小熊英二『〈民主〉と〈愛国〉』
一
立て続けに大作を発表している若手研究者――あるいはそろそろ中堅だろうか――の第三作である。私は大分前からこの著者のことが気になっていたが、専門外の分野の大著を何冊も読むのはそう簡単なことではないので、どれも刊行後かなりの時間が経ってから遅ればせに読むことになった。第一作『単一民族神話の起源』、第二作『〈日本人〉の境界』もそれぞれに興味深く読んだが、この第三作はそれら以上に充実した大作――ほぼ一〇〇〇頁に近い――であるだけでなく、内容的に現在に近い時期を取り扱っている関係で、私自身のこれまでの読書遍歴とも関連していろいろなことを考えさせられた。
三著にわたる小熊の一連の仕事をごく大雑把に要約するなら、社会思想史的アプローチと知識社会学的アプローチを併用して、近代日本におけるネーション意識およびナショナリズム観について論じるということになるだろうか。もちろん、このように単純に図式化してしまっただけでは、多岐にわたる論点を微細に論じる膨大な仕事の全体像を示すことにはとうていならないが、二つのアプローチの併用という点については著者自身が第一作の序で述べているところでもあり(1)、一つの特徴とはいえるように思われる。
一般的にいって、歴史学に属する作品は、細かい事実経過の確認に重きを置くあまり、えてして大きな見通しがつけにくくなる弊があり、社会学その他のディシプリンに属する作品は、明快な理論的図式でスッキリとした説明を与えようとするあまり、個別具体的な事実の確認がややおろそかになりがちだという傾向があるが、社会思想史的アプローチと知識社会学的アプローチの併用とは、両者の強みを総合しようと試みることを意味する。これは野心的かつ冒険的な試みであり、「意図は壮大だが看板倒れ」という結果に終わる可能性もなしとしない。本書の場合、それがどこまで成功しているかについては、専門の見地からの批判的検討が必要であり、私のような専門外の読者が気軽に判定できることではないが、ともかく一通り通読した上での感想としては、かなりの成功を収めているのではないかと感じた。論及の対象が広いため、分析の深さが一様ではなく、ある部分では他の部分ほどの深さが感じられないというようなバラツキもあるが、少なくとも単純な図式化で安住するというようなところはほとんどなく、できる限り対象に内在した理解を心がける姿勢が貫かれているように思う。
明治から戦後初期くらいまでを主に扱った前二著も、ネーションおよびナショナリズムを研究対象とする私の知的関心を引くところがあったが、本書の場合、戦後期――小熊の言い方では「第一の戦後」と「第二の戦後」に分かれるのだが――が対象となっていて、その時期に幼少年期から青年期を過ごした私自身にとって、自分が生きてきた時代とはどういうものだったのかを振り返らせるという意味をもち、「研究者として」という以上に「一個人として」強い関心を懐かされた。戦後生まれの私は、本書で扱われている時代のうちの前の方の時期にはほんの小さい子供で直接の記憶はないし、比較的後の方の時期にも、社会問題や社会科学に関心を持ち始めてまもない青二才に過ぎなかったから、本書の研究対象とされている知識人たちとは大分世代が違う。それでも、高校から大学に入り立てくらいの時期に、無手勝流の乱読の中から社会科学とか思想とかいうものの原イメージを形づくったのは、まさしく本書で取り上げられている論者たちの作品群を通してだった。若い時期の乱読というものは、理解の正確度という点ではもちろん大いに怪しいものだが、感受性がまだ鈍りだす前の時期だっただけに、後々まで残る強い印象を受けた。丸山眞男、竹内好、吉本隆明、六〇年安保、鶴見俊輔と『思想の科学』、ベトナム反戦運動と全共闘運動等々の人物と事件は、それぞれに異なった形で、若き日の私に強い影響を及ぼし、いわば「青春の記念碑」のようなものとして脳裏に残っている。これに対し、小熊は私よりも一回り以上若く、おそらく同時代的記憶はほとんどなく、いわば純粋に「歴史」として対象に立ち向かっているのだろう。そのような世代の著者とどのように対話ができるかという問題を念頭におきながら、本書を読んだ。
二
本書の主要対象は、今日しばしば「戦後思想」とか「戦後民主主義」という風に括られているものである。小熊は「戦後民主主義」とか「戦後の進歩的知識人」といった一括が非常に粗雑なものであり、対象の多様性をすくい取れていないことを本書で示しているが、「戦後思想」にあまり通じていない多くの若い人たちの間では、むしろ単純化されたイメージの方が強く焼き付いているのではないだろうか。いや、若い人たちばかりでない。かつて「戦後思想」の様々な側面に接したことのある年長世代の人たちでさえも、いまとなってはかつての複雑な屈折や模索のことを忘れ、図式主義的な理解ですませている例が多いように思われてならない。それは「冷戦期」というものへの安易な理解と図式的総括が優越していることの現われではないかと思われる(2)。
