『極道の妻たち』['86]
『極道の妻たちⅡ』['87]
『極道の妻たち 三代目姐』['89]
『極道の妻たち 最後の戦い』['90]
『新極道の妻たち』['91]
監督 五社英雄
監督 圡橋亨 
監督 降旗康男
監督 山下耕作
監督 中島貞夫

 初めて観た内海の輪の岩下志麻に圧倒され、十五年後の代表作『極道の妻たち』を再見した。いわゆる「極妻(ごくつま)」シリーズで僕がスクリーン観賞しているのは『極道の妻たち 地獄の道づれ』['01]一作しかないシリーズの第一作だ。お話はあまり冴えないけれども、役者の個性と登場人物のキャラクターで見せる作品だと改めて思った。

 粟津組姐御の環を演じた岩下志麻は無論のこと、本作で環の妹の真琴を演じたかたせ梨乃や、真琴を強引に我がものにした杉田組組長を演じた世良公則の初々しく溌溂とした存在感に改めて感心するとともに、朋竜会副会長の小磯を演じた成田三樹夫の巧さとヤクザ映画における彼の役回りの重要性を再認識した。かたせ梨乃と世良公則の濡れ場は、もっと激しく鮮烈なものだったような覚えがあったが、思っていたほどのものでもなくて拍子抜けした。かなり若い時分に観たっきりだったからそう思ったのかもしれない。

 それにしても、妹の真琴が二十四歳だった環の年齢は何歳の設定だったのだろう。当時の岩下志麻は四十路半ばだが、設定としては、せいぜいで三十路半ばまでと観るのが相当のような気がする。そして、それに見合った若さとその年齢に見合わない貫録というものを表現していたことに大いに感心した。


 続ではなくⅡとなっている翌年の第二作『極道の妻たちⅡ』は、脚本こそ高田宏治が引き続いて担っているけれども、主演も監督も異なる別物作品で、前作で真琴を演じたかたせ梨乃が榎麻美として引き続き出演していることのほうに違和感が生じるような設えだった。岩下志麻から十朱幸代に替わった姐御役は、『魚影の群れ』['83]には及ばずとも濡れ場も見せる奮闘ぶりながら、岩下志麻の迫力貫禄には到底敵わないが故の、環とは異なる遊紀の“姐御の哀しみ”を映し出す人物造形になっていた気がする。撮影時の実年齢は、ほぼ同年齢だから、改めて岩下志麻の凄みに感心した。

 そのうえでは、木本(村上弘明)に伝えたとおり空港に向かうのを止めて夫の重森組四代目(藤岡琢也)の病院に行くことにする場面が重要なのだが、いま一つ説得力がなく、また、麻美を巡るカメラマン(月亭八方)との結婚話や娘の名門私立小学校入試面接などのエピソードが些か御粗末で、笑いを誘われるよりも項垂れさせられるような顛末だった。入試面接官を演じた和田アキ子には意表を突かれ、可笑しかったが、冴えないカメラマンに縋っていた麻美の哀れを愚鈍にまで見せてしまうボロアパートプロダクションや妻子持ちオチはいただけない。もっともカメラマンの設えは、専らかたせ梨乃のヌードを画面に盛り込むためのものであろうから、用は充分に果たしていたように思う。

 律義な二枚目ヤクザを演じた村上弘明も健闘していたように思うが、そもそも娘のための貯蓄に勤しんでいたはずの大木が遊紀の大博打のカネを巻き上げずに自身の賭けたカネまで含めて貸しを与える出会いの顛末からして無理のある不得要領な人物像だったことが残念で、前作同様お話は冴えないけれども、役者の個性と登場人物のキャラクターで見せる作品としては、人物キャラクターに前作の杉田ほどの牽引力がないような気がした。


