755)現在地に社殿を造営したと云う。→竹田村大膳明神(78)を参照 不明大御気持神
75 三宮村親王大明神 別当長徳寺・祠官鈴木肥前真言宗長徳寺/三宮の親王大明神は別当長徳寺、開基長徳元年(995)とあり、親王大明神の勧請は慶長8年(1603)という書付がある。/当村には9ヶ寺があったが、曹洞宗法幢寺を除き、真言宗長徳寺以下明治初年に廃寺となる。/三宮神社とは近年親王明神と深山神社・ 荒屋の太社(たえしろ)が合祀して成立という。親王とは順徳上皇の第三皇子を云う。
※なお橘村三宮大明神bP8橘三喜を参照
親王親王大明神
76 寺田村小田原権現 社人七郎左衛門・豊助元禄寺社帳開基不詳、社地8反5畝15歩。/現存(小田原神社) 小田原権現小田原権現
77 寺田村白山権現 社人茂兵衛‐/杉崎に現存(白山神社)と思われる。 白山白山権現
78 竹田村大膳大明神 別当大宗院開基正慶元年、社地3反5畝歩ほか、別当屋敷1反6歩、宮百姓屋敷・・。当社勧請の趣意は、日野資朝当国へ流罪、地頭本間山城守預かる、資朝の一子阿新、大膳坊(京都聖護院山伏)を後見とし、当国へ渡る、山城守鎌倉の命により、資朝を誅す、阿新は山城守を怨み、本間三郎を討つ、阿新は越後に脱出、大膳坊は当国に残り、山城守大膳坊を捕え鳩首、然るに大膳坊の霊荒れて妖怪をなす、故に一社を造営して大膳坊に勧請、是より妖怪は静まる。/後山に御食神社があるが、これは宝暦年中の造営であり、到底古代の社とは考えられない。むしろ当社の可能性が考えられる。大宗院に残る慶長5年の検地帳には大宗院持の「御食宮免」の水田5筆が残ると云う。/別当大宗院は明治維新で大膳社の神官(日野家)となる。 大膳明神大膳大明神
79 真野村二所権現 社人長三郎元禄5年開基。/明治5年廃社 二所権現二所権現
80 真野村白山権現 -元禄の寺社帳不詳。/白山神社として現存 白山白山権現
番外 真野村順徳帝山陵守護 真輪寺 真輪寺は明治の神仏分離で廃寺、国家神道真野宮となる。 ..
渋手村2012/11/23追加:
嘉永元年(1848)豊田村と改称。当村には近世には社はない。西三川の西三川小布施明神(項番88)を鎮守とする。
字虫屋敷には佐渡蓮華峰寺末真言宗大光寺境内には寺家円寿院だ別当を務めた薬師堂があった。円寿院は明治維新後、諏訪神社神官となると云う。 →佐渡蓮華峯寺
 ※近世当地には社はなく、また円寿院は明治維新後諏訪神社の神官となるということから、明治維新後の1村1社などの国家神道の思想につながるのであろうか、諏訪神社は明治維新後の祭祀もしくは円寿院が諏訪神社に転用されたものと思われる。
 ※豊田諏訪神社能舞台では「諏訪神社は創立年不詳であるが、正徳2年(1712)には豊田村大光寺内薬師堂境内にあった。明治9年に現在地に遷座。旧村社。」と記載する。
以上によれば、大光寺内薬師堂境内にあった諏訪明神が現在地に遷座し、薬師堂寺家円寿院が還俗神勤したと思われる。
 ※野見知山大光寺のサイトでは「文化2年(1805)渋手大火で類焼の際古記録を焼失、開創年歴は詳細不明。本寺蓮華峰寺古書によれば、弘仁3年(812)空海開基とる。元、大弘寺と称し、安達兵庫正の菩提寺であり、寺家に大福院・金剛院・本覚院・円寿院等があったと云う。天正17年(1589)上杉景勝の佐渡攻略後は越後国西津吉祥寺末となるも、慶安元年当寺住職快慶(蓮華峰寺3世から転住)が蓮華峰寺末寺に転じ、薬師堂及び付属田地を譲り受る。現堂宇は文化8年再建。
本堂山門他薬師堂も現存する。(大意)
み熊野ねっと>熊野神社参詣記/新潟県渋手村(豊田)熊野権現:この熊野権現は諏訪明神の境内社である。
諏訪神社が鎮座、金比羅神社・熊野神社・天満宮が合祀。明治時代に熊野神社が合祀されたとのことである。(佐渡市教委)
諏訪神社では、元々は氏子宅に祀られていた熊野権現が合祀されたと云う。
※参考:個人邸に熊野権現あるいは蔵王権現を祀るのは修験が日本各地に汎波することにより通常見られる光景であろう。
 一例を挙げれば、陸奥應物寺跡の地主であり、應物寺五重塔遺物などを保管する陸奥階上町野沢彦六氏邸には今も熊野権現を祀る堂宇が残る。この堂宇に蔵王権現を祀り、應物寺遺物を保管する。
  →陸奥應物寺(「野沢彦六氏邸の収納庫」の項を参照)、野沢彦六氏邸熊野権現
81 吉岡村惣座大明神 社人半左衛門惣座は総社か。元禄の寺社帳不詳、社地5反5畝28歩。/現存(総社神社)、吉岡初め近隣7ヶ村の惣鎮守とされる。 惣社惣座大明神
82 吉岡村諏訪大明神 社人甚内左衛門元禄の寺社帳不詳、社地6畝2歩。/現存(諏訪神社) 諏訪諏訪大明神
83 吉岡村氏神権現 社人兵三郎開基不詳、社地2畝4歩。/字浜中に現存(滝谷神社) 氏神氏神権現
84 吉岡村白山権現 社人清右衛門社地2畝4歩。/不詳 白山 白山権現
85 吉岡村大目大明神 祠官佐々木豊前社地1畝6歩。/現存(大目神社)、 「佐渡国寺社境内案内帳」では椿尾村(280)に大目神社があったとするが、現在では当社が式内社大目神社と比定される。祭神については大已貴命あるいは大宮売命などの諸説がある。(要するに良く分からないものを実態のあるように付会するということであろう。 復古神道の常套手段である。)
地形上からは古代の生産基盤があったとは思えない椿尾より吉岡の方が妥当性があるだろう。「神社明細帳」では徳治2年(1307)本間遠江守(吉岡地頭)の守神として大目林に遷すとする。
大目明神大目大明神
86 四日町村 若宮八幡- 康元元年勧請、社地(記載なし)その他。/現存(若宮八幡神社)、なお時宗大願寺は当村にある。
相川弥十郎町の天満宮(大願寺)を参照(5)
八幡若宮八幡
87 猿八村八幡 -寛永5年勧請、越敷神社と合殿。 八幡 八幡
88 猿八村越敷神社 -当国延喜式9社の内、御神号埴安神、造化神なり、神跡今は不詳、西三川小布施明神とも云ふ。/神跡不詳とあり、この神社も眉唾と思われる。三宮村荒屋から寛文年中(1661-)に猿八村に遷ったとされるも良く分からない。字東平にあるが、猿八村は基本的に近世初頭に入植・開かれた村で、今も山中であり、ましてや中世以前に社が営まれた地とは到底思えない。 小布施明神埴安神
89 長石村長石大明神 -元禄の寺社帳不詳。/現存(長石神社)、神体は長い石と云う、旧社名は祇園社と云う(祇園市は今も 盛況と云う)。 牛頭天王長石明神
90 新町村神明 祠官佐々木越後慶長5年勧請。/現存(新町大神宮) 神明神明
91 真野(国分寺)村 天満宮祠官中川兵部 天神天満宮
92 畑本郷熊野権現 祠官本間宮内・中川対馬霊亀2年勧請、社地4反7畝9歩、米13石 7斗5升9合2勺、
・・・(内訳は略)・・・、神主宮内屋敷6畝15歩、対馬屋敷1反1畝6歩、 ・・・。一説に徳治3年(1308)本間左エ門重郎宗忠、畑野村熊野権現正体建立、と本間家の系図に有之。/現存(熊野神社)、ただし元は字注連の内にあったが昭和になって現在地に遷す。
2012/11/23追加:
畑本郷(村)とあるが畑方村と思われる。両村の境界は不明瞭であったと云う。
かっては下畑字注連ノ内に熊野権現があったが、台風で社殿が倒壊し、昭和31年現在地(佐渡郡畑野町大字畑野甲205)に移転する。(真言宗智山派玉林寺の北東に接する。)
明治22年畑本郷村、畑方村、河内村、寺田村、安国寺村が合併して、畑野村となる。
明治37年大字畑本郷と畑方が大字畑野となる。
熊野権現は出雲八束郡熊野村から分祀と伝える。(この項典拠不明)
2012811/22追加:
み熊野ねっと>熊野神社参詣記/新潟県畑本郷 熊野権現
熊野熊野権現
93 坊ヶ浦村 十二権現社人弥七郎 大同元年勧請、社地8畝18歩ほか、永禄2年地頭大塚主膳守社殿建立。/現存(熊野神社)する、また近年長谷寺鎮守白山権現を合祀と云う。
2012811/22追加:
み熊野ねっと>熊野神社参詣記/新潟県坊ケ浦村十二権現
熊野十二権現
94 長谷村白山権現 - 長谷寺鎮守、正保2年建立。/坊ヶ浦村十二権現に近年合祀と云う。※現状、長谷寺伽藍図には白山権現の名称は無く、坊ヶ村熊野権現に合祀されたという上項は肯定できる。 白山白山権現
95 小倉村物部神社 社人宇右衛門当国延喜式9社の内、御神号宇麻志麻治命、延暦10年も物部天神従5位と見ゆ、一説には別当不動を勧請とも云ふ、社地1畝5歩。/昭和32年、小倉村四神社統合、中小倉八幡神社・中小倉白山神社・下小倉白山神社・下小倉天神社を当社に合祀。 小倉南ノ河内にある。延喜式内社とされるが、地元でが住吉社と呼ぶ。元禄7年の検地帳に物部社とある。明治初年相川県の時代に県社とされたと云う。 しかしながら、実際は要するに住吉明神であったと思われる。現存。 住吉宇麻志麻治命
96 小倉村八幡宮 社人与五右衛門元禄の寺社帳不詳、社地3畝6歩ほか。/昭和32年物部神社に合祀。 八幡八幡宮
97 小倉村白山権現 社人七郎右衛門元禄の寺社帳不詳、社地1畝26歩。/昭和32年物部神社に合祀。 白山白山権現
98 舟代村十禅師権現 社人佐藤隼人山王7社の第六、社地3反4畝24歩ほか、神主屋敷3畝18歩。/明治7年下村聖真子権現に合祀。 山王十禅師権現