今日広まっている「戦後思想」についての通説的イメージを単純にまとめると、次のようになるだろう。そこでは左翼思想ないしマルクス主義が圧倒的優位を占めていた。そのマルクス主義とは、図式主義、教条主義、政治主義的引き回しなどを特徴としていた。冷戦構図のなかで、体制批判的な立場の人たち(いわゆる「進歩的知識人」)はみなそうした陣営に属していた。そして、これらすべてがソ連崩壊と冷戦終焉とともに一挙に崩れ去った、というようなイメージである。もしこうしたイメージが事実に即しているとするなら、「戦後思想」およびその担い手たる知識人たちは実につまらないものの塊であり、一挙に投げ捨てられるのも当然ということになる。
現実には、「戦後思想」はもっとずっと多様だったということを本書は明瞭に浮かび上がらせている。そもそも「戦後期」という時代自体が、革命と闇市に象徴される激動の戦後(「第一の戦後」)と、高度成長と五五年体制に象徴される安定と繁栄の戦後(「第二の戦後」)に大きく分かれるし、そのいずれの時期においても、様々な立場の人々の間で激しい論争があり、決して単色で塗りつぶされるようなものではなかった。ところが、今日の「戦後思想」「戦後民主主義」「戦後の進歩的知識人」イメージは、こうした多様性や時間的変遷に無自覚で、しばしばきわめて平板な像を描きがちである。そのことへの批判が本書の一つの主眼となっている。
確かに「戦後思想」において、マルクス主義の影響は強烈なものがあったが、だからといって、排他的に論壇を支配していたというわけではない(なお、本書の対象とされている知識人は、どちらかというと「左寄り」とみなされる人たちが多いが、非マルクス主義の左派自由主義者とか、より明確に反マルクスの立場に立つオールド・リベラリストなども含んでおり、かなり幅が広い)。また、マルクス主義者たち――および、非マルクス主義者だが大なり小なりマルクス主義の影響を受けた人たち――の間でも、多様性が大きく、学問上の観点も異なれば、政治的にも種々の論争があり、共産党やソ連への態度も一様ではなかった。図式主義や教条主義の要素も確かにあったが、そのことへの批判や反省もまた様々な形で提起されていた。更に、「第二の戦後」がすっかり定着した一九六〇年代半ばくらい以降になると、それまで論壇で活躍していた「進歩的知識人」への批判も広がってきたから、彼らが冷戦終焉直前まで圧倒的権威を誇っていたかに捉えるイメージは事実に即していない(ちょうど一九六〇年代半ばにあれこれの文献の乱読を始めた私の実感的記憶でも、「進歩的知識人」というレッテルは、もうその頃から、批判の対象――場合によっては揶揄の対象でさえある――と化しつつあったように思う)。
「戦後思想」をこのように捉え直すことは、安易な形での「戦後思想」批判への反論という意味をもつが、だからといって、小熊は「戦後思想」をひたすら弁護しようとしているわけではない。本書では、「戦後思想」の限界性についても批判的考察がなされている(各所で示唆される他、特に結論部で詳論されている)。問題は、単純に肯定するか批判するかという点にあるのではなく、深い批判を行なうためにも、カリカチュアライズされた対象認識に依拠するのではなく、できるかぎり包括的・内在的な対象認識が前提になるということである。序章の末尾で、小熊は次のように述べている。
「本書では、戦後思想を現代の言葉から性急に批判することよりも、まず当時においてそれが表現しようとしていた心情を明らかにし、その最高の部分を再現することに努めた。ある思想の限界を越えるにあたり、その最低の部分を批判することではなく、その最高の部分を再現しつつ越えることによってこそ、その拘束から解放されることが可能になるからである」(二六頁)。
この言葉には深い共感を覚える。「最低の部分を批判することではなく、その最高の部分を再現しつつ越えること」という表現は、「〔戦後文学を〕その最低の鞍部で越えるな」という本多秋五の言葉(『物語戦後文学史・完結編』)とよく似ており、響きあうものがある(3)。
三
小熊の一連の著作においては、大量の文献資料の丹念な解読と多岐にわたる言説の手際よい整理がなされており、それが高い評価に値する業績であることはいうまでもない。だが、それ以上に私が強く印象づけられたのは、対象とする人々の内面に立ち入った細やかな理解を心がけている点である。もちろん、知識社会学の観点からは、ある程度の理論的分析や図式化も必要であり、そうした作業も現になされているが、それでいて、個々の言説をある類型の事例として位置づけて事足れりとするのではなく、そのような位置づけからはみ出してしまうものがあることにも自覚的だという点が特徴的である。著者が「通常の学者」として優秀であるだけでなく、繊細な神経としなやかな感性をもっていることが窺われるように思う。
私が小熊のこのような資質に強く印象づけられたのは、前作『〈日本人〉の境界』を読んだときである。この本では、沖縄・アイヌ・台湾・朝鮮などに関わる近代日本の様々な言説が取り上げられているが、その分析の切れ味もさることながら、個々の論者を特定の基準で分類して片づけるというのではなく、困難な状況のただ中で苦闘を重ねた人々の悩みへの共感のようなものが感じられるように思った。この作品に登場する人々のうち、私の関心を最も強く引いたのは、朝鮮系であることを公言して衆議院議員となった唯一の例としての朴春琴(第一四章)である。「親日派」「体制派」というレッテル貼りをされがちな人物を取り上げて、その苦悩を描く筆致には感動的なものがある。それ以外にも、伊波普猷(第一二章)、柳宗悦(第一五章)、屋良朝苗(第二二章)などに関わる個所が特に私の関心を引いた。これらの人々は、今日のわれわれ――あるいは私というべきだろうか――の目から見て必ずしも手放しで高く評価することのできないような側面を持っているが、そういう人たちの言動を高みに立って裁断するのではなく、一人一人の悩みに寄り添った理解をしようと努めていると感じた。
