南光坊近辺地図
JR今治駅から 徒歩 約7分
南光坊境内 配置図
第55番南光坊 仁王門
第55番南光坊 本堂
大師堂 金比羅堂
御本尊 納 経
山 号 | 別宮山 |
院 号 | 金剛院 |
寺 号 | 南光坊(なんこうぼう) |
本 尊 | 大通智勝如来 |
開 基 | 行基菩薩 |
宗 派 | 真言宗醍醐派 |
住 所 〒794−0026 愛媛県今治市別宮町3丁目1
電 話 (0898)22−2916
御真言 なむ だいつうち しょうぶつ
御詠歌 このところ 三島に夢の さめぬれば 別宮とても おなじすいじゃく
南光坊略縁起等(抜粋) |
四国霊場で「坊」が付く寺院は、第55番「南光坊」だけです。 正式には、「光明寺 金剛院 南光坊」という。 縁起によると、大宝3年、伊予水軍の祖と言われた国主・越智玉澄公が、 文武天皇(在位697〜707)の勅願により大山積明神を大三島に勧請し、 大山祇神社を建立、法楽所として24坊の別当院としたことが創始といわれる。 これらの別当院は、翌々年、大三島から現在の今治市へ移された。 和銅元年(708)行基菩薩が、24坊のうち8坊を「日本総鎮守三島の御前」 として祀られた。さらに、弘法大師が、この別当寺で法楽をあげて修法され、 霊場に定められた。 後、「天正の兵火」により、社殿、伽藍は焼失したが、南光坊だけが別宮 の別当寺として再興された。 慶長5年(1600)藤堂高虎公の祈願所として薬師堂が再建された。 江戸時代には、藩主・久松公も祈願所として信仰された。 明治初年の廃仏毀釈では、本地仏として社殿に奉安していた大通智勝 如来と脇侍・弥勒菩薩像、観音菩薩像を南光坊薬師堂に遷し、別宮大山祇 神社と分離した。 昭和20年8月、太平洋戦争の空襲により大師堂と金比羅堂を残して焼失 した。 現在の本堂は昭和56年秋、薬師堂は平成3年春、仁王門は平成10年に 再建された。 |