『市子』
監督・原作戯曲 戸田彬弘

 2022年の日本民間放送連盟賞TV教養部門優秀賞受賞作映像‘21“存在しない”人たち~無戸籍で生きるということ~を観たのは、ほんの一年余り前のことだ。無戸籍者の存在は知らぬではなかったが、その支援活動については見聞することなくきていたから、驚くとともに強い感銘を受けた覚えがある。

 川辺母子(中村ゆり・杉咲花)が戸籍取得申立手続きのことを知っていて、市子(杉咲花)が無戸籍者すなわち「存在しない人」ではなくなっていれば、妹の月子のみならず、障害福祉課の小泉(渡辺大知)さえも、その存在を奪われることはなかったのではないかと思わずにいられなかった。

 前日に観たアンダーカレントのかなえ達が抱えていた秘密にしても嘘にしても、とても重たいものだったけれども、市子が負っていたのは、秘密と嘘と犯罪の三重苦で、これはもう重たいどころの話では済まない凄絶なものだと言うほかない気がする。「一人で抱えきれない哀しみこそは、分かち合うことのできる相手が必要」との次元を超えていたように思う。2015年時点で恋人の長谷川義則(若葉竜也)が二十八歳だと言っていた市子が、2008年時点で月子と呼ばれる高校三年生だったことによって合わない勘定の謎が判明したとき、あまりのことに唖然とせずにいられなかった。1999年、2000年、2008年、2009年といった年が2015年と交錯しつつ映し出されるなかで、月子と市子の関係が次第に露わになってくるとともに、市子のケーキ好きの理由が明らかになってくる運びがなかなかスリリングで感心した。

 それにしても、高校時分からの市子への想いを何年も抱き続け、いわゆるストーカーでは括れない共犯者でもあった北秀和(森永悠希)にしても、失踪した市子を追って只ならぬ捜索に従事する長谷川にしても、尋常の想い人ではなくて恐れ入った。そして、市子が初めて夢を持つことを教わったと言っていた吉田キキ(中田青渚)との出会いや長谷川との生活さえも断ち切り、情状酌量の余地の乏しくなる新たな犯罪に向かう顛末に対する割り切れなさというか釈然としない思いを抱きつつ、杉咲花の熱演に圧倒された。
by ヤマ

'24. 2.25. キネマM



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