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| 『にっぽんぱらだいす』['64] 『洲崎パラダイス 赤信号』['56] | |||||
| 監督・脚本 前田陽一 監督 川島雄三 | |||||
| 今回は共に作品タイトルに皮肉にも「パラダイス」を掲げた、娼婦の苦界を気丈に生きる二人の女性、光子(香山美子)と蔦枝(新珠美千代)に焦点を当てた映画が並んだ。 先に観た『にっぽんぱらだいす』は、なかなかよく出来た風俗画だった。折しも売春防止法において、買春側への処罰が検討され始めている当世からすれば、論外とされそうな時代をユーモラスにシリアスに描き出していて、なかなかの作品だ。映し出されたそのままが敗戦後の日本の遊郭の実相だとも言えまいが、歴史的記述のなかでは漏れていきそうなエピソード満載で、とても興味深く観た。敗戦直後の復員列車に乗っている蔵本(加東大介)が、疎開させていた女たちを呼び戻して廓稼業の再開を期する場面から始まり、売春防止法が施行された昭和三十三年三月三十一日までを描いていた。 僕が生れたのは、その三日前のことだから、いわゆる赤線地帯というものをリアルには知らないのだが、劇中にも現れる昭和三十一年の売防法成立前の幟旗を立てるような表立った反対運動が実際にあったのだろうか。また、桜原ならぬ吉原でインターナショナルを歌う遊女による労働争議が実際に行われたのだろうか。いずれの図も映し出されたそのままが現実ではなかったとしても、当時の日本社会の一断面を的確に映し出していたような気がする。 それは、戦後間もない進駐軍による婦女子強姦の頻発や米兵による強姦から一般婦女子を守るためとして設けられた国家事業としてのRAA(Recreation and Amusement Association)と称する特殊慰安施設協会の存在という歴史的事実を「新日本女性募集 被服・食糧等支給」「戦後日本の国際的事業 新女性の協力を求む」との旗を掲げて事業展開していた様子を戯画的に描いていた場面にも通じていたように思う。そうやってたくさんの女性たちを集めて娼婦に仕立てあげておいて程なく、今度は性病防止を名目に解散し、放り出していたようだ。そのRAAの設立運営に協力し、解散後は行き場のない女性たちを引き受けたのが桜原ならぬ吉原だったという運びになっていた。 遊郭での水揚げに「おめでとう」と送り出される光子(香山美子)の姿には、戦時中の出征兵士に擬えられたものがあるように感じた。昭和二十八年の女性代議士たちによる売防法発議に対して「戦争中は戦地に慰安婦を供出させられ、戦後はアメちゃんのお慰みをしろ、挙句の果てに今更商売を止めろとは只じゃおかんぞ」と憤慨する蔵本に同調するのは男たちばかりではなかった。 それにしても、昭和二十八年の光子を演じていた香山美子は、ミス花魁に選出された花魁道中姿にしても、ダンスホールで踊る姿にしても、これまでに観た彼女のなかでも最も美しく輝いていたように思う。乃木大将と同名の浅からぬ縁のある希典(長門裕之)と交わす会話に趣があって「きっとこの商売が身体に合うのね」との台詞に些かも陰りを宿らせていない点が目を惹いた。他方で、当時「醜業婦」とも呼ばれていた彼女たちの実態に関心を寄せ、潜入取材をして賜りならぬ玉割【ぎょくわり】と思しき取り分の改善に寄与する女子大生(加賀まりこ)や財を成した年下の亭主に公認二号を誂え、迎え入れた篤実な光子に対して、成金に増長した実娘以上に心を寄せる夫人(浦辺粂子)を置いたり、売春防止法制定を先導した菅原通済本人を登場させて昭和三十一年の売防法成立を映し出したりと、単純で“わかりやすい”是非を訴えるのではない問題提起をコミカルに果たしていて大いに感心させられた。そして、法成立後、職業訓練としてのマッサージの習得を行なわせたうえで、売春を排した風俗業としてのトルコ風呂への転換が進められたなか、昭和三十三年三月三十一日の赤線廃止が訪れていた。馴染み客と共に♪蛍の光♪が歌われたのは、本作にも登場していた歌声喫茶の存在と同じく、おそらく史実なのだろう。 翌日観た『洲崎パラダイス 赤信号』は、十二年前に劇場観賞して以来の再見作だ。感想的には、全く変わるところがなかった。 腐れ縁のような二人を描いてとびきり湿度の高い『浮雲』と対照的なあっけらかんとした蔦枝(新珠美千代)と義治(三橋達也)の姿が描かれる。