こうした姿勢がどこから由来するのかは分からないが、次のような個所を読むと、安易に対象を「分かった」と思いこみ、裁断してしまうことへの畏れのような感覚を小熊が懐いていることが感じられる。
「現実の人間たちはそうしたバリエーションでは表現しきれない願望をもっているため、論調の揺れや曖昧な表現が多く現われる(4)」。
「私はこのような史料に出会うと、それを論じたり分析したりすることに躊躇を覚えざるをえない。どう論じようと、私などには問題のすべてを理解することも、また語りきることもできない気がしてしまうからである。〔中略〕。史料の一つひとつは当事者の苦悩、煩悶、希望、期待、打算、欲望、その他ありとあらゆる感情を訴えていた。〔中略〕。そこには私などが手を触れることがためらわれるような数々の問題が封印されている。〔中略〕。特権的な立場から当事者を一方的に非難したり、ましてや揶揄するようなことは避けたつもりである」(5)。
ここには、対象に肉薄することの絶望的なまでの難しさへの自覚が示されている。そうした自覚があればこそ、「内面的理解」ということを安易にキャッチフレーズとする論者よりも相対的に深い地点に達し得たのではないだろうか。
いま述べたような難しさに加えて、本書の場合、前二著よりも現代に近い時期を取り扱っているため、対象との距離を適切にとることの難しさも、より大きなものとなる。実際、旧著に比べると、本書では著者自身の対象への評価がより露わになっていると感じる個所もないではない。しかし、相対的に高く評価する対象についても手放しの絶賛ではなく、影の部分にまで踏み込もうとしているし、逆に相対的に批判的な相手についてもばっさりと切り落とすことをせずに、内面に立ち入って理解しようと努めた跡が窺える点は好感が持てる。特に、吉本隆明、江藤淳、また別著で取り上げられている清水幾太郎(6)らへの著者の評価は、大まかにいえば批判的観点が濃厚だが、単なるレッテル貼りを避け、内面的理解の努力の跡をにじませているように思う。
いま触れたところと多少重なるが、小熊はある論者の言説を分析する場合に、その外見的な結論だけに注目するのではなく、むしろ既存の政治の言語で表現困難な願望や心情がいかに表現されるかという問題に注目している。「語りえないものをいかにして『語る』か、そして『語られた』場合に常に発生する未表現部分をいかに忘却から救いだすかといった問題」が、彼の主たる関心事のようである(7)。おそらくこれと同様の問題が、本書では、「既存の言語体系によってでは表現困難な心情」「表現困難な残余の部分」などという形に言い直されている(一九頁)。
「語りえないものをいかに語るか」といった言い方は、「サバルタンは語れるか」という問いと似たところがあるが、微妙に異なるような気もする。「サバルタンは語れるか」という問いは、多くの場合、「語れない」という答えを暗黙に予定している。それでいながら、サバルタンについて語る論者自身は、どういうわけか「語れない」はずのサバルタンに代わって語ろうとしてしまうという偽善性がつきまとう(8)。語れるか語れないかという二者択一ではなく、なかなか語りきれないものをどのようにして不十分ながら語るか、またそれをどのように聞き取るかという風に問題を立て直すなら、より柔軟に考えることができるのではないだろうか。読む側の態度としては、自分が正しく聞き取っていないのではないかという畏れを懐きながら、何とかして聞き取ろうと努めることが大事であるように思う(9)。
サバルタンということに触れたついでに、もう少しだけ脱線すると、サバルタン論はややもすれば、《下層階級・女性など=「語れない人」、支配者・知識人(圧倒的に男性)=「語れる人」》という図式的対立を固定化してしまう傾きがあるような気がしてならない。「知識人」でない人々がその心情を表現しようとする際に、洗練された言葉を持たないために、適切な表現ができずに苦闘を強いられる――そもそも表現すること自体が封じられることもあるし、仮に何らかの形で表現しても、誤解や無視にさらされる――というのはその通りである。しかし、適切に表現することのできない何かを表現しようとして悩み、もがくということは、実は知識人の場合にもあるはずである。未知の状況に投げ込まれて、端的に新しい事柄を表現しようとする際には、誰しもが適切な表現形式を見出しあぐね、辛うじて何とか表現しても無理解の壁にぶつかったりして、苦しまざるを得ないからである。とりあえず既成の言葉による場合には、その「古い」表現形式と「新しい」内容のズレがなかなか埋められないし、一挙に新語を創作する場合には、それが何を意味するのかが読者に理解されないということになる。
