『夜明けまでバス停で』
監督 高橋伴明

 百年前の福田村事件での一般人による集団虐殺を描いた映画化作品を先ごろ観た延長で、三年前の幡ヶ谷バス停殺人事件をモチーフにした本作を観た。当地でも上映されながら観逃していた、とても気になっている作品だ。事件そのものをタイトルにしている福田村事件とは異なり、事件名は出て来ず、顛末も年齢も異なっていたけれども、幡ヶ谷の文字が映るバス停はくっきりと現れていた。

 四年前に勃発したコロナ禍は、自宅での映画観賞へのハードルを下げ、スクリーン観賞の機会を激減させたというほかには、僕自身の生活に然したる影響を及ばさなかったけれども、職を失うばかりか住まいを失くした人々がいることは、報道等で知っていた。だが、この国では、困窮する個人に対しては公的にはマスク二枚の配布と十万円の給付以外には、ろくに手立ても加えられることなく、ほぼ総てがボランティア頼りになっていることが、コロナ禍難民のみならず、日本に暮らす元外国人(正式な婚姻だったか否かにもよるが)の母子家庭ならぬ祖母孫家庭も含めて、ずっと以前からの習わしであることが描き出されていた。

 バイト先の居酒屋の残飯を持ち帰ろうとする老婦マリアを演じていたのは、三十年前の『月はどっちに出ている』['93]が鮮烈だったルビー・モレノで、彼女に(孫に)そんな飯食わせて恥ずかしいとか思わないのと言い放つマネージャーを演じていたのが三浦貴大だった。下衆な業界人を演じて見事だった愛にイナズマ以上の下衆っぷりを発揮していて、大いに感心させられた。

 宿無し職無しカネ無しでバス停のベンチに寝泊まりする北林三知子(板谷由夏)の頑なさについては、そうでないとホームレス仲間からバクダンと呼ばれている男(柄本明)を促して爆弾製作を始めるキャラクターには繋がりにくいので、止むを得ないと思いつつも、モデルになった事件の被害者とは随分異なるのだろうという気がした。ときの安部首相やら菅首相が国民に向けて発したコロナ禍における実際の言葉と映像を映し出していたことからも明らかなように、エンドロールにおける議事堂爆破イメージを待つまでもなく、政府の対応に対する憤慨が滾っているような作品だった。

 閉幕後、直ちに巨額の中抜きと贈収賄が露わになって醜聞に塗れていた東京五輪のエンブレムが矢鱈と映し出されていたのもそれ故だろう。巨大な利権を生み出すイベントや、アメリカに阿った軍事費の膨張にはウクライナ・ショックに託けて惜しげもなく大盤振る舞いをする一方で、困窮する国民には自己責任を押し付けて、ひたすら三密回避とマスク着用の連呼を繰り返し、医療体制の調整すら図れぬ政府に対して、はらわたが煮えていたのは決して作り手だけではなかったはずだ。

 最初のほうで現れた大河原マネージャーの台詞は国民にそんな暮らしをさせて恥ずかしいと思わないのかとなるべきものだとの思いが作り手にあることが強く表れていたように思う。そこに「腹腹時計」を持ち出してきたところには少々引っ掛かるところもあるが、作り手のスタンスとしては、当時の彼らの想いを伝えたい面があったのかもしれない。また、柄本佑の演じていたネット・インフルエンサーのような連中が垂れ流す弱者蔑視の言辞に対する作り手の苛立ちというものも、強く感じられる作品だったように思う。

 ホームレスと思しき男が露店でアベノマスクを四十円で売っていた。隣に置いてあるペットボトルのお茶五十円よりも十円安だった。ホームレス仲間から「センセイ」と呼ばれている男(下元史朗)の就寝前の祈り明日こそ目が覚めませんようにが哀しい映画でもあったように思う。なかなか観応えがあった。




推薦テクスト:「ケイケイの映画通信」より
http://www.enpitu.ne.jp/usr1/bin/day?id=10442&pg=20221102
推薦テクスト:「シューテツさんmixi」より
https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1984626932&owner_id=425206
by ヤマ

'23.12.19. DVD観賞



ご意見ご感想お待ちしています。 ― ヤマ ―

<<< インデックスへ戻る >>>