99 栗野江村 加茂大明神祠官東右京・佐藤出雲・斉藤山城 永徳元年勧請、慶長7年・元禄7年社再建立、社地37町8畝10歩、米14石余、反歩3町余、神主屋敷2反8畝歩、5畝6歩、2反1畝8歩、1畝8歩、2反歩。云々。/現北方の大谷派宝池山立蓮寺が別当であったと云う。/現存(賀茂神社)、社伝では中世末まで南4町の字西畑にあった賀茂社(小祠)と現在地にあった金立権現を京都下鴨御祖神社に見立て、合祀したと云う。 賀茂加茂大明神
100 栗野江村 金立権現- 加茂大明神末社、寛永2年再建立。/賀茂神社末社として現存する、祭神は玉依姫。
2010/10/02追加:肥前金立権現の祭神は除福とするから、本来は除福を祀った社かも知れない。
金立権現金立権現
101 栗野江村 諏訪大明神- 不詳、社地3町6反歩、元禄3年再建立。/賀茂神社境内社に諏訪神社があるというから、賀茂神社に統合と思われる。 諏訪諏訪大明神
102 下長木村 若宮八幡社人助左衛門・宗右衛門 不詳、社地1反2歩。 八幡若宮権現
103 大和田村 諏訪大明神- ‐‐/不詳、なお大和田薬師堂があり、薬師12坊が存在した。大境坊・南陽坊・吉祥坊・観正寺(現存)・薬王寺(現存)・宝蔵坊(本覚院.現存)・本行坊・上之坊・下之坊・竜蔵坊・正覚坊(現存)・東林坊(東林寺.現存)・円福寺であった。 諏訪諏訪大明神
104 西方村 八幡社人右京 ‐‐/不詳、現在当地には神社は現存しないと云う。 八幡八幡
105 貝塚村 白山権現- 不詳、社地2畝24歩。/現存(白山神社)と思われる。 白山白山権現
106 貝塚村 三嶋権現社人勘十郎・惣右衛門 不詳、社地2畝24歩。/現存(三島神社)と思われる。 大山祇三嶋権現
107 貝塚村 北山・山王社人吉兵衛・徳左衛門 ‐ /不詳 北山権現北山権現
108 下村聖真子権現 社人甚次郎山王7社の第三、反歩3反6畝28歩ほか、社人屋敷7畝18歩。/明治7年舟代村十禅師権現を合祀、明治11年日吉神社と改号、現存。 山王聖真子権現
109 下村八幡 祠官本間若狭不詳、社地8畝歩。/聖真子権現境内社に八幡社などがあり、この八幡社か? 八幡八幡

加茂郡




110 北河内村 十二権現社人重右衛門 不詳、社地4歩。/本間勘解由左衛門の館があり、中世末勘解由左衛門は十二権現を勧請する。十二権現は現存( 北川内熊野神社)と思われる。
2012/11/23追加:
み熊野ねっと>熊野神社参詣記/新潟県北河内村十二権現
熊野十二権現
111 北立島村 十二権現社人源六郎 慶長3年勧請、社地6畝20歩。/現存(熊野神社)。社人源六郎は村の草分と伝える。
2012/11/23追加:11/25、26文言修正:
み熊野ねっと>熊野神社参詣記/新潟県北立島村十二権現
なお、このページに一見異形な「仏塔」と思われる写真の掲載がある。
この「仏塔」と思われる塔は、明治の神仏分離以前の遺物かとも推測できるものであるが、Webぺージ「相川北立島 熊野神社」 を参照すると「戦没者慰霊塔」であることが分かる。
(11/26現在では、「北立島村十二権現」のページにも「戦没者慰霊塔」の注記がなされている。)
この一見「仏塔」に見えるものは、神仏分離の処置を生延びた遺物ではなく、その名称から、国家神道を拠り所にした造作物と 推定されるものなのである。なお「社殿は平成3年台風で倒壊、翌年の再建」と云う掲載もある。
熊野十二権現
112 入川村 宝正権現社人長四郎 宝生権現、寛正4年勧請、社地16歩。/現存すると思われる。 宝生権現宝正権現
113 千本村 八幡宮社人宗右(左)衛門 永禄11年勧請、社地4畝12歩ほか。/社人宗右(左)衛門は草分衆の一人と云う、社は現存と思われる。 八幡八幡宮
114 千本村 十二権現社人宇右衛門 永禄4年勧請、社地20歩ほか。/社人宇右衛門は草分衆の一人と云う、社は現存と思われる。 熊野十二権現
115 高下村 諏訪大明神社人兵助 天正16年勧請、社地2畝20歩。/承久元年(1219)高野下次郎兵衛が真更川村より移住し、諏訪大明神を勧請と云う、社人兵助は次郎兵衛の子孫と云う、現存(諏訪神社)と思われる。 諏訪諏訪大明神
116 高下村 十二権現社人佐兵衛 文禄元年勧請、社地2畝5歩。/不詳 熊野十二権現
117 田野浦村 入野大明神社人儀左衛門 天正14年勧請、社地7畝10歩ほか。/現存(入野大明神社) 入野明神入野大明神
118 田野浦村 北山権現社人小左衛門 ‐ /明治35年御礼智神社に合祀と思われる。 北山権現北山権現
119 田野浦村 白山権現社人善太郎 天正19年勧請、社地1畝歩ほか。/明治35年御礼智神社に合祀と思われる。 白山白山権現
120 田野浦村 五礼知権現社人六兵衛 天正16年勧請、社地4歩ほか。/神体は浜に流れ寄った杉の株で、草分七人衆の一人である六兵衛と庄次郎がとりがちになり、鋸で分けようとしたら血が滲んだので、あらたかなものと思い、神に祀ったという。なお明治35年御礼智神社に、北山権現・白山権現・愛染明王堂などを合祀。 御霊知権現五礼知権現
121 小野見村 諏訪大明神- 享徳元年勧請。/不詳 諏訪諏訪大明神
122 小野見村 熊野権現- 文明18年勧請。/大谷氏が司る。小野見村は、永禄4年(1561)小野見方と大谷方の両族が合併して成立した村で、小野見方の土地が広いので、村名を小野見としたと云う。小野見方は、天満宮社人の民部(斉藤佐右衛門)や、十二権現社人の斉藤八兵衛などが草分と云い、大谷方は大谷氏一族で構成される。 熊野熊野権現
123 小野見村 十二権現社人八兵衛 延徳4年勧請、社地1畝18歩ほか。/社人は草分斉藤一族とされる。小野見村は、永禄4年(1561)小野見方と大谷方の両族が合併して成立した村で、小野見方の土地が広いので、村名を小野見としたと云う。小野見方は、天満宮社人の民部(斉藤佐右衛門)や、十二権現社人の斉藤八兵衛などが草分と云い、大谷方は大谷氏一族で構成される。 熊野十二権現
2012/11/23追加:
現在小野見村では熊野権現は1社のみ現存すると思われる。この現存する社の情報が下記以外には入手できないので、下記のページの熊野社が上記(項番122、123)の何れであるかは判断を保留する。おそらく何れかの1社は明治維新後退転したかどちらかの1社に合祀されたものと推定される。
み熊野ねっと>熊野神社参詣記/新潟県小野見村熊野権現
124 小野見村 天満宮社人民部 永正元年勧請、社地4歩。/社人は草分斉藤一族とされる。小野見村は、永禄4年(1561)小野見方と大谷方の両族が合併して成立した村で、小野見方の土地が広いので、村名を小野見としたと云う。小野見方は、天満宮社人の民部(斉藤佐右衛門)や、十二権現社人の斉藤八兵衛などが草分と云い、大谷方は大谷氏一族 で構成される。 天神天満宮
125 小野見村 石動権現社人後藤内 天正10年勧請、社地4歩。/社人後藤内は大谷一族と云う。小野見村は、永禄4年(1561)小野見方と大谷方の両族が合併して成立した村で、小野見方の土地が広いので、村名を小野見としたと云う。小野見方は、天満宮社人の民部(斉藤佐右衛門)や、十二権現社人の斉藤八兵衛などが草分と云い、大谷方は大谷氏一族からなる。 石動権現石動権現
126 石名村 十二権現社人八兵衛 寛正4年勧請、社地20歩。
2012/11/23追加:
み熊野ねっと>熊野神社参詣記/新潟県石名村十二権現
熊野十二権現
127 石名村 石動権現社人弥藤左衛門 文明5年勧請、社地25歩。 石動権現石動権現
128 小田村 石動権現社人多郎兵衛 寛正4年勧請、社地28歩ほか。/小田の草分は重立七人衆といわれる左衛門太郎・八郎右衛門・次郎左衛門・平左衛門・甚右衛門らで、稲場左衛門太郎家は通称南とよばれ、石動権現をもち、八郎右衛門は牛王の宮、次郎左衛門は夷の宮をもつ。何れも神体は浜の石 とされる。 石動権現石動権現
129 小田村 諏訪大明神社人池三郎 享徳元年勧請、社地25歩。 諏訪諏訪大明神
130 小田村 牛王之宮社人八郎右衛門 文明13年勧請、社地24歩。/小田の草分は重立七人衆といわれる左衛門太郎・八郎右衛門・次郎左衛門・平左衛門・甚右衛門らで、稲場左衛門太郎家は通称南とよばれ、石動権現をもち、八郎右衛門は牛王の宮、次郎左衛門は夷の宮をもつ。何れも神体は浜の石 とされる。 牛王牛王
131 小田村 夷之宮社人次郎左衛門 永享10年勧請、社地16歩。/小田の草分は重立七人衆といわれる左衛門太郎・八郎右衛門・次郎左衛門・平左衛門・甚右衛門らで、稲場左衛門太郎家は通称南とよばれ、石動権現をもち、八郎右衛門は牛王の宮、次郎左衛門は夷の宮をもつ。何れも神体は浜の石 とされる。 恵比寿
132 大倉村 大幡大明神社人長太夫 当国延喜式9社の内、御神号大股王命、元禄寺社帳には貞観3年とありて・・。/大幡社は吉井の青龍寺村から移座したといふ傅承が國仲地方にあるようです。 /現存(大幡神社)と思われる。社人は菊池三太夫家が世襲、草分の菊池家の地神との見解もある。貞観3年創建や開化天皇孫の伝承などは付会であろう。 不明大股王命