いま書いたのは私自身の考えだが、本書に登場する多くの知識人は、まさにそうした状況の中で悪戦苦闘していた人たちとして描かれており、私の問題意識と相通じるものを感じた(10)。本書の登場人物の多くは、「大物」とか「超一流」という形容詞のつく知識人たちだが、彼らといえども、時代から屹立した巨人としてではなく、むしろ「同時代の人びとに共有されている心情を、もっとも巧みに表現した者」(二一頁)として捉えるというのが本書の基本的な発想となっており、彼らの思想を分析する際にも、完成された理論として受けとるよりは、むしろ矛盾を含んだ模索の跡が重視されている(11)。更にまた、そのことと関係して、各人のライフヒストリーが重視され、学術論文などにはあまり表現されていない、戦時中の悔恨・屈辱などの精神的な傷が思想の原動力として捉えられることになる(もっとも、竹内好、吉本隆明、江藤淳、鶴見俊輔、また別著における清水幾太郎らについてのライフヒストリー叙述が詳しいのに比して、丸山眞男と大塚久雄についてはその面が相対的に薄く、これは本書の一つの問題点かもしれない(12))。
四
いま述べたように、内面に立ち入って理解する、あるいは語りきれないものを語り、あるいは聞き取るというのが著者の狙いだが、ただそういっただけでは、具体的にどのようにしてその狙いを実現するかの道が確定するわけではない。本書の場合、「戦後思想」を戦争経験の傷痕との苦闘の産物として捉えるという姿勢が基本的な発想となっており、そこで大きな役割を果たすのが、戦争経験についての独自な捉え方である。そのことは本書全体に示されているが、特に第一章がその課題に集中的に充てられている。戦争というと通常すぐに思い浮かべられるのは大量の残虐・暴力行為だが、本書ではむしろ、戦時状況におかれた個々人が偽善、保身、裏切りといった経験をせざるを得なかったという側面が特に重視されている(逆にいえば、英雄主義・自己犠牲・連帯などといった要素はほとんど触れられていない)。それは「恐怖と保身、疑心暗鬼と裏切り、幻滅と虚偽がないまぜになったもの」であり、「他者への信頼と、自分自身の誇りが根こそぎにされるような」体験、「屈辱感と自己嫌悪なしには回想できない、お互いに二度と触れたくない傷痕」だったとされる(五〇頁)。と同時に、そうした傷痕は、戦争の時期にどの年齢層だったか、どのような社会的位置にあったかによって異なるため、十把一からげな「戦争体験」ではなく、世代・社会層ごとに細分された分析が重視される。
このように精神的傷痕を重視し、そのような傷痕を基盤として戦後思想が生まれたとする見方は、人間観として深いものをもっているように思う。思想というものは単なる書斎の思考の産物ではなく、深い傷痕をかかえた人々の模索と叫びを底にもったものだという捉え方が、そこには示唆されている。もっとも、このような戦争経験の把握と世代の重視は、下手をすると、個人の経験と世代・社会層の対応関係を単純化することで、やや図式的になる恐れもないわけではない。しかし、本書の場合、個々人の事例に密着することで、そうした安易さは努めて抑制されているように思う。
そうした長所を認めた上で、あえて疑問を出すなら、屈辱・自己嫌悪・悔恨などといった心情は、何も戦争でなくても、もっと様々な状況のなかで生じうるものではないだろうか。確かに、戦争は大規模な現象であるため、大多数の人々に共通の状況として降りかかり、そのことによって共通の心情を生みやすいということは言えるかもしれない。しかし、切実な体験に根ざした思想形成という点だけでいえば、何も戦争経験だけにこだわる必然性はないのではないか。
屈辱・悔恨がそのものとして正面から表明されることが滅多にない――そのため、後世の人々はかなりの努力を払わねば、それを想像することができない――こと、また当初は暗黙に共有されていた傷の意識が歳月の経過とともに薄れていくという点も重要な指摘だが、同様の疑問がある。こういったことは、戦争経験に限らず、様々な種類の激しい経験に共通の現象ではないか。ファシズムやスターリニズムのもとでの人々の生活もそういうものの典型だろうし、新旧左翼の革命運動や全共闘運動は、スケールや広がりからいえば戦争経験に劣るかもしれないが、質的には同様のものがあるように思われる。
こういう疑問を出すのは、戦後思想の限界という点と関わる。思想をその基盤としての戦争体験と関わらせて理解するという試み自体は興味深いものだが、あまりにも戦争体験ということばかりにこだわると、その記憶を直接に持たない世代には伝えようもなくなるのではなかろうか。何らかの歴史的事件の記念日の時期になると「この体験を風化させてはならない」といったことがよく言われるが、実際問題として記憶を共有しない世代にとっては、そういうことをいくら言われても、空しいお説教という響きをどうしても払拭することができない。次に引用する小熊の指摘は確かに妥当なものだが、これを確認するだけでは、風化が必然であり、戦後思想は結局は忘れ去られるしかないという結論になりそうにも見える。
「荒正人や竹内好などは、自己の内部の掘り下げが、他者とつながる回路であると主張していた。その前提になっていたのは、戦争体験から受けた傷が自己と他者に共有されていることであった。自己の内部の暗黒を直視することが、他者の共感と震撼を喚起し、表面的な結びつきを越えた連帯を生み出すためには、戦争体験が安易なコミュニケーションを破壊するほどの深い傷であることが必要であった。〔中略〕。しかし多くの人びとは、戦争体験の傷を直視することよりも、高度成長のなかでそれを隠蔽してしまうことを選んだ」(八〇〇‐八〇一頁)。
