『アンダーカレント』
監督 今泉力哉

 さすが今泉作品だけあって、二時間半近い長尺作品にもかかわらず、豊かな行間によって想像力を刺激してきてくれる観応えに溢れているように感じた。思わず三十年近く前に観た秘密と嘘(マイク・リー監督)を想起した。秘密も嘘も表立っては流れていることの見えない潜流【アンダーカレント】としたものだ。小説などと違って言葉だけが頼りの表現ではない映画なればこその作品だったような気がする。

 失踪していた夫の悟(永山瑛太)が重ねていたという“嘘”と、かなえ(真木よう子)や堀(井浦新)が抱えていた“秘密”というものは、明らかに性質の異なるものであるけれども、当人にとっての已む無さで言えば、そう大きな隔たりはなかったのかもしれない。抱えることの苦しさから言えば、秘密以上に嘘のほうが難儀なのかもしれないが、かなえと堀の抱えていた“秘密”は、破格の重さがあったように思う。妻から明かされることのなかったそれが何かを悟は知らぬままに、その存在は感じ取っていたような気がする。一方、堀にはそれが何であるかのみならず、その重さが身に沁みているからこそ、かなえにとってもそれが同等のものであることが判って、ある種、救われた思いを得て彼女の元を去ることにしたのだろう。そんな堀の思いを翻させる言葉を掛けた煙草屋の親父(康すおん)の年季を重ねた年嵩ぶりがなかなか好かった。

 彼が何ゆえ、かなえの元を訪ねたかなどについて台詞で限定することなく、例示しつつも判らないとしている辺りに真骨頂が窺えたように思う。悟が失踪した理由にしても同様に、言葉で明示できるようなものではないからということにしておこうかなどと付言するわけで、かなえがそれを聴いて思いっ切り引っ叩いてもいい?と返しつつ、そうするどころか悟の首に自分のマフラーを掛けて巻くのは、彼女が言葉にしようのない“アンダーカレント”を知悉していたからなのだろう。

 悟かなえ夫妻の学友でもあった菅野よう子(江口のりこ)が堀から貰い煙草をして、キツいのを吸っているのねと言っていた銘柄が「PEACE」であったことが暗示していたように、心の深いところで“平和”を得るには、かなりキツい追体験が必要なわけだ。近所に住むかなえの叔母(中村久美)が泥鰌をかなえの好物だと誤解していることを“内緒”にしておくよう言ったかなえの言葉に反応して心が昂ぶり、涙と嗚咽を洩らしながら僕には妹がいる…早苗と言いますと口にしたところで暗転した。翌朝と思しき川べりを犬の散歩に出ているかなえの後を堀が追っている姿で終えたラストカットがなかなかに見事だったように思う。

 おそらく前夜、堀はアパートに戻らず、月乃湯に泊まっていったのだろう。そして住み込みで働いていた時分に使っていた、かなえの祖父の代の職人部屋ではなく、かなえの寝所だったに違いないことが偲ばれて感慨深かった。煙草屋の親父が言っていたように、一人で抱えきれない哀しみこそは、分かち合うことのできる相手が必要であり、かなえと堀こそが互いに余人に代えがたいベターハーフなのだという気がする。

 それにしても、かなえと堀が抱えたようなアンダーカレントを課してしまう罪業のタチの悪さ、深さを思わずにいられなかった。かなえが潜流に深く沈み込んでいるイメージを繰り返し提起していた水中ショットが印象深い。
by ヤマ

'24. 2.24. あたご劇場



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