133 矢柄村 十二権現社人多郎兵衛 社地4歩。/草分は5人衆で、四郎左衛門は薬師堂・牛王権現を持ち、石地重兵衛は諏訪明神、本間太郎兵衛は十二権現、森下六右衛門は金毘羅権現を持つと云う。 熊野十二権現
134 矢柄村 牛王権現社人四郎左衛門 社地4歩。/草分は5人衆で、本間四郎左衛門は薬師堂・牛王権現を持ち、石地重兵衛は諏訪明神、本間太郎兵衛は十二権現、森下六右衛門は金毘羅権現を持つと云う。 牛王牛王
135 関村二宮大明神 社人四郎左衛門永禄3年勧請、社地2反2畝歩。/社人本間四郎左衛門は草分の一人、二宮は「にくう」。 二宮二宮大明神
136 関村十二権現 社人弥七郎永禄3年勧請、社地4畝4歩。/社人弥七郎は四郎左衛門の異母弟と云われる。 熊野十二権現
137 関村諏訪大明神 社人孫左衛門永禄3年勧請、社地4畝2歩。/社人孫左衛門は本間四郎左衛門の弟と云う。 諏訪諏訪大明神
138 五十浦村 十二権現社人六郎左衛門 明応7年勧請、社地16歩。/草分は能登天平寺から来たとの伝承がある。
2012/11/23追加:
み熊野ねっと>熊野神社参詣記/新潟県五十浦村十二権現
リンク先(五十浦)では
・・・延享3年(1746)の宗門改帳には、戸口17軒(本百姓11・間人1・名子5)、人数123人(男68人・女56人)、馬11疋、牛48疋とある。現在(平成七年)の世帯数は16戸、人口は32人である。この村は渋谷弥兵衛が草分といわれ、能登の天平寺(石動山天平寺)からきたとの伝承をもつ。地蔵堂は弥兵衛の持仏(本尊は木造の観音様)といわれ、彼は鎮守熊野神社(十二権現)の鍵取でもあるが、氏神参りの際は、かならずこの持仏の地蔵堂を拝んでから行くことになっていたという。なお、この地蔵堂には不動様も祀ってある。弥兵衛の屋敷は垣ノ内にあり、家の前に水量豊かなヤナ清水が湧く。この清水は、通りがかりの弘法大師が濁り水を清水にかえたとの伝説をもち、・・・・
元禄7年(1694)の検地帳では、田五町三反余、畑九反余の村であるが、弥兵衛の田畑面積がその内の一町八反余で、村全体の約三○%を占めている。弥兵衛以外に垣ノ内を所有する四郎左衛門・与兵衛それに反別の多い五郎兵衛などが、古い草分衆ではないかといわれている。
【参考文献】『新潟県の地名』(平凡社)、『佐渡相川の歴史』(資料集四)【執筆者】浜口一夫
 ※石動山修験は佐渡を含む北陸諸国に霞場と持つ(勢力を及ぼす)と云う。
熊野十二権現
139 岩屋口村 岩屋大明神社人弥藤左衛門 天文19年勧請、社地1畝5歩。/村の北に居住する岩屋衆の草分の一人弥藤右衛門が岩屋明神を祀る。 岩屋明神岩屋大明神
140 岩屋口村 土船大明神社人源兵衛 明応7年勧請、社地4歩。/村の南に居住する土船衆の草分船登源兵衛は土舟大明神を持つ。 土船明神土船大明神
141 真更川村 十二権現社人市左衛門 元禄元年勧請、社地12歩。/現存(熊野神社)、社伝では文亀元年(1502)創建とも伝える。▲真更川村 に諏訪神社も現存、神体は風の神といわれる「鎌」といわれる。
2012/11/23追加:
み熊野ねっと>熊野神社参詣記/新潟県真更川村十二権現
熊野十二権現
142 (北)鵜鳥村 石動権現社人三七(長吉) 大永2年勧請、社地12歩ほか。/現存(北鵜島神社)、明治12年改号、元は宮ノ本の宮浦崎にあったが昭和22年津波で流失、同24年現在地に再建。▲三つの神社を合同する。北鵜島村に井ノ花神社、三峰神社(祭神:金北山(将軍地蔵)、秋葉山、湯殿山を祀る) 石動権現石動権現
143 願村石動権現 社人忠四郎 社地4歩。/現存(石動神社)▲明暦3年(1657)能登から勧請。 石動権現石動権現
144 潟端村 諏訪大明神社人兵左衛門 天正寺社帳不詳、社地5反8畝11歩ほか。/現存(諏訪神社)、もとは安養寺の「ほこ田」にあったと云い、正中2年(1325)信濃上諏訪からの勧請と伝える。 諏訪諏訪大明神
145 谷塚村 津留祇権現社人清七郎 元禄寺社帳不詳、社地2反6畝2歩。/島に現存(津留祇神社)、口伝では天福元年(1233)順徳上皇の狩の日に剣を賜り、之を神霊とする。 剣権現津留祇権現
146 谷塚村 小田原権現社人清七郎 社地4畝24歩ほか。/不詳 小田原権現小田原権現
147 長畝村 白山権現社人喜左衛門 ほかに熊野権現有之候由/現存(内牧の鎮守・白山神社)する。 白山白山権現
148 長畝(二方潟)村 気比大明神社人七兵衛 大永2年勧請、社地3反1畝27歩ほか。/文永10年(1273)「沙弥最信奉書」では「気比内巻寺」とある、また敦賀気比神社文書では佐渡に気比神社社領があったと云う。大永2年若狭気比大明神を勧請と伝える、現存(気比神社) 。 気比気比大明神
149 安養寺村 羽黒権現- 社地3反5畝歩。/現存(羽黒神社)、真言宗安養寺が別当であった。※なお羽黒村羽黒権現は当社から勧請したとの説もある。 羽黒権現羽黒権現
150 吉井本郷 神明社人右京 永禄9年勧請、社地3町4反5畝18歩、米8石余、反歩1町5反余ほか、社人屋敷6畝歩。/不詳 神明神明
151 吉井本郷 北山権現社人喜内 永禄9年勧請、社地1反6畝歩、米6石余、反歩7反余ほか、社人屋敷5畝6歩。/明治維新後、唐崎神社と 改号・現存。 北山権現北山権現
152 吉井本郷 住吉大明神社人左近 永禄9年勧請、社地5反1畝24歩ほか、社人屋敷1反3畝6歩。/不詳 住吉住吉大明神
153 吉井本郷 若宮八幡社人助右衛門・又兵衛 永禄9年勧請、社地4反24歩ほか、社人屋敷1反6畝24歩。/不詳 八幡若宮権現
154 水渡田村 稲荷大明神社人清右衛門 元禄社寺帳不詳、社地8畝20歩。/不詳 稲荷稲荷大明神
155 細屋村 三嶋大明神- 元禄社寺帳不詳、社地9反6畝歩。現存(三島神社)、祭神は大山祇命 大山祇三嶋権現
156 青龍寺村 二所権現社人清左衛門 元禄社寺帳不詳、社地5畝26歩。/字高野に現存(ニ所神社)、祭神は天御中主命とするから、明治維新の改作であろう。
なお茂左衛門屋敷の畑地に清瀧寺があり、かっては12坊があった。寺社案内帳には龍蔵坊、西光寺、相運寺、実相坊が見える、ほかに妙法院、不動院、弥光寺、常念坊、善入坊、正覚坊、一貫寺、南坊があったと伝える。
二所権現二所権現
157 長江村 熱田大明神社人式部 当村鎮守/不詳 熱田熱田大明神
158 長江村 熱串彦神社社人式部 当国延喜式9社の内、御神号阿田都久志尼命、加茂氏の祖一名、水の尾明神とも云ふ、往古の宮地川崎村と申し伝へ、今の川崎村にては無之、長江川上を川崎と申不詳、天和2年社建立、正徳4年本社、翌年前殿成就、社地1反3畝18歩ほか。/怪しげな伝来で、付会の臭いがするようです。明治5年上横山村金北山神社(不詳)を合祀。 不明阿田都久志尼命
159 青龍寺(上横山)村 象王権現社人長七 ‐/象王権現とは蔵王権現か、宮林に現存(金峰神社)、蔵王権現と号し、明治6年金峰神社に改号、享保元年現在地に新造。 蔵王権現象王権現
160 下横山村 象王権現社人理右衛門 社地3畝6歩。/象王権現とは蔵王権現か、明治6年下横山神社、明治8年金峰神社と改号、白山権現を合祀。 蔵王権現象王権現
161 下横山村 白山権現社人理右衛門 社地8畝歩。/明治8年蔵王権現に合祀。 白山白山権現
162 釜屋村 熱田大明神社人半右衛門 天正16年社寺帳不詳、社地5畝12歩ほか。/現存(熱田神社) 熱田熱田大明神
163 釜屋村 明見大明神- 天正16年社寺帳不詳、社地1反歩ほか。/不詳 妙見明見大明神
164 釜屋村 天満宮- 社地1反3畝12歩。 天神天満宮
165 加茂村 赤井大明神社人久蔵 天正16年社寺帳不詳、社地2反5畝18歩ほか、社人屋敷3畝15歩ほか。/現存(赤井神社)、祭神素戔嗚尊、別雷命、大已貴尊。 赤井明神赤井大明神
166 加茂村 春日大明神社人仁右衛門 天正16年社寺帳不詳、社地4反9畝4歩ほか、社人屋敷4畝18歩ほか。/現存(春日神社) 春日春日大明神
167 加茂村 諏訪大明神- 天正16年社寺帳不詳、反歩2反7畝11歩ほか、社人屋敷4畝18歩ほか。/不詳 諏訪諏訪大明神
168 加茂村 堀江(内)権現社人九左衛門 堀内権現、天正16年社寺帳不詳、社地5畝歩ほか、社人屋敷1反4歩。/現存(堀内神社)、祭神別雷命、山城愛宕賀茂明神を勧請と云う。 賀茂堀内権現
169 加茂村 赤井大明神社人善左衛門 天正16年社寺帳不詳、社地歩8畝7歩ほか。/不詳 赤井明神赤井大明神
170 歌代村 天満宮- 真言宗安照寺の鎮守と思われる。:鎮守は地頭渋谷重郎左衛門が勧請、寛文元年安照寺仁岡三右衛門秀春再興す。/安照寺は真言宗、文亀2年(1502)開基、縁起によると「加茂の地頭渋谷氏の名代として上洛した舎弟の四郎左衛門は、公家達の前で歌を詠み、その賞として将軍から加茂の土地の3分の1を賜る。」「歌の代わりに賜った土地は歌代と名付けられ、山号を歌代山と称する」一寺を建立する。春日社は安照寺境内にあったが、明治維新後妙見社と合祀し、歌代神社(南河内)となる。 なお夷町檀家佐藤長兵衛家は、大相撲佐渡ヶ獄部屋の源である佐渡ヶ獄猪之助(宝暦5年没)を出し、過去帳等を残す。 天神 天満宮