これはこれとして分かる。だが、人が偽善、保身、裏切り等をせざるを得ない状況に追い込まれたり、それを通して屈辱と悔恨の傷痕をかかえるというような事態は、戦時に限らず、もっといろいろな局面であり得ることだろう。先に私は、ファシズム・スターリニズム・革命運動といった激しい経験を挙げたが、それどころか、表面的に平和・安定・繁栄が持続している社会においても、組織や人間関係のしがらみのなかで、同様のことは十分起こり得るのではないだろうか。確かに、そうした状況下での個々人の経験は個別性が強いために、社会的に共有される思想への形成はより困難かもしれない。しかし、切実な体験に根ざした思想の形成というものを専ら戦争とだけ結びつけたのでは、後続世代が新しい状況下で独自に思想形成していく道を見いだすことはできなくなってしまうのではなかろうか。
五
本書のもう一つの特徴は、言葉の使われ方への注目である。これも先に触れた点と関わることだが、「言説構造の変動は、多くの場合、まったく新しい言葉を創造するというかたちではなく、既存の言葉を読みかえ、その意味を変容させることによっておこる」(一九頁)というのが、本書の主張の一つとなっている。「なぜなら、ある言説構造のなかで生きている人間は、特定の言語体系の内部でしか発話を行なえないからである。その言語体系に存在しない言葉は使えないし、新語を創造しても他者に理解されない」というわけである(同前)。では、新たな思想はどのようにして生まれるかといえば、既存の言葉を読み替え、そこに新しい意味を吹き込むことによってだというのが本書の主張である。
このような観点から、本書の各所で、既存言語の読み替え、古い言語への新しい意味付与の過程が追われている。特に、「民族」「市民」「近代(主義)」などといった概念の時期による変遷は、本書の一つの主要テーマをなしており、今日におけるこれらの言葉の固定的イメージしか知らない者にとっては、目から鱗を落としてくれるものがある。もっとも、知識社会学なり概念史なりといった分野では、この種の作業はそれほど珍しいものとは言えないかもしれない。本書の場合、そうした作業がそれだけで完結するわけではなく、もう一つ別の論点とも結びついている――もっとも、ここのところはそれほど正面切って宣言されているわけではないが――点に、そのユニークさがあるように感じる。
その論点とは、「戦後思想の大半は外来思想の直輸入だった」という見方を批判し、むしろそこには自らの切実な体験の思想化の努力があったとする主張である。それはまた、戦後思想が突然の飛躍ではなく、戦前期や戦中期の思想との一定の連続性をもちながらの生成だったという把握につながる。これも興味深い指摘であり、「戦後派進歩的知識人」が専ら外国思想の直輸入をこととしていたといった類の安易な批判に対する鋭い反論になっている。そのこと自体には異議がないが、同時に小さな疑問を感じないわけではない。いま述べたような把握は、本書の対象として取り上げられている事例の多くについては、おそらく妥当するだろうが、日本の思想界全般を見た場合に、「外来思想の直輸入」という要素がなかったとはいえないだろう。もちろん、小熊はそれがなかったと言っているわけではないが、既存言語の読み替えの側面を重視することの反射的結果として、「輸入学問」の側面を相対的に軽視する結果になっているのではないかという気がする。
いうまでもなく、「輸入学問」の隆盛は近代日本で一貫した現象である。もちろん、中には、切実な体験を言語化するために苦闘したり、既存の言葉に新しい意味を付与して言説を組み立てるような事例もあるが、それはむしろ相対的少数派ではないだろうか。あるいは、「第一の戦後」ないし「第二の戦後」初期くらいまでの時期にはそうした苦闘が比較的多くみられたのに対し、「第二の戦後」が安定し、学問や言論も制度化・安定化が進む中で、輸入言語の流行や新奇な造語の乱発が一層甚だしくなったのかもしれない。本書から離れるが、昨今では、日本社会のいわゆる「国際化」と、世界全体の「アメリカ標準」的な意味での「グローバル化」が学問の世界でも進行し、「輸入学問」的性格は一段とひどくなっているような気がする(若い世代の学者たちの間では、日本語で書かれた同僚の著作をほとんどまともに読まず、ひたすら英語の文献を読むことを「研究」と考える風潮が広がっているようだ)。そうだとすると、本書で描かれているのは、近代日本で稀な幸福な時期だったのかもしれない。私が本書を読んである種の懐かしさを感じたのは、それが私の青春期と結びついているからだけでなく、いま述べたような幸福な時代のことを思い起こさせるからではないかという気もする。
六
本書では、「戦後思想」の様々な側面が万華鏡のように描き出されているが、その中で特に注目に値する点として、「第一の戦後」――そしてまた「第二の戦後」の初期にも――における「左派ナショナリズム」の存在の指摘がある(この論点は、『〈日本人〉の境界』の第二一章「革新ナショナリズムの思想」を引き継いだものである)。今日では、何となく《左翼=反ナショナリズム》という等式が自明のようにみなされがちだが、一九五〇年代くらいまでの状況はそうではなく、むしろ多くの知識人の思想にはナショナリズムの要素があったことが本書では示されている。そこには、非共産党の左翼リベラルからの議論もあれば、共産党の「真の愛国」論もあり、内容的には大きなヴァラエティがあったが、「民族」「ナショナリズム」「愛国」などのシンボルを肯定的に捉える限りで一定の共通性があったということになる。
