『味わうことの楽しみの高い安いって何だろう』
「こうち食品産業情報」No27['92.冬号]掲載
[発行:高知県食品産業協議会]


 十二月の第二週の週末に年末恒例の高知自主上映フェスティバル(「高知シネマフェスティバル」に改称後、併せて11年続き現在は休止)が開催されました。数えて三回目で恒例というのは、まだ早いかもしれませんが、主催している人たちは、高知の歳末を彩る恒例行事にしようという意気込みを持っているようです。ともかく始めた一回目に、マスコミ協力の得られ始めた二回目の後、運営スタッフも増え、街角にポスターを貼ったり、FM放送やTVにスポット出演するなど、取り組みは上々だったはずなのに、結果は動員人数が例年の半分に満たない惨敗となったのでした。回を重ねるにつれ評価は高まり、遠く県外からの観客も出始め、今回は東京、兵庫、岡山、徳島といったところから来た人もいたというのに、一体どうしたことなのでしょう。
 スタッフのひとりは「通し券の三千円というのが高すぎたんだ」とぼやいていました。期間中フリーパスの通し券が二千円から三千円になったのは、確かに値上げ幅としては高いと言えます。でも、五本の未公開の注目作に中央で活躍している批評家の講演がついた催しが三千円で高いのでしょうか。
 化粧品やファッションモード、芸術で言えばしばしば絵画において、そして食においても時として、値札の高さに幻惑されているだけの味覚音痴とおぼしき輩が散見されます。映画はそういうものとは馴染みません。相当な低予算で撮られた作品であっても、一人の観客からすれば、映画代のコスト・パフォーマンスは決して低くはありません。つまり、元々映画は安いのです。だから、値段でハッタリを利かせる余地がありません。値段のもたらす高級感で映画のファンになっている人など皆無でしょう。
 また一方で、映画を高いという人もいます。確かにコスト・パフォーマンスの面だけで比べれば、TVやビデオの後塵を拝していると言わざるを得ません。でも、だからこそ、そのなかにあって前回・前々回と自主上映フェスティバルに足を運んだ人たちというのは、値札に幻惑されたり、コスト感覚だけで物事を見たりする人たちではないはずなのです。それなのに、二千円が三千円になったら、換言すれば、一作品当たりで二百円高くなったら、半分以上の人が来るのを止めてしまったということです。結局、もはや高知には映画の味わいを楽しもうなどという人は、そんなに多くはいなくなっているのだということでしょう。このコラムもここらが潮時なのかもしれません。
 それにしても、かのフェスティバルで上映された『クーリンチェ少年殺人事件』の骨が太くて、しかも肌理の細かい、端倪すべからざる創造力と造形力の見事な結晶を、『アタラント号』の素朴で根源的な人間の命とその営みの輝きを掬い取った、六十年の歳月を経てますます生き生きと放たれる光彩を、高知ではわずか二百数十人の人たちしか観ることがなかったとは、何とも残念なことです。
by ヤマ

'92.Winter 季刊誌「こうち食品産業情報」No27



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