171 歌代村 妙見大明神社人甚蔵 ‐/天満宮と合祀、歌代神社(南河内)となる。 妙見妙見大明神
172 夷町諏訪大明神 祠官安藤信濃元禄14年本社より出火、記録焼失、享保18年、宝暦9年本社、拝殿建立、社地8畝26歩ほか。/現存(諏方神社)、文禄元年(1592)の勧請と伝える。なお境外社として蛭子神社があり、夷町の総鎮守とされ、明治維新まで当山派山伏北方院(現存)が別当であった。 諏訪諏訪大明神
173 湊町若宮八幡 社人九郎左衛門元禄社寺帳不詳、社地5畝10歩、社人屋敷1畝10歩。/現存(若宮八幡神社)、享保16年棟札から本殿は佐渡奉行松平兵蔵の建立とされる。明治維新まで境内には時宗円阿弥寺があったが、明治維新で廃寺。 八幡若宮権現
174 梅津(歌代)村 木下大明神社人吉左衛門 宝暦2年現地に遷宮、安永4年拝殿改築、同12年木花咲耶姫命を分霊。/現存(木下<このもと>神社) 木神木花咲耶姫命
175 小松村 十二権現社人主重郎 ‐/昭和55年熊野神社は白瀬の津上神社(186)に合祀。 熊野十二権現
176 北五十里村 若宮権現社人久兵衛 ‐/現存(北五十里神社) 八幡若宮権現
177 羽黒村 羽黒権現別当正光寺・祠官橋本伊予 別当天台宗正光寺/宝亀元年(770)出羽羽黒山から当地羽黒山(五月雨山)に勧請と云う。あるいは安養寺の羽黒権現(149)の分霊とも云う。保延元年(1135)山麓に移り、慶長13年(あるいは天正18年)に現在地に造営とされる。慶長13年(1608)播州明石の水田与左衛門が宝殿建立、棟梁は備前岡山の富田助右衛門、脇大工は摂津西宮の米山与八郎、大久保長安が検分とある。
/羽黒山正光寺は羽黒権現別当、天台宗であったが、上杉景勝の佐渡入府により、真言宗に改め、寛永17年(1640)寛永寺末になり、天台宗に復帰、寺家東福院・上之坊・中之坊、末寺梅津宝泉寺・梅津普泉寺、椿宝蔵院があった、明治5年廃寺。
※羽黒山銅鐘(重文、永仁3年1295銘)が新穂村神宮寺(273)に現存する。
鐘銘:「佐州羽黒山正光寺奉施入推鐘一口長三尺
右奉鋳志者為陸奥守平朝臣御祈祷併結縁
助成乃至天下法界平等利益故也
銅匠 藤原守重 沙弥 能主 院主僧 信性 敬自
 永仁三年乙未9月日」
◇陸奥守平朝臣は鎌倉幕府連署大仏宣時、沙弥能信は当地の地頭。 明治5年正光寺廃寺の折、末武某が買取、菩提寺である神宮寺(佐渡国分寺末寺)に寄進したものと云う。
羽黒権現 羽黒権現
178 羽黒村 熊野権現社人宗身右衛門 天正16年社寺帳不詳、社地1反4畝12歩ほか、社人屋敷6畝22歩。/明治40年吉住村吉住神社 (184)に合祀。 熊野熊野権現
179 羽黒村 夜長大明神社人吉兵衛 天正16年社寺帳不詳、社地18歩。/駒坂の海岸段丘上に現存(夜長神社)、祭神は天児屋根命、思兼尊で、羽黒の神が当社で夜食を 食ったとの伝承がある。 夜長明神夜長大明神
180 羽黒村 若宮権現- 天正16年社寺帳不詳。/不詳 八幡若宮権現
181 羽黒村 諏訪大明神- ‐/不詳 諏訪諏訪大明神
182 羽黒村 毘沙門社人三右衛門 ‐/不詳 毘沙門毘沙門
183 羽黒村 堀田大明神社人九郎右衛門 天正16年社寺帳不詳。/不詳 堀田明神堀田大明神
184 吉住村 白山権現- 天正16年社寺帳不詳、社地4畝2歩ほか。/現存(昭和14年吉住神社に改称)、明治40年羽黒村熊野権現 (178)を合祀。 白山白山権現
185 椿村荒崎大明神 社人助右衛門永享10年勧請、社地2畝歩。/現存(荒崎神社)、祭神は迦具土命(火の神 と云われる)とされるも、復古神道による典型的な付会であろう、曹洞宗利済庵蔵「宝暦3年大荒神尊号因由記」では「三宝大荒神」を勧請と云う。 三宝荒神荒崎大明神
186 白瀬村 津上大明神社人善四郎 元禄寺社帳不詳、社地3畝2歩ほか。/現存(津上神社)、祭神は住吉三神。※津上とは津守であろうとも思われる。/昭和55年小松の十二権現 (175)を合祀。 住吉津上大明神
187 玉川村 諏訪大明神社人善十郎 社地4歩ほか。/現存(諏訪神社) 諏訪諏訪大明神
188 玉川村 石動権現- ‐/不詳 石動権現石動権現
189 坊ヶ崎村 十二権現社人弥七郎・作兵衛 元禄寺社帳不詳、社地1畝26歩。/現存(熊野神社)
2012/11/23追加:
明治21年玉川村と坊ヶ崎村は合併して玉崎村となる。即ち、坊ケ崎村の地名は玉崎村に引継がれる。
み熊野ねっと>熊野神社参詣記/新潟県坊ヶ崎村 (玉崎)十二権現
 さらに「熊野神社(玉崎)」を合わせ見ると
拝殿内には「十二大権現」の扁額が懸かる、「奉納 坊嵜熊野神社」と書いた連歌が奉納されるとある。
現在の社殿は大正13年再建と云う。
熊野十二権現
190 和木村 石動権現社人長兵衛 元禄寺社帳不詳、社地1畝5歩。/現存(和木神社)、文安3年(1446)能登石動権現を勧請と云う。建御名方命(諏訪明神)と誉田別命を合祀とあるから、諏訪明神・八幡を合祀と思われる。▲合祀は1村1神社の方針によるようです。 石動権現石動権現
191 和木村 八幡- 社地24歩。/上項を参照 八幡八幡
192 和木村 諏訪大明神- 社地2歩。/上項を参照 諏訪諏訪大明神
193 馬首村 気比大明神社人久左衛門 元禄寺社帳不詳、社地4畝歩。/現存(気比神社) 気比気比大明神
194 平松村 十二権現社人鞁重郎 元禄寺社帳不詳。/現存(熊野神社)
2012/11/23追加:
み熊野ねっと>熊野神社参詣記/新潟県平松村十二権現
仏堂風な妻入入母屋造向拝付設の拝殿には鰐口が懸かる。
熊野十二権現
195 浦川村 諏訪大明神社人吉右衛門 元禄寺社帳不詳、社地4畝15歩。/現存(諏訪神社)、明治6年十二権現、春日明神を合祀。▲境内に金毘羅大権現を祀る。 諏訪諏訪大明神
196 浦川村 十二権現社人藤左衛門 社地6歩。/明治6年諏訪明神に合祀。上項を参照 熊野十二権現
197 浦川村 春日大明神社人惣左衛門 社地6歩。/明治6年諏訪明神に合祀。上項を参照 春日春日大明神
198 (北)松ヶ崎村 富士権現社人作十郎 社地6歩ほか。/明治35年熊野権現に合祀。下項を参照 富士権現富士権現
199 (北)松ヶ崎村 熊野権現社人安兵衛 社地5畝歩。/現存(熊野神社)、明治35年出崎の富士権現を合祀。
2012/11/23追加:
み熊野ねっと>熊野神社参詣記/新潟県松ヶ崎村熊野権現
「熊野大権現」の扁額が懸かると云う。
 ※次項;200の松ヶ崎村十二権現は不詳。
熊野熊野権現
200 (北)松ヶ崎村 十二権現- 社地3畝18歩。/不詳 熊野十二権現
201 歌見村 塩釜大明神社人治郎右衛門 元禄寺社帳不詳、社地24歩。/歌見川右岸に現存(塩竃神社) 塩竃塩竃大明神
202 歌見村 十二権現社人久右衛門 元禄寺社帳不詳、社地8歩。/※明治35年塩竃明神と合祀、熊野権現は歌見川左岸に現存。
2012/11/23追加:
み熊野ねっと>熊野神社参詣記/新潟県歌見村十二権現
熊野十二権現
203 黒姫村 椿大明神社人勘六 元禄寺社帳不詳、社地1畝18歩。/現存(椿神社) 椿明神椿大明神
北小浦村 2012/11/23追加:
草分は御開祖様と云われる「喜兵衛」のほか三人。
「佐渡国寺社境内案内帳」には北小浦村の社の掲載はないが、村の北端「字志かま」に熊野権現がある。
み熊野ねっと>熊野神社参詣記/新潟県北小浦村熊野権現
204 見立村 八幡宮社人伊兵衛 天正16年社寺帳不詳、社地21歩ほか。/現存(八幡神社)、境内に善宝寺堂がある。 八幡八幡宮
205 鷲崎村 諏訪大明神- ‐/不詳 諏訪諏訪大明神
206 鷲崎村 矢崎大明神社人三郎左衛門 寛永4年勧請、社地2反5畝歩ほか。/矢崎に現存(矢崎神社)、祭神鹿谷野比売とは不明、境内に龍王殿(善宝寺)がある。 矢崎明神矢崎大明神
207 岩首村 熊野権現社人善助 天正16年社寺帳不詳、社地4畝2歩ほか、社人屋敷5畝2歩。/現存(熊野神社)
2012/11/23追加:
み熊野ねっと>熊野神社参詣記/新潟県岩首村熊野権現
熊野熊野権現
208 柿野浦村 伊豆奈権現社人権助 天正16年社寺帳不詳、社地4畝歩ほか、社人屋敷5畝2歩。/現存(伊豆奈神社)、祭神は稲飯命(「佐渡神社誌」)。 伊豆奈権現伊豆奈権現
209 柿野浦村 石動権現社人源内 元禄寺社帳不詳、社地12歩。/明治4年伊豆奈神社境内社となる。 石動権現石動権現
210 柿野浦村 白山権現- 元禄寺社帳不詳、社地3歩。/明治4年伊豆奈神社境内社となる。 白山白山権現
211 小浦村(東小浦村) 小田原権現社人勘兵衛 ‐/大正4年小浦村白山権現を合祀。 小田原権現小田原権現
212 小浦村(東小浦村) 白山権現太郎右衛門 元禄寺社帳不詳、社地12歩。/大正4年小浦村小田原権現に合祀。 白山白山権現
213 尾戸(小浦)村 小田原権現社人左門 元禄寺社帳不詳、社地20歩。/現存(小田原神社)、祭神素戔嗚尊(「佐渡神社誌」) 小田原権現小田原権現
214 尾戸(小浦)村 諏訪大明神- 元禄寺社帳不詳、社地7歩。/不詳 諏訪諏訪大明神