もちろん、そこにみられるナショナリズムとは、国家に吸収される排外的ナショナリズムではなく、むしろ国家に対抗する民衆(人民、民族、国民、市民)の連帯の思想としての「下からのナショナリズム」だ、というのが小熊の指摘である。言い換えれば、既に存在している国民国家の擁護ではなく、まだ存在しない「近代の産物としての国民国家」をいかにして創出するかという問題意識が共有されていたのであり、そのため、「第一の戦後」期においては、「民主」と「愛国」は対立語ではなく、むしろともに目指されるべき価値だった。そのことを後の世代は見落とし、ある者は「戦後民主主義はナショナリズムに敵対してきた」という右からの批判、またある者は、逆に「丸山らにはナショナリズムの要素があり、それはつまり体制的ということだ」という左からの批判を行なっているが、これはいずれも戦後思想に関する不正確な認識に基づいているということになる。ナショナリズム評価に限らず、憲法、教育基本法、明治時代評価など、多くの論点について、戦後初期における対抗軸と近年の対抗軸は、きれいに逆転した形になっていることが本書では示されている。
実をいえば、私自身、ある時期までの「進歩派」にとって愛国主義がプラス・シンボルだったことを見落としてきた(13)。それというのも、戦後日本の政治潮流で「愛国主義」といえば、すぐに思い浮かぶのは、赤尾敏の大日本愛国党とか自民党の極右派(タカ派)だったからである。一九五〇年前後の日本共産党が愛国路線をとっていたことはもちろん知っていたが、それは当時のソ連で強烈にとられていた愛国路線(14)が波及したもの――こうした側面も確かにあったと思うが――という文脈でのみ意識し、当時の日本でそれなりに広まっていた社会意識という背景については意識していなかった。
このように本書の議論から学ぶ点の多かったことを認めた上で、敢えて若干の疑問を出してみたい。といっても、ナショナリズム論は私自身の研究テーマとも関わるため(15)、個別的な論点での疑問に立ち入るなら、議論が細かくなりすぎてしまい、このノートの性格にそぐわない。ここでは個別の理論的問題には立ち入らず、それよりもむしろ実践的な価値評価に関わる点に触れてみたい。
本書で「左派ナショナリズム」の存在が強調されているのは、とりあえずは戦後思想の実像をより正確に押さえるためというアカデミックな狙いからだろうが、その背後には、ある種の実践的価値判断が潜在しているのではないかという風に私には思われる。それは、《左翼=反ナショナリズム》という等式に立つ右からのナショナリズム高揚の動きに対して、むしろ左からのナショナリズムもあり得るのだということを対置しようということではないだろうか。各所で、ある時期までの知識人たちの明治時代評価が高かったことを強調しているのも、それと関係しているように思われる。このように著者の価値観を推測するのは邪道かもしれないが、結論部で、「筆者は原則的には、ナショナリズムを一様に全否定することは、さほど意味をもたないと考える」(八二六頁)と書かれている以上、これはあながち邪推とばかりも言えないように思う。
確かに、ナショナリズムとは単一定義になじまない多面的な現象であり、それを「一様に全否定」することに意味がないというのは、その通りである。従って、私は小熊の主張に正面から反対するつもりはない。だが、厄介なのは、「健全」で、「民衆」に支えられた「下からの」、あるいは「前向きの」ナショナリズムと、危険な排外的ナショナリズムとを明確な一線で分けることがなかなかできないという点にある。多くのナショナリズムは、前者がいつの間にか後者に転化してしまうという道をたどったのではないだろうか。
関連して、先の引用個所のすぐ後には、「ナショナリズムを全否定して『個人』を掲げる思想」(八二六頁)という言葉がある。人間をその社会的文脈から切り離して、いわば剥き出しの個人としてみる人間観への批判がここには感じられる。そのこと自体には異議ないが、ナショナリズムの否定は必ず「個人」の絶対視に行き着くというのも一つの偏見ではないだろうか。純然たる「個人」という観念が空虚なものであり、「何らかの共同性や公共性」を想定しないわけにはいかないという指摘はその通りだが、「何らかの共同性や公共性」は本来多様であってよいはずであり(16)、それが必ず「ナショナリズム」という形をとるという必然性もないはずである。もっとも、これはある意味では言葉の問題であり、「それをもなおナショナリズムと呼ぶかどうかは各人の自由としよう」(小熊の引用する丸山眞男の言葉)という主張には賛同することができる(17)。