それでもまだ邦画的湿度は一定保たれているだけに、『にっぽんぱらだいす』の特筆すべき湿度の低さと明るさが思い起こされた。そして、こんな新珠美千代は他では観ることがないなと改めて思った。だが、秋葉原と思しき電気街に店を持つ羽振りの好い落合(河津清三郎)に撓垂れ掛かり誑し込もうとする玄人筋の手管を見せる元遊女の蔦枝より、やはり僕は『人間の條件』の梶の妻美千子のほうが似合っている気がする。 オープニングロールに映し出されていた特飲街の様子は、劇中には一度も現れなかった「橋の向こう側」ということなのだろう。『にっぽんぱらだいす』でも描かれていた売春防止法が制定された年の同時代作だから、当時の「洲 パラダイス 﨑」を越えた先を覗き見るように実写したかのようだった。巧みなアングルとカメラ移動による凝った撮影に感心した。 男三人しか揃わなかった合評会では、先ず『洲崎パラダイス 赤信号』を今回初めて観たというメンバーから蔦枝を演じた新珠美千代に対する驚きが表明された。己が不甲斐なさを埋め合わせようとするかのように絡みついてくる義治にたしなめの邪険を見せていた程合いの絶妙さのことかと思いきや、落合に撓垂れ掛かる玄人筋の手管を繰り出していた場面のことであった。もう一人のメンバーが「小川真由美ならいかにも似合いそうだけど、新珠美千代だったからね」と同調していたのが可笑しかった。そこに小川真由美が出てきたところが僕にはツボで快哉を挙げた。この新珠美千代インパクトが功を奏したのか、彼が『洲崎パラダイス 赤信号』のほうを支持し、残りの二人は『にっぽんぱらだいす』と例によって支持票は割れた。 十二年前の拙日誌に「映画に登場していた「だまされ屋」という蕎麦屋の屋号は、芝木好子の原作からそうなっていたのだろうか?」と綴った件について、芝木好子の原作を読んだというメンバーに訊ねると、全体的には原作に非常に忠実な映画化がされていたが、蕎麦屋は登場するけれども「だまされ屋」ではなく、義治を気に掛ける玉子(芦川いづみ)自体が登場しなかったように思うとのこと。原作小説には玉子がいなかったのかと驚いていたら、蕎麦屋の三吉(小澤昭一)さえ出てこなかったように思うとのこと。すると、原作小説のタイトルにはなかった“赤信号”の意味についての問い掛けがあった。洲崎に舞い戻って来ながらも橋の向こう側に渡る踏ん切りまではつかないまま、徳子(轟夕起子)の営む居酒屋で住み込みの女中働きをしていた蔦枝の前で灯っている洲崎パラダイスの電飾の隠喩としての赤信号ではないかという見立てだった。僕は売春防止法が成立した昭和三十一年作品だったから、単純に洲崎パラダイスといった特飲街に対して灯された赤信号だと受け取っていた。現実的には後年の『にっぽんぱらだいす』にも描かれていたように、二年の法施行猶予期間を置いたうえでトルコ風呂街に姿を変え、その後さらにソープランドに名前を変えて延命するのだが、『洲崎パラダイス 赤信号』製作時点では、もう風前の灯火のように映っていたからタイトルに添えられたような気がしてならなかった。だが、原作小説を読んだというメンバーから、タイトルにも文中にも赤信号という言葉は出てこなかった気がするが、蔦枝が赤信号の前で留まっている風情は小説のなかに描かれていたように思うとのことだった。 今ひとつ良さが分からなかったという意見の出た『にっぽんぱらだいす』については、復員列車から赤線廃止の日までの十三年間の激動期の遊郭を通じて戦後日本の矛盾とヴァイタリティの核心部分を僅か92分で活写したうえに、当時の日本映画には画期的とも思える湿度の低さで明るく逞しく、更にはコメディとして描いた点からも画期的な作品だと思うと、評価点について詳述すると成程と同意してもらった。コメディ的に最も可笑しかったのが、童貞学生の柴田(勝呂誉)が遊郭を誤解していたと反省の言葉を漏らしつつ「汚れちまった悲しみに…」などと中也の一節を呟いている場面だったと言った件については、顰蹙も買わず異論も示されなかったものの、あまり盛り上がらなくて残念だった。今回の合評会に女性メンバーが一人もいなかったことが、返す返すも惜しまれる。 | |||||
| by ヤマ '26. 2. 2,3. DVD観賞 | |||||
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