215 鵜島村 小田原権現- 元禄寺社帳不詳、社地2畝12歩。/現存(小田原神社)、祭神は猿田彦命とするが、文政9年小田原権現に十二社大権現を遷し、小田原権現は異形の稲荷、十二所大権現は国常立尊像と記録される(「社蔵の厨子裏書」)。 小田原権現小田原権現
216 立間村 諏訪大明神社人孫左衛門 元禄寺社帳不詳、社地1畝5歩。/現存(諏訪神社)、対岸の観音堂は元諏訪明神境内にあった。 諏訪諏訪大明神
217 赤玉村 白山権現社人与三郎 元禄寺社帳不詳、社地1畝22歩。/明治40年白山権現・小田原権現・五霊地権現が合祀され、赤玉神社となる。大正2年杉池神社を合祀。 白山白山権現
218 赤玉村 小田原権現社人治右衛門 元禄寺社帳不詳、社地1畝15歩。/同上 小田原権現小田原権現
219 赤玉村 御霊知権現社人右門多郎 元禄寺社帳不詳、社地24歩。/同上 御霊知権現御霊知権現
220 蚫村白山権現 社人宗十郎元禄寺社帳不詳、社地4歩。/明治40年御霊地神社に合祀 。 白山白山権現
221 蚫村御霊知権現 -元禄寺社帳不詳、社地25歩。/明治40年白山権現を合祀 、現存(御霊地神社)。 御霊知権現御霊知権現
222 立島(強清水)村 小田原権現社人左衛門五郎 ‐/現存(小田原神社)、祭神は伊邪那岐尊(「佐渡神社誌」) 小田原権現小田原権現
223 立島(強清水)村 御霊知権現- 元禄寺社帳不詳、社地2畝28歩。/不詳 御霊知権現五礼知権現
224 強清水村 八幡宮- ‐/弁天崎付根に現存(八幡神社) 八幡八幡宮
225 強清水村 諏訪大明神- 元禄寺社帳不詳、社地1畝2歩。/不詳、八幡宮と諏訪明神は合祀のように扱われている。 諏訪諏訪大明神
226 野浦村 十二権現社人清左衛門 元禄寺社帳不詳、社地16歩。/不詳 熊野十二権現
227 野浦村 神明社人治兵衛 ‐/現存(大神宮) 神明神明
228 野浦村 八幡宗三郎 天正16年寺社帳不詳、社地2反2畝16歩ほか。/不詳 八幡八幡
229 野浦村 羽黒権現社人権兵衛 ‐/不詳 羽黒権現羽黒権現
230 月布施村 伊豆奈権現社人右衛門三郎 元禄寺社帳不詳、社地1畝6歩ほか、社人屋敷1畝歩。/不詳 伊豆奈権現伊豆奈権現
231 月布施村 白山権現社人後藤右衛門 ‐/現存(白山神社) 白山白山権現
232 片野尾村 小田原権現社人弥市郎 元禄寺社帳不詳、社地3畝18歩。/不詳、あるいは下記北山権現に合祀か? 小田原権現小田原権現
233 片野尾村 小田原(北山)権現社人九郎右衛門 元禄寺社帳不詳、社地3畝27歩。/明治40年北山・小田原・諏訪を合祀し、片野尾神社となる。 小田原権現小田原権現
234 片野尾村 弁財天社人孫太夫 治承3年毛利長俊死をのがれ当国に渡海、弁天を信じ・・社を勧請と古老の伝を以て、享保10年・・縁記を作る、享保3年再建立。/弁天崎に現存(風島神社)、風島弁財天と称した。享保20年相川山之神厳常寺に出開帳の記録がある。 弁財天弁財天
235 水津村 白山権現社人八郎右衛門 元禄寺社帳不詳、社地3畝歩。/現存(白山神社)、文永8年(1271)新潟白山権現を勧請とする。 白山白山権現
236 大川村 津上明神社人与三右衛門 元暦元年勧請、社地2畝4歩、社人屋敷3畝4歩。/津神島に現存(津神島神社)、祭神は住吉三神、津の神である。 住吉津上明神
237 羽丹生村 若宮権現社人清右衛門 元禄寺社帳不詳、社地18歩。/現存(八幡若宮神社)、明治40年宮川の千早滝から現在地に遷す。 八幡若宮権現
238 両尾村 若宮権現- 勧請年暦不詳、天正2年再建立。/不詳 八幡若宮権現
239 両尾村 白山権現社人藤左衛門 正安2年勧請、社地8歩ほか。/平床組右衛門太郎家の上にあった、明治40年白山権現と合祀・両尾神社(両尾川右岸)となる。 白山白山権現
240 両尾村 十二権現社人治郎右衛門 不詳、社地4畝2歩ほか、社人屋敷5畝6歩。/持秀院の東側にあった、明治40年十二権現と合祀・両尾神社(両尾川右岸)となる。 熊野十二権現
241 椎泊村 白山権現社人藤右衛門 天正16年寺社帳不詳、社地8畝15歩ほか、社人屋敷6畝2歩。/旧社地は浦組心願寺附近であった、昭和21年白山権現と磯崎宮が合祀、椎泊神社となる。 白山白山権現
242 椎泊村 弁財天- ‐/弁財ノ地にあり、おそらく明治維新で磯崎宮改号と思われる。さらに石崎宮と白山権現は昭和21年合祀、椎泊神社となる。 弁財天弁財天
243 椎泊村 十二権現社人惣左衛門 元禄寺社帳不詳、社地2反6畝歩ほか。/不詳 熊野十二権現
244 川崎村 水尾大明神社人藤内左衛門 応永2年勧請、社地9畝18歩ほか、社人屋敷2畝24歩。/現存(水尾神社)、祭神天鈿目命 水尾明神水尾大明神
245 下久知村 八幡宮祠官小野民部 応和元年と御神体に書付有之、宝徳2年当地へ遷座、・・・社地2町1反歩ほか、神主屋敷4畝8歩。/現存(久知八幡宮)、応和元年(961)国見山に鎮座し、天文9年現在地(経塚)に遷されるという。別当は真言宗(智山派)正覚寺、正覚寺は享徳元年(1452)の創建で経塚山長福寺と号し、正徳3年(1713)八幡宮別当となり、石清水山正覚寺と改号という。 八幡八幡宮
246 下久知村 山王権現社人弥吉 天正16年寺社帳不詳、社地1反2畝8歩ほか、社人屋敷1畝10歩。/不詳 山王山王権現
247 下久知村 諏訪大明神社人久右衛門 天正16年寺社帳不詳、社地1町4反4畝歩ほか、社人屋敷1反21歩ほか。/不詳 諏訪諏訪大明神
248 城腰村 明神社人幸右衛門 元禄寺社帳不詳、社地4畝歩、社人屋敷6畝5歩。/現存(神明社) 神明明神
249 城腰村 若宮権現社人清右衛門 元禄寺社帳不詳、社地8反5畝26歩、社人屋敷3畝24歩。/不詳 八幡若宮権現
250 城腰村 諏訪大明神社人兵助 元禄寺社帳不詳、社地5反2畝26歩。/不詳 諏訪諏訪大明神
251 城腰村 弁財天浄円 社地3畝14歩。/現存(中島神社) 弁財天弁財天
252 住吉村 住吉大明神社人権兵衛・将監 天正16年寺社帳不詳、社地5反8畝歩ほか、社人屋敷6畝15歩、同屋敷1畝5歩。/現存(住吉神社)、社地に2基の住吉古墳がある。奈良後期。 住吉住吉大明神
253 潟上村 八王子大明神祠官北見筑前・狭山豊前・土屋因幡 延暦11年勧請、社地1町1反3畝10歩ほか、・・・寛永年中・・大般若経書写して納む。/明治7年牛尾神社と改称、牛尾とは近江山王権現21社の内八王子社の鎮座する山を牛尾山ということに由来するようです。伝来する大般若経(600巻)には松雲寺の名があると云う。また太子堂・聖徳太子像(文和2年1353、後藤立甫寄進)、薬師堂・十二神将を伴った薬師座像(応永12年1405、甚四郎寄進)が残存するようです。さらに廃湖鏡庵の菅原道真本尊の天神像(慶応3年・1867)も残存するようです。
潟上村薬王寺(牛尾神社)木造薬師如来坐像
   後藤家太子堂(牛尾神社)木造聖徳太子立像
山王八王子大明神
254 潟上村 伊豆権現- 伊豆奈権現、社地5反7畝24歩。/不詳 伊豆奈権現伊豆奈権現
255 正明寺村 石動権現社人善助・喜多郎 元禄寺社帳不詳、社地6反4畝24歩、社人屋敷5畝歩。/現存(石動神社)。 石動権現石動権現
256 青木村 白山権現社人左京 社地1反3畝歩。/明治41年熊の権現に合祀。 白山白山権現
257 青木村 諏訪大明神修験諸法院 社地1反2畝歩、別当山伏法光院屋敷3畝25歩。/明治13年熊野権現に合祀。 諏訪諏訪大明神
258 青木村八王子権現 社人勘四郎元禄・享保寺社帳に有之、慶長5年再建立、・・
/明治40年井内村八王子権現(273現日吉神社)に合祀される。
山王八王子権現
259 青木村 熊野権現社人左京 元禄寺社帳不詳、社地2反2畝20歩、社人屋敷1反25歩。/現存(熊野神社)、明治13年諏訪明神、明治41年白山権現、明治42年天神を合祀、ほか2柱の地神を合祀する。文禄年中新穂川中流附近から現在地に移転、社殿は明和元年(1764)に焼失。
武井本間氏の守護神とも伝える。なお常設の能舞台がある。
2012/11/23追加:
み熊野ねっと>熊野神社参詣記/新潟県青木村熊野権現
 →参考:青木村熊野権現
熊野熊野権現
260 青木村 土佐権現社人弥藤左衛門 社地1反4歩。/熊野権現に合祀の可能性が高いと思われる。/明治11年大野の客人 (271)に合祀。 土佐権現
土佐権現
261 武井村 熊野権現- 天福元年勧請、社地24歩ほか。/現存(熊野神社)する、天福元年(1233)順徳上皇が熊野三社の一つとして勧請と伝える。
2012/11/23追加:
明治22年加茂郡大野村、武井村が合併し、大野村が発足。
明治29年佐渡郡に所属。
明治22年加茂郡新穂町、下新穂村、上新穂村、井内村、瓜生屋村、青木村、北方村が合併し、新穂村が発足。明治34年佐渡郡新穂村、大野村、長畝村、潟上村、田野沢村、正明寺村、国中村(一部)と合併し、新穂村を新設。
み熊野ねっと>熊野神社参詣記/新潟県武井村熊野権現
熊野熊野権現