小熊と私の違いはごく微妙なものだが、あえて明示化するなら次のようなことになるだろうか。ある人が「何らかの共同性や公共性」を希求していて、それを「ナショナリズム」の言葉で表現している場合、それが排外的・閉鎖的にならない限りは、それをあえて否定的に捉える必要はないというところまでは賛同できる。ただ、私の場合、「それが排外的・閉鎖的にならない限り」という条件がどのようにして確保されうるのかという問題により神経質であり、「左派ナショナリズム」「民衆的ナショナリズム」だから大丈夫だという楽観論をとる気にはなれない。小熊がそのような楽観論をとっているのかどうかは定かでないが、少なくともその歯止めの問題にそれほどこだわっていないのではないかという気がしてならない。
七
これまで、本書のいくつかの側面について感想を述べてきた。そうした全体的な感想とは別に、個々の論者についても、立ち入って論じたい誘惑を感じないわけではない。特に、丸山眞男、竹内好、吉本隆明などといった人々の著作は若き日の私に大きな影響を及ぼしただけに、彼らをどのように振り返るかは、自分自身にとって重要な問題である。しかし、その作業を果たそうとするなら、彼らの業績を読み直し、また私自身がこれらの論者についてどのような態度をとるのかという問題を含めて、きちんと論じ直さなくてはならず、そこまで手を広げることは今はできない(18)。
本書の主要対象というわけではないが、加藤典洋『敗戦後論』については、私自身が以前に小文を書いたことがあり(19)、小熊の評価との間にニュアンスの差があるので、簡単に触れておきたい。小熊は加藤が「第一の戦後」期の状況をきちんと意識しておらず、そのために「戦後思想」の把握が不正確になっていると批判している(一五‐一六、八〇四頁など)。この批判は当たっているように見える(また、私自身、これまであまり意識しておらず、本書から教えられた点である)。しかし、思想史を専門的に研究するわけではない加藤にとって、この論点はそれほどクルーシャルなものだとは思えない。また、加藤の所論にある危うさがあると考える点では私も同意見だが、ある危うさがあるからといってあっさりと全否定しないという態度こそ、小熊が多くの論者に対してとっているものであり、ここにもふさわしいのではないだろうか。そして、屈曲した論の全体をたどらずに、「アジアの二千万の死者」より「日本の三百万の死者」の方を先におくという個所だけに注目したり、まして加藤の眼が後者にしか向かっていないかに捉える(八二三‐八二四、九四八頁)のは、加藤自身が事実上その論を修正していることを考えるなら、大多数の加藤批判者に共通する誤解ないし偏見ではないかと思われてならない(20)。小熊自身が「何らかの共同性や公共性」を重視するのであるなら、加藤との距離は見かけほど大きくないようにも思える。
八
小さな疑問をまじえつつも、基本的には感心した部分を中心に書いてきた。これ以外にも、あれこれの不満や疑問がないわけではない。だが、著者と専門を異にする私としては、立ち入って本格的に批判したり、論争を挑んだりすることはできない。それに、多くの不満は、私の関心領域に関わる部分が相対的に弱いという点に由来するが、そのような不満を述べたてるのは、いわゆる「無い物ねだり」であり、内在的な批判にならず、あまり建設的ではない。
そう断わった上で、一読者がどのような「無い物ねだり」をしたくなるかを記しておくのも完全に無意味ではないかもしれないと考えて、ちょっとだけ、その点に触れておく。本書では、共産党をはじめとする左翼運動との関係がかなり重視されているが、そのわりには、ソ連の動向への注目が弱い。それ自体はもちろんやむをえないことであり、どうこう言うべきことではない。ただ、ところどころで社会主義圏の動向への言及がある場合にも、なぜかソ連を避けて、他の国の例を挙げている個所が目につく(21)。日本研究なのだから諸外国とりわけ社会主義諸国の例には一切言及しないというのなら分かるが、部分的に言及しているにもかかわらずソ連を避けているのは解せない。もっとも、この点はむしろわれわれソ連研究者の責任だというべきだろう。一九五〇年スターリン言語学論文や石母田歴史学の再検討なども含めて、今後の私自身の課題としたい。
ことのついでに、「無い物ねだり」をもう一つだけ付け加えるなら、共産党をめぐる状況についての論及が詳しいのに対して、新左翼への言及が中途半端だという印象を懐く(これに比して、「声なき声の会」からベ平連へと至る系譜については多くの紙数がさかれており、著者の共感を物語っている)。新左翼は専らブント(共産主義者同盟)で代表され、それ以外の諸潮流には全く触れられていない。その上、ブントの内情については、ほぼ専ら西部邁の『六〇年安保』(22)に依拠して書かれている。西部のこの本は確かに面白い回想であり、一定の資料価値もあると思うが、何といっても一当事者のものであり、しかも後年の思想的変化を合理化しようという意図が明確に出たものであるだけに、これだけに依拠するのは軽率だろう。私の気づいた限りで五回も引用しており(五三五、五六四、五六五、五六六、五七〇頁)、しかもそれ以外の回想類はほとんど全く利用していない。これでは、ある側面はそれなりに描き出されるにしても、一面的との印象を免れない(23)。
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思いつくままに、いくつかの感想を書き連ねてきた。大著であるだけに、到底遺漏ない批評とはいえないが、ともかくこうやって感想を書きとどめるだけでも、私にとっては有益な経験だった。と同時に、私よりも若く、本書の対象を純粋に「歴史」として受けとめるような世代の人たちが本書をどのように読むのかを知りたいという感慨を懐いた。