 斯界に明るい先輩が「三作目の吉川十和子のやられちゃうシーンはロマポよりエロいかもしれません。」と言っていたシリーズ第三作『極道の妻たち 三代目姐』は、姐御が三田佳子、監督が降旗康男に替わるも、かたせ梨乃が出演を続け、すっかり本シリーズの顔となり、夫の組長(小松政夫)への傷害による服役から出所してきた元姐御である操を演じて貫録を漂わせつつ、三作通じて定まった感のある本シリーズにおける役回りをきっちり務めていた。相手役になるヤクザは村上弘明から萩原健一に替わり、三代目(丹波哲郎)死後の跡目争いを叔父貴の寺田(成田三樹夫)と争う武闘派の旗頭たる赤松を演じていたが、三代目姐の葉月(三田佳子)と操に挟まれつつ、操が目を掛ける清美(吉川十和子)に襲い掛かる不得要領な人物像は、前作の木本以上だったように思う。

 前作では抜けていた成田三樹夫が復帰した分、締まりが増していたような気がするものの、寺田が三代目姐にあんたがなんもかんもわやにしたんやと言っていた以上に、坂西組をわやにしたのは、三代目からも三代目姐からも自重しいやと言われながら、クラブ「ROSE TATTOO」などを巡って坂西組を掻き回していた赤松だったように思う。第一作の杉田の印象が強く残るせいか、萩原健一を配しても人物像そのものが御粗末で、設えの大枠が第二作とほとんど同じとなれば、全裸になる役回りをかたせ梨乃から替わった吉川十和子によるボリューム感の減退を補うには至らない気がした。

 先輩が言うほどのエロは感じなかった当該場面にもかかわらず、かたせ梨乃より十歳ほど若い吉川十和子の初々しさが確かに印象に残る出演作だったようには思う。すると件の先輩が「真っ先に感じたことは、吉川十和子にもっとゆったりしたジーンズを買うてやれや、というものでした。映画のエロシーンを固唾を呑んで観ていた者しかわからないでしょうが。」と寄せてくれて驚いた。脱がすのに窮屈で、強く引っ張ってベッドの上でバウンドさせていたことを指しているのだろうが、それにしても、よく覚えているものだと、いつの記憶なのか訊ねたところ「さっき、見返しました。u-next で」とのことで、そうか、そういう時代になっているのだと、映画体験と脳内記憶という積年の僕の関心事も大きな変容を遂げていることに感慨を覚えた。

 成田三樹夫の復帰は、第一作での家と組との裏表の顔を見せる役どころからすれば、経済ヤクザの強かさと武闘派の時代錯誤を際立たせる存在として、筋立て以上の達者な存在感を見せていて感心した。寺田だけが、女より金のカネ好きヤクザだった。本作のピアノバーのママ(加茂さくら)が第二作の金貸し松代(草笛光子)に当たるのだろうが、第二作で松代が言っていた人間、一生、馬鹿踊りやという人々の生きざまは、第二作よりも本作のほうに表されていたような気がする。その金貸しママの松代も殺されたという記事が第二作で映し出されていたが、そう言えば、杉田(世良公則)も木本(村上弘明)も赤松(萩原健一)も殺されていたことからすると、かたせ梨乃の御相手となる役は、美味しいとこ取りだったカメラマンは別にして、命懸けというわけだ。今後のシリーズ作では、どうなるのか興味深くなった。


 岩下志麻が帰ってきた第四作『極道の妻たち 最後の戦い』は、かたせ梨乃も豊満な乳房を露わにする役回りから外れていた。すっかり貫禄が付き、肚の据わった元姐御ぶりを演じていて感心した。二人が両看板として堂々たる位置に来ているからか、脚本も力が入っており、これまでのように「お話はあまり冴えないけれども」という作品ではなくなっていて、些か驚いた。

 映画化もされた梁石日の小説のタイトルを想起させる“血と骨”を混ぜた盃を飲み干して姉妹の絆を固めた冬ならぬ芙有(岩下志麻)と夏見(かたせ梨乃)の気迫がなかなか見事で、兄弟分だった亡夫を蔑ろにした光石(品川隆二)のタマを鬼の面をつけて取った夏見にしても、夫の瀬上組の組長(小林稔侍)に対していっぺん巻いた尻尾は元に戻らんと詰り、抗争の指揮は自分に取らせろと迫っていた芙有にしても、まさしく女とカネに目のない狡猾弁護士の市場(津川雅彦)が言っていた女だけが鬼になれるの言葉どおりの迫力だったように思う。