262 瓜生屋村 熊野権現- 文明17年勧請、社地1反2歩ほか。/大正15年熊野権現、伊豆奈権現、白山権現、毛利権現、諏訪明神の五社を合祀し五社神社となる。 熊野熊野権現
263 瓜生屋村 伊豆奈権現- 文明17年勧請、右熊野権現社地の内。/大正15年熊野権現、伊豆奈権現、白山権現、毛利権現、諏訪明神の五社を合祀し五社神社となる。 伊豆奈権現伊豆奈権現
264 瓜生屋村 白山権現- 文明17年勧請、社地2畝4歩ほか。/大正15年熊野権現、伊豆奈権現、白山権現、毛利権現、諏訪明神の五社を合祀し五社神社となる。 白山白山権現
265 瓜生屋村 毛利権現社人市郎右衛門 社地16歩。/大正15年熊野権現、伊豆奈権現、白山権現、毛利権現、諏訪明神の五社を合祀し五社神社となる。 毛利権現毛利権現
266 瓜生屋村 諏訪大明神社人伊右衛門 社地5畝4歩。/大正15年熊野権現、伊豆奈権現、白山権現、毛利権現、諏訪明神の五社を合祀し五社神社となる。 諏訪諏訪大明神
267 北方村 諏訪大明神社人新左衛門 元禄寺社帳不詳、社地1畝12歩ほか。/不詳 諏訪諏訪大明神
268 北方村 山王権現社人本間戸内 ニの宮とも云ふ、山王7社の第ニ。米6石余ほか、神主本間大和守屋敷4畝歩、社人屋敷3反13歩ほか。/明治9年新穂村山王権現(大宮)に合祀。次々項 参照。 山王山王権現
269 北方村 八幡- 田地刈75束ほか。/不詳 八幡八幡
270 新穂村 山王権現祠官本間播磨・別当新延寺 別当は天台宗新延寺、七社の次第左に記す。第一・大宮権現新穂村本間石見、第ニ・二の宮権現北方村本間大和、第三・聖真子権現下村本間丹後、第四・八王子権現井内村本多出雲、第五・客人権現三ノ宮権現合殿大野村、第六・十禅子権現舟代村佐藤佐治馬、第七・別当十禅寺・・・。
/別当天台宗新延寺は衆徒12坊を有するも、明治の廃仏で廃寺と思われる。跡地は「現在の新穂小学校の前の国道沿いのあたり」と云う。別当新延寺12坊とは乗光坊、弥勒坊、曼荼羅寺、宝蔵寺、儀乗坊、三諦坊、金剛院、宝性院、円通寺・明王院・善意寺・万福寺と伝え、明治15年弥勒坊と乗光坊が合併、昭和11年成就坊乗光坊と官明山三諦坊が合併、管明寺(本尊不動明王、真言宗)と改称し現存するようで ある。また北方の円通寺、明王院(現在は護村寺と改号)も現存する。山王権現は嘉禄2年(1226)順徳上皇従者池清範によって勧進と伝える。新穂村は元応元年(1319)近江国山王権現の荘園という記録もある と云う。/明治9年北方の山王権現(二宮)を合祀。 前々項参照。
/なお乗光坊と三諦坊それぞれ天満宮があり、合併時に一ヶ所に集められ奥の院に乗光坊の社、拝殿が三諦坊の社となった。その後、管明寺改修時に境内の西側に小さな社が建てられた。乗光坊の神輿(大きい方)は新種町本間万吉、三諦坊の神輿は新穂町渡辺季平太(上酒屋)が寄進したものと云われる。
山王
山王権現
271 大野村 客人祠官池野周防 山王7社の第五/現存(日吉神社)する、創建は天福元年(1233)と云う。三宮権現も祀る。
なお明治11年青木の土佐権現’260)を合祀。
/2個の鰐口が現存する。1個は下記の陰刻銘がある。
「敬白足守庄□□□常住鰐口也
 文明六年甲午十一月八日 願主信家」
上山王の拝殿修理のときに、屋根裏から発見されたもので、もと大野にあった神宮寺の鰐口であったと思われる。※足守は備中。
もう1個には下記の陰刻銘がある。
「佐州大野村上山王鰐口 本願土屋与三右衛門
 元和七暦九月吉日 本願池清左衛門
 本願河井□□□□」
※池清左衛門は上山王神官の林家だろうと推定される。
山王客人
272 大野村 諏訪大明神社人八兵衛 ‐/不詳 諏訪諏訪大明神
273 井内村 八王子権現社人主水 (山王7社の第四)/現存(日吉神社)、
明治40年青木村八王子権現(258牛尾神社)を合祀。
/別当は井内村神宮寺であった。神宮寺は現存する。薬王山と号し、真言宗、佐渡国分寺末、本尊は大日如来。山門・本堂・薬王殿(本尊薬師如来)・宝蔵庫・鐘楼・庫裏がある。元禄の寺社帳に、「当寺開基文暦元午年(1234)、中興俊祐再建立、境内壱反弐畝八歩、御除米壱斗四升五合、此の反歩壱反五畝弐拾四歩、三ケ一御除」とある。
羽黒村羽黒権現別当正光寺(177)の梵鐘(鎌倉・重文)を蔵する。明治五年正光寺廃寺の折、鵜飼郁次郎の斡旋で、明治30年、神宮寺檀家である新穂村瓜生屋、末武喜八郎・コウ夫妻寄進の200両によって買い受けたものである。うち百両は鐘、他百両は鐘楼などに使用。その旨の追刻銘がある。
山王八王子

羽茂郡




274 小立村 諏訪大明神社人甚兵衛 開基弘治元年、寛文11年再建立・・、元禄5年再造営の棟札・・・、社地3畝2歩。/現存(諏訪神社)、寛文11年(1671)笹川十八枚村より勧請と云う。 諏訪諏訪大明神
275 田切須村 諏訪大明神社人源助 開基観応元年、社地(脱落)、社人屋敷5畝15歩・・・。/現存(諏訪神社)、観応元年(1350)勧請で、2反余の社領田を持つ。 諏訪諏訪大明神
276 西三川村 小布施大明神社人式部・右京 開基明徳5年本間重頼建立、・・・社地1反歩、社人屋敷1畝27歩・・。/現存(小布施神社)、地元では磐境神社とも呼ぶ、本殿裏の御倉石(みけいし)が神体とされ、古くからの社とも考えられる。祭神は金北山祭神と同じ大彦命であったであろうともされる。 小布施明神小布施大明神
277 西三川村 白山権現- 元禄寺社帳不詳、社地3畝27歩。/通称ミヤブの島倉家の薬師堂の側にしらやま社が祀られる、白山権現山薬師と記録される。 白山白山権現
278 笹川村 山神社- 文禄3年開基、社地3畝2歩。/現存(山神社あるいは大山祇神社) 大山祇山神
279 椿尾村 気比大明神社人小左衛門 元禄寺社帳不詳、社地3畝20歩。/現存(気比神社)、「佐渡神社誌」では天正年中安藤次郎左衛門が越前気比明神を勧請と云う。 気比気比大明神
280 椿尾村 大目神社- 当国9社の内なり、御神号大宮売神・・・・和名抄に曰く羽茂郡大目、於保女、同書に雑太の内にあり、不審と、此の神跡今不見。住吉は河内村に勧請、昔此の所の大目林とて大木の茂りあり。/気比明神西には玉泉坊(蓮華峰寺門徒・明治41年廃寺)跡があり、その東に大目神社跡と伝える所がある。
※「佐渡国寺社境内案内帳」では式内社大目神社は椿尾村にあったとするが、大目神社は吉岡村bW5であろうとする見解が主流のようです。
不明大宮売神
281 小泊村 白山権現社人磯右衛門 元禄寺社帳不詳、社地7畝15歩、社人屋敷1畝12歩。/現存(白山神社) 白山白山権現
282 亀脇村大平権現 社人長吉元禄寺社帳不詳、社地1畝12歩、社人屋敷2畝4歩。/現存(大平神社) 尾平権現大平権現
283 堂釜村大平権現 社人六左衛門元禄寺社帳不詳、社地12歩。/現存(大平神社)、神主の屋号六左衛門家は能登から来住、持ち伝えた毘沙門天は隣接する毘沙門堂に安置する。 尾平権現大平権現
284 井坪村 熊野権現社人佐藤兵衛 元禄寺社帳不詳、社地小比叡山御朱印地、ほか。/現存(熊野神社)
2012/11/23追加:
み熊野ねっと>熊野神社参詣記/新潟県井坪村熊野権現
熊野熊野権現
285 小比叡村 小比叡大明神別当蓮華峰寺 真言宗蓮華峰寺の項/現存。 山王山王権現
286 大浦村小平権現 社人三左衛門元禄寺社帳不詳、社地2畝20歩。/現存(白山神社)、明治40年田野浦村白山権現を合祀して現社名(廃小平神社・尾平権現)となる、社人は菊池姓を称した西野氏で、菊池氏は村の 草分とされる。 尾平権現小平権現
287 田野浦村 白山権現- 元禄寺社帳不詳、社地1反24歩。/明治40年大浦村小平権現に合祀。 白山白山権現
288 江積村 十二権現社人次左衛門 元禄寺社帳不詳、社地1反8畝18歩。/現存(熊野神社)、もとは字「ならき」にあり「十二さん」と称した。
2012/11/23追加:
み熊野ねっと>熊野神社参詣記/新潟県江積村十二権現
熊野十二権現
289 沢崎村 神子岩大明神- 元禄寺社帳不詳、社地2畝20歩。/現存(神石<みこいわ>神社)、祭神は岩長姫命。 神子岩明神神子岩明神
290 深浦村 白山権現社人清左衛門 開基寛永14年、社地1畝歩。/現存(白山神社) 白山白山権現
291 強清水村 白山権現社人主兵衛 ‐/現存(白山神社)、神体は海石、薬師如来の懸仏が残存。 白山白山権現
292 強清水村 小田原権現社人六右衛門 元禄寺社帳不詳、社地2反6畝18歩。/不詳 小田原権現小田原権現
293 宿根木村 白山権現- 開基嘉元2年、社地1反2畝歩。/現存(白山神社)、寛文元年の棟札があり、本願は石塚家、大工は若狭小浜の牛田治兵衛 と云う。 白山白山権現
宿根木村
称光寺
称光寺2012/11/23追加:
称光字は時宗。海得山と号する。上記白山権現と隣接する。「佐渡国寺社境内案内帳」では正安3年(1301)開基、永享10年(1438)重阿弥の中興とする。寺家に歓喜院、長松院、法受院があった。
み熊野ねっと>熊野神社参詣記/新潟県宿根木村称光寺熊野権現
称光寺本堂横に「熊野大権現」の扁額を掲げる熊野権現が祀られる。
