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2010年 島鉄廃線の旅・その1 
 2010年 島原外港駅前
        2010年 島原外港駅
高校生のころは緑の多い駅という印象 がありました。「島原鉄道100年史」によれば、昭和35年にこの駅が開業し、当時の島鉄の取締役で作家の宮崎康平氏が「観光都市の海の玄関にふさわしいものに」と、構内にシュロチク、アメリカデイゴなどの亜熱帯植物を植え込んだそうです。 現在の駅にはそれらは撤去され、駅裏はパチンコ屋になったわけですが、当時の駅裏は松の古木が何本かあったようです。
 2010年 島原外港駅 構内
   ↑2010年 ↓2026年 島原外港駅
2026年 島原外港駅 構内
2008年4月に島原外港駅が島原鉄道の終点の駅になりました。のちに2010年11月に駅舎は火事であたらしくなっています。また、2019年には駅名を「島原港駅」に改名しています。
 2010年 島原外港駅の線路の最後
2010年 島原港駅~秩父が浦駅
 2010年島原港駅~秩父が浦駅
↑2010年 ↓2026年 島原港駅~秩父が浦駅
2026年島原港駅~秩父が浦駅
 2010年秩父が浦駅
   ↑2010年 ↓2026年 秩父が浦駅
2026年秩父が浦駅
↑この駅名を聞いたとき、こんな駅名あったかなと思いましたが、(私がいかに島原鉄道を利用していないかを表している)私のころは「中央高校前駅」であったと思います。 ここの駅名は良く変わっているんですね。中央高校前駅→職業訓練校前駅→技術専門校前駅→秩父が浦駅 当時、私が乗っていたのはキハ20形や4500形、250形(前後にホロ付きのカゴがついていた牽引車)などかな~。そういえば当時の南島原駅に牽引車が放置されていて、その特徴が、バスのドアみたいに折りたたみ式のドアが特徴の牽引車があって一度乗ってみたいなと思っていましが、結局雨ざらしの末、ガレキの山になったように思います。
 2010年秩父が浦駅~安徳駅
2010年↓2026年 秩父が浦駅~安徳駅

2026年秩父が浦駅~安徳駅
 2010年安徳駅
    ↑2010年 ↓2026年 安徳駅       2026年安徳駅
他界した父が言っていましたが、昭和19年頃の話なのですが、その頃の列車は木炭車が走っていてこれがまた馬力が弱く、安徳駅を出ると、島原湊駅に向かうときは上り坂だから、列車がちょくちょく止まる。それで、男衆は降りてみんなで押していたそうです。 現在、水無し川の前後の高架跡が残っているわけですが、平成3年の雲仙普賢岳の災害で何億円という税金を使って作られたわけですが、鉄道がない今これを壊すにも何億円という税金を使う結果になるそうです。あの鉄橋に使った税金はなんだったか?ジレンマを感じます。2026年にようやく島原市も重たい腰を上げこの辺の区間の自転車道の整備を始めました。バラストの道路ですが、グラベルロードのドーロにいいかも!私は走りたくありませんが。
 2010年安徳駅~瀬野深江駅
↑2010年 ↓2026年 安徳駅~瀬野深江駅
2026年安徳駅~瀬野深江駅
 安2010年徳駅~瀬野深江駅
↑2010年 ↓2026年 安徳駅~瀬野深江駅
2026年安徳駅~瀬野深江駅
2010年安徳駅~瀬野深江駅
↑2010年↓2026年 安徳駅~瀬野深江駅
2026年安徳駅~瀬野深江駅
D37型ディーゼル機関車の説明
ディーゼル機関車
D37形(3701-03)
 2010年瀬野深江駅
↑2010年↓2026年 瀬野深江駅

2026年瀬野深江駅
2010年瀬野深江駅~深江駅
↑2010年↓2026年(画像は瀬野深江方向)
   瀬野深江駅~深江駅

2026年瀬野深江駅~深江駅
 2010年瀬野深江駅~深江駅
    ↑2010年↓2026年(画像は瀬野深江方向)
   瀬野深江駅~深江駅
2026年瀬野深江駅~深江駅
瀬野深江~深江の間の線路は島原鉄道の中でも一直線の距離が長いほうです。だから、ここの場所では快適に飛ばしていたように思います。また、島鉄の線路の1本の長さは短いので、線路の継ぎ目も早く来て、タタンタッターン、タタンタッターンのリズムとディーゼルエンジンの響きが心地よかったこと。
 2010年深江駅
   ↑2010年↓2026年 深江駅
2026年深江駅
 大正11年に開業した駅だそうです。これより後に国鉄の筑肥線に深江駅(博多~東唐津の中ほどにある)が作られたために、元祖深江駅なのに「島鉄深江駅」にしろと鉄道省が言ってきたそうです。しかし当時の口之津鉄道(今の島原鉄道)は「こちらが先」とガンとしてゆずらず、とうとう国鉄が折れて筑肥線の深江駅の方が「筑前深江」としたそうです。これとは対照的なのが「島鉄湯江駅」で元祖「湯江駅」なのに官に屈服して「島鉄湯江駅」にさせられたそうです。 (「湯江駅」は長崎本線にあります) 
  「島原鉄道100年史」~より抜粋
2010年深江駅~布津新田駅
↑2010年↓2026年(画像は深江方向)
 深江駅~布津新田駅

