太山寺近辺地図
JR伊予和気駅から バス 太山寺行き 約6分
太山寺境内 配置図
第52番太山寺 仁王門
第52番太山寺 本堂(国宝) 和・唐・天竺様式が組み入れられている。
大師堂 聖徳太子堂
山 号 | 瀧雲山 |
院 号 | 護持院 |
寺 号 | 太山寺(たいさんじ) |
本 尊 | 十一面観世音菩薩 |
開 基 | 真野長者 |
宗 派 | 真言宗智山派 |
住 所 〒799−2662 愛媛県松山市太山寺町1730
電 話 (089)978−0329
御真言 おん まか きゃろにきや そわか
御詠歌 太山へ 登れば汗の 出でけれど 後の世思えば 何の苦もなし
太山寺略縁起等(抜粋) |
欽明天皇(539〜571)の頃、豊後国(大分県)に住む炭焼きを生業とし て いた小五郎は,神のお告げにより奈良の久我大臣の娘、王津姫と結婚、 以来、運が開けて、真野長者といわれる大富豪となった。 商いのため、船で大阪に向かう途中、大暴風雨に遭い、観音様に無事 を祈願したところ、瀧雲山の方向から差した御光のお陰で、高浜の岸で 救われた。不思議の思った長者は、山の登ったところ、小さな草堂の中に、 十一面観世音菩薩の尊影を拝したとのことです。 長者は、助けていただいた御礼にと豊後の工匠を集めて、間口66尺・奥行 き81尺の本堂を建てる木組みを整え、船積みの上、高浜に到着する。 本堂は、夜を徹して工事が行われ、完工させる。以来、「一夜建立の御堂」 と伝えられている。 天平11年(聖武天皇[在位724〜749」)の勅願を受けた行基菩薩は、 十一面観音像を彫造し、その胎内に真野長者が、瀧雲山で拝し、見つけ た小さな観音像を納めて本尊にしたという。 孝謙天皇(在位740〜758)のころは、七堂伽藍と66坊を有するほど壮観 であったとのことです。 弘法大師は、天長年間(824〜834)この地を訪れ、護摩供養の修法をさ れて、これまでの法相宗から真言宗に改宗している。 現本堂は、真野長者の建立から、三度目とのことです。真言密教では 最大規模を誇り、国宝に指定されたいる。 |
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