294 小木村 諏訪大明神- 社地2畝12歩。/現存(諏訪神社) 諏訪諏訪大明神
295 小木村 白山権現- 社地6歩。/不詳 白山白山権現
296 小木村 大童子権現社人佐兵衛 社地6歩、社人屋敷1畝6歩。/不詳 大童子権現大童子権現
297 小木村 弁財天- 社地6歩。/弁天崎がある。不詳 弁財天弁財天
298 小木町 后明神祠官畠山志摩 天平16年勧請・・・鎮座の処不知、御神号后大明神四所、・・・この神号一名木先と云ふ、往古大木有り・・・、社は慶長13年大久保長安建立、社地1反5畝8歩、米3石余ほか・・・・。/現存(木崎神社)、祭神は木花開耶姫命、慶長14年大久保長安が社殿を造営。 /国司大久保石見守長安による「奉中興羽茂郡昨日浦村后大明神宮」(慶長14年)棟札が残る。「由緒書」によると、「往古は城山にあったが、大久保石見守によって、今の場所へ引き遷り新たに社頭を建立した」とある、これは小木が越後との渡海場になることにより、「金銀上納により度々渡海の場所となったので、御船の海上安全の御祈祷のため神社はじめ鳥居などに至るまで、公儀より造営下された」とある。 木神
后大明神四所
299 小木町 神明- 開基慶長元年、社地3畝8歩。/不詳 神明神明
300 村山村 車比(轟)権現社人長重郎 元禄寺社帳不詳、社地21歩ほか。/不詳 轟権現轟権現
301 村山村 白山権現社人清右衛門 元禄寺社帳不詳、社地2反5畝歩ほか。/現存(白山姫神社) 白山白山権現
302 村山村 八幡社人宗左衛門 元禄寺社帳不詳、社地8畝歩ほか。/不詳 八幡八幡
303 村山村 十二権現社人藤四郎 元禄寺社帳不詳、社地5畝3歩。/不詳 熊野十二権現
304 上山田村 気比大明神社人助十郎 元禄寺社帳不詳、社地6畝12歩ほか。/現存(気比神社) 気比気比大明神
305 滝平村 白山権現社人六郎兵衛 開基永享6年、社地1反1畝8歩ほか。/現存(白山神社) 白山白山権現
306 滝平村 諏訪大明神社人五郎左衛門 元禄寺社帳不詳、米2斗余、反歩1反2畝2歩、社人屋敷3畝9歩。/現存(諏訪神社)、大平にある。 諏訪諏訪大明神
307 滝平村 十二権現社人豊右衛門・藤内左衛門・徳左衛門 元禄寺社帳不詳、社地4畝歩ほか。/不詳 熊野 十二権現
308 大崎村 神明- 真言宗宮本坊の項、社地4畝歩。/不詳、真言宗智山派宮本坊が別当であった。宮本坊は現存(宮本寺)、弘法寺14世順覚の開基と云う。 神明神明
309 大崎村 諏訪大明神社人氏左衛門 元禄寺社帳不詳、社地6歩、社人屋敷2畝4歩ほか。/不詳 諏訪諏訪大明神
310 大崎村 白山社人久蔵 元禄寺社帳不詳、社地1反8畝12歩、社人屋敷2畝歩。/不詳、真言宗智山派宮本坊が別当であった。宮本坊は現存(宮本寺)、弘法寺14世順覚の開基と云う。 白山白山
311 西方村 張弓大明神社人権兵衛 元禄寺社帳不詳、社地2反4畝20歩。/現存(張弓神社) 張弓明神張弓大明神
312 西方村 山王権現社人三重郎 元禄寺社帳不詳、社地1畝24歩。/八王子権現、現存(草刈神社)、明治40年清士岡村白山権現を合祀。 山王山王権現
313 羽茂本郷 菅原天神別当養観寺 別当禅宗養観寺/現存(菅原神社)する、祭神は菅原道真。応永33年(1426)沙弥真本と海老名弾正直国の勧請と云う。同名などの寄進状写が残存するようです。別当養観寺は禅宗大蓮寺末寺、明治元年廃寺、養観寺金銅十一面観世音菩薩坐像(鎌倉期と推定)、円面懸仏 (室町期と推定、大日如来)、扇面縣仏などが神社に残存する。なお大蓮寺は社東隣に現存する。 天神菅原天神
314 羽茂本郷 本宮大明神社人長十郎 社地15歩。/不詳 本宮明神本宮明神
315 羽茂本郷 尾平権現社人助十郎 ‐/不詳 尾平権現尾平権現
316 羽茂本郷 十王- 社地4畝歩。/なぜ十王が挙げられているのかは不明。寺田に十王堂が現存、木像閻魔大王他5躯がある。閻魔大王像銘には明徳5年(1394)の年紀、弘仁寺妙蓮坊・禅蔵坊の名がある。 十王十王
317 羽茂本郷 諏訪大明神社人市左衛門 ‐/不詳 諏訪諏訪大明神
318 羽茂本郷 白山- 社地3畝14歩。/不詳 白山白山
319 羽茂本郷 八王子権現社人伝兵衛 元禄寺社帳不詳、社地2反5畝10歩ほか。/不詳 山王八王子
320 羽茂本郷 五社権現別当吉祥寺 別当真言宗吉祥寺/現存(草刈神社)する。牛頭天王八王子社、五社権現、祇園羽茂神社とも称する。(※祇園社・牛頭天王と思われる、八王子社を付けるのは八王子権現を合祀のためか・推測)。天福年中順徳院の勧請と伝える。例祭の山車は文禄年中村山の榊原伝七は京都の祇園祭で修得して伝えたといわれる。/吉祥寺は天喜5年(1057)弘仁寺11世澄元法化光運の開基と云う。今廃寺か(推測)なお弘仁寺は東方山中(新倉)に現存、智山派、弘仁2年の開基、新倉山と号す、妙連坊・禅倉坊・福性坊もあった。 五社権現五社権現
321 羽茂本郷 山王権現社人市右衛門 元禄寺社帳不詳、社地12歩ほか。/不詳 山王山王権現
322 飯岡村 一之宮度津神社別当神宮寺 別当神宮寺、五十猛神の垂跡海童命、当国九社の内第1也。/神社は文明2年(1407)羽茂川洪水により全てを流失、現在の地に遷すという、本殿は宝永6年(1709)の造営。要するに古いことは分からないということのようです。近年では松ヶ崎村松前大明神を度津神社とする見解が有力とされる。/旧社地は羽茂川左岸の別当(別堂)屋敷と云う。文明2年に流失、同4年羽茂本間氏により八幡宮境内に遷され、以降一宮八幡宮と称すると云う。飯岡八幡宮と相殿。/神宮寺は廃寺・寺屋敷跡のみ残る。文明2年再建と云う。 /飯岡八幡宮棟札2枚を残す。(次項参照) 不明海童命
323 飯岡村 八幡宮別当神宮寺 別当神宮寺/飯岡八幡宮棟札2枚を残す。
1枚は正和2年(1313)大檀那本間対馬守光賢によって造立(棟札)、もう1枚は永正16年(1519)本間淳季によって修理、別当瞬海(棟札)などとある。前項・飯岡一之宮の項参照。
八幡八幡宮
324 下黒山村 稲荷大明神社人伊右衛門 元禄寺社帳不詳、社地3畝29歩。/現存(稲荷神社) 稲荷稲荷大明神
325 下川茂村 諏訪大明神社人勘四郎 開基応永3年、社地1反2畝歩ほか。/明治40年五社権現に合祀。 諏訪諏訪大明神
326 下川茂村 五社権現社人権太夫 開基文禄2年、社地4反8畝歩ほか。/現存(五所神社)、社伝では加賀金沢の人が神鏡5面を奉じて当地に至り、宮山に社を造営したが、文治年中(1185-)洪水で流失、現在地に遷ると云う。明治13年越敷神社(不詳)、明治40年諏訪明神・十二権現・小泊新谷の皇太神宮(不詳)を合祀。 五社権現五社権現
327 下川茂村 十二権現社人左衛門 元禄寺社帳不詳、社地4反3畝26歩ほか。/明治40年五社権現に合祀。 熊野十二権現
328 下川茂村 白山権現社人多郎右衛門 元禄寺社帳不詳、社地1町5畝22歩ほか。/不詳 白山白山権現
329 外山村 大平権現社人勘十郎 開基慶安4年、社地2畝歩。/不詳 尾平権現大平権現
330 莚場村 山王権現社人儀右衛門 元禄寺社帳不詳、社地1反20歩ほか。/不詳 山王山王権現
331 莚場村 山王権現社人六兵衛 元禄寺社帳不詳、社地28歩ほか。/不詳 山王山王権現
332 徳和村 諏訪大明神社人嘉右衛門 元禄寺社帳不詳、社地4畝10歩ほか。/現存(諏訪神社)と思われる。 諏訪諏訪大明神
333 徳和村 白山権現社人源右衛門 元禄寺社帳不詳、社地1反3畝26歩。/不詳、徳和村は大村であった。東光寺境内社として神明社・熊野権現・白山権現を祀っていたが、明治41年徳和神社に合併した。(あるいは、境内の三ッが山にはそれぞれ熊野権現、金毘羅権現、稲荷大明神が祀られていたとも云う。)徳和神社は明治41年腰細村熊野権現も合祀する。/東光寺:東光寺に熊野権現社頭にあった鰐口が現存する。銘は「女谷墨彼女 文明十季戊戍 十二月廿日 殿内彦五郎第」 白山白山権現
334 徳和村 二照権現社人晋左衛門 元禄寺社帳不詳、社地5畝4歩。/不詳 二照権現二照権現
335 徳和村 横山大明神社人与左衛門 元禄寺社帳不詳、社地1反3畝3歩。/不詳 横山明神横山大明神
336 徳和村 御了一権現社人藤兵衛・多郎左衛門 元禄寺社帳不詳、社地1畝20歩。/不詳、おそらく、御了一権現とは御霊地権現か。 御霊知権現御了一権現
337 徳和村 大椋大明神社人六左衛門 元禄寺社帳不詳、社地3歩。/不詳 木神大椋大明神
338 腰細村 春日大明神社人六左衛門 元禄寺社帳不詳、社地5反1畝15歩(八幡社含む)ほか、別当は真言宗不動院。/現存「春日神社」、八幡宮も同一社地に祀る。 春日春日大明神
339 腰細村 八幡社人六左衛門 元禄寺社帳不詳、社地春日社のうち。/春日明神の境内に祀る。八幡宮は本間三河守の勧請と伝え、旧社地は海岸部であったが慶長年中大久保長安によって春日明神と共に現在地を祀ると云う。 八幡八幡
