独断的JAZZ批評 372.






STEFANO BOLLANI
ピアノ・トリオ盤と比べるといささか物足りない
それはソロ・ピアノ故にバッキングの妙が味わえないことに起因していると僕は思うのだ
"PIANO SOLO"
STEFANO BOLLANI(p)
2005年8月 ライヴ録音 (ECM 1964 9877372)

このピンボケのジャケットからは、残念ながら、良い音楽の音色が聞こえてこない
ジャズ・ピアノの天才、BOLLANIがソロでどんな演奏を聴かせてくれるのだろうか?!
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ECMレーベルの暗いジャケットを見ているとENRICO RAVAの"TATI"(JAZZ批評 308.)を思い出す。このアルバムはBOLLANIがピアノで参加しているにも拘わらず、酷評したことを覚えている。だから、このジャケットを見た時、いやな予感がした。それでも購入したのはSTEFANO BOLLANI、その人のソロ・ピアノに他ならないからだ。
僕の中で、ヨーロッパの若手ピアニストの三羽烏といえば、このBOLLANIとCARSTEN DAHL、KASPER VILLAUME(次回紹介予定)である。その中でも一際、天才肌のBOLLANIのソロを外すわけにはいかないと思った。STUNTレコードのトリオ作品では記憶に刻まれるアルバムを2枚出している。1枚が2003年録音の"MI RITORNI IN MENTE"(JAZZ批評 210.)で、もう1枚が翌2004年録音の"GLEDA"(JAZZ批評 264.)だ。いずれもその年を代表するアルバムとして年末の総括にピックアップしたアルバムだ。この2枚はピアノ・トリオにおけるバッキングの妙を充分に堪能いただけるだろう。

さて、このアルバムであるが、前述の2枚のピアノ・トリオ盤と比べるといささか物足りない。それはソロ・ピアノ故にバッキングの妙が味わえないことに起因していると僕は思うのだ。沢山の引き出しを持ち、アイディアの宝庫のBOLLANIのピアノには、ベースやドラムスとの丁々発止のバッキングがよく似合う。

@"ANTONIA" 
A"IMPRO T" 
B"IMPRO U" 
C"ON A THEME BY SERGEY PROKOFIEV" 
D"FOR ALL WE KNOW" 
E"PROMENADE" 
F"IMPRO V" 
G"A MEDIA LUZ" 
H"IMPRO W" 
I"BAZZILLARE" 
J"DO YOU KNOW WHAT IT MEANS TO MISS NEW ORLEANS" 
K"COMO FUE" 
L"ON THE STREET WHERE YOU LIVE" 
M"MAPLE LEAF RAG" 
N"SARCASMI" 
O"DON 'T TALK" 

前述のENRICO RAVAのアルバムといい、このアルバムといい、BOLLANIのピアノにこのECMレーベルは合わないような気がする。レコード会社が変わるとこれほどアルバムも変わるものなのか!・・・という印象なのだ。STUNTレーベルでの活き活きとしたトリオ演奏と比べると、ジャケットのようにフォーカスの定まらない写真のようでもある。
やはり、ミュージシャンというのはレコード会社の考え方ややり方に左右されるものなんだろう。ミュージシャンとて、演りたい音楽や同調し難いコンセプトというのがあるのだろう。確かに、このアルバムはソロ故に自分の好きなように出来たはずだ。でも、STUNTのような楽しさやウキウキするような鼓動が感じ取れないのだ・・・残念ながら、この僕には。端的に言うと、何回も続けて聴きたくなるような「何か」が足りない。やはり、ピアノ・ソロでCD1枚分、フルに聴かせ続けるということは大変なことなんだと妙に納得するのである。   (2006.10.21)



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