(1)小熊英二『単一民族神話の起源――〈日本人〉の自画像の系譜』新曜社、一九九五年、九‐一四頁。
(2)この点に関し、塩川伸明『《20世紀史》を考える』勁草書房、二〇〇四年、第九章参照。
(3)蛇足だが、私はかつて『社会主義とは何だったか』勁草書房、一九九四年、二四一頁で本多のこの言葉を引用したことがある。それからまもない時期に、ある大先輩は、自分もこの言葉をよく覚えているということを私信で知らせてくれた。わりと強い印象を残す言葉だったのではないかという気がする。
(4)小熊英二『〈日本人〉の境界――沖縄・アイヌ・台湾・朝鮮――植民地支配から復帰運動まで』新曜社、一九九八年、六五〇頁。
(5)同右、七七一頁。
(6)小熊英二『清水幾太郎――ある戦後知識人の軌跡』御茶の水書房、二〇〇三年。
(7)小熊『〈日本人〉の境界』七五七頁注1。
(9)塩川伸明「集団的抑圧と個人」江原由美子編『フェミニズムとリベラリズム』勁草書房、二〇〇一年、五八‐六二頁参照。
(10)小さな差異をいえば、私の場合、本文に書いたように、「古い」表現形式と「新しい」内容のズレの問題と、新語創作の問題の双方が気になるが、小熊はこの前者の方に集中している。もっとも、これはそれほど決定的な問題ではないが。
(11)前作では、たとえば吉野作造論にそうした観点が感じられる。『〈日本人〉の境界』七〇三‐七〇四頁注3参照。
(12)丸山、大塚らの思想に「大衆」への嫌悪という要素が含まれていたという指摘には興味深いものがあるが、この個所はあまり掘り下げられておらず、「戦争から与えられた屈辱の傷および『卑屈』への嫌悪」という一般論にとどまっている(九六‐九八頁)。「軍隊のなかで『青ざめ』『泣き』、『浅ましい保身術』に手を染めねばならなかったのは、かつての学徒兵たちであり、おそらくは丸山自身にほかならなかった」という指摘(九九頁)も興味深いが、それ以上展開されていない。丸山らよりも年長の「オールド・リベラリスト」たちについて、一般民衆との隔絶が詳しく指摘されている(一九〇‐一九六頁)のと比べて、やや甘い印象を否めない。
(13)かつて私は、「日本の良識的知識人の間では『愛国主義』という言葉は極度に人気の悪い言葉である」(ツィプコ『コミュニズムとの訣別』の書評『エコノミスト』一九九四年八月二日号一〇八頁)とか、「表だって……『愛国』を唱えることは、戦後日本では最近まであまりなされなかった(背後で、秘かな本音として懐かれることはおそらく多かっただろうし、近年になって、かなり声高に唱えられるようになってきたが)」(『《20世紀史》を考える』二八七頁)などと書いたことがある。いま思うと、これらの記述は反省を要するようだ。
(14)塩川伸明『民族と言語――多民族国家ソ連の興亡T』岩波書店、二〇〇四年、六六‐六九頁参照。
(15)さしあたり、前掲『民族と言語』、より簡略には、『《20世紀史》を考える』第七章参照。
(16)そのことと関連して、「共同性」と「公共性」の関係をどう考えるかも大問題であり、この二つの概念を「や」という曖昧な接続詞で結ぶことにも疑問があるが、ここでは立ち入らない。
(19)『《20世紀史》を考える』の補論1。
(20)同右、二九〇‐二九一頁注9参照。
(21)たとえば、日本共産党の愛国路線が当時の国際共産主義運動の潮流に沿ったものだということを述べた文脈で、東ドイツおよび中国の例を引き合いに出しているが、「本家」ともいうべきソ連における愛国路線については触れていない(二八二‐二八三頁)。また、冷戦後の国際秩序変化と「戦争の記憶」の変容について述べた個所で、ユーゴスラヴィアの例だけを挙げ、ソ連・東欧圏の大変動について何も触れていない(八一三頁)。なお、『〈日本人〉の境界』には、ロシア・ナショナリズムへの断片的な言及があるが、これは限られた材料だけに依拠した図式化で、「つけたり」のような印象を受ける。
(22)西部邁『六〇年安保――センチメンタル・ジャーニー』文藝春秋社、一九八六年。
(23)一例だが、小熊は西部の回想から「多数決制に対する軽侮の念は並大抵でなかった」という個所を引用している(五六六頁)。これに対し、小川登は、西部が「ボル選〔ボルシェヴィキ選挙――不正選挙のこと〕」を当然視していたと書いた個所に反論して、次のように書いている。「東C〔東京大学教養学部のこと〕はそういうことをやったかもしれないが、京大でも地方でも、そういうことはしなかった。〔中略〕。票の入れ替えは考えつきもしなかった。〔中略〕。私たち現場指導者は、学生大衆の最終的選択には従うべきだという素朴な民主主義の信奉者であった」(小川登「京都から見つめた六〇年安保とブント」『島成郎と六〇年安保の時代2――六〇年安保とブントを読む』情況出版、二〇〇二年、一八四頁)。私は西部と小川のどちらかが嘘をついているという風には思わない。現実というものは多様なものであり、各人はその中のある面を特に強く印象のなかにとどめ、その記憶に忠実に書くことで、それぞれに異なった伝説を生んでいくということではないだろうか。
(二〇〇五年九月)
*小熊英二『〈民主〉と〈愛国〉――戦後日本のナショナリズムと公共性』新曜社、二〇〇二年