340 腰細村 熊野権現社人長十郎 元禄寺社帳不詳、社地5反8畝26歩ほか、神子屋敷14歩。/腰細川左岸の丘陵に跡地がある。南側に別当神際山不動院、社僧磐台山林光坊(智山派)・安養山宝蔵坊・医王山林照坊があった。これら4ヶ寺はともに寛弘8年(1012) 創建と伝える。江戸初頭大久保長安が隣接して春日明神を勧請・八幡宮も合祀した結果、不動院以下4坊は春日明神の別当となり、熊野権現は不動院鎮守となり、熊野権現は力を失うこととなる。明治元年不動院以下4坊廃寺、明治11年林光坊復興、同15年不動院復興、同40年不動院は林光坊に合併、林光坊のみ残存する。明治41年熊野権現は徳和村白山権現などと合祀、徳和神社となる。
/熊野権現あるいは宝蔵坊にあったと伝える鰐口が現存(林光坊蔵、熊野山伏安達家<腰細村草分>が信濃から持ってきたものと云う。
銘:「奉寄進信州善光寺井福大明神鰐口文
    安二年九月九日 願主 源大浦覚」
※井福大明神は善光寺の鎮守を云う、文安2年は1445年
また林光坊には推定室町期の本尊懸仏十一面観音坐像、宝蔵坊本尊懸仏薬師如来坐像が伝来する。社人は渡辺家で、腰細阿弥陀堂本尊木像阿弥陀如来坐像(延宝8年1680銘)を寄進。
熊野熊野権現
341 赤泊村 若宮権現社人長次郎 不詳、慶長14年再建立、社地4反3畝6歩・・・・。/現存、慶長14年大久保長安の再建棟札が現存するようです。 八幡若宮権現
342 真浦村 大宮権現社人六郎兵衛 不詳、明徳3年再興、社地6畝20歩。/大宮権現社人石塚家、若宮権現社人渡辺家、熊野権現社人永井家、天神社社人中川家、曽里路観音別当海老名家が名家であった。大宮・若宮・熊野・天神の4社を合祀して真浦神社となっているようです。永禄3年(1560)の天満宮造営棟札が現存する。 山王大宮権現
343 真浦村 若宮権現社人与右衛門 元禄寺社帳不詳、社地3畝26歩。 八幡若宮権現
344 真浦村 熊野権現社人権兵衛 不詳、応永5年再興、社地1畝18歩。 熊野熊野権現
345 真浦村 天満宮祠官中川兵部・社人長三郎 不詳、永禄3年再興、社地5畝4歩。 天神天満宮
346 柳沢村 羽黒権現村仲間 元禄寺社帳不詳、社地4畝20歩。/不詳 羽黒権現羽黒権現
347 柳沢村 大平権現村仲間 元禄寺社帳不詳、社地4歩。/不詳 尾平権現大平権現
348 柳沢村 諏訪大明神村仲間 元禄寺社帳不詳、社地15歩。/不詳 諏訪諏訪大明神
349 新保村 高森権現別当養禅寺 開基寛正5年、社地1反6畝13歩、真言宗養禅寺の項。/現存(高森神社)、祭神建御名方命(諏訪権現)、社伝では信濃高井郡高杜神社から勧請と云う。寛正5年(1464)再建の棟札があったという。寛永3年の棟札:大檀那佐渡奉行鎮目市左衛門、棟梁には安芸・備前・尾張・加賀・佐渡の大工が名を連ねる。/別当は村内の真言宗養禅寺。 諏訪高森権現
350 新保村 剣権現別当養禅寺 元禄寺社帳不詳、社地4畝歩。/不詳 剣権現剣権現
351 杉野浦村 熊野権現別当山伏勝蔵院 社地4畝8歩、別当山伏屋敷2畝歩。/勝蔵院は本山派修験であった。山伏としての活動は先代までで、現在は停止、勝浦家として残る。本尊聖観立像音(鋳造仏・推定室町期)。口伝では先祖は熊野修験で文治2年(1186)渡海、沢崎の巫女岩の脇に居住、4代のとき羽茂本間氏の招きで羽茂本郷木戸の七屋敷へ移り、12代源光(天正8年没)の時、当地へ移ると云う。現在羽茂本郷菅原神社の裏手に通称勝蔵院跡といわれる場所が残り、附近に七屋敷の地名が残る。(菅原神社西南に須川城跡が残り、ここにも勝蔵院跡という区画があるようです。)また笈、五智如来、錫杖、数珠(鎌倉期のものと推定)が伝来する。/勝蔵院境内に熊野権現があったが明治40年白山権現へ合併 する。 熊野熊野権現
352 杉野浦村 白山権現別当養蔵院 真言宗養蔵院の項、社地20歩。/養蔵院については情報なし。/不詳、明治40年熊野権現を合祀。 白山白山権現
353 大杉村 若宮権現社人松右衛門 元禄寺社帳不詳、社地2畝歩。/不詳、元禄検地で屋敷持百姓11人を十一人衆といい、その中の大百姓を六人衆と称し、各々寺社堂を祀るとあり、大浦村の六社はこれに関係するものとも思われる。 八幡若宮権現
354 大杉村 白山権現社人弥蔵 元禄寺社帳不詳、社地1畝19歩。/不詳、同上 白山白山権現
355 大杉村 天満宮社人六兵衛 元禄寺社帳不詳、社地3畝15歩。/不詳、同上 天神天満宮
356 大杉村 羽黒権現社人佐兵衛 ‐/不詳、同上 羽黒権現羽黒権現
357 大杉村 熊野権現社人勘助 ‐/不詳、同上 熊野熊野権現
358 大杉村 十二権現社人勘助 元禄寺社帳不詳、社地1畝5歩。/不詳、同上 熊野十二権現
359 大泊村 羽黒権現社人吉右衛門 元禄寺社帳不詳、社地4反5畝10歩。/現存(羽黒神社) 羽黒権現羽黒権現
360 大石村 本宮大明神社人兵助 2012/11/23修正(青字):
当社開基不知と元禄寺社帳に有之
、社地1畝5歩。/不詳
2012/11/23追加:
み熊野ねっと>熊野神社参詣記/新潟県大石村熊野本宮
通称:本宮と云うようである。大石村新宮と清士岡村熊野権現と合わせ熊野三山を形成するのであろう。あるいは三山を勧請。
本宮明神
(熊野)
本宮明神
361 大石村 新宮大明神社人善左衛門
  (谷右衛門)
2012/11/23修正(青字):
当社開基不知と元禄寺社帳に有之
、社地1畝18歩。/不詳
2012/11/23追加:
み熊野ねっと>熊野神社参詣記/新潟県大石村熊野新宮
通称:新宮と云うようである。大石村本宮と清士岡村熊野権現と合わせ熊野三山を形成するのであろう。あるいは三山を勧請。
新宮明神
(熊野)
新宮大明神
362 大石村 小布施大明神社人七左衛門
 
2012/11/23修正(青字):
当社開基不知と元禄寺社帳に有之
、社地20歩。/不詳
小布施明神小布施大明神
363 大石村
清士岡村
熊野権現社人多郎兵衛 2012/11/23修正(青字):
当社開基不知と元禄寺社帳に有之
、社地1反1畝20歩、社人屋敷6畝10歩。/現存(熊野神社)、熊野権現棟札を残す。
所在は大石村とあるも、当社は羽茂右岸河口(井尻)にあり、清士岡村に所在するのが正しいと思われる。
2012/11/23追加:
み熊野ねっと>熊野神社参詣記/新潟県清士岡村熊野権現
※ここでは
「こちらの熊野神社が那智にみたてられ、羽茂に熊野三山全社(本宮・新宮・那智)が勧請されていた可能性もあるのではないか」との見解が示されるが、慧眼と思われる。
→佐渡市指定文化財:熊野権現棟札
熊野熊野権現
364 大石村 白山権現社人仁右衛門 2012/11/23修正(青字):
当社開基不知と元禄寺社帳に有之
、社地2畝4歩。/不詳
白山白山権現
365 清士岡村 諏訪大明神社人仁右衛門 2012/11/23修正(青字):
当社開基不知と元禄寺社帳に有之
、社地2反5畝10歩。/不詳
諏訪諏訪大明神
366 清士岡村 白山権現社人与三兵衛 当社開基不知と元禄寺社帳に有之、社地1畝18歩。/字上の山にあったが、明治40年西方村草刈神社に合祀。権現跡地から多くの経石が発見される。 白山白山権現
367 清士岡村 小平権現社人権助 2012/11/23修正(青字):
当社開基不知と元禄寺社帳に有之
、社地1畝12歩。/不詳
尾平権現小平権現
368 丸山村 丸山大明神社人兵作 応永8年と御神体に書付、社地12歩。/現存(丸山神社)と思われる。天照大日霊尊が祭神(祭神決定の時期は不明)。 丸山明神丸山大明神
2012/11/23追加:
丸山村には上記丸山明神のほか、熊野権現(現存)、金毘羅権現(金山彦、平泉寺境内の金毘羅は明治6年丸山権現に合祀)、石動社(小祠・現存しないか?)があったと云う。 「佐渡国寺社境内案内帳」には丸山村の熊野権現社の掲載はない。
み熊野ねっと>熊野神社参詣記/新潟県丸山村熊野権現
応仁元年(1467)紀伊熊野権現より分霊すると伝えるが、慶長年中(1596-)の火災で資料を焼失する。真言宗豊山派西龍寺に接してある。
 参考:佐渡祭譚のページに「
明治5年2月丸山神社に熊野神社を合祀したが明治17年12月23日復旧願いが聞き届けられ再び熊野神社と丸山神社に分かれた。」との記載がある。
 参考:西龍寺右脇に大師堂があり、その隣に熊野神社がある。少し離れた丘の上には石動神社もあると云う。
369 多田村 諏訪大明神社人六兵衛・与三兵衛 開基不詳、社地7畝14歩ほか。/現存(諏訪神社)する、他に黒根の小田原神社(十二権現)があるようです。 諏訪諏訪大明神
370 松ヶ崎村 松前大明神社人弥右衛門 開基文永6年、本間山城守建立、慶長14年大久保長安再建立、社地1反1畝12歩ほか、社人屋敷5畝8歩。/元は北西の山上字中ノ平にあったという、最近は神名帳羽茂2座の度津神社とする説が有力と云う。古くは春日大明神と称した、宝暦3年の再建棟札も春日大明神とある。 春日松前大明神
371 野崎村 羽黒権現社人権兵衛 ‐/現存(羽黒神社)する。なお、赤岩村にも羽黒権現(羽黒神社)が現存、佐渡南部の羽黒修験の拠点であった。赤岩村には他に不動坊・持明院・十王堂などがあった。 羽黒権現羽黒権現
2006年以前作成:2012/11/23更新:ホームページ日本の塔婆