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『荒野のガンマン』(The Deadly Companions)['61]
『ヤングガン』(Young Guns)['88]
監督 サム・ペキンパー
監督 クリストファー・ケイン

 先に観た『荒野のガンマン』は、何とも面妖な作品だった。主要登場人物の皆々が何を考えているのか、なんでそういうことをするのか、話の運びも含めてさっぱり訳が分からないというか変な映画だった。ジョン・ヒューストンの映画にしばしば感じるような変てこりんさだった。

 ただダンスホールで働くシングルマザーのキットを演じていた、当時四十路に入ったばかりのモーリン・オハラは、さすがの貫録と艶があって感心した。人物造形的には何とも訳のわからない女性ながら、後年作の砂漠の流れ者/ケーブル・ホーグのバラード['70]でのステラ・スティーヴンスの見せ方を想起させる魅力があったように思う。

 それにしても、焦らしに焦らして一行を心理的にいたぶっていた先住民戦士がキットに撃たれた“余りに呆気ない最期”には恐れ入った。何やってたんだ?あいつ。また、本気で銀行強盗をしようとしていたようにも思えない元北軍兵のイエローレッグ(ブライアン・キース)が、銃もろくろく満足に構えられない傷を負っているのに、なにゆえ元南軍兵のビリー(スティーヴ・コクラン)やターク(チル・ウィルス)を従えられるのか、ガンマンに対して平気で背中を向けられる度胸だけで威圧するだけのものを持っていたようにも見えなかったのに、不思議でならなかった。

 教会でのエピソードにもかなり呆気に取られたが、馬車の轍を追跡されそうだからと車輪を外して車体を引き摺りながら、何の効果も挙げていなかったイエローレッグの指揮の間抜けぶりにも唖然とした。


 そのペキンパー監督によるビリー・ザ・キッド/21才の生涯['73]を観た三年前の映画日誌に原題のパット・ギャレットとビリー・ザ・キッドが実際に無法者として旧知の間柄だったのかどうかも知らないと記した部分について、ビリー・ザ・キッドことウィリアム・ヘンリー・ボニー(エミリオ・エステベス)が「あのような大物になるんだ」という憧れの対象として登場していた『ヤングガン』を奇しくも翌日に観た。

 だが、ビリーが憧れた名高い保安官の実態は、リンカーン郡の利権の独占を図るマーフィー(ジャック・パランス)の横暴に歯止めを掛けようとする弁護士アレックスの窮地を餌にして、ビリー率いる自警団を罠に掛けて壊滅させようとした卑劣漢として描かれていたように思う。軍隊までも動員した有力者のマーフィーと裏で結託していたわけだ。そして、本作では描かれなかった名高い“丸腰ビリーの闇討ちを果たした人物”としての説明が最後に流れていた。

 印象深かったのは、英国紳士であり且つ教育者として、無法者になってしまいそうな若者たちを牧童として雇い、識字と礼儀、規律を身につけさせようとしていた牧場主ジョン・タンストール(テレンス・スタンプ)の姿だ。そして、いかにも瞬間湯沸かし的な手の付けられなさを体現していたビリーを好演していたエミリオ・エステベス、ビリーとは対照的な冷静で理性的なリチャード・“ディック”・ブリュワーを演じて意表を突いていたチャーリー・シーン、詩人を標榜しネセサリー【必要】とは掛け替えのない事などと言ってマーフィーの愛玩女性を口説いていたドク・スカーロックを、らしからぬ配役で演じていたキーファー・サザーランド。加えて腕立ち先住民牧童のチャベス・Y・チャベスを演じていたルー・ダイアモンド・フィリップスのカッコよさだった。思いのほか面白く観た。
by ヤマ

'26. 2. 4,5. BSプレミアムシネマ録画



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