2026年深江駅~布津新田駅
2010年深江駅~布津新田駅
↑2010年↓2026年(画像は深江方向)
 深江駅~布津新田駅

2026年深江駅~布津新田駅
2010年布津新田駅
     ↑2010年↓2026年 布津新田駅
2026年布津新田駅
  なぜ「新田」という名前がついているのかその由来を調べるために「布津町史」という本を調べてみたり、布津の公民館に聞いてもわからなっかた。布津新田に住んでいる1人のご老人に聞いてみたが、干拓によって新田を作った。それも明治以前の話だろう~とのこと。ウチの近所のご老人にきいてみたが、わからなっかたが、「昔の堂崎駅の近くの田んぼがガタ臭かったけど米はうまかったとのこと、布津新田も始めはそのような田んぼではなかったんではなかろうか」とのこと。
2010年布津新田駅~布津駅
↑2010年↓2026年(画像は布津新田方向)
 布津新田駅~布津駅

2026年布津新田駅~布津駅
2010年布津駅
↑2010年↓2026年 布津駅
2026年布津駅
  ↑夏場はセイタカアワダチソウ、秋はススキというようなジャングル状態です。多少不謹慎ですが、つい口ずさんでしまいました。
  ♪~ よーく茂ったものだ!ホイ!~
 小さい頃(昭和40年代)親といっしょに島鉄で島原にいったとき、この布津駅に大きなタンクが高いところにあった事を覚えていました。今振り返ると、あれはSLの給水タンクだけ長く残っていたのかもしれない。
 2010年布津駅~堂崎駅
↑2010年↓2026年 布津駅~堂崎駅

2026年布津駅~堂崎駅
この口之津鉄道の頃は堂崎駅と布津駅の間には「浜堂崎停留所」があったみたいです現在での場所↑の写真のところでした。西有家町の A氏(故人)によれば堂崎駅で乗り降りする学生よりも浜堂崎で乗り降りする学生のほうが多かったそう
です。

 2026年 布津駅~堂崎駅
↑2010年↓2026年 布津駅~堂崎駅

2026年 布津駅~堂崎駅
アーチ橋は残してほしかったナー
 2010年堂崎駅
   ↑2010年↓2026年 堂崎駅
20216年 堂崎駅
  口之津鉄道(のちに島原鉄道と合併した)は大正11年には、島原湊~堂崎までしか開通していなくて、その頃の有家や西有家の中学生(現在の高校生)は島原の中学に行くために自転車で堂崎駅まで来て、ここから、島原に行っていたそうです。大正15年には南有馬まで開通しています。
 2010年 堂崎駅~蒲河駅
↑2010年↓2026年 堂崎駅~蒲河駅
2026年 堂崎駅~蒲河駅
2010年 堂崎駅~蒲河駅
↑2010年↓2026年 堂崎駅~蒲河駅
2026年 堂崎駅~蒲河駅
 2010年 蒲河駅
   ↑2010年↓2026年 蒲河駅
2026年 蒲河駅
   蒲河駅と有家駅の間には鉄橋(↓)があって、小学校の頃はこの鉄橋を渡らないとヒエジゴ(勇気のない男)とよばれていて、そういうわたしはヒエジゴでしたww。スタンドバイミーのような世界があってほしい…と思っています。 以前日経サイエンス別冊に次のような問題がありましたが、すぐにわかりました

 【問題】 「ある男の人が線路上を歩いていると向かい側から列車が来ている事に気づいた。言うまでもなく線路からわきに降りるわけだがその前に、彼は列車に向かって5mほど走って線路のわきに降りたという。なぜ、彼ははじめに列車に向かって走っていったのか?」
2010年 蒲河駅~有家駅
↑2010年↓2026年 蒲河駅~有家駅
2026年 蒲河駅~有家駅
2010年 蒲河駅~有家駅
↑2010年↓2026年 蒲河駅~有家駅
2026年 蒲河駅~有家駅
ジャスコがイオンに変わっています。


  「西有家町史」にある鉄道系統表をもとにコメントを書いていたのですが他の資料を比較してみると「西有家町史」にいくつか間違った表記がされていることがわかりました。例えば「布津打田駅」は正しくは「布津新田駅」とか「塚堂崎の停留所」は正しくは「浜堂崎の停留所」・・・・・・昔のことなので以前、島鉄の重役をされていた西有町の
A氏(故人)に訊きにいったところ「あの西有家町史は間違いが多い」とのこと島原南目弁でいうと「あん西有家町史はスラごっばっかっ」 とおしゃっていました。 
    (´•ω•`; )汗
 

有家駅~加津佐駅