2014年     


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 26日【四国のみち 環12 旧道三坂峠を下るみち】
≪四国のみちと遍路≫へ


 9日【四国のみち 環13 瀬戸風峠へのみち】
≪四国のみちと遍路≫へ


 5日【網掛け石】
【waiwai記】
 四国のみちを歩こう・・と決めて、新たにウォーキングシューズを購入した。今日は11月22日に歩いた【root12(旧道三坂峠を下るみち】の撮影ポイントの“網掛け石”の確認に出掛けることとした。網掛け石の場所は、新しく整備された道路じゃなくて、旧道にある。取り敢えず、その分岐がある“丹波バス停”を探す。その場所は『北谷の彼岸花』へと別れる場所だった。その広くなった個所に車をデポしたのは、13時半だった。

  
 ここの四国のみちは、例に漏れず遍路路を利用している。案内標識は逆方向からだと判り難い。ここの変則の四差路もそうだった。暫らくウロチョロしたのだが、結局、御坂川を渡った向こう側へと遍路路は続いていたのだった。その川向の集落が榎の集落だった。

  
 道沿いには遍路道の案内と四国のみちの標識が設置されている。また、家の中にお地蔵さんが置かれている風景にも出会う。10分余で網掛け石の場所に着いた。傍らには真新しい“大師像”が新たに建立されていた。網掛け石の案内板には

 昔、弘法大師が大きな石を網に入れて、オウク(担い棒)で担って
いたところ、オウクが折れて山へ飛んでいきました。
落ちたところをオオクボ(松山市久谷町大久保)というように、
なりました。また石の一つは下の川に落ち、
もう一つはこの石であるといわれています。
この石は、表面に無数の網目がついている
ところから、「網掛け石」といわれて
います。

 と、書かれている。そして、道の向かい側に太子堂も建てられていた。ここには、網掛け石の由来が書かれたプリントが置かれていた。

  
 帰路には、英字で書かれたへんろの案内があり、古びた木の案内板もある。車を第46番浄瑠璃寺の駐車場へ停めたのは、“網掛け石の片割れが置かれている”というプリントを読んだからだった。もっとも相棒は、寺の裏にある池を覗いてみたかったからでもある。

  

 駐車場には一台も車は停まっていなかった。取り敢えず網掛け石の確認だ。案内標は見たのだが、目的の石がどこにあるのかが判らず、お寺の人に尋ねると先ほどの標柱の脇の石を指していた。思っていたより小さくて、な〜んて事は無い。その後は、暫らくの撮影タイムで時間潰しである。