 前作を観て、今後のシリーズ作では、どうなるのか興味深くなった、かたせ梨乃の相手役の件は、惚れた男が既に殺された形で登場し、新たに惚れる男が現われなかったので当てが外れたが、夏見の惚れた女たる姐御の芙有は確かに最後に殺されていた。芙有の後ろ姿に警察が一斉射撃を浴びせるラストカットは、いくら何でも馬鹿なと気に入らなかったが、これまでに観た四作のなかでは、最も面白い作品になっていたような気がする。

 また、僕が「極妻」シリーズを観る契機となった『内海の輪』でダブル不倫の美奈子と宗三を演じた岩下志麻と中尾彬の二人が、関西の広域暴力団中松組三代目の跡目を争う瀬上組姐御と川越会の会長田所亮次を演じている因縁が目を惹いた。『内海の輪』に出てきた美奈子の台詞お金や名誉じゃないは芙有の口から直に発せられることはなかったが、女の意地と筋を通して散っていった妹分の夏見と盃を交わした姉としての意地と筋を通した姐御ぶりが印象深い作品だ。色とカネ、勝ち目への損得勘定しかない男どもと違って、任侠の筋を通して見せていた姐御二人だったように思う。

 そうではない女として、一見したところ、姉の夏見と違って清楚で品よくも内実は、赤いスポーツカーを乗り回す気障っぽい男になびいて、不器用ながら篤実を見せる豊(哀川翔)をチンピラヤクザと見下しながらも、四代目を襲名した田所に見初められると、実姉の仇であってもちゃっかり愛人に収まる妹の志織(石田ゆり子)を配していた点も、なかなか行き届いているように感じられた。全十六作に及ぶらしい「極妻」シリーズのうち、まだ五作品しか観ていないが、本作が頂点ではないかとの予感が湧いた。


 画面に『レナードの朝』や『ワイルド・アット・ハート』の看板が映る第五作『新極道の妻たち』は、脚本が高田宏治から那須真知子に替わり、かたせ梨乃がなんと組の顧問弁護士になっていて、すっかり意表を突かれたが、前作に劣らぬ観応えがあって愉しめた。藤波組二代目霊代を演じる岩下志麻は、前作の足ではなく手の甲を突き抜く気迫を見せるのだが、その気迫が組を背負ってのものと言うよりは、息子の直也(高嶋政宏)を堅気にさせるための母心である点が、かなり異色のヤクザ映画だった気がする。母子ものとしての「極妻」シリーズなど、他にはないのではなかろうか。

 坊ちゃん育ちの我の強さと素直さを体現していた高嶋政宏の好演が目を惹くとともに、二代目の娘婿の宗田を演じていた桑名正博が巧みに小者感を漂わせながら、重要な役回りを果たしていたような気がする。二代目から息子を頼むと言われていた藤竜会幹部の殿山を演じていた綿引勝彦も、なかなか好い味を出していて印象深かった。

 だが、前作のラスト同様に、本作における宗田の最後の顛末は、少々気に入らなかった。かたせ梨乃に見せ場を作っていたのかもしれないが、せっかく姐御ではなく弁護士役をあてがっておきながら、これはないだろうと思った。また、高田宏冶の脚本なら、大学の英文科に通う葉子(海野圭子)へのプロポーズを断られ、失恋の深酒をあおって「センセイ」と弁護士の桐島美佐子の家を直也が訪ねてきた場面で、弁護士会からの警告書を受けて自暴自棄になっていた美佐子との間に肉体関係が出来ていたに違いないと思ったりした。




参照テクスト:「極妻」シリーズ6~10作 観賞日誌
by ヤマ

'24. 1.17~21. BS松竹東急よる8銀座シネマ録画



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